第六話 貧食症
ブライアンに導かれるまま、一行は村の郊外にある彼の家へと向かうことになった。
「それにしても、なんで、無銭飲食、したの……?」
咲のもっともな問いに、ブライアンは「だって、あそこで食べられなければ、ごみを漁るくらいしか道が残っていなくて」と肩を落とす。
その後彼は、無言で歩いた。重々しい空気に、神奈たちも言葉を交わす気になれない。
石造りの家が数十件集まった村を抜け、畑の脇を通り、石が転がる広場を抜けたところで、ブライアンが立ち止まった。
「ここが僕の家だよ」
彼はそう言ったが、そこは、少なくとも、現代日本の暮らしに慣れた神奈や咲、梨乃にとっては、とうてい家などと呼べるものではなかった。
屋根が低く入口が低い建物は、まるで物置のようだ。石造りの壁や天井はところどころ崩れ落ち穴が開いているが、窓はない。
誘われるまま中に入ると、砂そのままの床の上に、ぼろぼろの藁が置いてあった。その上に薄汚れた布がかけてあることから、どうやらこれがベッド代わりであるらしい。
「よかったら座ってよ」
ブライアンは、藁の山を指さした。ほかに床――いや、砂の上にあるのは、大きな石とテーブル替わりらしいうつぶせた木箱、片隅にある大きなかごくらい。藁のベッド以外に、腰を下ろす場所はない。
(でも、座りたくない……かも。なんか虫とかいそうだし)
とはいえ、勧められたのに立ちっぱなしも悪い。神奈は内心で「えいっ」と勢いをつけて、ベッドに腰を下ろした。藁の破片と埃が、ぶわっ、と舞い散る。
咳き込まないように、息を止める。と、隣に紅竜が、彼にしては静かに座った。それでベッドはいっぱいになり、梨乃と咲は立ったまま。
「ちょっと待っててよ。証拠を見せるから」
ブライアンは、一行に背を向けて、大きなかごをガサガサし始めた。
黙って待つこと数分。
「これが、僕が勇者だった証さ!」
満面の笑みで振り返った彼が手にしていたのは、鎧の胸当て部分だった。
「この真ん中にある印は、代々勇者に伝わる紋章なんだ。これを継承できるのは、先代に認められた者だけなんだよ!」
自慢気に、きらきらと輝く顔。
――だが。
「そんないい物持ってたって、着れなきゃ意味ねえだろ。お前、なんでそんなになったんだ?」
歯に衣着せぬ紅竜の言葉に、ブライアンは表情をなくした。鎧を床に置き、石の上に腰を下ろしてうつむく。
そして響くは、悲しげな声。
「……ロンディアのせいだよ」
「ロンディアって……美食都市のロンディア?」
神奈が聞くと、ブライアンは勢いよく顔を上げた。
「そうだよ! 誰もが幸せになれる都市、領主ウィリアム様に守られた平安な地、ロンディアだよ!」
「その都市で、何があったのかしら?」
激高し、頬を紅潮させているブライアンに、冷静に訊ねる梨乃。ブライアンは緑の瞳を、梨乃に向けた。
「こんなことを言ったら……僕は今度は、この村を追われてしまうかもしれない」
ためらうブライアンに、梨乃は大丈夫、と微笑を向ける。
「わたくし達はこの村の住人でもないし、ロンディアに暮らす予定もないから。何を聞いても、誰にも言わないわ」
「それなら……」
はっきりと断言された言葉で安心したのか。ブライアンはぽつぽつと話し始めた。
「僕は、ロンディアに来る前は、普通に仲間と冒険をしていたんだ。いろいろな人の困りごとを解決したり、魔物を退治したりしながらね。これでも剣が得意でね。そこらへんの敵なら苦戦することはなかったよ」
(……この勇者が? 信じられない)
神奈の思いは、そのまま顔に出ていたのだろう。
「僕も勇者してた頃はもっと痩せてたし、筋肉もあったんだ」
ブライアンは、拗ねた声を出した。その丸い肩を、紅竜が叩く。
「まあまあ、誰も今のお前を責めてねえよ。で?」
「……あるとき、美食都市ロンディアの話を聞いたんだ。何でも美味しくて笑顔に満ち溢れた幸福の都市、なんて興味惹かれるに決まってる。それで来たみたんだけど……」
ブライアンは、はあっと深い息を吐いた。
「……これ、いる?」
咲が馬車でもらった薬草を差し出す。が、彼は緩く首を振った。
「それ、気持ちがすっきりするよね。でも、いいや。噛んだらきっと、食べちゃうから」
「えっ、これ食えるのか?」
目を瞬く紅竜に。
「食べられないよ」
ブライアンが告げる。
「でも今の僕は、きっと食べちゃう。貧食症なんだ」
「貧食症?」
初めて聞く言葉を、神奈は繰り返した。そう、と頷くブライアン。
「だから、何かを口に入れたらもう止まらない。おかげでこのざまさ」
そう言って彼は、たぷたぷのお腹をぱしんと叩いた。
「その症状が出たのが、ロンディアの領主が開いてくれた晩さん会に参加した後でさ。それからはもう地獄だよ。食べても食べても食べたくて……ロンディアの食べ物は本当になんでも美味しいからね。お金が続いてる間は幸せだった。でもお金を使い果たしてからは、食べ物を求めて徘徊の日々。ゴミ拾いも無銭飲食もしたね。それでロンディアを追放されて、仲間とは別れ別れ。勇者だった僕は、ホームレスになったんだ」
「……それで、この村に来たのね」
「そう。でもだめだ。なんでも美味しいロンディアを離れれば貧食症が治るかと思ったけど、少しマシになった程度。僕はきっと、一生このままなんだ……」
ブライアンはうな垂れ、がっくりと肩を落とした。
みんなの助けをしていた勇者が、こんなあばら家に住んでいるのだ。その落差にショックを受けるのは当然だろう。
(でもブライアンくんは、大事なことを見落としてる)
神奈はちらと、梨乃を見やった。彼女もまた、ブライアンの話の中の違和に気づいているようだ。
ただ、まだ迂闊なことは言えない。
(とにかくブライアンくんのいないところで、みんなと話をしないと……)
そう考えていると、ぐううっと音が聞こえた。紅竜のお腹が鳴ったのだ。
「ごめんごめん、あの店で飯食う予定だったからさ。食いっぱぐれて空腹で。ってか俺の腹の虫、空気読めよなあ!」
「ぷっ……」
あっけらかんとした言い方に噴き出したブライアンが、顔を上げた。
「じゃあ、ご飯食べてくるといいよ。あそこは美味しいよ。ロンディアほどじゃないけど」
「お、そうか! ちなみにお勧めの料理はなんだ? 店の名前通り、牛の頭か?」
「それは予約限定のレアメニューだ。僕は食べたことない」
ブライアンが、いかにも食べたかったという空気を醸し出しながら言う。
「ふらっと行って食べるならビーフシチューとか、ワーロ―ルとかがいいんじゃないかな。お腹いっぱいになるよ」
「ビーフシチューとワーロールな、わかったぜ!」
「話の続きを聞きたかったら、また来てよ」
ブライアンに見送られ、神奈たちは彼の家を出た。向かったのは、先ほど騒ぎのあったレストラン『牛の頭』である。
さっき騒ぎを起こした身。もしかしたら、受け入れてもらえないかもしれないと思ったが、杞憂だった。オーナーは、神奈がブライアンの飲食分の支払いをしたことから、金払いのいい連中だと思ったのだろう。他の客と同じように、店に迎え入れてくれた。
「とりあえず、ビーフシュチュ―人数分とワーロール!」
通された半個室の席で、メニューも見ずに紅竜が頼む。
感じのいいオーナーとは違い、先ほどの怒りがおさまらないらしいウェイターは、女性たちをちらりを見た後、無言でカトラリーを置いて去っていった。