第三話 代行の証
「あっの女神勝手に……って、ここどこ? 絶対現代日本じゃないけど……」
神奈は周囲を見回した。
いつの間にかスニーカーをはいた足元で、砂地に立っている。頭上には青空が広がり、太陽が輝いていた。
「家にいたときは夕方だったはずなのに……」
神奈がいるのは、井戸がある広場の片隅である。敷地から少し先に、石造りの建物が集まっているのが見えた。
建物の前には、色とりどりの花が咲いている。陽光は温かく、自宅にいたときと同じパーカーにデニムでも寒くはない。季節は現代と変わらず、春ということだろうか。
「あっ、馬が出てきた!」
井戸の周囲には、馬の他に、羊やヤギ、鶏などの家畜が集まっていた。少し離れたところには、荷物が詰まれた大きな荷車が置かれている。おそらく、あの車を馬が引くのだろう。
「ってことは、誰かがどこか行くんだよね……」
それは待っていれば、人がやって来るということだ。そして人を見れば、ここがどんなところか、想像がつくかもしれない。
神奈は、馬の向こうにある建物に視線を向けた。
それから数分後、予想通り、男性が一人、姿を見せた。
金髪長身の彼は、簡単な作りの布の服を着て、腰を太いベルトでとめている。たっぷりとしたズボンの裾は、ショートブーツの中にしまわれていた。
「さあ、今日も頑張ってくれよ」
言いながら、馬の背を撫ぜる男性。その彼に、声をかける女性があった。
「マーク! ランチを忘れてるわよ」
妻だろうか。金髪の髪を背で結び、ゆったりとした白いシャツを着て、ロングスカートをはいている。
「パンにチーズを挟んでおいたわ。ごめんなさいね、シンプルな物で」
「なぁに、君の愛がいっぱい詰まっているじゃないか。エマ」
マークはお茶目に笑った。まあ、とはにかむエマ。見た感じ、危険な人物には感じられない。
「でももうちょっと観察しようかな……」
少しだけ近づこうと、神奈は一歩、足を踏み出した。と、腰のあたりでがさりと音がする。見れば、デニムのウエスト部分に、見慣れぬポーチがついていた。
「なにこれ? 女神が持たせたの?」
なかにはいったい何が入っているのだろう。ボタンがついたポーチの蓋を開けようとした、そのとき。
「ったく、ここにいたのか! 探したぞ」
聞こえた日本語に驚き、振り返る。
そこには、赤い短髪をした長身の青年が立っていた。
彼は言う。
「あんた、カシャの代行者だろ?」
「カシャ……」
「女神だよ、銀髪の偉そうな奴!」
「ああっ、はい! そうです!」
神奈は深くうなずいた。名前を聞いたが、すっかり忘れていた。
ということは、この人も代行者なのだろうか。
神奈はよくよく、男性を見やった。
動物の鱗のような柄のマントを羽織った彼は、真っ黒な目で、まっすぐに神奈を見ている。マントの下から伸びた腕は日に焼けて逞しく、胸板はシャツ越しに見ても分厚いのがわかった。太腿も太く、大きな足はごつい革のブーツに包まれている。
ファンタジーの世界でたとえるならば、粗野な戦士や盗賊のポジションといったところか。
彼は「ほらやっぱりそうだっただろ?」と振り返った。
その視線の先には、若い女性が二人。
「服装が現代、だもんね……っ、仲間、だよね。紅竜さんが言う通りだ……」
ほっとしたように呟くのは、神奈よりも少し小柄な女の子だった。
年齢は高校生くらいだろうか。
くりんと丸い目と、ふっくらした頬が愛らしい童顔で、茶色っぽいショートボブに、ベレー帽をかぶっている。
丸首のTシャツに襟のついたシャツを羽織り、ショートパンツとスニーカー合わせた格好はいかにも活発そうたが、実際はそうでもないのか。男性――紅竜の半歩後ろに隠れるようにして、ひょっこり顔だけのぞかせていた。
もう一人は、神奈よりも数センチ長身の女性だった。
色白の肌に、しっかり口紅を塗った赤い唇が印象的な美女。肩の上あたりで真っすぐに揺れている黒髪ストレートの髪は、たとえるならば、日本人形のようだった。
しかし、その服装が――。
(スケバン……?)
基本はセーラー服ではあるが、上衣は短く、リボンは紺色の大きなスカーフ。スカートは足首まで隠れるロング丈で、手には竹刀まで持っている。
その女性が、一歩、神奈に近づいてきた。
(うっ……)
人を見た目で判断してはいけないと言うが、スケバン美女に真顔で寄られると、さすがに逃げたくなる。
しかし、思わず身を引いた神奈の腕は、大きく分厚い手に捕まれた。
「大丈夫だよ。あんなナリだけど、梨乃は怖くねえから。な、姐さん?」
「その呼び方、やめてくれる?」
男性は、悪戯っぽくウインクした。その愛嬌がある仕草に、神奈の緊張はわずかに和らぐ。
カシャが「わかりやすい」と評した表情変化により、彼も神奈がほっとしたのがわかったのだろう。神奈の手を離した。
「俺は紅竜。あんたと同じ、女神カシャの代行やってる。あんた名前は?」
「私は、清条神奈。さっきいきなり、女神にここに送り込まれたの、これをつけられて」
神奈は左腕を持ち上げ、バングルを見せた。
「ああ、それは代行の証だな。俺たちもつけてるぜ」
紅竜が、左腕を突きだす。そこには神奈とお揃いのバングルがぴったりとはまっていた。
なるほど、と納得していると、紅竜は神奈に背を向けた。
「勇者ブライアンって、どんな奴なんだろうな」
「女神様……いつも、あまり、説明してくれない、から……」
「そうそう。咲が言うとおり、毎回丸投げだよな。あれって仕事放棄じゃねえ?」
「わたし、そこまでは言ってない……」
「女神様も女神さまなりに頑張ってくれているのよ」
紅竜と女性たち、三人が集まり輪をつくる。今まではこれが当たり前だったのかもしれないが――。
(私、あそこに入っていかなくちゃいけないの? これって、一応こっちの話を聞こうとしてくれてた面接よりハードル高いんじゃ……)
と、スケバン姿の女性がこちらを振り向いた。
紅竜を見上げ、何かを言っている。
(もしかして私の悪口?)
だったら嫌だなあ、と様子をうかがっていると、彼女はまたこちらを見、今度はたたた、と小走りでやって来た。
(えっ、なんであの人だけ……!)
動揺する神奈。
――が、予想に反して。
さらさらの黒髪を揺らしてやってきた彼女は、神奈の前に立つと「ごきげんよう」と優雅に頭を下げた。
「わたくしは、茂木梨乃。代行者の隊長を任されているわ」
凛とした声で言った彼女は、微笑をまとった瞳を後方へ向けた。
「あちらが、橘咲ちゃん。ちょっと人見知りなのだけど、とてもいい子よ」
「は、はじめまして……」
咲は戸惑う足どりでやって来た。
「えっと、よろしくお願い……します」
ぺこり、と聞こえそうなほどの勢いで、頭を下げる咲。
「ほら、紅竜くんもいらっしゃいな。彼はあなたを邪険にしたわけじゃないのよ」
手招きに応じてやってきた紅竜に、梨乃が「ね?」と微笑みかける。
「悪い、ついいつもとおんなじように、二人だけに話してた」
「頼りになるわよ、彼は」
「わたし、何回も、助けてもらってる……」
照れたのか、女性二人の言葉に、紅竜は白い歯を見せて、にかりと笑った。
神奈はそんな三人の様子にぱちぱちとまばたきをする。
(なんだ、仲いいんじゃん……。それに梨乃さんも、怖い人じゃないっぽいし……)
この世界のことも、彼らのことも、まだよくわからない。でも悪くはなさそうだと、神奈は思ったのだった。