第二話 女神の代行者
「神奈さん」
突然黙り込んだ神奈が不思議だったのか。カシャは顔を覗きこむようにして、背を曲げている。
その頬を、神奈はいきなり指でつまみ――。
「いたい、痛いれすっ!」
叫ぶ美人の頬肉を、うにょーんと引っ張ってみた。
「やめて、やめてくらさいっ」
カシャは神奈の肩に両手をおいて、体を引き離そうとしている。
しかし神奈はそれに耐え、つまんだ頬を上にやったり下にやったり。
「らから、痛いれすって!」
美人の眉間にしわが寄る。その表情は、けして演技ではないだろう。
「ってことは、この光る髪も本物?」
神奈はカシャの頬から手を離すと、今度は、美しい髪の先を掴み、ぐっと引っ張ってみた。
「あっ!」
引かれるままに、カシャの頭がぐっと動く。でも髪は――。
「とれない……ウィッグじゃないんだ……」
「本物に決まってます!」
柳眉がくいっと持ち上り、唇が歪んでいる。美人が怒るとなかなかの迫力だ。
だが神奈は臆することなく、今度はカシャの体をぺたぺたと触り始めた。
「うわっ、この布すごくさらさらしてる…シルク? でもそれじゃ、きらきら光ってるのが説明できないよね。どこに売ってるのこんなの……。襟元の飾り……ガラス玉じゃないし、宝石っぽくもないんだけど……」
「これは星の欠片ですっ!」
自身の真っ白なローブを掴み、カシャは神奈の手から、布を引き離した。
「女神がガラス玉なんて安っぽいもの、身に着けるわけがないでしょう! 生地は天の川の流れで染めたローブですよ!」
カシャは頭から煙が出そうなくらいに怒っていた。さっきまで穏やかに笑んでいた美女とはまるで違う雰囲気が、いかにも生命力に溢れている。
「ってことは、これは夢じゃないし、あなたは本当に女神ってことだね」
「だから最初からそう言ってるじゃないですか! せっかくあなたの母国語である日本語でしゃべってあげているのに、理解できていなかったんですか? ……ってなんで笑うんですか!」
あなたほど失礼な人は初めてですと憤慨しつつ、カシャは『明日の希望』について説明を始めた。
「これも私の仕事ですからね。しっかりしないとまた怒られ……っと、すべきことはしないといけませんから、仕方ないです」
カシャの説明によると『明日の希望』は、いわゆるダミー会社だということだった。
「誰かの目にとまらないことには人が集まらないので、こうした会社を作ったんです。とはいえ、あの宣伝は見込みのある人にしか見えません。それが見えたってことは、神奈さんは、私たちの仕事をする権利があるということなんです」
「仕事をする権利って……いきなりこんなとこに連れてきて偉そうに言うんだから」
神というわりに人間味あふれるカシャだから、神奈もついこんなことを言ってしまう、が。
「って、なんで私の名前知ってるの?」
「ああ、チラシ拾った後、見てましたから。お母様のメールに書いてありましたよね」
さも当然と告げるカシャ。神奈は上目遣いで、彼女を睨みつけた。
「どこから見てるの。それってプライバシーの侵害じゃない?」
しかし女神は、あっさりしれっと。
「大丈夫です、まずいことは見て見ぬふりしますから。記憶には留めますけど」
「全然大丈夫じゃない!」
「細かいことは気にしちゃいけません」
カシャが緩く笑う。
「ところで、この会社の仕事に応募します? しますよね? ちなみに履歴書はいりませんよ?」
「これ絶対ノーって言えない感じじゃん……。ブイチューバー、私でできるかな」
しおらしく、神奈は訊ねた。しかしカシャはふるり、と首を横に振る。
「ああ……ブイチューバーは若者に人気ありそうな職業を書いただけで、実際は違いますよ」
「えっ!?」
――それは広告に偽りありってことじゃないの?
目を見開いた神奈の胸の内に、疑問が生まれる。カシャは「でも」と声を出した。
「これまで、文句言ってきた人はいませんよ?」
「もう、心を読んでるの? やめて!」
言おうとした言葉を変えて叫ぶ。カシャは楽し気に、くすくすと笑った。
「読んでません。っていうか、読むまでもないですよ。神奈さん、とてもわかりやすいですから。そんなだから、就職面接、全部落ちちゃうんですよね」
「あああっ、言われたくないことをっ!」
もおおおっ、と叫び、神奈は地団太を踏んだ。だが足が宙に浮いているせいで、体がふわふわと揺れる。せめてドンドンと足音が聞こえたら違ったのだろうが、まるでトランポリンで遊んでいるみたいで、怒りはまったく消えやしない。
しかたないので、神奈は深呼吸をして自身をなだめ、低い声で訊ねた。
「結局、仕事は何なの」
その言葉を待っていたかのように。カシャはこれまで以上に美しく微笑み、言う。
「あなたの仕事は、神の代行者としていろいろな世界に行き、世界を救うことです」
「はぁ!? 世界!? いろいろな世界って、どういうこと?」
さも簡単。当たり前。問題など一切なし! という様子のカシャの肩を、神奈は思い切り掴もうとした。
が、カシャは「まあまあ」というように開いた手のひらを持ち上げ、神奈の行動を遮った。
「もちろん、ただとは言いませんよ。ちなみにお給料は、たぶんあなたが応募してきたどの企業よりも高額だと思います」
「そこで具体的な額は言わないんだね……」
そんなカシャをずるいと思いつつ、神奈は、先日お断りの連絡が来た企業の募集要項を思い出した。総支給で17万円。それよりもいいのなら、高卒初任給にしては、けっこういい部類になるのではないだろうか。
「ふふ、本当にわかりやすい」
にやりと口角を上げた後。
「それでは、神奈さん。他の代行者と一緒に、勇者ブライアンのトラブルを解決してきてくださいね」
これまでとは一転、優しげな声で、カシャは言った。
確かに神奈は、この仕事を引き受けてもいいかなと考え始めている。
それでも、断るはずはないと決めつけられるのは、気に入らなかった。
「私は引き受けるって決めたわけじゃ……」
反論すると、聞こえたのは、カシャのため息。
「まったく、往生際が悪いですね」
彼女はそう言うと、神奈の手をむんずと掴み、いつの間に取り出したのか、白いバングルを手首にはめてしまった。
「ちょっと、なにするの!」
右手でバングルを外そうとしたが、外れない。カシャはぱちんとつけただけのはずなのに、継ぎ目がないのだ。
よくよく見ればそれは、バングルは、スポーツタイプの腕時計と似た太さだった。飾りはなく、ただつるんとした材質でできている。
基調は白だが、黄色にも赤にも、青にも見える不思議な色。例えるなら角度によって変わる虹色が適切だろうか。
「それは代行者の証ですから、任務が終わるまで外れませんよ」
カシャの声に、神奈ははっと顔を上げた。その直後、バングルが強烈な光を放ち始める。
「ちょっ、ええっ!?」
眩しさに目を細めると、光の向こうで、カシャが手を振っているのが見えた。
「バイバイ、神奈さん」
形のいい唇が動き、そう聞こえるや否や、体がふわっと浮かび上がる。
「ちょっと待って、私、部屋にいたから靴もはいてないし、なんの準備もっ……! って、待ってってばあああっ!!」