第7話【立ち止まるのも人生】
気づけば森での生活は、幼少期から現在に至るまでと長い桜香は、今まで都へ1度も行った事がないせいか、内心緊張しながら歩み進める。
森の中での景色は然程変わらなかったが、桜香の瞳には全てが違って見えていた。
何が起こるか分からないドキドキと、未開の地を目指すと言うワクワクで胸が張り裂ける思いだ。
普段ならば祖父が心配性のあまり、外には一人では行かせてくれず、何かにつけて《《守ってくれていたから》》思える。
緊張のせいか心拍数が上がり、照りつける日射しも相まってか、通常以上に喉が渇き、引き摺る様に足が重い。
いつだって、誰だってそうだ――――自分の身一つで道を切り開くのは、〝怖くて〟〝寂しくて〟〝勇気がいる〟。
でも、戻らないし立ち止まらない理由は、それが桜香の生きる過程において、とても重要な役割を担っているからだ。
これからの事や自分が目指す先を考える度に、母の形見が実物以上に、重くのし掛かっている様だ。
そして、冷静さを取り戻すと右肩が重いのに気付き、ちょこんと丸まっている桜桃色のそれを眺めては、例え無謀でも諦めない勇気をくれている様な気がした。
顔だと思われる先端の黒色の部分を見ては、寝息をかくのを見て『植魔虫にしては、中々可愛らしいお顔だ……』と、覗き込むように言った。
一心不乱に進み続け、気がつけば歩み始めてから数時間が経過した頃。
時折、疲労も溜まったせいか、刀を背から降ろし立て掛けては、木の根に座り込む事が増えた。
右肩に乗っているそれに気を配りながら木の根へと腰を下ろすが、服にしがみついているお陰か恐らく落ちないだろう。
昨日の夜からあまり食べず、腹も減ったので持ってきた腰服にぎっしりと入っている野草を手掴みで口へと運ぶ。
水源がどこにあるか分からない場所での貴重な水分は、祖父が木を削り出して作った木製水筒に5口分程入っている。
野草と水分を9:1の割合で食べながら、物思いに耽る事もしばしばあった―――――
道が開けた箇所の日向と違って、木々が重なる木陰は少しだけ涼しく、吹き抜ける風が後方で結った髪を靡かせる事で、より一層そう感じさせてくれる。
『フゥッ……まだ入り口にも立ってないから、早く行きたいなぁ――――花の都にさ』
桜香の目指す先は母が生まれ育ち、〝花の守り人〟として名を馳せた場所。
〝花の都〟――――だが、方角は分かれど正確な距離と時間までは、生前の祖父に聞いてないせいで解らずじまいだった。
上を見渡せば晴れやかで眩しい位の空模様は、濁った桜香の気持ちとは裏腹に変わらず美しいと感じた。
無心で頬張ったせいか簡単な昼食も終わりを向かえた頃、これは自身の直感だが空から誰かが見守ってくれている気がし、思わず手を小さく振った。
無論、誰も振り返してはくれなかったが、それだけで気持ちが和らいだので良しとした。
まずは、〝花の都へ行く〟と言う気持ちの灯火を、再び焚き付ける様に頬を叩きながら立ち上がる。
徐に立て掛けてた包帯グルグル巻きの刀を、見ずに取ろうとした――――が、桜香の手は空を掴んでいた。
『ん?あれっ?……』と言いつつ、手で探したが何もなく、恐る恐る置いたであろう箇所に視線を向けた――――が、やはり無かった。
突然の出来事に一瞬だけパニックに陥ったが、微かにだが100M程離れた所で何かが俊敏に動いている。
『人が走ってる……しかも、棒状の物を背負っている気がする……ん?――――棒状?』
考える時間等必要ない程単純な答えに、桜香は直ぐ様理解した。
そう、母の形見である〝春刀・花弁四刀〟が盗まれたことに――――
状況を頭の中で整理するよりも先に、彼女の体が前へと動いていた――――
非力な女の子には重い刀が無いお陰で身軽になった桜香は、自慢の右足を思いっきり踏み出すと、吹き抜ける風よりも迅く駆け抜ける。
今日は曇り1つ無い満天の晴れ模様であり、鼻腔をくすぐる森の澄んだ空気が病んだ体を潤す。
それはまるで、求愛行動の様な小鳥のさえずりが、桜香を応援するかの様に聞こえてくる。
――――という事は一切なく、無理して病み上がりの体に鞭を打っているせいか、息も絶え絶えに過呼吸気味になる。
鳥のさえずり所か今の桜香にとっては、悪魔の囁きにさえ聞こえていた。
木陰で立ち止まってしまったせいで、先日の傷が癒えない体が、意思に反している様だ。
疲れのせいか手は膝の位置にあり、桜色の髪は地へと垂れ下がる。
眩暈で倒れそうになるのを、近くの木へと手を掛け阻止し、まだ諦めていない瞳を前へと向けた。
『体が思ったより重い……。早く進まないと刀が……』
口ではそう言いながらも、刀泥棒との距離は縮まる事はなく、生い茂る木々が邪魔をし徐々に見えなくなっていく。
たった一歩、されど一歩と呼ぶべきだろうか?――――中々それが踏み出せずにいた。
実際問題、病み上がりで歩くのがやっとの桜香に対し、〝全力で走れ〟等と言うこと事態が不可能に近い。
だが桜香は身体中が痛もうと、後に動けなくなる状態になっても、必ず追い付いて、刀を取り戻さなければいけない理由がある。
それは、まだまだ臆病者の桜香のために、命を賭けて祖父が道を開き、亡き母が遺してくれた大切な刀だからだ。
『私なら出来る。絶対に大丈夫……頑張れ私!!』
自らを鼓舞する現在、刀が盗まれたと気付いてから数十秒と経過していた頃。
最早、視界では泥棒の姿を捉えることは出来なくなった。
視覚に頼るのを止めた桜香は、ゆっくりと瞳を閉じると、森で鳴り響く複数の音に耳を澄ました――――
〝鳥〟、〝獣〟、〝虫〟――――桜香は、それぞれの特徴や癖を捉え、それに加えて僅かに聞こえる、人の足音に向かい最善最短を目指す。
規則正しく呼吸を整えながら、前方へと一歩ずつ足を動かす度に、大小様々な傷口が開き始めてきた。
じんわりと血が滲む包帯が、その痛みを証明するかの様に徐々に広がりを見せる。
だが桜香は歩みを止める事はなく、前へ、前へと着実に進んでいた。
それは執念や根性と一括りにすれば容易いが、適当な言葉を選ぶなら負けず嫌いが相応しい。
負傷している桜香の肩に乗り、気持ち良さそうに熟睡している可愛らしい見た目の植魔虫を尻目に、闘志を燃やす桜香は強く心で叫んだ。
(刀を必ず取り戻すんだ……私の大事な……嫌、違う――――母が花の守り人として生きた証を!!)