第6話【道半ば思い疲れて一休憩】
――――刀の重みを体で感じ取る度に染々と思う。
生前の母もきっと今の私以上に沢山の思いを背負って生きたのだろうな……と少しだけ物思いにふける桜香だった。
自らが育ったこの地は、幾度となく歩き慣れた道だったが、目の前に映る今日の景色は、桜香の瞳には違って見えた。
まるで体が見えない糸で引っ張られる様に――――まるで元から決まっているレールの上を、独りでに歩いている様な感覚があった。
自らの意思であって実はそうではない様に、例えるならば水面に浮いている葉っぱの様に、フワフワとした不思議な気分だった。
地を踏みつける足取りは軽く、背負った刀はその存在を証明するかの様に重い。
『まだ空に陽がある内に、出来るだけ遠くまで進みたいな……』
それから歩く事――――幾時が過ぎたか定かではなかったが、桜香は再び危機を目の当たりにする事になる。
体長は両手よりやや大きめで、数本の黒いあしをバタつかせながら、それは背中を地面へと密着させながら道端に転がっていた。
そして、中々起き上がれない素振りをしている様で、桜香には一体何だか理解が出来ていなかった。
人を誘き寄せる罠なのか、自然を巧みに駆使する知恵なのか――――深く考える事に底無し沼に嵌まるが如く理解に苦しんでいく。
この数日で、生存している植魔虫に会うのは極めて稀であり、危害を加える種は殆どがある組織によって討伐されている。
軋む体を無理矢理動かす桜香は、祖父が亡くなった時の事を思い出し、警戒と共に背にある刀を右手で掴む。
距離は3M弱――――人である桜香と植魔虫である《《敵でさえ》》、迂闊には攻撃出来ない筈だ。
力を入れて刀に手を掛けてはいるが、この前の様に軽く抜ける事は無く、1mmも刀身が出ずにいた。
冷や汗と鼓動の高鳴りで、頭がおかしくなりそうになりながらも、その視線を外すことはなく対象を見据える。
だが、そんな桜香を嘲笑うかの如く、そいつは、対峙してから数分経っても同じ格好で、手足をジタバタとさせるだけだった。
小鳥のさえずり、風は木々を抜け、一心不乱に起き上がろうと暴れる謎の生き物と、自らの激しい心音で耳が痛い。
しかし――――その状況は桜香にとってむしろ好都合であり、刀が抜けず斬れない今、選択肢はただ一つ……この場から逃げればいいだけだ。
至極単純な話だ……少しだけ迂回して、〝花の都〟へ向かえば良い。
そうすれば誰も怪我をする事なく、無事にたどり着け――――?
思考の途中で理性が緊急停止を掛けている気がした。
『いや、それじゃ駄目なんだ。目の前で気づいた事は、今やらなきゃいけない事なんだ――――』
危険予知とは――――危険箇所に思考を先回りし、〝把握〟〝認識〟と、それに伴う〝対策〟をする事だ。
今、逃せば他の誰かが傷付き悲しむかもしれない……そう思ったら、足は植魔虫の元へと前進していた。
ゆっくりだが一歩ずつ近付く度に、あの夜みたいな恐怖は微塵も感じず、無意識の内に手で触れられる距離まで近づいていた。
――――頭では危険だと分かっていても、体が勝手に動き、腰を下ろしてしゃがんでいた。
それはまるで、自分の意思ではないかの如く、遠いの空の彼方から全体の風景を眺めている感覚だ。
不思議と怖くない――――否、まるで蜜に吸い寄せられる虫の様に、桜香の指先は見知らぬ物体へと引き寄せられていた。
様々な思考が頭の中で渦巻いてる内に、迷っていた少女の指は、忌むべき存在に躊躇なく触れてしまった。
平坦な人生を歩んできた桜香から、沢山の思い出や家族を奪い、苦しめてきた〝異形〟植魔虫に――――
幼子が、地団駄を踏んでいる様子に酷似していた筈の異形。その見た目とは裏腹に、まるで藁を掴む様にガッシリと桜香の手に自らの足を絡めた。
手の平程の小さな体は、地面に転がっていたせいで、全体像が見えなかったがやっと見ることができた。
桜桃に似た赤く丸い形と、まるで熟練工が監修でもしたのか、星空の様に散りばめられた《つの小さな黒星模様。
愛くるしいその見た目と、細身の右腕をまるで小枝に登るが如く、ゆっくりと進む様に思わず心を射たれた。
やっとの事で肘辺りまで進んだが、腕の角度が厳しいのか、滑る様に手首まで下がっていった。
幾度となく挑戦し奮闘する姿はまるで、己自身と闘っているようだ。
人と植魔虫?――――決して解り合えないと思っていたが、《《現実は違った》》……
手助けをせず見守る桜香は、思わず『頑張って!先ずは一歩ずつ確実にだよ!!』と、いつのまにか応援していた。
それに答える様に何度も何度も挑み続け、我が子に送る様に、何度も何度も声をかけ続ける事、数分が経過した頃――――
双方の努力と声援も相まってか、ついに桜香の右肩へと辿り着いた。
立つとそれが落下した時に危ないので、ずっとしゃがみこんでいた桜香。
さすがに足も疲れたので、小さな体を肩に乗せたまま、背筋を伸ばすように腰を持ち上げる。
緊張し互いに息が届きそうな程の距離の中、肩に温もりを感じながら恐る恐る横目で見る。
それは襲う素振りもなければ、むしろ居心地良さそうに、身長160cm程の桜香の肩に居座っていた。
(あれっ?思ったより可愛いぞ、この子……でも油断しちゃダメだ桜香……きっと何かの罠かも――――)
しかし、冷静さを取り戻した様に今頃気づいた桜香だが、そんな疑いの思考は呆気なく砕け散る事になる。
登り切った時から数分経ったが、〝息を吹く〟〝指で小突く〟〝凝視する〟を幾度となく繰り返したが、未だに微動だにしない。
その光景が意味するもの……そう――――あろうことか人の肩で眠っていたのだ。
桜色の瞳は他所を向きつつ、悩ましい表情を浮かべながら口を開いた。
『疲れちゃったみたいだし、仕方ない……起こさない様に歩こうかな』
陽はいつの間にか頭上付近に昇り、桜香は振動で落ちない様に気を配りながら前へと進んだ。