第1話【目の前にある命がずっとあるとは限らない】
食物連鎖の頂点には人間並びに、〝植魔虫〟と言う、生物がこの世界には存在する。
初めこそは小さき者であり、極めて人畜無害に近い。
しかし、生まれ持った本能と狂暴性により、最終宿主である〝人間〟への寄生を目標としている。
寄生後は対象の内部全てを喰らい尽し、また人を襲い力を増していく――――
非道な行為を永遠に繰り返し、〝種全体〟を繁栄させてきた。
餌となる人間は非力で無力にて、為す術なしと半ば諦めている者も多かった
だが、その悍ましい生物を、逆に狩る者達が存在する。
ある者は大切な人の敵討ちを取るため。
そしてまたある者は、己の存在意義のために数多くの者達が志願した。
だが、思いも虚しく皆死に、ついには狩られる側となった。
唯一、〝植魔虫〟への対抗手段である業物。
〝花輪刀〟を携え、幾多の血を流しながらも抗う組織――――
その総称は――――〝百日草〟と言う。
これは、〝人間〟と〝異形〟互いの全てを懸けた者達のお話である。
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辺りを温かく包み込んでいた陽が、沈んでから幾時間が経った頃。
人里離れた山奥にとてもとても古びた手作り一軒屋がある。
その中では仲睦まじい、こんな会話が繰り広げられていた。
『ねぇ~お祖父ちゃん?……今日も、これっぽっちなの?』
桜色の澄んだ瞳で真っ直ぐ見つめながら、齢15の少女、桜香は、そう静かに言った。
華奢な指を本日の食糖へ向け、山盛りの食材を避けながら首を右へ傾ける。
そして、瞳と同色の手入れが行き届いた長髪が、無造作に地面へと垂れ下がる。
桜香と目があった老体は、|残像している太く年季の入った皺だらけの指を使う。
床に敷かれた布上の〝野草の山盛り食べ比べ盛り〟と2匹の小さな〝川魚〟を指差した。
『おうよ。儂が取って来たんだ――――これっぽっちだが何か問題でもあるか?』
『ほれ旨いぞ』と口一杯に頬張りながら、そう自信満々に答えたのは同居人もとい、|亡き母の父で、桜香の祖父に当たる雅流風だ。
『あのねぇ……毎日毎日、野草と週一しか出ない小魚じゃいい加減、餓死しちゃうよ!!』
山積みになっている野草越しに桜香は、日々の鬱憤を言葉に乗せて怒鳴り散らした。
顔を真っ赤にしている孫を見て、老体は深い溜息と共に口を開いた。
『それでも、お主はここまで成長した……性格以外はな……』
視線を桜色の瞳から下へ向け、眼を細めながら言った。
その言葉に怒り心頭で立ちあがり、足早に出口へ向かおうとしたその時だった――――
『儂の娘――――お前の母さんは文句も言わずに毎日食べた。そして立派な〝花の守り人〟となり、その名を轟かせたんじゃ』
胸を張ながらり老体は、壁に掛けてある一本の刀を、懐かしそうに見ながら話を続けた。
毎日の様に聞かされるその話を桜香は嫌で嫌でしょうがなかった。
祖父雅流風によれば桜香の母〝三月〟は、私が幼い頃に殉死したらしい。
そして、当時使っていた愛刀と共に桜香は、引き取られた。
物心付いた時から興味本位で刀を持ち出しては、1人でごっこ遊びをしていたんだ。
祖父が自慢気に話す〝この世でもっとも美しい刀身〟。
強引に鞘から引き抜こうにも微動だにせず、幾年の歳月が過ぎたが一度も見れず仕舞いだった。
微妙な面持ちをしながら、私は無性に腹が立った。
祖父が話す〝外の世界に決して出るな〟と言う、言葉の意味を理解したくなかったからだ。
桜香は、俯き唇を強く噛み締めると、母の形見と祖父を交互に睨む様に言った。
『……いつもそうやって言うけどさ、お母さんやお父さんはもう居ないし、〝植魔虫〟だってここには来ないんでしょ?』
背にある扉の取っ手を握り締め、一息深呼吸をすると、若さゆえの軽はずみな気持ちで祖父に言った。
『だから、私1人でも街へ行くからね!!もう、子どもじゃないんだから平気!』
鼻を鳴らしながら桜香は、暗く冷たい雰囲気漂う夜の森へと向かう。
足腰の弱い老人は制止が出来ず、闇夜に消え行く孫娘を呆然と眺める事しか出来なかった。
その顔には懐かしさと、どこか煮え切らない気持ちが混濁している様だった。
雅流風は、山積みの野草を無意識に一摘みだけ口に含みながら、壁に飾られた刀に向かって優しく語りかけた。
2人でいる時に語りかけると、自らを置いて亡くなった母を思い出したくないのか、桜香は嫌がる素振りをいつも見せる。
だが、時々寂しさを紛らわす様に娘に対して話掛けるように、刀に向かって孫の話を嬉しそうにするのが、最近のちょっとした楽しみだった。
「三月……本当にお前そっくりの子だ。嬉しい反面、また失ってしまうかと思うと気が狂ってしまいそうじゃよ」
優しくそれでいてやんわりとした表情で、天から見守る娘へ懇願するように、口を再び開いた。
『手塩にかけた我が子の愛娘に、愛情を注げるのは、今生きている儂だけじゃ。どうか安らかに、あの子の――――未来を見届けてくれんかのぉ?』
老人の言葉は〝亡き娘〟へ伝わったかの様に、淡い灯りで照らされた鞘が、いつもより輝いていた気がした。
桜香が、また機嫌を取り戻して夕食を食べれるように、2匹の小さな川魚を野草で包み込み、腰袋に入れる。
『今は月明かりが出る夜。朝日を好む〝植魔虫〟も行動はしてまい……もし、居たとて動きが鈍いから儂でも狩れるしな』
小窓から見える満月の明かりを見て、日課である低級の植魔狩りに行くことにした。
雅流風は重い腰を労りながら持ち上げると、娘の刀の横にある短刀を腰に差し、ゆっくりと外へ向かった。
☆
その頃、桜香は家から少し離れた池の畔に踞っていた。
夜の闇が辺りを包み込み、月明かりに照らされた草木が静寂の中、頬を撫でる様に揺れている。
落ちていた小石を無意識に投げる度、着水と共に波紋が広がり、水面に映る夜空の月が不恰好に崩れていく。
お祖父ちゃんはいつだってそうだ―――亡くなった母の自慢をし、生きていた頃の想い出を本当に楽しそうに聞かせてくれる。
だけど正直な話、聞くたびに辛い思いをしている。
私にはその頃の記憶はおろか、溢れる程の愛情を注がれた事も、両親の顔でさえ知らない。
私は私の意思と、この瞳でお母さん達が見た〝外の世界を知りたい〟。
そしていつか――――両親と同じ〝花の守り人〟になって、植魔虫を根絶やしにする。
私と同じ思いを他の人にはさせたくない。
その為には、〝強く〟〝逞しく〟なりたい。
(何て、聞かされたらお祖父ちゃん『認めん、許さん、行かさん!!』って怒鳴り散らす所か、卒倒しちゃうだろうな…… )
桜香は口角を上げると、祖父の驚く様を想像しながら小さく微笑んだ。
この時の祖父の誤算は、大事な孫娘を月明かりしか頼りのない森へ、1人で行かせた事。
危険度の低い朝型の個体の死肉を求めて、夜型が人里離れたこの場所へ移動していた事。
次いで人に寄生し食す異形、植魔虫を安易に甘く見ていた事。
そして――――
産まれて一度も見たことがない植魔虫を、話半分で聞き入れている桜香が、その存在事態をあまり信じていなかった事だった。