光量と視野
初めての方には、初めまして。
おなじみの方には、お久しぶりです。
<もっと>というからには、他にもあるのですが、思いつきのお話なので、こちらからお読みいただいて構いません。
今回の連載は、週刊だときついので、不定期になるかと思います。
書けそうだったら、定期にするかもしれませんが。
さて、今回は光量による、視認の変化についてです。
TRPGなどのゲームだと、重要視されるのですが、小説ではあまり気にしない方が多いのかな?
ゲームで気にするのはなぜかと言うと、ゲームには「暗視」技能というものがあり、(もしくはその能力を持つアイテムなどがある)闇に対して、有利、不利、がはっきりしているものが多いわけです。
暗視があるキャラクターは、闇夜の不意打ちに圧倒的有利です。そうでないキャラクターは、何らかの手段で光を灯さなければなりません。
何が見えて、何が見えなくて、何がなんとなくわかるか。
この濃淡が、世界に『奥行』をもたらすように思えます。
昨今は、明るい電灯の光になれているため、夜でも昼でも家の中の光景は変わらない傾向があります。
いや、むしろ昼間の外光のみのほうが、暗い場所があるかもしれませんね。
南向きの部屋より、奥まった廊下は薄暗かったりとか。
あまりに眩しい光の場合は、十分に見えているモノも暗く感じさせます。
夏の日差しが差し込んでいる場合は、影部分は相当に『濃く』感じるでしょう。
炎の場合は、光の量、色も変化します。
月光は、満月以外はあまり役には立たないけれど、空の明るさ(星の見える数)が変わります。
また、空の星がたくさん見えるということは、自分が闇の中にいるという表現になります。
明るい街灯の下にいると、眩しいため、空は明るく星は減ります。
こんな感じで光量の変化は、「見えるもの」というものが、かなり変わってくるのです。
もちろん「視力の差」というのもありますけれども。
小説の描写をするときに、この『視野』を意識すると、特にホラーには絶大な効果をもたらします。
ひとは、「見えないモノ」の存在は、「聴覚」と「触覚」を使い、想像力を働かせます。
小説の場合は、想像力に頼るジャンルですので、特に「見えないモノ」の存在を『感じさせる』のは、実に重要です。
これは、映像や漫画に勝てるかと思います。
見えないものを表現する場合、まず、見えているモノを書くのが鉄則です。
見えているモノが提示されてこそ、見えないものに意識が向きます。
見えるものは、光の量によって、範囲が変わります。
可視区域というのを気にすると、描写もメリハリが出てきます。
で。例によって、自分が出来ているとは、全く言ってはおりません。