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口ずさんだメロディが頭から離れない

「みーかんの、はぁなが、さーいて、ああっ! メア、ちがうってー!」


 白い御髪から申し訳程度に生えた山羊の角。金色の大きな目を歪めて、ハル様が唇を尖らせる。

 隣人であるミスマリーから教わった『手遊び』なる遊戯に、ハル様は熱中されておられる。だが、しかし、私には何をどうやっているのか、さっぱりわからなかった。

 決まった振り付けで手を振っているそうだが、私には無作為に手を動かしているようにしか見えない。何だ? 太極拳か? それをやれば、強くなれるのか?


「ここは、こーするの!」

「こう、でしょうか?」

「こー!」


 ハル様の小さなおててが何度も空を切るが、私の動作とハル様の動作の違いがわからない。何だ、このニュアンスだけで構成されたアンバランスな振り付けは。

 ハル様もハル様で、この遊戯くらいお勉強もしっかりとこなしてほしいのだが……はっ、これが堕落か! さすがはハル様。申し子です!!


「ちがうぞ、メア。こう!」

「……ミスマリーの元へ、教授を願いましょう」

「ばあちゃんとこ行くの!? やったー!!」


 膝立ちだったハル様が立ち上がり、ぴょんと弾まれる。喜色いっぱいの笑顔で洋服掛けから上着を取り、ばさりとフードを被られた。


「メア! 行こう!!」

「お待ちください、ハル様! そう慌てられなくとも、ご老体は逃げません!」


 私の手を小さな両手が引っ張り、行こう行こうと急かす。ハル様のご機嫌な笑顔は大変愛らしい。うっかり私もにこにこしてしまう。


 今日も今日とてやってきてしまった隣人宅に、意を決して呼び鈴へ指を伸ばす。しかし私が押すよりも先に、背伸びしたハル様が押してしまった。りんごーん、間抜けな音が響く。


「ばあちゃーん! あそぼー!」


 ど田舎だから許されるのだろう。勝手知ったる何とやらで、ハル様が私の手を引き敷地内へと踏み込む。いつもの庭を覗き込み、幼いお声が要望を公開した。


「あら、ハルちゃん、メアちゃん。いらっしゃい」

「ばーちゃん! こんにちはー!」


 今日は間違えなかったな、この老婆。

 曲がった腰に手を当てたミスマリーが、花壇から顔を上げ、にこにこと微笑む。ぱっと表情を輝かせたハル様が大きく手を振り、老婆の前まで私を引っ張った。


「あれ? ばあちゃん、じいちゃんは?」

「お昼寝しとっと」


 朗らかに微笑んだ老婆が、家の方へ顔を向ける。はたと片手で口を塞いだハル様が、窺うように老婆を見上げた。小さなお口に、人差し指が立てられる。


「しぃ?」

「簡単に起きらんとよ。ふふっ、メアちゃんは優しかねぇ」

「ばあちゃん、俺、ハルだよぉ」

「あれま、ごめんね。ハルちゃん」


 ぷくりと頬を膨らませたハル様に、老婆が困ったように微笑む。……一日一回は間違えられているのに、何故ハル様はこうもこのご老人に懐いているのだろう?

 ミスマリーの服を引っ張ったハル様が、大きな目を瞬かせる。そのお顔は、もうすっかりにこにこしたものへと変わっておられた。


「あのな、あのな。メアにも、みかんのはな、教えて!」

「よかばい、よかばい。こっちこんね」






「あははっ! メアがんばれー!」

「くっ、これもハル様のため……!」

「よかよか。ここで手ぇば振って、とんとん」

「く……ッ!!」


 縁側に腰を下ろし、ミスマリーから手遊びの指南を受ける。

 想像以上に過酷だった。歌唱の一節の中で、何度腕を振らねばならないのか、回数さえも把握出来ない。規定の型があるにも関わらず、指導者本人がニュアンスで説明するため、初めて剣技の指導を受けたときのような心許なさを感じた。

 老婆の腕が滑らかに回転する。繰り出される手の甲に威力などないにも等しいのに、間に合わない動作が私に辛酸を舐めさせた。

 おのれッ、ナイトメアたる私を本気にさせたこと、後悔するといい! 貴様に悪夢を見せてやろう!!


「ハルちゃん、かんころ餅食べるね?」

「たべるー!」


 真剣に突き手を繰り出す私たちの傍らで、ミスハンナがハル様へおやつを提供している。私の元にも湯飲みが置いてある。

 焼き目の入ったのっぺりとした餅状の食べものを、爪楊枝で刺したハル様がもきゅもきゅと頬張った。ああっ、ハル様! あまり召し上がっては、お夕飯が入らなくなってしまいます!


 手遊びは意地で習得した。ハル様に喜んでいただけた。私の幸福度が上がった。ハル様貴い!!

 そして老婆は快眠だったらしい。く、くうっ、覚えていろ!!

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