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運のいい悲劇  作者: 結城 真
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幸運、強運

6 幸運、強運


今日もとんでもない猛暑日である。

いったい最近の日本の気候はどうなっているのやら。

ぜひ、日本全体の湿気を取り除くプロジェクトでも実施してもらいたい。

外に出ていたら体が蒸発してしまうのではないかと思うほどにそれは暴力的な暑さであった。

僕はつり革を掴んで窓に映る自分に向かって無理矢理微笑んで見せる。

そうでもしてテンションを上げないとこの暑さは乗り切れないような気がした。

チケットをグシャリと丸め込んでポケットに押し込んだ。

電車に揺られながら目的地へ向かう。

目的地まで後二駅である。


電車内で騒々しく走り回る子供たち。

窓から見える景色。

太く響くアナウンス。

見るもの聞くもの、全てが美しい。

それらは僕の心を綺麗にしてくれるような気がする。


走り回る2人の女の子のうち、先頭を走っていた方の女の子が僕の足にぶつかってきた。

「痛っ」

女の子は豪快に後ろに尻もちをつくと、今にも泣き出しそうな顔で僕を見上げてきた。

うるうるとした瞳には今にも壊れてしまいそうな儚さが見て取れた。

「ごめんね、大丈夫?」

僕が焦りながら手を差し伸べると女の子は素直に僕の手を掴んで立ち上がった。

子供の涙は苦手なのだ。

「うん、ありがとう」

女の子が涙を堪えてお礼を言うので、僕はほっとすると同時に思わず感心してしまった。

うちの聖奈ならこの程度でもわんわん泣き叫んで手に負えなくなるだろう。

それなのにこの明らかに聖奈より年下の女の子は必死に耐えているのだ。

ぜひともうちの子にも見習ってもらいたい。

「ちゃんとお礼言えたね。えらいえらい」

僕が出来る限りの優しい笑いを見せてその子の頭を撫でると、その子はえへへと嬉しそうにはにかんだ。

聖奈の子育ては麻有に任せっきりだったから子どもへの接し方がよく分からないが多分これで合っているだろう。

「ちょっと、凛。何やってんの。電車内は走っちゃダメでしょ」

母親が後から追いついて厳しい口調で女の子を叱った。

女の子は母親の鬼のような形相をしばらくぼんやりと見ていたが、急に目に涙を溜めたかと思うと今度はそれを止める術もなく一瞬で泣き出してしまった。

僕は焦りながら訂正する。

「僕は大丈夫ですよ。この通り、ピンピンですから」

そう言って足を曲げたり伸ばしたりして見せた。

運動不足とはいえ流石に僕の足は小さな女の子1人当たったくらいでくじけほど弱くはない。実際当たったことに気づかなかったぐらいだ。

「本当ですか、よかった。でもごめんなさいね」

母親は女の子の背中を叩いてあなたも謝りなさいと目で合図した。

「お兄さん、ごめんなさい」

女の子は涙を拭くとぺこりと頭を下げて謝罪した。

よく出来ましたと母親に褒められいい気になったのかルンルンと軽い足取りで空いてる席の方へ戻って行く。

僕はそれを穏やかな面持ちで見守る。

僕にとってそれは非常に愛らしい光景であった。


以前より心が広くなったと我ながら思う。

僕の中に全てを許せるような寛大な心が目覚め始めたのだ。

以前は電車内で子供が走っていただけでイライラしていただろう。

それが今は180度変わり、むしろ極端なお人好しになった気さえする。

今だったら無意味に頬を殴られても多分笑って許せてしまうだろう。

あるいはどれだけ周りに罵倒されても響かないと思う。


それは単純な成長ではなかった。

この状態を素直に喜ぶのは少し違う。

僕の精神は大人になったのではなくむしろその逆で完全に狂い、人格は壊れてしまったのだ。

実のところ今、自分が何を考えているのかもよく分からないし、自分の行動を制御することもできない。

生気がまるでない。生きながらにして死んでいるような、または抜け殻のようなといった例えが当てはまるような状態。

とてつもなく気持ちが良くて、それ故何もする気が起きない。


こうなってしまったきっかけだけは自分でも理解していた。

鈴木の死、ではない。

松田の死、でもない。



その後の、田本の死だ。


松田が殺されてから一週間後、今度は田本が殺意のウイルス感染者に殺された。


買い物に行くと言って出かけたっきり帰ってこなかったので不思議に思った僕が家を出ると、門のところで横たわっている田本がいたのだ。

感染者の仕業であるというのは一目見ればすぐに分かった。

複数回刺された跡のある無残な死体だったから。

あんな殺し方をするのは感染者ぐらいなものである。


驚いたのはそれを見ても僕はもう涙が出なかったことだ。

その時、すでに僕の中から悲しいという感情は消えてしまっていた。

悲しいというより残念。


田本の死に何も感じない。

そうか、死んでしまったか…

ああ…またか。

それだけである。


そこにあるのはもぬけの殻になった体といつもの見慣れた光景。


そしてその時涙と悲しさの代わりに僕の中で何かが切れたような感覚があった。

決して嫌な感じではなく、むしろ気持ちのいい感じの、じわじわと脳内が暖かくなっていって意識が脳の外へ飛んで行くようなもの。


その日から僕は半分僕でなくなった。


ブレーキ音の後に電車が目的地の最寄り駅に到着した。

アナウンスがかかりドアが開くと人が次々と降りていく。

この町もだいぶ栄えたものだな。

1年前までは全く人気のない廃れた町だったのに。

この町がここまで発展したのもあの男の影響力を裏付ける根拠の一つであるのは明らかだった。


僕は流れに身を任せて他の乗客たちとともに電車から降りた。

もはや地図などいらない。

この駅で降りる人の90%はあの場所へ向かうから僕は前を見て歩くだけでいいのだ。

前の人の背中は汗がにじみ出ていて歩くたびにぴちぴちと肌にくっついて気持ち悪そうだった。

だめだもう飽きた。

ずっと馬鹿みたいに前の人の背中だけを見ているのも、つまらないと思い直して僕は顔を上げ、周りを見渡した。

見覚えのある景色。変わらない風景。当たり前だが。

そんなに月日が経ったわけではないのにこの数週間、色んなことがあったせいで遠い昔のように感じる。

どことなく懐かしい。


もうお分かりかとは思うが僕の向かう先は鴨志田の占いの館であった。

人生2度目。前回来た時は痛い目にあって、もう絶対に行くもんかと固く決めていたのにこんなにもすぐ足を運んでしまうなんて。

何だか鴨志田の策略にまんまとハマり、手のひらで転がされているみたいでいい気はしない。

しかしそこにもまた、鴨志田という人間が持つ不思議な力を感じずにはいられなかった。


とは言え、僕とてもうほとんど鴨志田の能力を信じていない。

だって彼は完全に僕の予言を外したんだから。

彼は一度だけ不運が起こると言った。

しかし結果はどうだ。

あれから3度も大きな不運が起こった。

人が死んでいるのだ。あれを大きな不運と呼ばずして何が不運であろうか。

言い逃れはできないはずだ。

あの男は狡猾な詐欺師だ。

今は亡き、鈴木の言う通り。


僕の中でまた怒りが少しずつ湧き上がってきた。

基本は何事に対しても温厚でいられるのだが、定期的に特に意味のない怒りが現れる。

要は情緒不安定なのだ。

「温厚」が1日のうちに抱く感情の80%をしめ、残りの20%を「怒り」がしめる。

そしてそれはサイクルになっていて、時間が来ると勝手にふつふつと怒りが湧き上がってくる。だから「怒り」がくる時間も分かっているし、そういう意味では安定していると言えるのかもしれない。

情緒不安定だけれど安定。何だか頭が痛くなる言い回しだ。


話を戻すと、僕は今日やり場のない怒りを解消し、埋めようのない心の隙間を少しでも埋めるために鴨志田の占いの館に訪れる。


もう一度鴨志田と対面して面と向かって言ってやるのだ。

お前は詐欺師だ!と。お前の予言は外れたんだ!と。

ついでに狂った観客の奴らの目も覚まさせてやろう。


そんなことを考えているといよいよ僕の怒りはヒートアップしてきた。


神のように慕ってきたものが、実はただの石ころであったという現実を突きつけたとき、人はどのような反応を示すのだろう。

叫ぶだろうか?泣くだろうか?笑うだろうか?

あの日の僕みたいに。


僕は何だか楽しみになってきてスキップをしながら鼻歌を歌った。

学校の教科書や教師、そしてそいつらに洗脳された生徒はきっと「そんなことをしても意味ないよ」「そんな仕返しをしたっていいことはないよ」と綺麗事を言いだすだろう。

互いに許し合って、仲直りして皆んなで手を繋いで…

僕はすかさず打ち消す。

「うるさい!」と。

確かに意味はないかもしれない。それは承知の上だ。それをやったところでそれは僕の心が安らぐビジョンは全く思い浮かばないし、空回りで終わることはもう目に見えている。

でもそんな無意味なことでもやっていないと呼吸ができないのだ。

これまでのような日常では息が詰まってしまうのだ。

もう平和な日常に戻ることはできない。


狂っている。誰が?僕が。そりゃそうだ。こちとらしっかり自覚している。


精神的ストレスはとっくに僕の器から溢れ出し、限界を突破している。

テンションが異様に高くなっていて、何をするにしても楽しくて仕方ない。

これは結構末期の症状かなと不意に思う。

だがせっかく今ハイテンションなのだから楽しまない選択肢はない。

いわば無敵状態。

今なら何でもできる気がする。

どんな危険なことでも、犯罪でも。

まだ僕がこの世に生をとどめているというところだけでも、まず評価してもらいたいものだ。


会社ももう辞めた。

もちろん正式に辞めたわけではない。

無断で欠勤しているだけだ。

今頃会社はどうなっているのだろう。

新製品の話も全く聞かないし、近頃はMIXMAXとかいう新参ゲーム会社が話題になってきているらしい。

liebの社内はパニック状態だろうし、テレビや新聞も「lieb社長失踪?!」と大々的に報道している。

そろそろliebは潰れてしまうのだろうか。

やっぱり僕がいないとダメかー。

僕はニュースを見ながら得意げに微笑んだ。

会社の危機だというのに何だかそこには形容し難い気持ち良さがある。

全てを諦めるとこれほどに気持ちが楽なのか。


今更戻る気はさらさらない。

僕には金は掃いて捨てるほどある。

最初から働く必要なんてなかったのだ。

そんなの無責任?

知ったことか。

これまでも仕事は自分の社会的な地位を守るために続けてきただけだ。

今思えばそれも馬鹿馬鹿しい。

社会的な地位を得てどうする?

他人に認められてどうする?

それで何を得ることができるというのだ。

いくらそんなものを必死で築き上げたところで大事なものは守れない。

そういったものはいくら頑張っても不意に手のひらから抜け落ちていく。

無意味な運命のいたずらで。

そんなことなら、初めから何もする必要はない。

僕はここに来て人生の真意を知ったような気分になっていた。


自由に生きるというのは何とも楽しいことである。何の心配もいらない。

今日も何となく思いついたから、鴨志田の占いの館に来てみた。

ただそれだけ。

通常価格の倍以上で友人からチケットを買い取った。

そうまでして来たかった。

そう、何となく。


ごちゃごちゃと考えながら歩いていたおかげで、会場に着くのが早く感じた。

時計を見ると地味にかれこれ20分は歩いているのに体は全く疲労を覚えていない。

チケットには黄色いバックに赤い文字で「個人対談券」と書かれていた。

今回のイベントは定員が大分少なく、前みたいなショーのようなタイプではないので割と長い時間、鴨志田と対談することができるらしい。

僕にピッタリのイベントだ。

何を話そうかなーと性に合わずもうきうきしてきた。

「次の人ー、どうぞー」

前来た時の受付の人と同じような体型の男が僕のチケットを切った。

もしかしたら同じ人かもしれない。

まあそんなことはどうでもいい。

「チケットを拝借します」

以前のような無愛想な口調で通された。

多分前の人と同じだ。

僕はそのスタッフが手で指した先へ足早に移動していった。

「ありがとうございます」

会釈も忘れない。

社会的地位は捨てたとは言っても、礼儀作法はこれまでの人生で体に染み付いてしまっているので、無意識にでてしまう。

良いことなのか悪いことなのか。


会場は前と同じホール。

前ほどはごった返していなかった。

大体前回の半分くらいの人数だ。

しかし定員が少ない貴重なイベントなので、訪れている人は鴨志田のファンの中でも古株ばかりである。

周りを見渡しても学生は見当たらず、おっさんや、おばさんばかり。

きっと前よりも狂った信者たちなのだろうと僕は横目で彼らを見て哀れんだ。


「ただ今から占いを開始しますので列を作ってお待ちください」

スタッフのアナウンスで、全員が一斉に席を立って並びだす。

僕も流石に同じ失敗を繰り返すほど馬鹿ではなかった。素早く席を立って、自分の立ち位置を確保する。

前から5番目の席。

すぐに順番が回ってくる。

僕はチケットをSPに向かって証明書のようにひらひらと見せてテントの中へ入っていく。


鴨志田は服装、髪型、ヒゲの伸び具合、何も変わらずあの日のままそこに座っていた。

「久しぶりですね」

鴨志田はニヤリと笑う。足を組んで偉そうに。

見た限りその大きな態度も以前と全く変わっていないらしい。見下すように顎を上げて余裕をひけらかしている感じ。

「久しぶりというほどの時間は経っていないけどな」

僕はバッグをテーブルの下に置き、ネクタイを緩めると目の前の肘掛け椅子にどっかりと座った。

前回のように敬語で下にでるのはもうやめだ。こっちは客なのだ。

僕は鴨志田と同じように足を組んで、真っ直ぐに彼を見据える。

「たしかにそうですね。でも僕には長く感じましたよ。何ででしょう?あなたを待ちわびていたからでしょうか」

鴨志田は髪を整えながら言った。

「僕を待ってた?冗談だろ」

何と臭いセリフであろうか。僕はやれやれというように肩をすくめて見せた。

「いえいえ、本当に」

鴨志田はいたって真面目な顔で続ける。

どうやら社交辞令ではなく本意から出た言葉であるようだ。

僕もそう考えたことが全くないわけではない。

僕と似たような境遇の人間はこの世にいったい何人いるのだろうか。

僕は鴨志田に会うまで35年間一度もそのような人間には会ったことがないし、聞いたことさえなかった。

その時点で相当少ないことは予想がつく。

そんな数少ない同士に会うことができたのだ。

それを踏まえるとやはり僕たちは最初から会うべきして出会ったのではないか。

何だか気持ち悪い言い回しだが、しみじみそう思う。

「私は最初から必ずまた会うことになるだろうと思っていましたよ。あなたのような人間はなかなかいないのでね」

「僕だって今までお前みたいなやつに会ったことはなかったよ」

そう考えると何だか自分たちがひどく奇妙な存在に思えてきて、僕は思わず口元を緩めた。何だか常識とは完全に違う次元で話を進めている気がして滑稽である。

「それは褒め言葉として受け取っていいんでしょうか」

「さぁね」

僕は何だか気恥ずかしかったので誤魔化すようにして答えた。

鴨志田は何が嬉しいのか、さっきより一層ニヤニヤしている。

そしてふと天井を見上げると考えるように一点を見つめ始めた。

「なるほど、これを運命と呼ぶのでしょうか」

「やめてくれよ気持ち悪い」

僕はすかさず鴨志田の言葉を遮って強く否定する。

何を言いだすかと思えば。

うすうす変なことを言い出すのではないかとは思っていたが。この男、恐ろしい。

のらりくらりとしていて、そこにいるのにいないような。言葉で表すのは難しい感覚だ。


鴨志田は僕に全力で否定されたにも関わらず何の気なしに続ける。

「私は前々から運命とは何か?と考えていたんですよ」

また何か始まった。おおかたここから持論でも展開するつもりだろう。

鴨志田の持論はやけに長ったらしいのだ。

「はぁ」

僕は素直に気の無い返事を返して頬杖をついた。

もういっそのこと机に突っ伏して会話を拒否したい気分であった。

まさかここまで面倒くさい男だったとは。


この男は楽しんでいるのだ。突拍子もない話を投げかけて相手の反応を見て面白がっている。

言葉で相手を揺さぶる。

そうすると相手の心理を掌握した気にでもなるのだろう。

全く、とことん気持ちの悪い男である。

そんなことをして何が楽しいのか。

前言撤回。

彼は僕と境遇は似ていてもどうやら考えることは全く異なるらしい。一瞬でも彼と分かり合えるなどと思った自分を殴ってやりたい。

鴨志田は僕たちとは違う世界に生きていた。

いや、同じ世界でも違うものを見ていると言った方が近いかもしれない。

彼はこの世界を逆さからひねくれた目で見ているのだと思う。

それほどに鴨志田の価値観は普通の人間と離れていた。


「テレビでも街中でもよく聞くんですよ。運命的!とか運命が変わった!とか」

まだ話は続いていたらしい。僕が全く違うことを考えている間にも鴨志田は熱弁していたようだ。

「そうかな、僕はあんまり聞かないけど」

「私の場合は仕事柄っていうのもあると思います。ほら、私は予言をやっているので自然と運命とやらとの関わりが多いわけですよ。僕の運命はどうですか?みたいな聞かれ方もするぐらいですし」

僕は足を組み直した。

まあ確かに予言とは人の未来、すなわち今後の運命を見る行為であるから必然的にそうなるのは理解できる。

僕は返事の代わりに大きくうなづいて見せた。

鴨志田はそれに満足したのか楽しそうに続ける。

「少女漫画でもありますよね、運命の出会いとか。あとはアニメの決め台詞で運命を変えてみせる!とか」

鴨志田はアニメのシーンを真似するかのようにビシッとポーズを決めて「そういうシーンって燃えますよねー」などと一人で大興奮している。

また話が脱線している。

僕は我慢しかねて口を挟んだ。

「もう具体例はいいから。結局何が言いたいんだよ」

鴨志田の話は意図と終着点が全く見えないのだ。

「ああ、すいませんつい楽しくなってしまって。つまりは、そういうのって…馬鹿馬鹿しいなって思うんですよ」

鴨志田は急に目を細めて声を落とした。

「そもそも運命はあらかじめわかるものなのでしょうか」

鴨志田に質問を投げかけられるも自分には全く馴染みのないような質問に言葉が出てこない。

僕が答えあぐねていると鴨志田が首を横に振って続けた。

「もちろん答えはNOです。私ならともかく、凡人には到底運命など見えはしない。運命が見えないから人生が成り立つのです」

鴨志田は自分の能力をひけらかすわけでもなく、淡々と語った。

「どうです?滑稽だとは思いませんか?見えてもいない運命をあたかも分かった気になってそれを変えるだの超えるだの、ましてはそれを喜ぶなど言語道断です」

鴨志田は鼻息を荒くして怒ったように言う。

何故だか急に雰囲気が変わった感じがする。

僕は反射的に姿勢を正した。

「運命とは残酷でなければならない。そして変えることなど決してできない。私たちができるのは受け入れることだけです」

鴨志田は今度は悲しそうな顔をして最後に「皆が望むような綺麗な未来などありませんよ」と付け加えた。


鴨志田のその表情からは少しだけ彼の複雑な過去が垣間見えた気がする。

彼の目は残酷な運命を恨んでいた。

彼はさも残酷な運命を経験したかのような口ぶりで話した。

もしそうだとすればと彼にとって予言で未来を見るという行為は相当苦痛なことなのかもしれない。


鴨志田の今の言葉はこれまで会場やテレビで見てきたどの演説よりも刺激的でなおかつ僕の中にすんなりと入ってくるものであった。

それは僕が今感じていることをあまりなく完璧に代弁してくれているようでもあった。

もはや鴨志田は僕の心を読んでいるのではないかとさえ思えてきて少々鳥肌がたった。


「第一、全員が未来を見れたら僕の仕事がなくなってしまいますからね」

鴨志田は手を広げておちゃらけてみせた。

さっきまでの雰囲気は跡形もなく消え去り、そこには覇気のない笑顔のひょろ長い男がいた。

柄にもなく真剣な話をしてしまったことが恥ずかしいのか、僕と視線を合わせずに照れ臭そうに頭をポリポリと掻いている。

「すいません、持論を話し始めるとつい熱くなってしまうんですよ。悪い癖ですよね、直したいとは思ってるんですけど」

「ああ」

僕はさっきの緊張した雰囲気が抜けきれずぶっきらぼうに返すしかなかった。

本当に話しすぎだ、まったく。

これでは対談というより鴨志田の話を僕がただ聞いただけではないか。

「まあいいよ。なかなか面白い話だったから」

嘘ではない。最初こそうんざりしたとはいえ、なかなかに興味深いものではあった。

「本当ですか?!それは嬉しいですね。実は今のは私のとっておきの持論なのでまだ誰にも話していなかったんですよ」

鴨志田は心から嬉しそうに笑った。

ここから調子に乗ってまた持論なんか展開し始められると厄介なので僕は早めに本題に移ることにした。

時計を見る。対談時間は20分。残りは10分、ちょうど半分だ。やはりここらへんがベストタイミングだろう。


「そろそろ本題に入っていいかな」

僕が切り出すと鴨志田は思い出したというような顔をして僕の方を見た。

思った通り、鴨志田は最初から僕の話を聞く気などさらさらなかったのかもしれない。

僕が言い出さなかったらどうなっていたことやら。

「そうでしたそうでした。対談なんですから私ばかり話していては成り立ちませんよね。ズバリ、今日は何のために足を運んで下さったのですか?もちろん来たからには明確な理由があるのでしょう」

明確な理由か。

僕は鴨志田に聞かれて思わず戸惑ってしまった。

明確な理由などないからだ。

本題に入りたいとは言ったもののここまで構えられるとは思っていなかった。

何と説明すればいいだろう。正直僕はただただ不幸話を聞いてほしいだけなのだ。

さっきも言ったように僕がここに来たのはあくまで何となくである。

バラ色生活からど底辺生活に落ちてヤケクソになってここに来たとも言える。

自分ですら理由はよくわかっていないのだ。


まあ明確な理由はないにしても鴨志田にぶつけてみたい話はいくらでもある。

僕が口を開こうとして鴨志田の方を見ると、鴨志田も口を開いて何か言いかけていた。

しかし彼は察したかのようにどうぞと手で譲った。


「僕は今日、君にある報告をしようと思って来たんだ」

言うなら今度は僕の演説である。

これが最初の一言。

重要なのは出だしでどれだけ相手の興味を引けるかである。

相手に興味を持たせれば、相手は話を真剣に聞くし、自ずと深く理解してもらえる。


しかし返ってきたのは何とも微妙なリアクションであった。

「ほう」

僕はめげずに続ける。

「結論から言えば、残念ながら僕はお前の思うような特別な人間ではなかったんだ。」

これは正直自分で口に出すのも辛かった。

僕は嫌なことを思い出して傷つくのを恐れて反射的に鴨志田から目をそらして言った。

鴨志田は特に驚いた様子でもなく、頬づえをついてくつろぐと、脇に置いてある残りの水を一気に飲み干した。

相変わらず反応がない。さっきとは打って変わってあまりにも鴨志田が無表情すぎるので心配になってきた。

「僕はただの凡人だったんだよ」

「…と言いますと?」

鴨志田はなかなか話が見えないみたいで、目を細くして聞き返してきた。

「運の尽きが来たんだ。僕は運の前借りをしすぎた」

「ほう」

また鴨志田はさっきと同じ返事をよこした。

同じ言葉でも雰囲気は感情が読み取れない無機質な感じ。

興味津々とも取れるし、全く興味がないとも取れる。出来れば前者であって欲しいが。


僕と鴨志田の会話ははたから見たら何のことかさっぱり分からないだろう。

ああ、可哀想にあの人、気が狂ったのねと思われてもしょうがない。

でも鴨志田には伝わるはず。僕と似たような境遇の彼なら…


「うーん、何となく理解はしました」

一通り僕が話し終わると鴨志田はぽりぽりと頬を掻きながら答えた。

理解はしたが納得はしていないという顔をしている。

何だか拍子抜けだ。

「つまりはあれから不運が重なったということですか?」

「そうだ。僕は今、幸運じゃない。不幸なんだ。もうすっかり不幸な人間になってしまったんだよ」

僕は自虐的な口調で畳み掛ける。

しかしそれをして僕はいったい彼にどうして欲しかったというのだろう。

また自分でもよく分からない。ただこの不思議な能力を信じてくれる誰かに話さなければこれ以上正気でいられないような気がした。

僕は誰かに一人で抱えきれない悲しい事実を丸投げしたかったのだと思う。

「はぁ」

鴨志田は今度は理解すらしていないという表情で哀れみの目をこちらに向けた。

また拍子抜け。僕の訴えは無残にも意味をなさずに消えた。


鴨志田はどっから話せばいいのかわからないといった様子で考え込んでいる。

考えた末に顔を上げて口を開いた。

「そもそもあなたはご自分のことを幸運だと思っているようで?」

「もちろん」

僕がそう答えるとまた鴨志田は視線を落とした。

その行動は何か言いにくい事実を隠しているように見えた。

もういいからはっきり言って欲しい。

「でははっきり言わせていただきます」

声には出ていないよな?

鴨志田に僕の願いが通じたかのような絶妙なタイミングに僕は驚いた。

どうやらやっと腹をくくったようだ。


「どうやら勘違いさせてしまったようですが、あなたは決して幸運なんかではありません」


刹那僕の思考は停止していた。

彼の言葉の意味を理解することが出来なかった。

形容するなら頭を鉄球で殴られた気分、が近い。

まさかそんな返しが来るとは思っていなかったのだ。その返しだけは到底予想がつかないものであったから。

これまで当たり前のように存在を確信していたものを否定されたのだ。

言ってしまえばもはや幸運というのは僕のアイデンティティ。すなわちそれを否定されるということは「実は君は生きてないんだよ。存在してないんだよ」と言われるような感じである。

そんな突拍子もないことを飲み込めというほうが無理であった。


言葉と音声だけが僕の脳内に残り、通信環境が悪いところにある電子機器のようにゆっくりとローディングしていく。

時間をかけてやっとローディングし終わった後も自然と生まれてくる問いはローディング前と全く同じものであった。


この男は何を言っているのだ?


鴨志田の言葉の意味は理解した。でもその真意がどうしても取れない。

過去の話ではあるが、僕は紛れもなく幸運な人間であった。それは事実だ。

第一、この男だって僕を幸運と認めていたではないか。


「どういうことだよ」

あまりの衝撃にどこから問えばいいのか分からずにテンパって思わず声が震えて上ずってしまった。

ただでさえ不安定な精神状態の中でこんな重い一撃をぶつけられれば僕の人格はどうなるか分かったものではない。

下手したら完全に壊れてきってしまう。

「僕は幸運だったはずだろ。それはお前だって認めてたじゃないか」


理解が追いつかない僕の頭にはぐるぐると様々な感情が渦巻き始めていた。


鴨志田は申し訳なさそうな、残念そうな顔をしてうつむいた。

「私が勘違いさせてしまったのなら、ごめんなさい。先に謝っておきます」


鴨志田はトドメのように無慈悲の断言をした。

何の感情も抱いていないような無表情で。


「私はあなたを一度も幸運だと思ったことはありません。あなたは幸運じゃない。強運なんです」

は?

もういよいよ意味がわからない。

「ちょ、ちょっと待ってよ」

かろうじて口から出たのはそれだけだった。

脳内処理が全く追いつかない。

これ以上は頭がおかしくなってしまいそうだった。少し考える時間が欲しい。


鴨志田はため息をついてソファに浅く腰掛け直した。

指先でテーブルの上にあるカードを遊ばせている。僕はこんなに焦っているというのに鴨志田は驚くほどのんきにリラックスしている。

当たり前だが鴨志田は僕がどうなろうと知ったことではないのだ。

「どうぞ、大丈夫ですよ焦らなくて」

鴨志田は紳士的に声をかけ、側のティーカップに紅茶を入れて僕によこした。


それで終わればよかったのだ。

鴨志田は変な得体の知れないスイッチが入ってしまったかのように僕をさらりと罵倒し始めた。

「まあ、自信家で早とちりなあなたには受け入れがたい事実だと思いますからね。少しずつ飲み込んでいってくださいよ」

余裕な表情。舐めた態度。急に彼の口調は僕に対して攻撃的になった。

精神状態がひどく不安定な僕はすがるようにティーカップを持ち、紅茶を慌てて飲む。

全て飲み干すと、いつの間にやら先ほどまでの動揺は怒りに変換され、自分でも体の深くからそれがふつふつと湧き上がってくるのを感じることができた。


これは非常に良くない事態だ。

まさか今ここで、「怒り」のサイクルが訪れようとしているなんて。

いつものサイクル通りにいくと「怒り」が出てくるのは大体後2時間後なのだが、鴨志田が放った僕に対する攻撃的な言葉がそれを早めたらしい。

何故僕は「怒り」が来ることがそんなをそんなに恐れているのか?

簡単だ、「怒り」が訪れている間はそれが僕の人格を支配し僕の意識は飛ばされてしまうから。つまり僕の意思とは関係なしにそれが暴れまわるからだ。


「幸運と強運?」

僕は鴨志田の言葉をなぞるようにして恐る恐る確認した。

「そう、予言しましょう。あなたは幸運にはなれない。強運にしか…」

鴨志田は半笑いで言った。


僕は今確信した。

彼の真意は僕には到底読むことなど出来ない。彼は常人が思う「正常」とは遥かかけ離れた領域にいるのだ。

僕の「怒り」のような別人格がもうすでに鴨志田の中に存在していて何の前触れもなくいきなりそっちの人格に移り変わる。

といったところか…


気づいた時には僕は紅茶のカップをテーブルに所狭しと並んだその他の道具ごと手でなぎ払っていた。

大きな音を立てて道具が床に落ち、ティーカップは耳を塞ぎたくなるような音で割れた。

バラバラになったティーカップは怯えるように揺れる。


「何が違うんだよ!」

僕はさっきよりも大きな声で叫んでいた。

何故今僕は叫んだのだろう。

次は目の前にあるテーブルを思いっきり殴った。

鴨志田の何が癪に触ったというのだろう。

分からない。

ぼんやりとした意識の中で僕の体は無意識的に行動していた。

もうやめろよ見苦しい。

僕の理性は体の奥から客観的にその光景を見て完全に呆れていた。

僕の理性を無視して本能が体を支配し好き勝手に暴れている。そんな感じだ。


人間には欲求がある。

だがその欲のままに生きてしまえば、法に引っかかる。

お腹が空いた。じゃあ誰かから奪おう。

あいつ嫌い。じゃあ殺そう。

普通はそういう考えに至る。

でも実際、人間はそういう考えには至らない。

理性が欲求を歯止めしているから。

幼い頃に植え付けられた。グループ分けされたから。これが良いことでこれがダメなことと。

結果、それに従う精神が出来上がる。


ではその理性を取っ払ったらどうか?

今の僕みたいなヤツが誕生する。

欲求のままに行動する危険な存在が。


暴れる僕を見ても鴨志田は全くたじろがなかった。それどころかこの状況が面白いとでも言うようにプックックッと笑いをこぼしている。

ついに鴨志田は半笑いではなく腹を抱えて大笑いしだした。

その態度はまるですっかり人が変わってしまったようだった。

先ほどまでの気さくな青年の面影はどこにもない。

「何が面白い?」

僕、いや、ヨッキュウが血走った目で鴨志田を睨みつけた。動揺と怒りが混ざり合って正常でなくなっている。

僕がそんな状態になってもなお、鴨志田は挑発をやめようとしなかった。

これ以上は本当に危ない。

やめてくれ!鴨志田!やめてくれ!

理性が泣き叫ぶ。

これ以上バカにされたらヨッキュウのヤツ何をしだすか分からない!

あんたを殺しちゃうかもしれない!


そして最悪なことにもうこうなってしまえば僕の理性は手のつけようがないのだ。

ヨッキュウが鴨志田の胸ぐらを掴んでも鴨志田は表情一つ変えずに続けた。

「あなたはまだ強運と幸運の違いを分かっていないのですか?」

「だから何が違うっていうんだ、同じだろそんなもの」

ヨッキュウは目を血走らせて憤怒にまみれた低い声で言った。

鴨志田は大きなため息をつく。

「まあいつか分かりますよ。予言しましょうか?もうすぐですよ。もうすぐ分かります」


もうすぐ….。

僕の頭の中でその言葉が幾度となくリピートされた。

その言葉は今や僕の一番嫌う言葉だった。

もちろん鈴木の死が原因で…


あの時の予言もそうだった。

鈴木の時も鴨志田はもうすぐと言った。

「いつだよ。もうすぐっていつだよ…」

僕は怒りで体を震わせた。

鴨志田はそんな僕を見て声を上げて高らかに笑う。

まさかコイツ僕のトラウマと分かっていながらワザとその言葉を選んだのだろうか…

「あなたも随分堕ちたものですねぇ」

鴨志田の口は止まることを知らなかった。

何だって僕のヨッキュウを刺激するようなことばかり言うのだ。

鴨志田は一体どんな神経をしているのか。

僕には到底理解できなかった。

「だってそうでしょう?いつのまにか随分弱気になっちゃって。僕に敬語を使わなくなったのも口調だけでも強く見せなきゃっていう弱者特有のプライド。余裕がないのがバレバレなんですよ」

何だこの男は。何なのだ。何がしたくてそこまで言うのだ。

僕はもはや怒りを通り越してこの男を気持ちが悪いと感じていた。

僕ももちろん狂ってる。

でも、こいつも…狂ってる。

人間の裏を見てしまったようで冷や汗が出てきた。

これが鴨志田の本性。

もはや別人格。鴨志田ではないどこかの誰か。

人間とはここまで裏表のある生物だっただろうか。

「うるせぇよペテン師が!」

ヨッキュウがまた声を荒げる。

その声はテントの外にまで聞こえるものだったらしい、外にいたSPが慌ててテントの中に飛び込んできた。

「鴨志田さん、大丈夫ですか?」

SPは視界の中に僕を見つけると鬼のような形相で睨みつけた。

いや、実際はサングラスをかけているので表情など分かりはしないのだが、その視線はサングラス越しでも僕を震え上がらせるほどの威力を持っていた。

「またお前か」

SPがゆっくりと、しかし一切の躊躇もなくズンズン近づいてくる。

また、とは前回僕が倒れた時の騒動を指しているのだろう。

SPが僕のすぐ前、恐らく彼の右ストレートの射程圏内まで僕に近づいた時、鴨志田が止めた。


「やめろ。これは彼と僕との大切な時間だ。部外者が出る幕じゃない」

手を挙げて粛清すると先ほどまでのSPの殺気は消え去っていた。

このSPまでもが鴨志田の犬なのか。

全てが鴨志田の掌の上。そう考えると僕はSPの殺気とはまた違う意味の恐怖を感じた。

「ですが…」

「いいから!」

鴨志田が怒鳴った。

大柄なSPは子猫のように体をビクンと震わせた。

顔を青白くして呆然と立ち尽くしている。

鴨志田の権力は圧倒的であった。

彼の前では猛獣が子犬になる。山は一瞬で平地になる。


「申し訳ございませんでした」

SPは奥歯を噛み締めながら頭を下げた。

SPがその場を去った後、テント内は不気味な沈黙に包まれる。


「すみません。少々邪魔が入りましたね」

鴨志田はSPが去っていった方を睨みつけた。

まだ怒りが収まっていない様子で、気持ちを落ち着かせるためなのかズボンのポケットからタバコをおもむろに取り出すと火をつけた。

客の前でタバコを吸うか?

僕としても注意したいのは山々なのだが言葉が出てこない。

…いや、正直に言おう。注意出来ないのは僕が鴨志田を恐れているからだ。


「それで、僕が何でしたっけ?」

鴨志田が体を仰け反らせながら聞いてきた。

別段高圧的な態度を取ったわけではない。

それなのに彼の言葉は何者も寄せ付けない不思議な響きを持っていた。


もう一度言うのは何だか決まりが悪いが、そんなことにこだわっている場合ではない。僕は端的に答えた。

「ペテン師」

鴨志田は仰け反った体勢のまま眉をピクリと動かした。

動揺した…のか?あの鴨志田が。


いや、気のせいかもしれない。そう思わせるぐらい鴨志田はすぐにポーカーフェイスに戻った。

しかし、それっきり彼はうつむいてピタリと口を閉ざしてしまう。

やはりどこか動揺している様子だ。

お前には力がない。そういう言葉には非常に敏感になっているのだろう。

そうか。

僕は勝機を得てここぞとばかりに続けた。

「お前は特別な人間でも何でもない。ただの凡人なんだよ」

鴨志田を罵るうちにまたヨッキュウはだんだんとヒートアップしていき、声量は自然と上がっていった。

「お前こそ勘違いしているようだから教えてやる。お前の予言は外れたんだよ。見事に。お前は僕に不運が一度起こると言った。でも実際はどうだ?3人死んだんだぞ。3回不運が起こったんだ。どう考えても一度の不運じゃない。何が100発100中だよ。笑わせるな!」

言い終わって僕は激しく肩で息をした。

声を張るというのは案外体力を使うものだ。


鴨志田はゆっくりとうつむいていた顔を上げた。その顔は完全な無表情だった。

そして見下すように僕を見る。

「なるほど」

僕はあんなに喋ったというのに彼の返しはそれだけだった。

鴨志田は無表情のままタバコを灰皿にグリグリと押し付けて火を消した。

それはどこか彼のいらだちを感じさせた。

「正直、残念ですね」

「何がだよ」

声が震える。

「私はあなたに期待していた。あなたのその珍しい能力はきっとこのつまらない世界を変えてくれると、そう思っていた。だけど…あなたはどうやらただのヘタレだったようだ」

鴨志田は最後に期待はずれです。とつぶやいた。

期待はずれ。

僕がその言葉を飲み込むのには時間がかかった。

その言葉が僕のプライドをどれだけ傷つけたかは言うまでもないだろう。

生まれてこのかた期待はずれと言われたことはない。

それどころかマイナスな言葉で評価されること自体なかったように思う。

いつも褒められ、何をするにしても周りより頭2、3個飛び抜けていて。

そんな完璧な僕が。あり得ない。

僕が?僕は完璧だ。そんなことがあってたまるものか。


大きなショックと同時にヨッキュウは自然と反論していた。

「調子にのるなよ。言っておくが、お前も僕と何ら変わらない。そろそろ認めろよ、お前は無力なんだよ」


僕は今度は平坦な口調で出来るだけ感情を押し殺して言った。

僕が今ここでどれだけ喚いたところで鴨志田が嫌に落ち着いているから負け惜しみのように見えてしまうからである。


鴨志田はゆっくりと口を開いた。

「いや、私の予言は間違いなく100発100中です。今までもこれからも外れることは絶対にあり得ない」

彼は僕のように強く主張するわけでもなく、当たり前のことを確認するように言った。絶対的な自信を持って。

本当に自信を持っていれば周りから何を言われてもそれが雑音にしか聞こえない。

自分がその能力を信じ切っていれば外野のヤジは聞こえない。

しかしその根源となる鴨志田の絶対的な自信はどこから来ている。


「じゃあこの事実をどう説明する気だ?」

僕はムキになって問いかけた。

「さぁ」

彼はもう僕と論争する気がないらしい。


これが口喧嘩なら僕の勝ち。

しかし何だコイツの余裕ぶりは。

勝者に負かしてやったという気分を与えない。

そう、彼は別の空間にいるようで張り合いがないのだ。

まるで僕が見えていないよう。お前など眼中にないと言わんばかりに僕を無視してどこか遠くを見つめていた。

期待はずれの人間には興味がないということか。


「ではそろそろ時間なので最後に予言をさせてもらいます」

鴨志田は急に今日のイベント内容を思い出したようだった。

本当に相手にされていないようだ。

僕は諦めて俯くしかなかった。

僕とて正直鴨志田の予言などもう全く信じていないので聞きたくもないのだが、わざわざ断る理由もないから仕方ない。


「…」

もう手順は分かっている。彼の手に僕の手を重ねるだけだ。その前に彼は自分の手に消毒液をつけるからその時間も考慮して。

「さっさと終わらしてくれよ」


いっそのことあなたはこれから不運が起こり続けますという予言を出して欲しかった。

人間、少し堕ちるととことん深くまで堕ちたくなる習性があるのかもしれない。

「見えました」

少し期待して鴨志田の言葉に耳を傾ける。

返ってきたのはとんでもない答えだった。


「あなた全く不運になってませんよ。これまでと変わらずとんでもない強運の相が出てます。これまでもこれからも強運を保ち続けるでしょう」


僕の頭の中で何かが切れる音がした。

気のせいではなく実際に何かが切れたのかもしれない。それぐらい大きな確かな音だった。


僕は立ち上がり鴨志田の胸ぐらを掴んだ。


頭に血が上って言葉が出てこない。


後数秒で鴨志田を殺してしまいそうだった。

馬鹿にしやがって。こいつはどこまで人をコケにすれば気がすむんだ。


こいつはこれまでも強運と言った。


それは言い換えれば鈴木たちの死も運の良い出来事だと言っていることになる。


許せない…それだけは許せない。


そうだ、僕はこいつを殺すために今まで生きてきたんだ。

僕は何度も何度も落ち込んだ。

死んでしまおうと思った。

でも死ななかった。

この日のために。


今がその時だ。

だからそう、ここで全て終わらせて…

ギリリと音がするほどに拳を強く握り大きく振りかぶった。


終わりだ鴨志田。僕も、お前も。


ーー着信音。

それが僕の耳に入り、僕は握りしめた拳を下ろした。

携帯電話をポケットから慌てて取り出す。

画面には見覚えのあるニックネーム。

麻有からだ。


「もしもし?」

僕は溢れ出しそうな怒りを抑えて出来るだけ温和な声を出すように努める。

返答を待つも、30秒くらいしても言葉が返ってくることはなかった。


僕は不審に思って眉をひそめた。

ただならぬ気配を感じる。

まさか。

思いついたように腕時計を見る。腕を勢いよく近づけたせいで視界が揺れて、細い針を読み取るまで少し時間がかかった。


やっとのことで読み取った針。

それは最悪の時間を指していた。


19時41分。

20時11分まであと30分。

また、誰かが僕の前から消える。

終わることのない無慈悲な連鎖。

史上最悪のジンクス。

魔の20時11分は目前に迫っていた。


「助けて…」

消え入りそうなその声を僕の耳はかろうじて捉えた。

麻有の声だ。間違いない。

それはいつも家で聞くような、優しく力強い響きを持つものではなかった。

儚く壊れそうな響きを持っていた。

後ろでぎゃあぎゃあとうるさく泣き散らす聞こえる。

これは…聖奈の声。

「静かにして!」

麻有が怒鳴った。

いつもの叱りつける口調ではない。

パニック状態になってヒステリックに叫ぶような麻有らしくない声だった。


僕の心臓はさっき怒っていた時よりもさらに早いスピードで激しく鼓動し始めた。

「麻有!聞こえるか麻有!どうしたんだよ!」

取り乱しながら画面を穴が空くほどに見つめる。

「感染…者…が…」

僕の願いも虚しく、その言葉の直後に携帯はピロンと場違いに軽快な音を立てて切れた。

感染者。

麻有は確かにそう言った。それ以降は聞き取れなかったがその単語だけは聞き取ることができた。


「感染者…また、お前らかよ!」

僕は八つ当たりで携帯を床に投げ捨てて睨みつけた。

しかし気持ちこそ取り乱しているものの頭は驚くほどクリアで、僕はもう次取るべき行動を考えていた。


簡単なことだ。次すること、それはもう二度と大事なものを失わないように全力で走ること。


そう、走る…だけ。


僕は鴨志田の胸ぐらを掴む手を離した。

「不運が起こりそうですか?」

「ああ、お前いわく幸運が…な」

鴨志田はまだ僕を挑発してきたが僕は御構い無しに吐き捨てた。

「ふふっ。お元気で、強運人間さん」

「じゃあな。凡人さん」


僕は出口の方に向き直ると何も考えずに飛び出した。

出口を守っていたSPが少し遅れて僕に反応する。

立ちはだかる大きな壁の脇をすり抜けてさらにスピードを上げた。

そのままスピードを落とさず振り返らず。


19時41分。

20時11分まであと30分。

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