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運のいい悲劇  作者: 結城 真
5/10

不運2

ーー黒いリムジンは闇の中に溶け込むようにして道路を疾走していく。無言の2人を乗せて。まるで音を失った世界のようーー


見覚えのある家の近くの道にさしかかった時、車体が大きく揺らめいた。

鈴木は急ブレーキをかける。

「何だ?猫でも引いたか?」

僕は思わず首をすくめたが、相変わらず鈴木は無反応な男で眉一つ動かさなかった。

「少し外を見てくるので待っててください。申し訳ございません」

「ああ」

僕は端的に答えた。

「鈴木はもうすぐ着いたのに」と愚痴をこぼしながら運転席側のドアを開けて面倒くさそうに降りた。

ちょっと待てと、僕は言いたい。

普通あそこまで大きく車体が揺れたら少しは心配になるものではないのか。

猫でも引いた?猫を引くのはよくあることなのか?引き慣れているのか?

鈴木とは長い付き合いだったのだが僕は先ほどの意見の食い違いのせいで今になって彼という人間がどんどん分からなくなっていた。


鈴木は前方のタイヤから後方のタイヤまで順番に細かくチェックしていく。

「これはひどい」

窓を開けているので鈴木の大きな独り言が思いっきり聞こえてくる。

どうやら異常があったのは後ろのタイヤらしい。

「何があったの?」

「タイヤが思いっきりパンクしてますね。穴が開いちゃってる」

よかった。僕は胸をなでおろした。猫を引くよりかはパンクの方が何倍もましだ。

「スペアタイヤに交換します。これは少し時間がかかります。家まではもう目の前なので、よろしければ幸助さんは先に家に戻っていただいても…」

「いや、待つよ」

鈴木が最後まで言い終わらないうちに僕は答えて窓を閉めた。

家から近いとはいえ、徒歩で行こうとすれば軽く5、6分はかかる。急ぎの用があるわけでもないから音楽でも聴いて気長に待つことにした。


リムジンの運転はしたことがないが音楽の再生方法ぐらい何となくわかる。

モードをそれらしきものにして「volume」と書かれたつまみをひねれば…ビンゴ!

流れ出したのは古い洋楽だった。40年ぐらい前にヒットした曲だろうか、ちょうど僕の親の世代だ。

フォークギターが落ち着いたリズムを奏で、それに合わせてボーカルが少ししゃがれ気味の声で歌う。そのバックには大勢の人が同時に手を叩いている。

その曲のPVが鮮明に頭の中に浮かんできた。古い曲とはいえ、今でもCMやバラエティー番組のBGMで使われるくらいの名曲なので口ずさめる。

小さい頃は歌詞を一言一句完璧に覚えていた気がする。

何ていう曲だったかな。

子供の頃よく家で聞かされた曲なのだが曲の題名があやふやになっていた。

I want to be back? I want to go home?まあそんな感じだ。

訳すと「帰りたい」。小さい頃は英語など一切分からなかったから意味も知らずに聞いていた。

さびのところも訳せば「ああ帰りたい、帰りたい」

そんな曲だったんだな。

ストレートに言おう。変な歌詞だ。

意味が分かったうえで聞くと何だかおかしな曲で思わず笑ってしまった。


その後、夢中になって何曲も聞いたが全て古い名曲でほとんどが聞き覚えのあるものだった。


10曲、いや、15曲は聞いただろうか、そろそろ退屈してきて外の風を感じようと窓を開けた。

夜の冷たい風が吹き込む。

そういえば鈴木の姿が見当たらない。

夢中になりすぎて完全に今の自分の状況を忘れていた。

大体一つの曲が4分ぐらいだから合計で40~60分はたったことになる。

待てよ。

いやに遅いな。スペアタイアを交換するだけだからそんなに時間がかかるわけがないのに。

そう考えると急に不安になって、僕はドアを乱暴に開けて外に出た。


こんな危険なご時世だ。何があってもおかしくはない。

頭の中に不吉な考えが浮かぶと、それがあたかも現実のように思えてきて居ても立っても居られなくなった。

すぐさま安否の確認をしないと。

「うっ」

僕がろくに周りも見ずに走り出そうとすると誰かに当たった。

割と思いっきり当たってしまったので僕も向こうも尻もちをついた。

考え事をし過ぎて目の前の景色に意識がいってなかったので8割型僕のせいだ。


「痛た…」

尻を抑えながら倒れる時に反射的に閉じてしまった目を開くとそこにはごく普通の会社員の姿があった。

中年太りの眼鏡をかけた男だ。走っていたのか額からは大量に汗が出ている。

「申し訳ございません。大丈夫ですか?」

僕はすかさず起き上がって手を差し伸べた。

自分の尻ももちろん痛むのだが、この男性のほうが派手に転んだようで悶絶していた。

男を全身を使って引き上げるようとするが思ったよりも重くてうまく引き上げられない。

結局むこうが自分で起き上がった。

「あ、ありがとうございます。こちらこそす、すみませんでした」

男はペコペコと何度も頭を下げた。舌が回らず声も上ずっている。

さっきから一度も目を合わせてくれないしずっとブツブツと何か下の方に向かってつぶやいているし…

「いえいえ」

極度の人見知りなのだろうが、これは流石に度が過ぎる。ここまでの人は見たことがなかった。

もういい大人なんだからシャキッとしろよと思わず呆れてしまう。

「ケガはありませんでしたか」

僕は心にある負の感情を一切表に出さずに笑顔で聞いた。

立場上、一応他人と関わる時は相手が誰であろうと上品にふるまうように心がけている。

こんな見るからに会社でこき使われてそうなおじさんでも…だ。

そして長年の経験で、鈴木の口調を真似すると結構上手くいくものだと知っていた。


「あ、いえ、全然大丈夫です」

男は不器用な笑みを浮かべた。

「なら良かった。でも、どうしたんですか。とても急いでいるご様子でしたけど」

僕が尋ねるとおじさんは急にびっくりしたように目を見開いてさらにあたふたし始めた。

「いや、あの、そう、何がですか」

は?いや、こっちが聞きたい。「何なんですか?」と。

「ですから、何かあったんですか?」

僕は諦めずにもう一度問いかけた。

「べ、別に…何もっ、特には…」

はぁ…

表に出すまいと思っていたのに今度は思わず大きなため息を漏らしてしまった。

流石にこの焦りようで何もなかったということはあるまい。

僕とて、別段興味もなかったのだがおじさんを焦らせたいという意地悪な思いからか、自然と問い詰め始めていた。

「それにしては随分焦ってらっしゃいますね」

「いや、そんなことは…ははっ」

「何かあったんでしょう」

「な、何か?んと、も、申されましても…」

もう会話にすらならない。

諦めて視線を切る。

緊張が切れたのか、その瞬間におっさんは前のめりにつまずいた。

しかし僕はまた目を細めて男を下から上まで見た。

もう一度おっさんは表情をこわ張らせる。

小刻みに体を震わせて…か弱い小動物みたいだ。

視線を腰、腹、胸、首と上げていって顔を見たとき、何だか見覚えがあるような感じがした。

曖昧な感じなのだが割と確信に近い。

多分僕はこの人を見たことがある…

もしかすると、知り合いか?

僕と接点があるとすればどっかの社長か学生時代の同級生、大学の時にしていたバイトの同僚?

いや、同級生はあり得ないか。この見た目で僕と同い年はいくら何でもあり得ない。

というかよく考えたらそもそも僕は知り合いにこんなに人見知りはいない。

ここまで酷いければ流石に記憶にも残っているだろうし。

「あの…変なこと聞いていいですか?」

男は、へ?と間抜けな返事をして横目で僕を見てきた。

話しかけてんだからちゃんとこっち見ろよ。

だんだん僕は苛立ってきてつい心の中でぼやいた。

「はい、あっ、どうぞ、何ですか?」

「僕たちってどっかで会ったことあります?」

「ご、ごめんなさい。ちょっ、覚えてないですね」

即答だった。それはそうか…僕の思い違いか。

しかし男の表情は何かを誤魔化しているように見えて仕方がなかった。

僕はその後も少しの間おっさんを睨みつけていたが、一向に思い出せそうにないので目を閉じて姿勢を正した。

「そうですよね。ごめんなさい本当に変なこと言って」

とりあえずにっこりと笑っておいた。

まるで刑事ドラマみたいだと思った。

怪しいと踏んだ人物に刑事が質問をする、王道のワンシーン。

「では、僕はこれでっ。急ぎの用があるので」

男は無理矢理話を中断するとアスファルトに転がったハンドバッグを拾い上げて逃げるように去っていった。

疑われるのに耐えかねて逃げるようにその場を去っていく気弱な男性。

ここまでも刑事ドラマを再現している。

僕は変に感心して、心の中で拍手をしていた。

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