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運のいい悲劇  作者: 結城 真
4/10

不運

4 不運


肩を叩かれた。太い腕、血管が浮き出ていて力強く男らしい…

心地がいいので目をつぶったままでいると今度は肩を揺さぶられた。

僕はハッと体をそらして周りを見る。

鈴木が不安げな顔でハンドルを握っている。

「幸助さん、いったいどうしちゃったんですか」

僕は状況を把握できずに自分の手足を見る。

ここは車の中…で間違いないが、車に乗り込んだ記憶がまるでない。鴨志田の一言で僕の記憶は終わっている。

「僕、いつ車に乗り込んだ?」

鈴木は小さくため息をついた。

「やっぱり意識がなかったんですね」


鈴木が言うには鴨志田に予言されたあと、僕はいきなり椅子から崩れ落ちてしまったらしい。

そう言われてみればあの一言の直後、立ちくらみのように目の前が少しづつ暗くなっていった気がする。

僕が倒れたせいで会場は大騒ぎ。

ネット上で鴨志田を批判する人たちも多いため、そういった勢力がテントの中に危険な毒薬を放ったのではないかなどと解釈されたらしい。

ボディーガードもそういうことには敏感になっている。


そして車の中で待っていた鈴木は会場から悲鳴が聞こえたので駆けつけた。

僕がただ気絶しているだけだということを確認し、それを伝えて車に連れて帰った。

それで今に至るというわけだ。

会場が危険ではないことが分かったのでどうにかその後も占いは続行されたらしい。


本当に…続行されてよかった。

僕は胸をなでおろし、安堵の溜息を漏らした。

もし中断されていれば危ないところであった。

占いを楽しみにしていた鴨志田の熱心な信者たちに何をされるか分かったものではない。

ネットで悪口を書かれるか、嫌がらせの電話が来るか…いや、そんなのまだ生ぬるい。

下手したら家を焼かれるか殺されるまでありそうだ。

決して冗談ではなく、彼らはそれぐらいやりかねない。鴨志田という男はそれほどに人を魅了し支配する力を持っているのである。


僕はそのまましばらく車に揺られて窓の外の景色を見ていた。

ゆっくりと流れていく景色は僕の心を少し落ち着かせてくれた。


ーーあなたはこの後すぐに一度だけ大きな不運を迎えるでしょうーー


このフレーズが鴨志田の顔とともに何度も僕の頭にフラッシュバックする。

僕はふと思い出した。

意識を失っている間にもこの言葉を聞き続けていた気がする。

遠くから透き通った声が聞こえてきてーー

あれはまるで神様のお告げのようだった。


そこまで考えて僕は激しく首を振った。

これではあの狂った鴨志田信者と同じではないか。

もしかすると僕の精神はもう半分彼に支配されているのではないだろうかなどと考えだすと気味が悪くなって、自分の身の毛がよだつのが感じられた。

今僕の心にある感情は何なのだろう。

もちろん恐怖はある。

しかし、それよりも多く、心の大半を占めているのは興奮であった。

または興味とも言い換えられよう。

僕はどうしようもなくワクワクしていたのだ。

大きな不運など物心ついてから経験したことがないから…

つまりほぼ初めての体験なのだ。舞い上がるのも分かってもらいたい。


「幸助さん、聞いてますか?」

「は?え?っとなんだっけ」

僕は間抜けな顔で聞き直した。

どうやら僕が考え事をしている間に鈴木は何度も呼びかけていたらしい。

「ですから、もうあんな無茶はしないでくださいよ」

鈴木は怒っているような悲しんでいるような浮かない表情で言った。

今回ばかりは僕もいつものように「はいはい分かったって」と無下にすることはできない。

話に聞く限りかなりの大騒ぎだったようだし鈴木もだいぶ心配した違いない。

「分かったよ、迷惑かけてごめんな」

結局素直に謝った。

鈴木はすぐには許さず厳しい表情のまま落ちて来た眼鏡をくいっと上げた。

「私は全然大丈夫ですが…自分の体はもっと大切にしていただきたいです」

この歳になって説教をされるとは。

僕は無性に恥ずかしくなってきて決まり悪く頭をポリポリと掻いた。

「うん、すまん。それに他のお客さんにも迷惑をかけてしまったし…」

「それも否めませんね」

鈴木はハンドルを切って直線の道にくると少し上を向いた。バックミラーで僕の様子をチェックしている。

「あの会場の雰囲気。あれは相当危険でしたよ」

おいおい、まだ続ける気かよ。

鈴木の説教はいやに長ったらしい。後30分?いや、45分くらいはかかるだろうか、先のことを考えると思いやられてひどく憂鬱な気分になった。


鈴木はカーブに差し掛かると視線を前方に戻し無表情でハンドルを切る。

僕は鈴木の運転がいつもより荒々しいことに気づいていた。

機嫌が悪い時、彼はミント味のガムを食べる。多分興奮した気持ちを落ち着かせるためなのだろう。

今、いつも運転席に一番近いポケットに入っているガムの缶が助手席側に出ているから間違いない。

恐らく僕が後先考えず危険なところに行ったことに腹を立てているのだと思う。


鈴木は自分の身より僕のことを心配するような男だった。

例えば今、僕が誰かに銃を向けられたとしたら鈴木はすぐさま銃と僕の間に入り込んで身を呈して銃弾を防ぐだろう。

恐れを見せることさえもないと思う。

飛躍した例えだと言われるかもしれないが実際に似たようなこともあったのだから冗談とは言い切れない。

あくまで彼の職業は運転手のはずなのだが、ほとんど運転手兼ボディガードみたいなものなのだ。

それは別段僕が頼んだわけでも、ボディガード分の給料を払っているわけでもない。全て彼の善意。好意。無償の愛というやつである。


僕ももちろん鈴木を心から慕っている。

最初は無表情で愛想がないつまらないやつだと思ったし、今でも決して会話の量が多いわけではないがそれでも僕と鈴木の間には強固な信頼関係が成り立っていた。

あまり会話をしない中にも…いや、あまり会話をしないからこそ返っていい関係を築けるのだと思う。

もっとも「僕たち信頼しあってるよね」などという考えただけで鳥肌が立つような馴れ馴れしい確認はしたことがないので鈴木が実際のところ僕のことをどう思っているかは僕にも分からないが。


鈴木を心配させない。これが僕の考える今一番優先すべきことであるということは分かった。

こう見えても鈴木は極度の心配性だ。

僕が倒れたというだけでも相当なショックを受けたに違いない。

実際に今も情緒が不安定で八つ当たりのようにガムを次から次へと口に放り込んではゴリゴリと乱暴に噛んでいるわけだし…

とにかく、ストレスを与えては体にも良くないだろうしこれ以上心配をかけるのはやはり得策ではない。

僕は強く決心して、あの会場を思い出すと体の底から溢れ出てくる吐き気とめまいを必死に隠していた。

気づかれないようにポーカーフェイスを貫く。

ダラダラと額に汗を流しながら格闘を続けていた。


鈴木は赤信号で車を止めた。

膝を手で打って信号機を急かすようにしている。やっぱり今日は相当機嫌が悪い。

「鈴木?大丈夫?」

僕は流石に心配になってミラー越しに鈴木の顔を見ながら尋ねた。

「はい?何がですか?」

「なんかイライラしてるみたいだったから。」

僕がそう言うと鈴木はびっくりしたように振り返って丸い目でこっちを見てきた。

それはまるで何故イライラしているのがバレたのか分からないといった様子。

まさかあれでも彼なりに隠しているつもりだったのだろうか。あれでバレないと思っていたというほうが驚きである。

「いや、そんなことないですよ」

鈴木はすぐにいつもの無表情に戻って平静を装いながら言った。

いつもは完璧主義者の風格を漂わせるその表情も状況が状況だと必死に動揺を隠しているようにしか見えず、どこか愛らしく見えた。

僕が思わず笑ってしまったので鈴木は細い目でキッと僕の方を見た。

「何がおかしいんですか」

僕は笑いながら首を横に振った。

「別に隠さなくたっていいんだよ」

「言っている意味が分かりませんね」

鈴木は僕にからかわれているのが面白くないのかいつもよりいっそう表情を暗くして「そんなことより…」と話題を変えようとしてくる。

「そもそも占いで気絶なんて、いったい何があったんですか」

鈴木はメガネを指で上げて仕切り直しといった様子で切り出した。

珍しい質問ではなかった。当たり前の疑問。僕の予想の範囲内。

しかし、僕の恐れていた最悪の質問でもあった。

あの予言について触れなければいけないからだ。

予言の内容は少し衝撃的なものであるから今の鈴木には出来れば話したくなかったのだが。


「予言されたんだよ」

僕は諦めて目を伏せながら言った。出来るだけ端的に鈴木の興味を煽らないように気をつけて。

「何と?」

まぁいくらあがいてもそうなるよな…

当たり前だ。僕が鈴木の立場でも間違いなくそう聞き返す。

予言されたと言われて内容を聞かない奴などいるはずもない。

よって、当然話はこう進む。


こうなってしまった以上は仕方ない。プランCだ。

僕は頭の中で幼稚なミッションを自分に課しながら話を進めた。

こうでもしないとやってられない。


とは言ってもプランCは決して大それた作戦ではなかった。

なんてことない、最後の悪あがきだ。

出来るだけ平坦な口調で答えるというプラン。

僕がさも平気であるかのような口調で話して鈴木の心配を緩和する。地味だが少しは効果を期待したいものだ。

苦し紛れの打開策だがやるしかない。

こういうのは勢いなんだ、勢い。

僕は自分を奮い立たせ思い切って口を開いた。が、鈴木があまりにも険しい表情をするので口を開いた状態のまま硬直してしまった。

引き下がるわけには行かないと無理やりに声を出そうとして僕はどうにか踏みとどまった。

こんなに勢いをつけて言ったのでは全然平坦な口調になるはずもないと気づいたのだ。

だからもっと落ち着いて、平坦に…


「僕はもうすぐ大きな不運を迎えるんだって」

「…」


答えはなかった。

僕が散々迷いながらもどうにか口に出したって言うのに…

鈴木は黙って目線を下に下げる。暗くて僕からは表情がよく見えなかった。

プランC成功?

何だか予想と違う展開だ。

雲行きがあやしい。

鈴木は聞こえていなかったのかと疑うほど何の反応も示さなかった。返答に困っているのだろうと少し時間を置いたのだが一向に話し出す気配はない。

それとも衝撃で声が出ないのだろうか。

僕は場が静まってしまったことへの気恥ずかしさからか、頭の中でごちゃごちゃとくだらない仮定を並べ始めていた。


「聞こえた?」

僕が心配になって聞くと鈴木はフフフッと小さく笑った。

鈴木の笑い声など何年ぶりに聞いただろう。不自然に口角の上がった不気味な笑い方である。

「馬鹿馬鹿しい」

鈴木が暴言を吐いた。こんなことももちろん滅多にない。

今日は珍しいことづくしである。

「予言なんてどうせ当たりやしませんよ」

鈴木はそうつぶやくと笑うのをやめてまたすぐにいつもの真顔に切り替えた。

僕に言っているというより自分に言い聞かせているような口ぶりだ。


僕は鈴木の適当な態度にだんだん腹が立ってきた。

少しぐらい心配してくれるだろうと思っていたのにいざ話してみたらこの対応だ。

正直失望した。

「鴨志田はそこらへんの占い師とは違うんだよ」

僕が言い返すと鈴木が呆れたようにため息をついた。

「何故そう言い切れるんです?」

何故?そう聞かれると確かにはっきりとは答えられない。

「幸助さんはもうすでに洗脳されかけているんです」

鴨志田は返答に困っている僕を待つことなく続けた。

僕自身さっき、もしかするとそうなのではないかと考えたところだったので咄嗟に否定することが出来なかったのだ。


「でも彼の予言は実際に全て当たっているんだよ」

僕はもはや本当に彼の能力を信じているのか、それとも鈴木に言い負かされて自分が間違っていたと認めるのが嫌で無理矢理肯定しようとしているのかが自分でもよくわからなくなってきていた。

「占いや予言というのは万人に当てはまりそうなことをもっともらしく言っているだけなんです」

僕の返す言葉はことごとく潰されてしまう。

鈴木はどんな時もその場の勢いに飲まれず落ち着いて物事を論理的に考えることに長けていて、それを生かして口論するからタチが悪い。

事実、僕も会場にいた時はあれほど確信を持っていたのに、今は鈴木の方が断然正論のような気がしてきてしまっていた。

「幸助さんがされた予言だってそうです。曖昧な表現が多用されているでしょ。すぐとか大きなとかそういったものは人それぞれの価値観でその言葉が表す範囲が変わるものばかりです。不運にしても具体的に何が起こるかについては全く触れていないし…第一…」

「でも、鴨志田は実際テレビでも予言を的中させているんだよ」

僕も簡単に引き下がるわけにはいかなかった。

つまらない意地だがもう張ってしまったものは取り返しがつかない。今ここで譲ってしまっては言い負かされたことになってしまう。

もはやただダダをこねている子供みたいであったがそんなみっともない醜態を晒しながらも僕の無駄に高いプライドは鈴木が正しいと認めることを許さなかった。

それに主張するのは今だ。こっちには決して曲がらない事実がある。

スタジオで見せた「100発100中」。

これこそが決して動かない強固な事実である。


僕の渾身の一言にも鈴木は全くたじろがなかった。

それどころか鈴木はガムを口から包み紙に出すと、スーツのポケットに入れた。

それが何を意味するのか分かった途端、僕は自分の顔が恥ずかしさと悔しさで火照っていくのが感じられた。

イライラしている時に食べるガムを吐き出した。

つまり、その行為は苛立ちが収まって気持ちが落ち着いてきたサインなのである。

そしてそれが意味することは一つ…

鈴木は僕とのやり取りを口論とすら思っていない、ということ。ただ駄々をこねる子供をなだめているだけ。

本来、口論中に興奮が収まるなんてことはないはずなのだ。

僕の渾身の一撃は簡単に散った。

鈴木はハンカチで口を抑えて咳をすると余裕しゃくしゃくといった感じで続けた。

「先ほど幸助さんを待っている時にその動画を拝見致しましたがやはりあれも曖昧な言葉を並べたにすぎない」


僕はここ3年ぐらいで一番大きなため息をついた。

「もう分かったよ。いいよ」

これ以上説教じみたことを続けられるのだけは御免だった。

僕はすぐさま降参の意思を示すとふてくされて窓の外を見た。

僕はもういっそのこと本当に不運が起こってしまえばいいと思っていた。

投げやりになるとさっきまで思わず気絶してしまうほど恐れていた不運が急にちっぽけなものに思えた。

鈴木に笑い飛ばされて、そんなものにおびえていた自分があほらしく、恥ずかしかった。


鈴木は言いたいことを全て言い切り、僕を論破し…ようやく気持ちが落ち着いて普段の調子に戻ってきたようだった。

もっともそれとは正反対に僕の心が荒み始めたのだが。

「もうすぐ着きますよ」

鈴木が言ったが僕はもちろん無視した。

自分でも子供じみた仕返しだと思う。

僕が何も黙りこくると鈴木ももうこれ以上話しかけてこなかった。

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