第六十二話:凶剣
町の一角には小さな道場が設けられている。
道場とは名ばかりで、決まった流派はないし、そもそも道場の管理者たる師範代がいない。
無人駅ならぬ無人道場を利用しているものを悠が見た記憶は、たったの一度だけだった。そのたった一度目も、男性に淫らな行為を及ぼうとした不届き者ではあったものの、大変珍しい双方合意によるものだったので、口出しすることなく立ち去った。
今日の道場も、案の定の無人。しんと静まり返っていて、打ち込み用の巻き藁だけが寂しくぽつんと立っているのみ。そこに三人分の足音を静かに木霊させて、さて。ひゅん、と風を切る音を立てて、楓が投げ寄こしてきた木刀を受け取った。
「それじゃあ、始める前に一応決めておこっか。勝敗はどうする?」
「負けを認める、もしくは気絶などの戦闘不能状態に陥ったらってことでいいだろ」
「いいね。とっても単純でわかりやすい。それじゃあ間違っても顔は狙わないようにしないとね。私様好みだし」
「遠慮は無用。実戦じゃそんなこと絶対に言わないだろ?」
「……いいね、気に入ったよその目。さっきのは冗談。手合わせでも本気の本気。遠慮する方が失礼だもんね!」
杞憂であったようだ、わかりきっていたことなのに。まっすぐな剣気を向けられておいて、その意図に気付けぬようであれば武人として恥を晒すことも同じ。剣を握る資格すらなしと罵られても致し方なし。
相手が全力で戦ってくれるのだ、ならばこちらも持てる全戦力で迎え撃つ。口角を綻ばせる悠は了承の意志として木刀を構えた。龍旋の構えである。
「……俺にとっても、そうしてくれる方がありがたい。それじゃあ、ここは一つ」
「うん! いざ尋常に勝負!」
これより先に言葉は必要なし。戦いが、始まった。
開始早々、悠が目を丸く見開く。
(なんだあの構えは……)
いや、そもそもあれを構えと継承してもよいものかどうか。彼の記憶に宿る流派のどれにも属さない、生まれて初めて見る奇形剣。腰を低く落とした姿勢。それは誰しもが知っている構えととても似ている。陸上競技にて四百メートル以下の短距離種目で行われる、屈地走法……それよりも前傾姿勢が強い。
同時に、空気が凍った。
微かな風の音や吐息すらも遮断された、無音に近い空間で悠はしかと敵手を見定めた。
あれは、余程初速に自信があると見える。さもなくばただの傾奇者か。
相手の意表を突くには確かに、彼を戸惑わせたから成功しているとも言えよう。あんな構えは存在しない、馬鹿げている。型がなっていない、などと愚言しか垂れ流せぬような輩は、戦場を知らない。確実に勝利を得るために編み出された技術は、歴とした殺人技法が剣理や術理などと呼び名を変えているだけにすぎぬと学ぶべし。
悠が相手にするのは人外だ、変則的な動きをされることこそ常である。いちいち指摘するのは無駄な徒労だ。
「いっくよ~!!」
楓が地を蹴り上げた。独特な構えによって繰り出されたのは、超低姿勢による疾走。その姿はさながら蛇のようであり、または蜘蛛のようでもあり、あるいは両方でもある。本来ならば両立しない二種類の性質を兼ね備えた走法を、彼女はやってみせた。即ち、地上すれすれの低空飛行であった。まっすぐ、悠へと向かって飛んでいく。
「――――」
これに迎え撃つが鳴守真刀流。双方が刃を交えられるまでに与えられた猶予は、刹那。その最中にて悠の脳内では回避という選択肢は既に捨てられていた。
避けてから、相手が止まったところを狙えばよい、などという考えは正しく愚行そのもの。瞬時に方向を切り替えて追撃を仕掛けることなど、御剣姫守であればなんなく可能にしてしまえる。
与えられた選択肢は、迎撃のみ。だがここでも彼が取れるべき行動も限られた。中段、ならびに上段から派生する攻撃はまず使えない。相手の位置が低すぎる上に、振り切ったとしても仕留められるだけの威力が出せるとも考えにく。
下段からの攻撃はどうか。不可能ではない、が危険があまりにも大きすぎる。
下段とは主に守りの構えであり、いかなる動きにも自由に応じられるが、攻めという点においては不向きである。ましてや、爆進する勢いに加えて御剣姫守の膂力によって生み出される凶剣に、どう足掻いても勝てないと悠は結論を下していた。
要するに、詰み。何もすることができぬまま彼女から手痛い一撃をもらって昏倒するのが悠に与えられた結末か――断じて、否。非常識な連中ばかりと刃を交えてきた経験が、彼を突き動かした。
「――――」
真上への跳躍。回避をすれば無抵抗なところを迎撃される行動を、彼は取った。どうしてそんな愚行を、と唱える者は彼についての理解が足りないと罵られても無理はない。
その証拠にこの仕合を静観している千年守鈴姫の顔は、開始してから一度も変わっていない。仕手が何をしようとしているか、彼女はわかっている。だから声にして出すこともないし、狼狽することもない。
縮地をも可能とする悠の脚力ならば、天井にまで届くことは造作もない。高さはたったの三メートル。くるりと器用に身を転じた悠は、上空に足場を作った。瞬く間もなく、再度跳躍。
地上へと落下する剣鬼の先には、楓の背中が迫る。真上からの攻撃こそ、彼女に打ち勝てる唯一の方法は、皮肉にも自身の生存を顧みない【鬼ノ闘崩】であったことに、悠の顔にも自嘲気味な笑みが浮かぶ。
鳴守真刀流、【鬼ノ闘崩】龍威・射――生きることを選んだから、この技も二度と表舞台に出ることはあるまいし、彼自身が許さない。
(取った!!)
切先が楓の背中に触れて――
「あまいんだなぁ、これが」
――ぞくりと、肌が粟立った。
これは仕合だ。本気でやっても命のやり取りではない。だから冷たい刀身を首筋に添えられるような殺気を察したのは悠だけではなかった。
「悠!!」
放たれた矢の如く、千年守鈴姫の双刃が割って入った。仕合に加勢した、これがどれだけの無礼極まりない行為であるかを知らぬ彼女ではない。
どのような結果に転ぼうとも手を出さぬと静観に彼女は徹した。その決意が揺らいでしまうほどの殺気を当てられたものだから、千年守鈴姫は動いた。
愛刀としての仕手を守らんと、役目を果たさんとした彼女には剣鬼も非難しない。今回の行動が極めて正しかったことが、悠の手にある両断された木刀が強く主張している。
(嘘だろ……)
身を転じての迎撃。楓がやったのは、たったそれだけにすぎない。小細工を弄してもいなければ、刃戯による不正行為もしていない。得物も元から用意されたものだから、互いに細工を施すことももちろん不可能。人種ということさえ除けば、この仕合は公平な下に行われたもの。
だから遠くに転がっていった刀身を、悠は呆然と見つめることしかできない。
「――――」
本当ならば自らに訪れるはずであった結末を理解して、どっと冷や汗を流す彼の顔からは血の気が引いていく。千年守鈴姫がもしも、彼女の木刃の間に入ってくれなければ、今頃は柄だけが残されている木刀と同じようになっていたに違いない。
「ちょっと、乱入するなんて卑怯じゃない!」
「ボクは愛刀としての務めを果たしたまで。主は……悠は絶対に傷付けさせない」
「こんなところにいたのか!?」
驚愕冷めやらぬところに、また新手の要素がここに加わった。息を乱す童子切り安綱の顔は安堵と怒りの両方で構成されている。その矛先が捉えているのは、確認するまでもなかろう。げぇっ、とわざわざ声に出した楓が気まずそうにしている。
「安綱さん……!」
「隙を見て逃げられるとは、我の失態だな。楓を探していたところに、貴様らがこの道場に向かったという情報があってな。まったく……貴様は自分が保護観察対象である自覚があるのか!? 目を盗み逃走するだけでなく、まさか悠と仕合までしているとは!!」
「ちょ、ちょっとだけだから。まだ一太刀分しか打ち合ってないからね私様達。ね、ねぇ悠!?」
「え、あ、あぁ……。まぁ嘘ではないな」
「とにかくだ!! 今後許可が下りるまで我の目から離れることは何があろうと許さん。保護観察役として、今から厳しくいくから覚悟しておけ!」
「あ、ちょ、引っ張んないでって! 自分で歩けるからぁぁぁ……っ!!」
首根っこを掴まれて引きずられていく楓を見送って、悠はもう一度断たれた木刀に視線を下ろす。
「…………」
負けた。否定する気も起らないほどの実力の差をありありと見せつけられた。
千年守鈴姫の加勢なくして生き長らえていないことも、受け入れねばならない。もっと強くなりたい。
その術を探すためにも、また彼女との手合わせが自分には必要だ。しばらくは弥真白には帰れなさそうだが、まぁ差して問題もあるまい。今までだって、彼なくしても小狐丸らやり繰りしてきたのだから。
俺はもっと強くなる。決意新たに、悠は愛刀を引き連れて道場を後にする。壊れた木刀の弁償は、とりあえず三日月宗近に相談することにした。




