第七話:武士道とは死狂ひなり
場所を変わり、作戦会議室に悠は移る。
誰かが用意してくれたのだろう朝食は、まだ湯気が昇り温かい。
ご飯、味噌汁、ほうれん草のお浸し、焼き魚――日本独特の質素で、しかしご馳走に部類される料理は見た目だけで食欲がそそられる。
「いい匂いがしますね……」
「そ、そうか? ま、まぁ女ばかりの所帯だ。我々でやっていかねば飯にもありつけんからな」
「とかなんとか言って、安綱って材料を切ることぐらいしかできないじゃん。なに自分はいかにもできますって風に嘘言ってんの?」
「だ、黙れ光世! 人参を花形にすら切れない貴様に言われたくはない!」
「そんなことできても食べたら一緒だし!」
「まぁまぁ二人ともその辺にして。悠もほらっ、座って座って。お腹空いたでしょ?」
「えぇ、恥ずかしいことにめちゃくちゃ……」
よくよく考えてみれば、大和へと来てから何も口にしていない。
非現実的事象に思考が処理しきれず、空腹など感じなかった。
人間とは、適応能力が優れている生き物だ。
環境に馴染んでさえしまえば、身体はいつも通りの働きをする。
一日分を抜いた食事を支払えと訴えるように、腹部より情けない音が鳴った。
「えっと、あんまり美味しくないかもしれないけど食べてよ悠」
クスクスと笑うエプロン姿の鬼丸国綱が、どうやら天下五剣の炊事係であるらしい。
異世界へと来て、ようやく女性らしい女性を見た気がする。
ただそれだけのことに、悠は感動を憶える。
ともあれ、冷めない内に頂くとしよう。
残すのも冷ますのも、調理した人間に対する無礼だ。
悠は朝食を貪った。
「美味しくないなんてとんでもない。見た目もばっちり、味も問題なしですよ!」
「よ、よかったぁ」
「因みに、他の方はできないんですか?」
「三日月はまだできる方だけど、うどんしか作れないし。後の面々は全然だね。だから僕がいっつも作らされてるんだ」
「そうなんですか。なんだか、大変ですね」
「本当だよ。でも男の人に美味しいって言ってもらえてよかった」
この世界でなら、きっと彼女も上手く生きていけたに違いない。
亡き婚約者のことを想い、込み上がる罪悪感を抑えながら悠は朝食を貪り続けた。
「ところで悠さん。昨日のお話についてですが……」
「えぇ、その件について俺も言おうと思っていたところだったんです――俺を、桜華衆の一員として働かせてもらえませんか?」
同じく食事をしていた天下五剣の箸が、ぴたりと止まった。
続けて、歓喜の色が彼女達の顔に浮かび上がる。
そんなにも男が同じ職場で働くことが嬉しいのだろうか。
嬉しいのだろう。男と無縁な生活を何百年と送り続けた彼女達からすれば特に。
社内恋愛に憧れる卒業を控えた学生のような妄想を、悠は否定するつもりはない。
妄想するだけならば自由なのだから。
否定する権利は誰にもない。
「そうかそうか! ついに決心したのだな悠よ。うむ、いいだろう。ではこれからよろしく頼むぞ。わからないことがあればこの童子切り安綱を頼るといい、どんな些細なことであろうと全力で貴殿の力となることを約束しよう。さぁ今すぐ何か困っていることがないか相談して――」
「安綱がっつきすぎでマジでキモいんだけど。悠だってあんなにがっつり系より光世みたいな方が絡みやすいでしょう?」
「運命キター!」
「悠と一緒に料理したり、お掃除したり……えへへ、なんだか照れ臭くなっちゃうね」
「皆さん落ち着いてください。悠さんが困っています。ですが、まぁ、その……嬉しいと思う気持ちはわからないでもないですけど」
異様なテンションの高ぶりに、悠は頬を引きつらせる。
桜華衆の一員として働くことに相違ない。
しかし、彼女達が思い描いている未来とは異なる未来なのだ。
今からそれを伝える悠としても、三日月宗近達を落ち込ませることに罪悪感がないわけではない。
けれども、伝えなければならない。
「確かに桜華衆で働きたいです。だけど俺が望むのは本部じゃありません」
しんと、一瞬にして作戦会議室は静寂に包まれた。
先ほどまでの笑みが打って変わって無表情へと変わる。
何を言い出すんだこいつは、と言いたげな視線が向けられるが言わねばならない。
悠は続けて言葉を発する。
「炊事も洗濯も、まぁ前の世界ではやってきてましたらもちろんできます。だけど俺の本質は剣術です。腰の刀を飾り物にしたまま終わらせたくないんです」
鬼を討伐した夜、悠はひたすら自問し続けた。
何故、自分がこの世界へと導かれたのか。
この疑問に対する答えが得られるのは、きっと当面先になるだろうと思う。
物語の序盤で全てを読者に教えてしまう作品ほど、つまらない物はない。
だから自分なりに考察して、仮説を立ててみることにした。
これは、やはりと言うか。神様が俺に与えた罰なんだろう。
刃の罪は刃を以って償うべし。未だ大和を脅かす鬼をこの世から消し去れと言う啓示。
だから俺は、この世界にいる。多分だが。
「な、何を言っているんですか悠さん! そんな危ないことに悠さんにさせられるはずがないでしょう!」
「これは俺が決めたことなんです。どうか理解してください」
「ふむ、ならば遠慮なく言わせてもらおう悠よ――図に乗るな、小童が」
瞬間、誰しもが顔を強張らせた。
悠とて例外に漏れず。
わいわいと皆で囲んで食事を楽しむ場所には不相応な気が満ちる。
ただ一人だけ、普段と変わらぬ顔を浮かべている者がいる。
元凶である童子切り安綱だ。
彼女からはこれでもかと言うぐらい、怒気が放たれている。
「一度鬼を倒せたぐらいで粋がるな悠よ。確かに男であり……いや、人でありながら鬼を斬ったことは見事と認めよう。だが鬼は未だに人の脅威である。我ら御剣姫守とて生きて帰れるかわからないほどにな」
「……今更死ぬことに恐怖を抱いたりはしませんし、後悔もしません。死んだらそれまで、結城悠と言う男はそれだけの価値しかなかったと素直に諦めます」
結城悠はあの日、自ら命を絶っている。
致命傷で助からないように刃を刺したにも関わらず何故生きているかは、さておき。
愛する者をこの手で殺めた時から、結城悠に生きる価値はなくなった。
そんな男がのうのうと生きていれば、殺した彼女への冒涜となる。
だから俺は人間を止めて一振りの刀となろう。
鬼を斬り他人を守るためにこの身が朱に染まり壊れるまで戦おう。
それが自分にできる唯一の罪の償い方だと、悠は信じて疑わない。
今の悠にとって、戦場に出ることはさして問題ではなかった。
「いい加減にしろ悠よ! 貴様は己の命をなんだと思ってるんだ!?」
「最初に話を持ちかけたのはそっちですよ童子切り安綱さん。もし駄目だって言うのなら、俺一人で勝手にさせてもらいます」
「それは駄目ですよ悠さま。それは数珠丸と紡ぐ運命には含まれていません」
「皆落ち着いて! ねぇ悠、君は……本気で言っているのかい?」
「冗談で言っているように見えますか?」
「ううん。だからこそだよ。安綱の言う通り止めておいた方がいい――いや、止めさせる。鬼は君が思う以上に強い。僕達だってこうして生きているのが不思議なくらいなんだ」
「それでもです」
「わかりました」
三日月宗近の一言に天下五剣にどよめきが起こる。
一方で、悠は真っ直ぐと三日月宗近の目を見据え返した。
美しい顔立ちはそのままで、されど剣士としての目をしている。
恐らく、彼女は承諾と言う意味で言ったのではない。
「宗近ちょっとマジで言ってんの?」
「意外だね宗近。だけど僕は反対だよ」
「同感だ。貴様血迷ったのか三日月!?」
「こんなの……明るく幸せに満ちた未来に相応しくありません!」
「わかっています、私とて皆さんと気持ちは一緒ですから――悠さん、どうしても貴方は前線に出て戦いたい……そう仰られるのですね?」
「はい」
「では、一つだけ条件を出しましょう。結城悠、戦場に立ちたくば、私達天下五剣に見事打ち勝ってみなさい」
あぁ、実にわかりやすい。
組織とは個に非ず。群となって動くもの。
一人でも動きを乱せば瞬く間に統率は失われて、死の危険に仲間を晒す。
故に共に戦場に出たければ、結城悠の力を示せと彼女は言う。
なるほど。実に単純で合理的だ。
どれだけ意欲だけがあっても、実力が伴なっていなければ意味がない。
ならば、己がやるべきことは一つしかない。
「武士道とは死狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの……か」
剣鬼は、己の価値が戦場でしか輝かぬと理解していた。
たった五人の剣士相手に勝てずして何が剣鬼か。何が鳴守の剣士か。
やってやろうではないか。腰の得物を静かに握る。
「……本当に、それでいいんですね?」
「もちろんです。ただし、負けた時は素直に私専属の従者になってもらいます」
「ちょい待ち三日月。そこはさ、共有財産って言うのが普通だと光世は思うんだけどなぁ――まぁ、最終的には光世の彼氏になるんだけど?」
「寝言は寝て言え光世」
あたかも、最初から結果がわかりきっていると言わんばかりの雰囲気だ。
人間を相手に二回殺しただけの悠と、人外と何十年と戦い続けてきた御剣姫守。なんの自殺行為だと、きっと他者の目には映るだろう。
だが、負けない。負けられない。
刃を手にしてから十数年。
彼女達の足元にも及ばない人生の中で培ってきた技術を、育んできた肉体を、あらゆるもの全てを総動員させて挑み討つのみ。
「ですが悠さん。貴方には私達と試合をする前に三日間の猶予を与えます」
「どうしてですか?」
「もう一度よく考え直して頂きたいからです。本音を言えば私は貴方と戦いたくないし、傷付けたくもない。貴重な男性は安全な場所で生きていてほしい……それが私の、いえ全ての女性の想いですから」
「……興味ないですよ、そんなこと。俺の生き方は、俺自身が決めさせてもらいます」
悠は不易な笑みを浮かべた。
何故か全員の頬はリンゴのように紅潮したように見えるのは、きっと気のせいだろう。
約一名が下腹部の辺りを撫で回したのは、気のせいだと思いたい。