結城悠の大晦日
しんしんと雪が降ろうとも、高天原の住人の活気は衰えることはない。
そればかりは普段よりも満ち溢れていると言っても過言ではない。今年も後少しで終わろうとしている。また来年も無病息災邪鬼滅殺でいられるための準備をしている彼女たちの顔は実に生き生きとしていた。
今年も後少しで終わろうとしている。町の警邏に当たる中で、悠はふと微笑みを浮かべた。どういうわけか、ここ一週間ほど前から鬼達による被害がぴたりと止んだ。嵐の前の静けさやもしれぬが、ひょっとすると普段厄災でしかない彼らにも大晦日や正月といった概念があるやもしれぬ。
わざわざ知りたいとも思わないし、確認したいとも思わないが。いずれにせよ攻めてこないのであれば悠だけでなく高天原にとってはとても喜ばしいことなので、是非とも大人しくしてもらいところだが。ともあれ、油断はしない。
警邏を切り上げて、悠は弥真白支部へと戻った。この後彼には全員分の年越しそばを作るという使命が待っていて、手伝いを名乗り出てくれた四名の御剣姫守とセクハラをしようとしてきた駄狐には丁重に台所から放り出して、さて。
「そばなんて作るの、久しぶりだな……」
最後に母と一緒に作ったのは、はて何年振りだったか。
悠としては年越しそばはいつも贔屓にさせてもらっている定食屋で頼むつもりだった。
しかし、何としてでも“悠が作ったものしか食べない”と駄々をこねられては首を横に振るわけにもいかず。ましてや隊長命令という清々しいまでの職権乱用を振りかざされては、さしもの悠も諦めるしかなかった。
もっとも、そば一杯で休暇がもらえるのであれば、考えようによっては安い仕事である。
休暇をもらえたらな、また神威に行くとしよう。あそこにはまた行きたいとは思っていたし、なによりも調べたいことがある。
せっせとそば粉を練り上げて、麺に仕立てていく。そこにひょっこりと、この神聖なる領域に顔を覗かせる者がいる。実休光忠だ。
「そば作りの方は順調か悠よ。あ、ワシそばは大盛で」
「光忠さん。わかりましたから皆と大人しく待っていてください。心配しなくてもそばは逃げたりしませんから」
「わかっとるわ。いつも苦労しておるお主を手伝いにきてやったというのに」
「光忠さんが?」
これは意外な言葉が本人の口より発せられた。思わず作業する手を止めて、悠は眼を丸くする。実休光忠の普段の素行から考えて、自ら手伝いをすることなどありえない。よもや、化けられる異能を持った禍鬼ではあるまいな。腰の得物に手を伸ばしかけて、怒った様子で当事者からの否定が入る。
「なんでそうなるんじゃ!? いや確かに? いつものワシからすればそりゃありえんじゃろうて。しかし今日ぐらいはねぎらってやろうと思ったのに、いくらなんでもそれはちとばかし酷くない!?」
「普段の行いって大事ですから……」
「ひどっ! ふん、ワシもう知らん!」
「あ……」
ぷいとそっぽを向いた実休光忠に悠は頬を掻く。こうなってしまった時の彼女の機嫌を取るのは非常に面倒くさいからだ。しかしながら当の本人も本気で怒っているわけではないことを悠は知っている。
もしも本当に怒っているのなら台所からさっさと出ていくはずだ。それをしないのは彼女自身もそのつもりが一切なくて、構ってもらえる口実を待っているからに他ならない。
甘やかすな、と第三者――特に童子切り安綱がいれば絶対にそう口にするだろうが、
「わかりましたよ。すいません疑ってしまって。お願いです、今から少し手伝ってもらえませんか?」
「……つーん」
「はぁ……仕方ない。それじゃあ手伝ってくれたらお礼にお酒をご馳走します。この前男茶会で酒屋の息子さんからいいのをもらったんですけど、一人で飲むのはもったいないし、それに俺自身あまり飲めないからどうしようかなって思ってたんで」
「し・か・た・な・い・のぉ。人手がほしいのなら素直にそう言えばよかろうに。安心せい悠よ、このワシが来たからにはそば作りなど一発じゃ!」
「ありがとうございます光忠さん。ですが、あまり派手にやらないでくださいね?」
「わーっとるわーっとる! 宝船に乗ったつもりで任せい!」
すっかり上機嫌になった実休光忠に呆れを含んだ笑みをふと浮かべて、と同時に。なんとも言えない不安に悠の顔は見る見る内に曇っていく。やはり、彼女に手伝ってもらわなかった方がよかったかもしれない。今ならばまだ断れるだろうか。そう思って、口に出そうとした。
時既に遅し。いや、口は災いの元の方が正しいかも。いずれにしても止められなかったことは悠の非であることには変わりなく、さて件の女性はというと意気揚々にそば作りに入っている。刃戯を発動して。
「【天魔顕現】・骸観音蕎麦切!!」
無数の骸手がそばを切る。切る。とにもかくにも切り刻む。
瞬く間にそばの塊は見るも無残な残骸へと変わった。要するに、食べられる箇所がどこにもない。
どたどたと慌ただしく廊下を駆け抜ける音が台所を目指して近づいてくる。
先の騒音が彼女らの耳に届かないはずもなく。そして現場を目の当たりにした少女たちは呆気にとられて、すぐに。怒りの矛先を実行犯へと向ける。
いい仕事をしたと言わんばかりに汗を腕で拭う当事者は実に爽やかだ。
「……そこで何をやってるんだい実休光忠。悠から全員できるまで立ち入り禁止って言われていなかったかな?」
「そばは!? ねぇ兼定のそばは!?」
「この飛び散ったの……ひょっとして、これそばか!?」
「……酷いです。お兄様のおそば、楽しみにしてたのに……」
「吾だって楽しみにしていたのだぞ!!」
「なんじゃなんじゃ。ワシは悠を手伝ってやっただけじゃぞ。いやぁ我らながらいい仕事したわワシ」
からからと笑う実休光忠に、とうとう我慢の限界に達したであろう小狐丸らが飛び掛かった。キャットファイト場へとなってしまった台所の片隅で、そばだったものを呆然と見つめている悠の肩にそっと優しく手を触れる少女が一人。
振り返った悠の顔に弱弱しくも笑みを取り戻させたのは、彼が生前より愛用していた一振の刀。
「主、ボクも手伝うからもう一度作り直そう? まだそば粉って残ってるよね?」
「……鈴。本当にお前だけが頼りだよ」
「あはは……そう言ってもらえるとボクも嬉しいよ。それじゃあ始めよ」
「あぁ、そうだな――とりあえず、暴れているあいつらには海老天抜きだな」
「それは、ちょっとかわいそうかも」
「そうか?」
本当にこの異世界へと来てから毎日が騒々しい。実家にいた時はもっと静かだった。
だが、この騒々しさも悪くはない。そんなことをふと頭の片隅に抱いて、 愛刀――千年守鈴姫と一緒に、悠は再びそば作りを始めた。




