第五十一話:双月
咆哮と轟音の中に、幾度となく金打音が混じる。
演奏者は二人。しんしんと降る雪は、不運にも彼女らの前に降り立ったことで地に着くことなく消失という運命を与えられる。その元凶たる三刃が、三十七合と打ち合ってついに均衡を保った。鍔迫り合いの状態で両者は、互いを見据えあっている。
片や、翡翠色の瞳には憎悪に取り付かれた一匹の剣鬼が映っていた。
片や、赤き瞳には悲しみの中に慈愛を宿す一人の聖女が映っていた。
「……憐れですね千年守鈴姫さん」
相反する感情を正面からぶつけ合い、聖女が先に口を開く。その言葉には相手への悲哀が込められている。
「最初にあなたと刃を交えた時の方が、とても強かった。けれど今は……とても弱くて、脆い」
「黙れェ! 黙れ黙れ黙れっ!!」
否定と共に鋭い一撃が三日月宗近を弾き飛ばす。理性では理解しても心が認めない、認めたくない……まるでそう捉えられよう挙措に、三日月宗近は表情を変えない。軽やかに身を転じて、ふわりと雪上に降り立つ。
「復讐や憎悪に駆られた剣で本当に私に勝てるとでも……いいえ、悠さんを守れると、本気でそう思っているのですか?」
「ッ!!」
「さて、そろそろ終わりにしましょう。早く合流しないと大変なことになりそうですので、ね……」
そう口にする三日月宗近の遥か後方では激しい戦いが繰り広げられていた。
伝説を相手に、他の鬼と比べて易々と勝てる相手ではないことは理解している。その傍らでは、最強として評価した仲間が倒してくれると信じていた。
現実は……。
「ちょ、本当になんなのコイツ!? こっちの攻撃効いてないし逆に折られそうなんですけど!? ちょっと安綱しっかりやってよねもう!」
「えぇいうるさいうるさい! 我とて精一杯やっているわこのたわけがっ! 貴様こそもっと気合を入れぬか! さもなくば……!」
「あぁ、認めたくないがこの鬼……強い!」
「某らの刃戯を、こうも容易く防がれるとはな……!」
戦いが始まってから、未だ誰も討ち取れない。そればかりか一太刀浴びせられず、防戦一方を強いられている光景が、三日月宗近は信じられなかった。
少なくとも大典太光世と童子切り安綱については、共に幾度と死線を潜り抜けてきているし、あの『兎杷臥御の戦い』では互いに競い合った仲だ。そうして時間を共にしてきたからこそ、三日月宗近が彼女らへ寄せる信頼は人一倍大きくて、本気を前にしても平然としている『血を啜りし獣』の強さに彼女の顔にも焦りがわずかばかりに示されている。同時に悠の口から出た、特別な武器の必要性も強まってきた。
(早く千年守さんを正気に戻して、私も加勢しないと……悠さん――)
どうか私を守ってください、私に対する愛で力を与えてください。正眼に構え、三日月宗近は意識を集中させた。
「次で終わりです。覚悟してください、千年守さん」
「うるさい……うるさいうるさいうるさいっ! もう誰も邪魔するな喋るなボクの悠に近寄るなぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「刃戯――【月華彌陣】……――」
「ッ!?」
千年守鈴姫の顔に驚愕に歪んだ。
無理もない話だ。彼女の視界には、自ら攻撃の手を中断させてしまうほどの事象が起きていて――対峙している相手に物理的変化が生じたならば、例え彼女でなくともその思考に混乱を招こう。
金は銀へ。翡翠は青へ。白は白金へ。三日月宗近という一人の御剣姫守は、自らにその変貌をもたらした。
三日月宗近の【月華彌陣】は、月が出ている夜にこそ、その真価を発揮する。事実そうであるし、彼女のことをよく知る者ならば絶対に夜に闘いを挑もうとしたりしない。
狙うのならば日が高い内に仕留めればよい。そのような浅い思慮で挑んだ輩は、彼女の月刃に敗れ去ることだろう。
【月華彌陣】の真の効果は、月光の蒐集にある。
自らの体内に気力として蓄積し変換する。夜に何十倍もの力を得られるのは、彼女という器に収まりきれずに漏れ出したことによる、謂わばオマケのようなものにすぎないのだ。
真の力を解放した時、それこそ三日月宗近の真骨頂である。
【月華彌陣】が使える夜だけ――断じて、否。そうした認識の誤りを抱かせるのも、自身を有利に運ぶための策の一つでしかない。彼女の刃戯の真価を知る時、それは自らの命を対価として払った者のみこそが到達できよう。
「廻天双月!」
銀糸をさらさらと流しながら放たれた刺突には一点の躊躇いもない。そのまま無慈悲にも呆然と立ち尽くす千年守鈴姫の心臓へとずぶりと穿った。眩い純白の極光が背中を突き抜ける。
しん、と。静寂が彼女達の空間に流れた。やがて、三日月宗近が口を開く。
「……私の勝ちです、千年守さん」
勝負あり。その結果に文句の付けどころはない。
三日月宗近が勝ち、千年守鈴姫が敗北した。
ゆっくりと引き抜いた刃を翻して、三日月宗近は踵を返す。既に彼女の意識は次なる敵手へと向けられていて、未だ立ち尽くしたままの千年守鈴姫は――
「ボ、ボクはいったい……」
心臓を貫かれて尚、生きていることに酷く狼狽していた。心臓部に穴こそ空いてあれど、その柔肌には傷一つ付けられていない。心臓を貫いたはずの刃が、どうして彼女を生かしているのか。その答えは……。
「私の【月華彌陣】の真の力は、邪気を払うことです。先程の一撃はあくまであなたを操っていた術の根源……即ち、鬼の力を浄化したまでにすぎません」
「…………」
「そして……目は覚めましたか? 千年守さん」
「ボ、ボクは……ボクは……!」
「……一先ず、後悔するのであればすべてを終わってからにしていただきましょう。今は後悔よりもやるべきことがあります。あなたも御剣姫守ならば……いえ、結城悠さんの愛刀であったのならば。私が言わずとももう理解しているでしょう?」
「…………」
その時。三日月宗近はばっと振り返った。
背後から何か優しい温もりを感じる。その正体に三日月宗近は目を見開く。
想い人が蒼白い輝きに包まれている。それは程なくして収まったが、代わりに彼の両手には長さ八尺はあろう長刀が納められていた。




