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第五十話:四匹の獣

 けたたましい咆哮一つで、どれだけの気勢が削がれたことだろう。

 この現状でたった二人だけが楽観した様子でいて、残る面子には焦りと困惑の感情いろが濃く顔に示されている。悠とて例外ではない。目の前にはあの禍鬼おんながいる。このまま地を蹴り上げさえすれば星刃は届く。それができなかったのは、今も続く咆哮に気圧されていたからに他ない。

 獣とも違う、鬼のものとも違う。初めて耳にする声質。なんとかひねり出して例えるならば、それはどちからというと蟲に等しくて……。


「い、今のは……」

「……『血を啜りし獣』っていう名前だっけ? オキクルミとかなんとか、とにかく人間の女が封印したっていう怪物。あれをさぁ、こうちょちょいっと起こしてみたの」

「起こしてみたやて!? まさか、封印を解いたっちゅーんかいな!? い、いやそれ以前にあれはただの伝説やあらへんのか!」

「さぁ? でもこの滝の裏側にすっごい怪物が眠ってたわよ? うん、さすがアタシもアレにはびっくりしちゃったかな~」


 すごいものを発見したと母親に話す子供のような無邪気さで、しかし。悠にはどうしても尋ねねばならないことが一つだけある。この禍鬼おんなは封印を解いたと口にした。それがどういう手段であるか、などとは問わない。

 必要なのはその逆。幸いにも悠はその術に心当たりがあった。

 危険な存在を目覚めさせてまで彼女が何を成そうとしているのか。むろん、如何なる理由が禍鬼おんなから放たれようと、結城悠がすべきことはたった一つのみ。危険であることに変わりなき存在を、桜華衆と新撰組は決して野放しにしたりなどしない。


「……お前は、そんなにも危険な存在を目覚めさせてどうするつもりだ? お前の目的はいったいなんだ!? この国を乗っ取るつもりか!? それとも全人類を滅ぼすつもりなのか!?」

「う~ん、目的なんてものはないわよ」

「何?」

「別に国とか世界とか興味ないし? アタシはね、ただ自分が面白いなぁって思えたらそれでいいの。だって面白そうじゃない、過去のとびっきりヤバい怪物が暴れて人間が次々と死んでいくのとかさ、もう想像しただけで――」

「もう喋んなやドアホが」


 射抜くような殺意と共に、白刃が禍鬼おんなへと伸ばされる。鬼神丸国重の渾身の刺突つきは、ひらりと避けられるだけに終わり……いや、薄皮一枚をしっかりと斬っている。薄っすらと滲み出る己が血を指先で拭い、それをじいっと見つめる禍鬼おんなの顔には、明らかな怒りが宿っていた。


「お前がどう思おうがウチにとったらど~でもいいっこっちゃ。鬼はどの道斬る、それだけや。その中でもお前は、群を抜いて腹立つやっちゃで」

「……アタシって殺すのは好きだけど斬られるのは好きじゃないの。だからさ、さっさと死んで? てか今すぐ無様に殺されて」

「――」


 かつて、これほど大きな音を耳にしたことがあっただろうか。自身にそう問い掛けて、否、と悠は首を横に振る。それほどまでに大きな音の正体は、零嗤鬼ぜろしきの滝が崩壊したことにあった。

 大自然が生んだ芸術が、たった一瞬で失われた現実を、悠を含み誰しもがただただ呆然と見守るばかりで。対する敵手らの視線は、その先にあるものへと向けられている。

 化物だ。そう、誰かが口走った。

 あぁ、まったくもってそのとおりだ。悠は同情の意を視線で示す。とてもわかりやすいし、それ以外に相応しい言葉など存在しない。今まで戦ってきた鬼がちっぽけでかわいらしいとすら思えてしまうぐらいに、あれは……。


「な、何なんやあれ……」

「あれが――」


 骨のように真っ白な毛皮に覆われている身体は山のごとし。ぎらぎらと輝く赤き瞳と、鋭い牙が並ぶ口からは絶えず不快感と恐怖を与える声と表現するにはいささか難しい音が奏でられている。


「――『血を啜りし獣』!」

「さぁさぁ、伝説の怪物と御剣姫守みつるぎのかみの殺し合い! こんなにもワクワクしそうなことって早々ないから、たっくさんアタシを楽しませてね」

「くっ……こいつ!」

「さぁ、やっちゃいなさい『血を啜りし獣』! 封印を解いてあげたんだから、このアタシが満足するような演劇を見せて――」


 それより先の言葉は、間の抜けた声と赤い花弁によって紡がれることとなる。

 誰もこの事態を予測していなかった。いや、予測できようはずもない。丸太のように太く、槍のような爪が貫いたのは――封印を解いた張本人であるのだから。


「ちょ……なっ……」


 自ら突き刺した禍鬼おんなにはもう目もくれず、きょろきょろと辺りを見回している。何かを探していることが窺える挙措に、注意深く凝視していて――びゅっと鋭い風切音に悠は表情を強張らせた。

 禍鬼おんなにしたように、鋭い爪が貫いた。果たしてそれがなんなのかは、ゆっくりと怪物の手が引き上げられたことによって悠は絶句する。

 またも同族に対して攻撃を仕掛けたのだ。『血を啜りし獣』の爪に貫かれて絶命した雪鬼を、あろうことか牙を突き立てる。

 じゅるじゅる、と実に不快な音に悠は察する。永き封印によって失われた熱量カロリーを補うために、『血を啜りし獣』は、その名のとおり雪鬼の血を啜っているのだ。


「…………」


 鬼が鬼を殺す。悠が高天原へ導かれるよりもずっと昔に鬼と戦ってきている御剣姫守みつるぎのかみが彼よりも狼狽しているのだから、同族殺しという所業は彼女達にしてみてもはじめて遭遇する事態でもあった。

 当然のことながら、味方であるはずの同族おにに裏切られた禍鬼おんなの呪うような目は何故、と『血を啜りし獣』に問い質している。その問いに白き古の怪物おには答えない。ただただ冷たく、無機質な瞳を自身の爪に貫かれた一匹の禍鬼を傍観している。その挙措から怪物が何を思ったのか、まるで読めない。

 そうこうしている間に、『血を啜りし獣』は爪を振り払う。まるで叩き潰した羽虫に嫌悪感を抱くように、禍鬼おんなを断崖絶壁の外へと放り投げ捨てた。

 どうやら彼女は食すに値しなかったらしい……それはさておき。


「な、なんやあの怪物! 自分の仲間を殺しよったで!」

「わ、わからない。わからないけど……」


 禍鬼おんなが死んだのならば、千年守鈴姫にかけられた術は解かれている。

 呆然と『血を啜りし獣』を見つめている横顔を見やり、ふと我に帰った愛刀と目が合う。瞳はまだ相変わらず新撰組と対峙したままだ。即ち、それは禍鬼おんながまだ生きていることの意味にして、恐るべき生命力を保有していることの表れでもあった。


(あの高さと傷でまだ生きているなんて……信じられない生命力だな)


 ともあれ、まだ脅威は去っていない。『血を啜りし獣』はもちろんのこと、千年守鈴姫を正気に戻さねばならない。悠は刀を構えた。共に歩んできたからこそ、互いの手の内はわかっている、それでもまだ彼女に軍配が上げられたままなのは、やはり種族というどう足掻いても覆せない差が大きい。

 未だわからない千年守鈴姫の刃戯じんぎ。それを打破せぬ限り、結城悠に勝ち目など最初からなきに等しく。それでもやらねばならないのが、仕手としての務め。


「鈴……」

「……『血を啜りし獣』が復活しようがボクにはどうでもいいよ。それで他の邪魔な女が消えてくれるのなら大歓迎だけどね」

「鈴……いい加減に目を覚ませ! お前は上手く言いくるめられて操られているつもりだ!?」

「ボクは至って正気だよ! 悪いのは全部悠じゃないか! せっかく再会したのに他の女の子ばっかりに構ってボクのことだけを見てくれない、ボクっていう刀があるのに満更でもない顔で接している! 悠はボクの主なんだよ? だったらボクをもっと見てよ……ボクだけしか見ないでよ!」

「鈴……!」

「悠!」

「お、俺なら大丈夫だ! それよりも……そっちをなんとかしてくれ!」


 千年守鈴姫だけではない。本元がまだ残っていて、真の脅威はどちらかと言えばこっちだ。そうなると戦力は必然的に一対九へと分配されて、いちを除く全戦力は『血を啜りし獣』へと向けるのが定石である。


「よもや伝説の鬼と合間見える日が来るとはな……全員に告ぐ! なんとしてでも奴をここで仕留めろ! 町に行かせることだけは絶対に許されない! その時は全員腹を切る覚悟をしておけ!!」

「全員突撃!!」


 長曽根虎徹と和泉守兼定の号令と共に、新撰組が『血を啜りし獣』に挑んだ。

 雄叫びを上げ立ち向かっていく彼女らの背中を横目に見送り――射殺すような殺気と視線に悠は双刃を以て応える。


「ほらまた。またそうやってボクを見てくれない……ボクだけを見てってば悠!!」

「ぐっ……!」


 打ち込まれる一刀は鋭くて、とても重たい。そこには溢れんばかりの、千年守鈴姫の感情が込められていた。それが太刀打ち合わせるごとに悠の心に重く圧し掛かってくる。何故気付かなかったのか、何故気付こうとしなかったのか。まるで、そう攻め立てられるかのように。


(お前は……そんな風にずっと思っていたのか)


 皮肉にも禍鬼おんなに操られたことによってはじめて知ることができた、内に秘められた愛刀の真の想い。それを理解したうえで今、俺はあいつに何をしてやれる。刃を交える最中、悠は叱責するように自らに問う。

 納得のいく答えは出なかった、はもう許されない。考えて、考え抜いて答えを出す責務が今の自分にはある。


(俺は……!)

「悠さん。ここは私が」

「えっ!?」

 

 三日月宗近がすっと前に出た。


「確かに、あのような手合いであれば三日月。貴様が適任であろうな。悠よ、ここは三日月に任せておくといい」

「うんうん、こういう面倒なのは三日月が適任だよね」

「安綱さん……! 光世まで!」

「大丈夫ですよ悠さん。ここは私に任せてください」


 抜刀して千年守鈴姫の前に立つ三日月宗近の言葉には絶対の自信があった。

 それを見送る仲間の挙措は三日月宗近に対する信頼が読み取れた。

 話がとんとんと進められていき――いやいや、少し待て。急な展開に思考がついていけなかった悠はなんとか話の輪に入り込む。


「ま、待ってください三日月さん! 鈴は俺が……」

「では率直にお尋ねしますが、悠さんはどうやって彼女を呪縛から解き放つつもりで?」

「そ、それは……!」

「三日月宗近……三日月宗近ァァァァァァッ!!!」


 愛刀が吼える。とても狂おしく、とても禍々しく。この世のすべての憎悪を掻き集めたかのような一撃と、月をその名に宿す白刃がぶつかりあう。


「三日月宗近……またボクから奪いに来たんだな。悠を奪いにくるやつはボクが絶対に許さない、殺してやるっ……死ね、死ね死ね死ねシネシネシネシネシネッ!!」

「鈴、お前の相手はこの俺だろう! 他の関係のない人に手を出すな!」

「グゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」

「鈴……!」


 声を掛け続けていれば、きっと正気に戻ってくれると思っていた。

 いつもの優しくて頼れる愛刀として戻ってきてくれると信じていた。

 だが、たった一人の恋敵と対峙した彼女の心には自分の声は響かない。届きそうにもない。負の感情に支配された者から救う術を、悠はたった今すべてを失ってしまった。


(……俺は――)


 ――いいか悠よ。我らは仲間であり家族だ。故に連携……“ちぃむぷれい”を何よりも重視する。たった一人の私情が仲間の命を危機に晒すことにもなることは、まぁ某が言わずとも貴公も理解できていよう……うん? どうしてそんなに近いのかだと? まぁ気にするな!――


「……三日月さん」


 目の端には既に『血を啜りし獣』と戦っている新撰組の姿が映っている。

 その大半が地に伏し、辛うじて戦えている鬼神丸国重や加州清光らも、その疲労と傷を見やればいつまで防戦に徹していられるかもわからない。数分か、一分か、あるいは……次の瞬間か。

 それを自分の独りよがりで押し問答している時間がどこにある。猶予などというものは、最初から用意されてなかっただろうに。それこそ、臨機応変怠不許りんきおうへんおこたることをゆるさず……長曽祢虎徹の――新撰組の法度に反する愚行ではないか。


「恥を承知で頼みます――鈴を、どうか正気に戻してやってください!」

「えぇ、任されました」


 優しくも力強い笑みに軽く会釈を返して、悠は『血を啜りし獣』を見据える。

 童子切り安綱らも戦線に加わったが、それでも戦況はやはり『血を啜りし獣』に軍配が上がったままだ。そこに自分が一人加わったところで劇的な変化が現われるとも思えないが。

 それでも悠はやらねばならない。せめて皆の邪魔にならないように心掛けて……。


「……? あれは……」


 悠の視線があるモノに固定される。

 空高くからこちらへと向かって飛んでくる何か。仄かな青白い光をその身に宿して飛来してくるのは、四匹の獣――。

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