第四十九話:絶望への狂想曲
静かな時の中をすごすことは別段今に始まったわけではないし、それに寂しいなどと口にするような精神はとうの昔に卒業している。だと言うのに悠の顔が優れないのは、千年守鈴姫のことが彼の心の中にあるからに他なく。あの時、無理にでも手を振り払って追いかけるべきではなかったのかと、未だ答えぬ出ぬ自問と悠は格闘を繰り返していた。
そこに、不意に声が掛かる。
「大丈夫ですか? 悠さん……」
手当てをしてくれている三日月宗近の表情は優れない。それは結城悠が怪我をしたことに対してか、それともその愛刀を打ち負かしてしまったことか。或いは、そのどちらもであり、きっと第三の選択肢が正しいのだろうと悠は思う。
いずれにせよ、三日月宗近を責めたりはしない。かと言って気にするな、とも言えないけれど。ここは相手の質問にだけ返すことにした。
「えぇ、俺なら大丈夫です」
「そう、ですか。それならよかったです」
「悠の手当ては終わったようだな。ならば……続きといくぞ三日月」
事を見守っていた長曽祢虎徹がすっと立ち上がった。
それに伴ない三日月宗近もまた腰を上げる。
対峙する両者の間では激しく火花が飛び散っていた。それを助長するように各陣営がやいのやいのと相手へ罵声を投げ付け合う。これより始まるのは大将戦だ。先の仕合は千年守鈴姫によって無効化された。ならばもう一度最初から、となるとこれもまた面倒臭い。それならばもう大将が決めればよいのでは、という形に収まった。
三日月宗近と長曽祢虎徹……両者の因縁の対決がついに始まろうとしている。
その時だ。響き渡る轟音がその場にいる全員の動きを、ぴたりと止めた。
「い、今のはなんだ!? 咆哮……?」
どよめく隊士らに混ざって悠が困惑する中で、たったの数名だけが、遠方をじいっと見つめていることに気付く。
「今のは……それに、この禍々しい気配……」
「あの方角は、確か……まさか!」
「鬼神丸。何かあるのか?」
「ウェパムイソ……ウチらが生まれるずっと前にはこう呼ばれとったらしくて、今じゃこう呼ばれとる――零嗤鬼の滝や。広場に石像があったやろ? あの怪物がそこに封印されてるっちゅー言い伝えなんやけど。でも、あれは架空のことやし」
「……でも、なんか嫌な感じするし」
「これは……一時休戦とした方がよいな」
仕合は思わぬ形で中断されることとなった。それについて異を唱えるものは一人としていない。伝説の怪物かどうかはさておき、彼女らが禍々しいと口にしたならば、それは必ず人類に仇名す存在だ。ならば討伐するのが今この場にいる全員に課せられた使命。過去の因縁は後回しに、全員が一致団結した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――遥か天空より邪悪なるものがこの地に舞い降りた。
緑溢れる豊かな地は骨まで凍て付く雪に覆われ、数多くの命が失われた。
これに反旗を翻す者、名をオキクルミという。
時同じくして天空より現われし一匹の星獣、彼の者に剣を与える。
三日三晩の死闘を演じたオキクルミ、自らの命と引き換えに邪悪なるもの封印する――
古くから言い伝えられてきた場所は、神威の最北端に位置する。
そこまで行くための道のりは、決して楽なものではなかった。切り立った崖に沿った僅かな道を少しでも踏み外せば、待っているのは死へのダイブ。それだけに留まらず、来訪者は雪鬼の襲来も考慮しなければならない。
危険しかない場所を観光スポットとして紹介することもできず、そうとわかっていながら足を運ぶなど余程の酔狂者でなければ不可能であろう。
そこに赴く皆の顔は、全員が穏やかではない。
彼女らからすれば鬼を討伐する方が楽だったことだろう。今回調査班として任命された隊士は青ざめた顔で足もぷるぷると震えている。
高所による恐怖と必死に戦っていることが読み取れる彼女らの視線は、先行する者達の軽やかな足取りに対する怪訝なものだった。どうしてそんなにもすいすいと歩けるのか、と。
三日月宗近と長曽祢虎徹が先行し、そのすぐ後ろを悠は鬼神丸国重と追従する。
「あ~めっちゃ寒い! ここだけなんや知らんけどめっちゃ寒いから嫌いやねん!」
「ま、まだ着かないのか!?」
「……いや見えてきたで。あれが零嗤鬼の滝や」
「あれが……!」
目的地について、悠の胸中にて真っ先に浮かんだ感情は至ってシンプルなものであった。言葉で表現するならば、感動をおいて他に相応しいものはあるまい。
物騒な名前とは裏腹に、美しさがそこにある。
氷の柱状節理の壁から轟々と音を立てて冷水が流れ落ちる様は、例え芸術に関心がなくとも圧巻されよう。
カメラが手元にないことが悔やまれて――同時に、今回の調査よりも悠にとって重要な人物がそこにいた。千年守鈴姫だ。
「鈴!!」
滝の方を向いて佇む彼女は、悠の声に見向きもしない。
「鈴、お前こんな場所まできて何をやってるんだ?」
「…………」
「……鈴? 話を聞いて――」
くるり、と振り返る千年守鈴姫。
にっこりと笑っている。いや、嗤っていた。何がそんなに面白いのか。それ以前に、そのぎらぎらと輝く真っ赤な瞳はどうした。
いつもの愛刀ではない。そう理解した刹那、悠は大刀を抜き放った。間髪入れずにけたたましい金打音を響かせて、悠は勢いのままに後退することを強いられる。即ち、後一秒でも遅れていれば彼の首は自らの愛刀によって刎ねられていた。
「お前……なんのつもりだ鈴!?」
「悠が悪いんだよ? ボクっていう愛刀がいるのに、他の御剣姫守になびいちゃうんだからさ……!」
「お前、何を言って……!」
「ちーやん何しとるんや! 自分の仕手に斬り掛かるやなんて何考えとんねん!!」
「……うるさいな。悠に群がるうっとうしい羽虫のくせに、馴れ馴れしく近寄らないでよ!!」
「鈴……!」
「言うてくれるやないか……せやったらちーやんの前で悠のにゃんにゃんしてるとこ見せつけたるわ!」
「やってみれば!? ボクだって悠をメチャクチャにするところを見せつけてやるんだからね!」
「いや、それもどうかと思うぞ二人とも!!」
彼女の凶刃は仲間に対しても容赦がない。
本気だ。本気で鬼神丸国重を斬ろうとしている。
今の彼女に躊躇いという辞書は存在していない。鬼のような邪悪な笑みを顔に張り付かせて嬉々として二刀を振るう姿のどこに彼女が正気だと言い切れよう。
(どうしてだ、鈴。どうして――)
ともあれ、自らの意思で仲間に対して殺意を撒き散らす愛刀を、悠は割ってでも止めに入らねばならない。
「やめろ鈴! 正気に戻れ!!」
「悠!」
「……どうして? どうしてその女を庇うの? 悠はボクだけの仕手じゃなかったの? そんなのボクの悠じゃないよ!」
「ぐっ……!!」
仕手にさえ容赦ない一撃は、悠を大きく弾き飛ばした。
「悠さん!?」
「もう怒ったわよちーやん!」
「私の悠きゅんを傷物にした万死に値するぅぅぅぅっ!!」
その光景を前にして、ようやく他の隊士達の動きにも変化が生ずる。
次々と抜刀して千年守鈴姫を取り囲んだ。もはや彼女らの眼中は仲間としてのものではなくなっている。隊長と仲間を殺そうとする危険因子――鬼と対峙する時のものとして、彼女らは敵対する関係をここに作った。
一対多数。隊長を筆頭に数十名以上の切先が自身を捉えている状況であるのに対して、千年守鈴姫はというと――
「あはははっ! ちょうどいいや。どうせ悠にちょっかいを出すヤツ全員殺そうと思ってたから……手間がはぶけたや」
からからと嗤って返した。
「あらららら。随分とにぎやかになってきたじゃない」
突如として現われた第三者――女の声に全身の肌がぞくりと粟立つ。
振り返る。視線の先で、一人ぽつんと佇んでいるソレに悠は斬り掛かった。
千年守鈴姫がおかしくなった原因が見つかった。いや、向こうから来てくれたと言った方がこの場では正しかろう。ともあれ元凶と特定するだけの物的証拠は、残念ながら一つとしてない。
あるのは状況証拠だけ。それでも今は物的証拠に匹敵するだけの価値がある。
にしゃり、と邪悪な笑みを浮かべておいて、通りすがりの一般人などという言い訳を敵手もすまい。それならば悲鳴をあげながら逃げればよい話だ。それもせず、あろうことかボロボロのローブの下から黒刃を露わにしたのならば……敵手も退くつもりはないと見える。
「あいつに……鈴に何をした!?」
「別に。ただあの子達が抱えている悩みを聞いてあげて、後押ししてあげただけだけど?」
流暢な言葉を黒刃と共に返される。
「ぐっ……!」
たった一合の打ち合いで、悠は後方に大きく弾き飛ばされる。
「お前……禍鬼なんだな?」
「ん~、まぁそうなるのかなぁ。それよりさ、どうしてここに男がいるわけ?」
「……なんでもいいだろ。ただ俺はそういった家系の生れなんだよ」
「ふ~ん、弱いくせに刀振るうとかさ、本当に見ていて滑稽っていうか大爆笑ものだわ」
「……何?」
「だってそうじゃない。さっきの一撃で殺されなかったのは褒めてあげる。男にしちゃあ充分よ、うん合格点あげちゃう。でも所詮は男。女よりも弱くて弱くてちっぽけな虫と同じなの。だから大人しくお家に……いやアタシに食べられるんだから胃の中にいらっしゃい、が正しいのかな?」
「……もう黙れ。これ以上は目にも耳にも鬱陶しいだけだ」
「そういきり立たないでくれるかなぁ。暑苦しいのってアタシ嫌いなんだよねぇ――それよりもさ、君に面白いもの見せてあげよっか?」
「面白いもの……?」
「えぇ、実はさ。この滝の裏にすっごい面白いものがあったの。ねぇ知りたい? 何があったのか聞きたい?」
「…………」
「……なんで何も言わないのかなぁ。つまんないの――でもまぁ、すぐにそんなこと言えなくなるけどね」
「何?」
「さぁさぁ、そろそろ起きてくるわよ?」
禍鬼が嗤う。それが合図であるかのように、滝の音をも掻き消す咆哮が辺り一面に響き渡った。




