第四十七話:嫉妬
目まぐるしい速さで景色がぐんぐんと流れていく。
それだけ悠が早く移動しているのであって、しかしながら第三者によって手を引かれている姿を見やれば、彼の意思によるものでないことは明白だ。さて、その第三者は言うと悠の手を掴んだまま、雪原を尚も疾走し続けている。常人離れした脚力に悠だからこそ、まだ辛うじてついていけているものの、これが一般人であったなら今頃は雪の上をソリの如く滑走していたことだろう。
「お、おい……! どう言うつもりだ!?」
悠の疑問は、当然自分の手を引いている相手へと向けられていた。
何故このような行動を取ったのか。悠はそこがわからない。先程から何度も声を掛けているというのに、犯人はうんともすんとも口を開こうとしない。恐らくは、それだけ余裕がないのだろう。その証拠に、雪を踏み締める彼女の足には焦燥感が孕んでいた。まるで追い掛けてくる何かから必死に逃れようとすらしている挙措に、もう一度。悠は己の疑問を相手へと強めに投げ付けた。
「な、なんのつもりだ鈴!? いきなりどうしたんだ!?」
「行こう主……! 今なら全員仕合に集中しているから気付かれずに逃げられるよ!」
「に、逃げる!?」
ようやく口を開いたかと思えば、これはまた予想外の返答に悠も困惑せざるを得ない。
「このままどこか誰にも見つからない場所……そうだ高天原を出ようよ。海を渡って違う大陸に行くんだ。大丈夫、鬼とか怪物とかがいっぱいいる土地だったとしても主はボクが絶対に護るから!」
「ちょ、ちょっと待て、逃げるってどこに!? いやそれ以前になんで逃げる必要が……それにもうすぐ三日月さん達の仕合が――」
「他の人の名前を出さないで!」
「す、鈴……?」
「お願いだから……ボクの前で他の人の名前を、出さないでよ……!」
その言葉には千年守鈴姫の感情がこれでもかと込められていた。その感情を表すならば、きっと。この二文字が相応しい。千年守鈴姫の言動は嫉妬からきている。飼い主が他の動物をかわいがっていたらペットが嫉妬するように、嫉妬という感情は誰にでもあるもので、千年守鈴姫だって一人の御剣姫守として生きているのだから、嫉妬の感情などないと思わない。感情こそ否定しないが、嫉妬されることだけは彼の予想外だったから、悠の目は丸く見開かれることとなる。
「鈴、お前いったい……」
「悠さんをどこに連れていくおつもりですか?」
千年守鈴姫の足取りを止める者が、彼女の前に遮った。どうしてここに、と。きっと対峙している我が愛刀も同じ感情を思っているだろう。三日月宗近――大将戦を控えてきたはずの彼女の登場とあまりにも早すぎる追跡は、お互いにとって予想外すぎる事態であることに差異はない。
「三日月宗近……さん」
「千年守さん。突然悠さんを連れてどこに行くのかと思いました……どういうおもつもりで?」
「……ボク達のことは放っておいてください。ボクは主と……悠と一緒に生きていきますから」
「おい鈴!?」
「主は黙っててよ! お願いだからボク達に関わらないで……!」
「……貴女が何を言おうとしているのか、凡そ理解はできます。ですが、残念ですがそれはできません。悠さんを想う気持ちは私も同じですから」
「何が同じなの!? 男だったら誰振り構わずちょっかい出すくせに! 主のことだって……悠のことだってそういう風にしか見てないくせに!」
「それは違います。確かに私……いえ、世の女性達は異性との恋愛に酷く恋焦がれています。それはとても浅ましくて醜いものかもしれません。ですが、向けるべき感情は決して邪なものではありません」
(……いや、全員がそうじゃないだろ)
この場で発言できたものではないが、三日月宗近の言葉に悠はツッコミを入れざるを得なかった。今まで出会ってきた女性の中でまともな部類に入るのは何人ぐらいだったか、と自らに問われれば悲しくなるぐらい少なすぎる現実に、彼の顔には苦笑いが浮かび上がる。
それはさておき。
「私は彼を……結城悠という一人の男を心から愛しています。それを否定される言われはありません」
「ふざけないでよ! とにかく悠は渡さない……渡さないんだから!」
解放されて、直後。鯉口を切る音が悠に戦慄を走らせた。
結城悠の剣は弱き女性のためにあるものだ。
高天原では男女の価値観が逆転しているも、だからどうした、と。彼から剣を取り上げるだけの抑止力には至らず、返って新たに守るべきものとして剣鬼の使命感を燃え上がらせた。
刀は仕手の心持ち一つで如何様にも化けられる。活人剣たる結城悠が仕手であれば、彼女……千年守鈴姫の在り方もまた、それに従わなければならない。
何故仕手の意思に反するのか。何故三日月宗近を斬らんとしているのか。悠はそれが信じられない。
万物を斬らんとする気概はもはや名刀と呼ぶには程遠い。あれはもう、妖刀の類だ。それは同時に、悠の記憶からある存在が強く呼び起こさせる。
(零姫村正……)
零姫村正――彼女も強すぎる憎悪を抱いたが故に邪悪なる妖刀へと堕ち、結城悠の人生をめちゃくちゃに崩壊させた。
(鈴も……あいつも、あいつと同じになるっていうのか? ……いや――)
そうはさせない。
もし、そうなる可能性がなきにせよ。愛刀の暴走を止めるのは仕手の務め。自分の愛刀を殺人剣には決して染まらせない。ようやく悠は腰の得物に手を掛けた――ところで、時既に遅く。千年守鈴姫が三日月宗近へと肉薄した。
「鈴!」
「うわぁぁぁぁぁっ!!!」
「仕方ありませんね……!」
躊躇われることなく襲い掛かった双刃を三日月宗近の刃が容易く打ち落とす。火花が一つ飛び散って、間髪入れずに二つ、三つと数は積み重ねられていく。
「やめろ鈴! 何をやっているのかわかっているのか!?」
「うるさいよ悠! ボクの邪魔をしないで!」
「悠さん、ここは私に任せてください。彼女は私が」
「ボクの悠を気安く呼ばないで!」
千年守鈴姫は止まらない。絶えず大小の刀で三日月宗近に襲い掛かる。
(なんだ、あの剣は)
一言で表せば、なんてでたらめな剣だ。昂ぶる感情が抑えられていない太刀筋に技術はまるでない。ただがむしゃらに、力いっぱいに相手に剣を叩きつけるなどと。自身が体得している流派の正反対の思想を掲げた流派は確かにあろう。しかしこれを、悠は剣術とは認めない。認められない。こんな喧嘩殺法など――と。その喧嘩殺法の剣に三日月宗近がされ気味にある現実だけは、悠は認めねばならない。
容易に打ち落とされていた一撃が今や、相手の防御を大きく弾くほどに。烈火の如き手数と勢いは敵手に反撃の隙を与えぬほどに。月下にてその恩恵を受けているはずの三日月宗近が、千年守鈴姫の苛烈な剣戟に防戦一方を強いられている。
「さすがは悠さんの愛刀ですね……!」
その言葉に皮肉は込められていない。素直に、一人の剣士として、御剣姫守として千年守鈴姫を称賛している。それでもまだ、三日月宗近から余裕の含み笑みを崩せていない。
「ですが――!!」
一筋の銀閃が天を目指して駆け抜けた――下段からの切り上げ。敵手の股間を切り上げるそれは逆風と呼ばれる基本技の一つ。男性ならば想像しただけでアレがひゅんと縮まる感覚を憶え咄嗟に守りに入るだろう。
たったの一太刀。上段から強襲する双刃だけでなく仕手そのものを跳ね上げるなど、恐らくは彼女……いや、御剣姫守以外でできる者を悠は知らないし、もしいたとしたら即座に弟子入りしていたに違いないと自嘲気味の笑みがもれる。
「うっくぅ……!」
千年守鈴姫が、宙に舞った。ぐんぐんと昇っていくその中でなんとか体制を立て直そうとする千年守鈴姫の、更に上を一つの影が飛翔する。三日月宗近だ。
童子切り安綱にも勝るとも劣らずの唐竹斬りが千年守鈴姫を地上へと叩き落す。体制ままならぬ状態でありながらなんとか彼女の太刀筋を受け止めたことは素直に称賛するべきことで、それは当事者の顔にも濃く浮かんでいた。三日月宗近が本当に、楽しそうに笑っている。
「ぎゃっ!」
ぼすんと重い音に悠の意識はすぐに三日月宗近から遮断された。直撃を免れても高度からの落下であることに差異はない。雪上でも当たり所が悪ければ、御剣姫守とて無事では済まされまい。
「鈴!!」
即座に落下地点へと向かう。
姿がどこにも見当たらない。いや、雪の中に埋もれてしまっているのだ。人間だと埋没してから十五分で生存確率が急速に低下する。彼女達のような特殊な人種であった場合でも、人間と同じ理が適用されるのか。
(どうでもいいことだろうが!!)
あまりにも馬鹿な考えを自分でもしてしまったものだ。実にくだらない、くだらなすぎて自分自身に悠は苛立ちを憶える。自力で這い上がれるのなら、とどのつまり彼女が死に直面しているのも同じことなのだから。ならばこの場において必要なのは思考ではなく動作――千年守鈴姫の一刻も早い救出であって、悠は身を屈めて雪を掘り返す。
「鈴! おい、声が出せるなら返事を――」
思った以上に、悠が望む反応が早々に返ってきた。
銀光を宿す一本の白刃が雪の中から地上への進出を果たす。それはざっくりと、悠の左腕を切り裂いて、同じ名を冠する仕手を外へと導いた。
「悠さん!」
「はぁ……はぁ……ま、まだだよっ! まだ終わって……って、あ、主?」
「ぐぅ……!」
千年守鈴姫がどれほどの切れ味を有するか。それを知らぬ悠ではない。よもや二度も我が身を以て味わうことになろうとは、悠は夢にも思いもしなかった。さて、恐らくは三日月宗近を狙って奇襲を仕掛けた千年守鈴姫を見やり――早急なフォローが必要であると悠は判断する。
顔面蒼白。身体をぶるぶると震わせ、がちがちと歯を打ち鳴らすのも無理もない。守るべきはずの仕手を自らの手で傷付けたのだ。その気持ちを、同じ過ちを犯してしまった者として悠は酷く、深く千年守鈴姫に共感する。
だから、彼女を安心させてやらないと。痛みはあるが、気合で乗り切れないことはない。
「お、俺なら大丈夫だ鈴。こんなの零姫村正って御剣姫守に斬られた時と比べたら――」
「あ、主違うのボクはそんなつもりじゃ……は、悠ボ、ボクは……――」
「ご無事ですか悠さん! 貴女は何を考えているんですか!? 愛刀が仕手を斬るなど――」
「いいんです三日月さん! 俺なら本当に大丈夫ですから!」
「は、悠……ボクは……ボクは……」
「いいから。とにかく俺は大丈夫だから……お前もこれで落ち着いただろ? ならもう刀はしまえ」
「あ……あ……あぁ……っ!!」
「あ、待て鈴! どこに行くんだおい!」
「こないで悠! お願いだから……今は……!」
「鈴!」
脱兎の如く逃走する千年守鈴姫を、悠は追い掛けられなかった。
「お待ちください悠さん! まずは傷の手当をしないと!」
「……くそっ」
三日月宗近の言い分がわからぬほど自分は幼児ではない。
痩せ我慢だ。三日月宗近へと仕掛けた奇襲攻撃には愛刀の嫉妬、憎悪、殺意がたっぷりと込められていた一撃だった。おまけに急所を狙っていた。それが左腕だけで済んで、しっかりと機能を果たしていられるのも奇蹟と言って等しい。
「鈴……」
「……さぁ、行きましょう悠さん」
既に見えなくなってしまった愛刀を背にして、重い足取りで悠は新撰組屯所への帰還を余儀なくされる。




