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第四十三話:集うは古き因縁

「けぇああああっ!!」


 思わず気圧されてしまう叫び声を上げて、木刀を上段に構えた者が床を蹴り上げた。相手を打ち倒すための木刃が捉えるは、新撰組おおかみの中に混じった一匹の剣鬼。唐竹を狙い、またその勢いを見るや本気で彼を倒す気概が傍観者達にこれでもかと伝わらせている。

 はらはら、という表現を絵に描いたような面立ちで見守る彼女達は、和泉守兼定の修練とは別に個々の修練に励むべく道場に訪れた隊士達で、足を踏み入れて早々一番隊隊長の加州清光と紅ならぬ黒一点の結城悠が木刀での試合を目撃してしまったから、もはや修練どころではない様子で事を見守っていた。

そんな第三者を他所に、悠は迫る木刃を同じく木刃にて迎撃する。

軽くも鋭い木打音に舌打ちが自然とこぼれる。彼の経験上、速さに重きを置いた流派との手合わせは数えられる程度――たったの一回だけだが――しかない。その一回と彼女を比べてよい……いや、比べることこそ愚の骨頂なのだが。いずれにせよ、加州清光の剣速は過去手合わせした相手よりも速い。技量も当然彼女が遥かに先をいく。加えて仕手が最強で知られる熟練者であれば木刀も立派な兵器へと早変わりする。斬られこそせずとも、骨折は免れない。


「ほらほらほらっ!」

「ぐっ……うわっ!」


加州清光の剣が見えるまでに成長した――と思いたい――己を褒めるべきか。それとも、御剣姫守みつるぎのかみという人非ざる者が振るう一撃に耐えたこの木刀の強度を褒めるべきか。ともあれ現在いま、悠は加州清光との稽古を全身全霊で挑んでいた。


「そこぉっ!!」

「うわっ!」


 加州清光の刺突は正しく稲妻。如何に堅牢な城塞とて彼女の前には脆く崩れ去る。防御した木刀がへし折られて、かつ切先を眼前に突きつけられては、素直に負けを認めるしかない。悠は静かに両手を上げた。降参の意だ。同時にあちこちで安堵の溜息が聞こえてきた。


「俺の負けです清光さん。相変わらず強いですね」

「い、いえいえっ! 私こそいい経験になりました! 悠さん、以前より更に腕を上げられててびっくりしちゃいましたよ」

「そう言ってもらえると助かります」


 息をついて、ふと。道場の一角で激しく打ち合う隊士達が視界の隅に入った。加州清光との稽古に夢中だったが、一段落した今はゆっくりとそちらに集中することができる。打ち合っているのは千年守鈴姫と和泉守兼定だ。


「やあああああっ!」

「甘いぞ千年守! まだ御剣姫守みつるぎのかみとして身体の使い方がなっていない!」

「……やっぱり、副長クラスともなると全然動きが違うな」

「当たり前ですよ。鬼の副長なんて言われるぐらい兼姉は強いんですから」


 己の愛刀の実力を目にしたばかりだからこそ、彼の目には驚愕の感情いろがぐるぐると渦巻いている。悠は目をこれでもかと見開き、二人の稽古を凝視した。

 一言で表せば、一方的。遊ばれていると言い換えても差し支えあるまい。

 二振りの木刀で先の先を取る千年守鈴姫に対して、天然理心流特有の平晴眼――正中線に構える正眼より、右側に刀を開いて構える――を取ったまま、和泉守兼定は殆どその場から動いていない。襲ってくる二刀を的確、迅速、そして苛烈に打ち落としていた。一撃、一撃が重いのは今にも手放してしまいそうなぐらい腕ごと弾かれる千年守鈴姫を見やれば一目瞭然だ。喰らえば大怪我は避けられそうにない。


「ふん!」

「くっ……って!?」

「なっ!」


 和泉守兼定の反撃カウンターが千年守鈴姫の胸元を掠る。強引な回避ではあったが、着物一枚切り裂くだけで済んだのは幸いだろう。――木刀で切り裂ける時点で神業だ。


「へぇっ!?」


 千年守鈴姫から間の抜けた声がもれる。赤々と頬を染め上げた彼女の視線は下へ。釣られて悠も視線を下げる。はらり、と。衣服に隠れていた柔肌が露わとなる。即ち激しく動けば千年守鈴姫はおっぱいまでも他者に晒す羽目となり、ただ一人の異性である彼にしてみれば男の性と理性の狭間に苛まれることを意味する。悠は、すっかり千年守鈴姫の胸に見惚れていた。


(きれいな身体しているよな、鈴……って何考えてるんだ俺は!?)


 邪念を振り払うよりも早く、千年守鈴姫の絹を裂いたような悲鳴が道場を包み込む。女性として当然すぎる反応だが、高天原ここでは通用しない。和泉守兼定の怒りの眼光が千年守鈴姫を鋭く射抜く。


「まったく、たかだ着物を斬られたぐらいで戦意喪失とは情けないぞ!」

「だ、だからボクをこの世界の人と一緒にしないでって言ってるじゃないですか! そ、それに悠にも見られちゃったし……と、とにかく着替えてきますぅ!!」

「待て千年守! まだ終わってないぞ!」

 脱兎の如く逃走を図った千年守鈴姫を、和泉守兼定が追いかける。突然のどたばた劇には悠も苦笑いを浮かべた。


(……後でフォローしておくか)


「あはは……稽古になると本当に手加減なしですからね兼姉は――でも、こうして悠さんが新撰組に入隊して一緒に働けるなんて嬉しいです! 悠さん、これからもずっと末永く一緒に頑張りましょうね!」

「いや、別に俺は正式に入隊したんじゃなくて一時的に修行という意味合いなんですが……」


 手拭いで汗を拭きとり――気が付けば真新しい物が手中に収められていた。たった今使っていたものは、どたどたと慌ただしく道場を出て行った鬼神丸国重を見れば、安易に想像がつく。早速新しい手拭いで残りの汗を拭き取る。冗談交じりで物欲し気な眼差しをした隊士に差し出せしてみれば尻軽と罵られ、なのにしっかりと新しい物と交換される。――解せぬ。


「うぅ~。わ、私だって悠さんの使用済み手拭いが欲しいのに」

「……本人がいる前で堂々と言うのはどうかと思いますけど」

「はっ! いいい、今のは冗談です冗談ですからね!? べべべ、別に悠さんが汗を拭いた手拭が欲しいとかこれっぽっちも思ってませんし――」

「……加州さん?」

「で、でも常に悠さんの匂いがする物が手元にあったらそれはそれで幸せですし、そ、それって言い換えれば常に悠さんが傍にいるのも同じ意味……ぶふぅっ!!」

「加州隊長が鼻血を出した!!」

「それで悠君の服に掛かったわ!」

「い、急いでお風呂の用意をするのよっ!!」


 たった一瞬の出来事で、道場内は瞬く間に鉄の匂いに包まれる。姦しく騒ぎ立てる御剣姫守みつるぎのかみらに半ば引き摺られるように悠は道場から引っ張り出される。染み付いたのが誠の羽織でよかったと不謹慎ながらも心中にて安堵の息をもらし――


「は、悠さんが私の血で……――血は言い換えれば体液。つまり悠さんは私の体液塗れになってるから、こ、これってあの官能小説と同じ状況とも言えるんじゃ……ぶはぁっ!」

「加州隊長がまた鼻血を出したっ!!」

「しかも今度は悠きゅんの顔面に掛かったわ!!」

「は、早く隊長の鼻を何でもいいから塞ぐのよ! このままじゃ隊長も危ないわ!」


 毛先からぽたぽたと滴り落ちる赤い滴と、鼻腔を刺激する臭いに眉をしかめて、今度こそ悠は道場を後にする。――彼女なら、まぁ大丈夫だろう。新撰組じゃ日常茶飯事だろうし。


 雪景色を肴に露天風呂を堪能する。言葉にして表せば贅沢極まりないかもしれないが、それをしているのがお湯の暖かさにすっかりだらけきっている男ともなれば、絵にもならないだろう。

もっとも、高天原ここでは違った価値観が生み出される。今の彼はさながらヌーディストビーチでその裸体を恥ずかしげもなく晒し、注目を集める美女に等しく、実際。脱衣所と浴場を隔てる扉一枚の向こうでは、狼達が涎を垂らし今にも飛び掛からん勢いで、双眼をぎらぎらと輝かせていた。

 新選組隊士達がやっていることは、俗に言う覗きである。日本で言えば軽犯罪法一条二十三号に該当され、それに則れば悠が悲鳴を一つ上げた時点で全員豚箱行きは免れない。そうならないのは高天原に法律が存在しないこともそうだが、悠自身あえて放置していることが大きい。


(性に興味津々な中学生って感じだな……)


 既に覗かれていることは承知済み。それでも放置しているのは――


「あ、主? 主はボクが守るから安心して浸かっててね?」

「あ、あぁ……そ、そうさせてもらってるよ鈴」

 優秀な護衛が悠の傍らにいるからに他ならない。


 窃視――覗き――は高天原でもっとも多く起こる犯罪とされていて、欲に負けて罪を犯した者は数多い。それが高天原くにの未来を担う桜華衆しょくばからも出たと聞かされては、己の将来の行く末を悠が不安を抱くのも無理はない話だった。

 それはさておき。

 加州清光から浴びた血を洗い流すべく用意された露天風呂は、正に欲求不満に苛まれる御剣姫守じょしにとって格好の狩場。何も知らぬ男性の一糸纏わぬ裸体を拝めるならば、彼女達は職務を放棄して平気で犯罪者へと成り下がる。

 そこで、そうは問屋が卸さない、と護衛を買って出たのが着替え直した千年守鈴姫である。悠としては女性としての価値観を持つ彼女との混浴に抵抗があったが、結局押し切られて……現在に至る。


(なんでこんなことに……)


 タオルで全身を隠しているから、こちらから行動を起こさぬ限り千年守鈴姫の裸体を拝むことはまず不可能。――既に二度も立派な双子山おっぱいを見てしまっているけれど。


「べ、別に一緒に風呂に入る必要はなかったんじゃないか? 見張りなら出入り口のところでも」

「そ、それじゃ主が危ないよ! こ、こうやってボクが主の傍にいる方が、その、守れると思うから……」

「で、でもだな……」

「それに……だもん」

「鈴?」

「その……主が皆と仲良くしてるのを見ると、なんだか嫌だもん」

「鈴……」


 俯きぽつり、ぽつりと零した彼女の言葉にいつもの活気は宿っておらず。そして悠は千年守鈴姫が何を言おうとしているのか、如何なる感情を胸に秘めているのか、それを察せられないほど愚鈍ではない。しかし、いやはや。いざ理解すればなんだか気恥ずかしいし、同時に微笑ましくも思う。

「皆と仲良くしたからって、別にお前のことを蔑ろにしたりなんかしない。だから安心しろ鈴」

 年下の少女あいてが不機嫌な時に頭を撫でてやれば機嫌が直る、と亡き妹で学んだ彼の手は、知識と経験に従って千年守鈴姫の頭を優しく撫でる。力加減、速度、回数、相手の表情など……培った技術を総動員させて、しっとりと濡れた髪に手を滑らせていき――結果。気持ち良さそうに目を細めた千年守鈴姫に、悠は心中にて安堵の息を一人もらした。


(それにしても、この撫で心地……癖になりそうで怖いな)


「……主ならそう言うだろうなって思ってた。だってボクの主だもん。主のことならなんだってわかっちゃうから」

「さすがは俺の愛刀。伊達に十数年一緒に行動してきてないな」

「……これからはずっと、ずっと一緒にいられるよね?」

「当たり前だ。お前は俺の愛刀だぞ」

「……うん!」


 不意に、いや、とうとうと言うべきか。がらりと、脱衣所と浴場とを隔てる扉が開かれた。電光石火――素早く二刀を抜き放った千年守鈴姫が侵入者と対峙する。湯煙に乗じて現れた敵手を見やり、はて。悠は僅かに目を見開いた。覗きを働く不届き者は新選組隊士なのは必然で、黄色い悲鳴を挙げて局長の威厳を損失した長曾祢虎徹が一番槍とは少々意外でもある。――いやいやいや、それよりも。


「ど、どうして虎徹さんが入ってくるんですか!?」

「そ、某もちょうど汗を流そうと思っていたところだ。き、貴公は女子が肌を晒すことに抵抗があるのだろう? であれば某もこうして身体を“たおる”で隠せば問題あるまい。千年守が実際そうしているのだから、言い逃れは許さんぞ」

「い、いえ確かに身体を隠してもらえれば……ってそういう問題じゃなくてですね!」

「姉者先に入るとはずるいではないか」

「和泉守さんまで!?」

「普段身体を隠したりせんから、なんやめっちゃ違和感あるわぁ……。で、でもこれもすべては悠との距離を縮めるためや」


 長曽祢虎徹の乱入を皮切りに、ぞろぞろと隊士達が入ってくる。大所帯なのだから広々と設計された浴場が鮨詰めになるような事態には陥らず、また彼女の言葉通り全員がタオルで隠している。以上から混浴の条件をきっちりと満たした新撰組隊士おおかみの侵入を許してしまった悠の状況を言葉にして表すなら、背水の陣ほど的確な言葉もあるまい。

 じりじりとにじり寄る隊士達に果敢にも千年守鈴姫が対峙する――が、欲求を解放した狼達の恐ろしさを知っているからこそ、及び腰になっている彼女に過度の期待は寄せられない。


「き、局長! こ、これ以上主に近付いたらボクが許しませんからね!」

「では局長命令だ。そこをどけ千年守。主を守らんとする貴公の忠義は見事だが、今は某が貴公の上司だ」

「そ、それでも! 主はボクの主なの! だからボクが守――」

「があっ!!!」


 長曽祢虎徹が叫んだ。


(な、なんて大きな声なんだ……!?)


 人が発するものにはあまりにも掛け離れていて、どちらかと言えば猛獣に近しい。

 だが、人がどれだけ大声を出したところで、自分と同じ質量……以前に物質そのものを吹き飛ばすなど不可能だ。その不可能を可能とした、してみせたのが長曽祢虎徹と言う御剣姫守じょせいであり、悠は即座にあれが彼女の刃戯じんぎであると見抜いた。――それしか考えられないのだが。

 びりびりと揺れていた大地も、荒々しく波が立てていた水面も、徐々に落ち着きを取り戻していく。伴ない鼓膜破裂の危機から解放された耳から両手をそっと外して、遠くで倒れている千年守鈴姫の姿に、悠はようやく搾り出すように疑問を口にする。


「い、今のは……!?」

「あれが姉者の刃戯じんぎ――虎咆こほう。姉者の咆哮は敵を殲滅する衝撃波となる。声量が高ければ高いほど当然威力は増していくのだが……」

「あまりやりすぎると町や住民まで巻き込んでしまうから某の刃戯じんぎは扱いどころが難しいのだ。故に使用する際は細心の注意を払うことが強いられる」

「要するに馬鹿でかい声ってことですね……」

「ともあれ、これで邪魔者はいなくなった。さ、さぁ悠よ。高天原には古来より裸の付き合いをすれば心身共に親密な関係を築ける、と言う言葉がある。そ、某と親密な関係を築こうではないか!」

「ぐっ……」


 さすがの悠も音を斬ることはできない。

 結局は自分でどうにかする他なく、しかし。


(この状況、どう覆す……!?)


 唯一の出入り口は新撰組に包囲されている。後ろの塀を登り外へ出る手もある――神威の悪天候をタオル一枚で活動できれば、の話だが。まず間違いなく低体温症に陥り、結果死ぬ。更に長曽祢虎徹の刃戯じんぎ――虎咆を直に受けて気絶している千年守鈴姫も回収せねばならない。打開策は――。


「たたた、大変です局長!!」


 それは、この場にいる誰しもが予想していなかった展開だった。

 今日の門番を担当していたのだろう、隊士二人が揃って取り乱している。次の瞬間、色欲に染め上がっていた長曽祢虎徹達の表情かお新撰組おおかみの一面が甦る。公私混同をしないところは素直に感心する。して、何が起きたのか。千年守鈴姫を介抱する傍らで、悠は長曽祢虎徹らのやり取りに耳を傾ける。


「何事か!?」

「そ、そそそ、それが、天下五剣の三日月宗近、童子切り安綱どうじきりやすつな大典太光世おおでんたみつよ、更に弥真白やましろ支部の小狐丸が突然やってきて……!」

「なんだと!?」

「三日月さん達が……?」


 どかどかと慌しい足音が聞こえた。聞こえたと認識した時には、脱衣所から知った顔ぶれが次々とやってくる。本部しょくばを放置して何をやってるんだ、と聞くのは野暮だろう。ともあれ助かった。悠は手を上げる。ぶんぶんと嬉しそうに手を振るう姿は子犬のような愛くるしさが感じられた。――狐だけども。


「三日月さん! 安綱さん! 大典太! 小狐丸!」

「ななな、なんて格好しているんですか悠さん! ははは、早く服を着てください!」

「まったく……けけ、けしからん!」

「そう言ってる割にはがっつり見てるじゃん。光世は眼福だからいいけど」

「まったく……あそこを見たならともかく、半裸を見ただけで騒ぐなんて皆みっともないね」

「涎、出てますよ小狐丸」

「三日月……新撰組屯所ここに何用があって来た?」

「決まっています虎徹さん。悠さんを返してもらうためにきました」

(あ、これは一荒れきそうだな)


 緊迫した空気に包まれた浴場を舞台に睨み合う両者を前に、悠は生唾を飲み込んだ。

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