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第三十八話:刺客

 その夜、路地を走っていることは彼にとって予定外だった。

 理由を挙げるとするならば、どうすごそうか悩んでいた休日が思いの他充実したからである。――悪い意味でだが。


「あぁクソ! 今日は本当に厄日だ!」

 思わず、愚痴る。

 悠の本日の予定に夜遅くまで行動することは一切計画されていない。だから小狐丸の労いとして彼は夕食を作ることを約束し――それが今はどうか。空には月がぽっかりと浮かんで、辺りはしいんと静まり返っている。

 夕餉ゆうげの時刻は、とうにすぎていた。


 結城悠は他の男とは違う。

 高天原に住まう女性の間で噂されている内容に、悠は特に否定しない。刀を持って鬼と戦う時点で既に彼女達が描く男性像とは大きく掛け離れてしまっているのだから。

 世の女性はだからと、結城悠を卑下にしたりはしい。寧ろその逆で、独占欲の炎を燃え上がらせる。

 結城悠は他の男と違い誠実に正面から接してくれる。その噂に悠は否定しない。余程の常識知らずで利己的でない限り、悠は誰に対しても平等に接するつもりであるし、今後もその考え方を曲げるつもりはない。

 ただ、平気で人前で肌を晒し誘ってくる尻軽男という件については、悠は全力で否定せねばならなかった。

 大方、天下五剣との仕合――以前の修練に携わっている御剣姫守みつるぎのかみの誰かが口走ったのだろう。

 事実を告げれば、ひょっとするとこの理解不能かつ不快感極まりない噂に彼が頭を悩まされることもなかったかもしれない。

 だが噂とは、次々に内容が湾曲していくもの。ましてや事の発端者が見得のために誇張したものなら尚のこと。要らぬ情報が付けに付け足されて、もはや修復不可能なまでに結城悠のとんでも噂は高天原に浸透してしまっていた。

 多方面より弥真白やましろへと集まってきた御剣姫守みつるぎのかみの魔の手から逃れ続けて――時の流れを忘れた悠がようやく自由を取り戻せたのは、町が眠りに就いてからだった。


(今頃、腹空かせて怒ってるだろうな……)


 腹を空かせて涙目で怒る小狐丸らが目に浮かび、罪悪感にただただ胸が締め付けられる。

 結城悠には約束を破らざるをえなかった事情がある。あるが、それを理由に開き直るつもりは毛頭ない。今にして思えば、もっと上手な回避方法もあったやもしれぬと考えてしまう。――後悔先に立たずとは、正にこのことだ。

 結果として、心中にて謝罪しながら、悠は帰路を急いだ。


「ん?」


 その足が、ふと止まる。


(誰だ……?)


 人がいる。それだけならば、違和感などどこにも見当たらない。

 町にいるのだから人がいて当然であるし、理由はどうであれ悠のように夜の町を散策している輩だってきっといてもおかしな話ではない。

 そのように捉えられなかったから、剣鬼の右手は腰の大刀へと伸ばされる。

 上から下まで。闇夜に溶け込みやすい紺色の装束は侍と肩を並べる存在……忍の物。

 月下に佇む敵手の右手にて白銀の刃が怪しく輝く。――どうやら殺る気らしい。


(くる……!)


 次の瞬間。一人が地を蹴り上げた。

 どかどかと地を強く踏み鳴らす様は、さながら猛牛か。上段に構えられた白刃を見定めて、悠もまた己が持つ必殺剣の構えを取る。

 月がぽっかりと浮かぶ今宵、昼間のような間抜けを犯すこともあるまい。目の前の敵手を討てと、天空そらに煌く衛星つきを味方に付けた剣鬼に敗北の二字はなし。

 後は必勝法セオリーに沿って彼が刃をひょいと動かせば、結城悠の勝利は約束される。


「終わりだ」


 まずは一人。月の恩恵を強制的に浴びた敵手に星刃が命を断ち――びゅおっ、と疾風が眠る町を吹き抜けた。

 その程度のことで敵手を捉えた剣鬼の瞳が閉じられはしない。わずかな曇りさえもない彼の瞳には敵手の姿がしっかりと収まっていて――突如、相手の背後より突出した二つの影に、悠の目は驚愕によって見開かれることとなる。


「何っ!?」


 風に吹かれてなびく草原の草葉のように。絶妙なタイミングで二振りの白刃が悠に襲い掛かった。切先を通して伝わってくる殺気が、喉と眉間を的確に捉えている。


(こいつは囮か……!)


 左手による脇差の逆手抜刀。並びに一太刀浴びせんとした大刀を防御へと回す。

 がきん、と耳をつんざく金打音が夜の弥真白やましろに反響する。


「くっ……!」


 前蹴りで正面の敵手を蹴り飛ばし、その反動を利用して間合いを取る。


(今のは……)


 双極の構えは、決してそう易々と破られるものではない。悠自身そう自負するほど、彼はこの技に絶対的な自信を持っている。万が一、見破られ対策されたとしても彼が持つ二つの魔剣を打ち破らぬ限りは真に攻略したとは到底言えない。

 先の一撃、間違いなく一人は殺れていた。自身が思い描く必勝法セオリー戦況シナリオが進んだのであれば、剣鬼の勝利に揺らぎはない。

 そう、殺されるとわかっていて残る敵手はこちらへと斬り掛かってきたのだ。

 囮に敵手が構っている隙に本命を太刀打つ。相手の必勝法セオリーに気付くのが後一瞬でも遅れていれば、結果は逆になっていた。


(仲間が殺されることにこいつらは抵抗がないのか!?)


 予想外の展開に、悠は目一杯の疑問と困惑を抱えつつも、即座に思考を切り替えて次の行動に移行する。左右の刀を再び構え直し、先と同じく単身で向かってくる敵手に今度は仲間にも意識に細心の注意を向けて――それは直ぐに、悠の警戒心を最大限に高めた。


(一人いない!?)


 彼が抱いた疑問は、差ほど時間を要することもなく霜のように氷解した。

 背後より迫る漆黒の疾風。ぎらりと輝く切先を向けて地を駆る姿は飛翔する矢の如し。驚くは悠が間合いを取り、構え直すまでに要した一瞬。その一瞬に剣鬼の警戒網に探知されることなく背後を取った相手の技量には、敵ながら悠も賞賛の念を抱かざるを得なかった。

 前から。後ろから。歩幅はほぼ同じにして、二つの剣気が突撃してくる。――挟み撃ち攻撃か。であれば結城悠は対処法を会得している。

 

 鳴守真刀流――流。二対一を想定して編み出されたこの技術は、異世界の地にて二匹の古鬼を対価にしてついに完成を成した。

 無防備な背後より勝機を見誤った敵手の顔が驚愕に染め上げられた時、己が勝利は絶対不変のものと化す。

 故に今度こそ、と悠は己が作った勝機が真実になると信じて疑わない。

 鋭く短く呼気を吐いて、大上段に構えた星刃を振り向き様に打ち落とす。轟と大気を唸らせた一撃は敵手の頭部をばっさりと両断する。両断した――と、実際は。悠が思う結果通りにはならなかった。


「なっ!?」


 硬い感触が刃越しに伝わった。

 防がれた。防がれたが、悠の驚愕は別にある。

 防具越しであれば納得もできよう。しかし、はらりと避けた装束の隙間より覗かせのは白く綺麗な肌だ。とても防具が装着されているようには見受けられないし、なによりうっすらと血が滲み出ているのが動かぬ証拠だ。

 敵手は素手で、結城悠の剣を受け止めていた。


「くそっ!」


 舌打ちをこぼし、悠は真横へと逃れる。背中を土塀に預け、じりじりと間合いを詰めてくる忍達を見据える。


(この戦い方……)


 一人が斬りかかる。それに対処すれば残る面々が続けて攻撃を仕掛ける。この戦い方に悠は覚えがあった。実際に刃を交えたことはなく、覚えと言っても見聞による程度のものでしかない。

 だが、間違いない。悠には確信があった。


「……だからって、俺はお前達に命を狙われるようなことをした憶えはないんだけどな。一体俺に何の用があるんだ?」

「…………」

「さっき剣を交えた時にわかった。お前達には俺を殺そうとする気概がまるでない。なのにこんな物騒な真似事をする理由を聞かせてもらおうか」

「…………」


 それが叶えばどれだけ楽だったことか。自分自身で尋ねておきながら叶わぬ展開に、悠は自嘲気味に小さく笑う。

 忍の恐ろしさは忍術でも体術でもない。如何なる状況であろうと命令を完遂させる、その鋼鉄のこころにある。

 捕らわれて情報の漏洩を防ぐために仕込んだ毒で自害するほど、忍とは己をもかえりみず任務を最優先させる、謂わば機械的思考を持つ別生命体だ。

 だから悠も相手からの反応レスポンスに期待はせず、この劣勢とも言うべき状況を如何にして打破するためだけに思考を働かせる。


(正念場だ……)


 外部からの助けは求められない。あれだけ激しく打ち合ったというのに、誰一人様子を窺おうとする野次馬の気配は皆無。痴漢や変質者対策で大声で助けを求めようという、平成の世に出回った護身法はこの時代……もとい世界では役に立たないらしい。

 結局のところ、自力でなんとかするしか方法がなく。今もにじり寄ってくる忍達の息遣いの荒さに、あぁ……と。悠はまたも理解してしまう。

 敵手において結城悠の命に価値は無に等しく。求むるは未だ誰にも捧げていない純潔だったようだ。

 要するに、敵手の正体は集団強姦魔といった具合だろう。――身構えて損をした気分になる。


「ったく……恥ずかしくないのか? 俺が言うのもなんだが、一人の男を寄ってたかって襲うのはどうかと思うんだが」

「…………」

「無視か。まぁいい。相手が強姦魔とわかった以上、こっちももう手加減はしない。結城悠の純潔いのち、そう易々と奪えるとは思わないことだ」

「そのとおり。悠の純潔をもらうのはこの私の役目だよ」


 とん、と。軽やかな足音が頭上で鳴った。

 見上げる。ふわりと浮かぶ白い下着――もとい、その履き主。月下にて、きらきらと燃える金色の美しい毛並みの狐耳と尻尾を生やす彼女は、ここ弥真白やましろにおいて一人しかいない。

「人の男に手を出すなんて、君達はとんでもない愚行を犯したことになるよ」

 この危機的状況を乗り切るのに、これほど頼もしい援軍も早々いまい。

 ゆらゆらと金色の尻尾が揺れ、蒼い狐火がちりちりと大気を熱する。幼い容姿ながらも妖艶な色気と豊満な胸を兼ね備えた彼女――小狐丸の登場は悠のみならず、敵手にも驚愕を与えた。


「小狐丸!」

「まったく、あまりにも帰りが遅いから総出で探しにきたんだよ。でもどうやら一番手は私だったみたいだね。やっぱり悠と私は運命の赤い糸で結ばれているみたいだ」

「冗談抜きで助かった。ナイスタイミングだ小狐丸。悪いけど少し手を貸してくれないか?」

「元よりそのつもりだよ。私の悠に手を出すことがどれだけ罪深いか、私が思い知らせなきゃ気が済まないからね」


 蒼炎妖狐そうえんようこが微笑む。こんこんと蒼き狐火が踊り、しゃりんと刃鳴はなりがすれば、後に残るは外道の骸のみ。一騎当千……今宵、天下五剣に匹敵する御剣姫守みつるぎのかみの剣が演じるは死へと誘う幻想曲。


(やっぱり……小狐丸は強い)


 一対三と同じ条件下での戦いを強いられながら、戦況は先の己とまるで比べものにならない。

 圧倒だ。相手の一糸乱れぬ連携攻撃を前にしても、小狐丸の顔は余裕に満ち溢れている。それでいて彼女は本気でないというのだから、剣鬼はつくづく己がただの人間であることを改めて思い知らされる。

 さて。天下五剣に匹敵する彼女の剣を前にして、忍達の動きにも変化が生ずる。ざざっと一様に足並みを揃えたかと思いきや、結果として事態は悠が望む結末を迎える。それは俗に言う、逃走である。

 彼女達は結城悠襲撃を諦めて、身をひるがえして逃走を図った。――そうは問屋が卸さない。


「逃がさないよ!」


 小狐丸が追い、ぼんと一際大きな音が彼女の足を止める。古くから使われる代表的な忍術の一つであろう、煙幕による追跡阻害を受けた。

 もうもうと夜空に上る白煙を白刃が斬り裂いた時、そこに敵手の姿はどこにもない。


「やれやれ、逃げられてしまったみたいだね」

「でも俺もこうして無事でいる。助かった小狐丸」

「ふふっ。愛しの君を守るためだからね。お礼は今夜添い寝してくれたらいいよ」

「添い寝か……寝るだけならな」

「えっ!? ほ、本当かい!? いや言ってみるもんだね」

「……冗談だ。別のことで手を打ってくれ」

「むぅ……それなら今度、私と“でぇと”をしてもらおうかな」

「まぁ、それぐらいならいいか。わかった、ただしそれまでにきっちりあの紙の山を昇り切っておいてくれよ?」

「了解したよ。それじゃあ帰ろうか。今日は私達が夕餉を用意したけど、次はちゃんと君の手料理を食べさせてほしいな」

「悪かった。元はと言えば俺が帰るのが遅くなったのが原因だからな。気を付ける」


 小狐丸と支部へ帰還する。

 道中、結城悠捜索に出ていた面々と合流を果たし、勝ち誇った笑みの小狐丸との一悶着は近隣住民より騒音苦情が出るまで続けられることとなる。――さっきのチャンバラは聞こえてなかったと言うから不思議だ。


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