第三十六話:乱入者
良く晴れた空の下で、ほんのりと熱気を帯びた微風に紫陽花が揺れている。
同じく今日という日を精一杯生きようとする彼女らも健康的な白い肌にうっすらと汗を滲ませていた。
もうすぐ、夏が訪れようとしている。エアコンという人類にとって大変すばらしい文明の利器がなかった時代の人々は、はて。どのようにして夏をすごしたのやら。少なくともやれ温暖化だの、やれ異常気象だの、うるさく言われていなかった時代だ。そこまで暑さに悩まされることも、まぁなかったに違いない。
窓際の席にて、町の様子をぼんやりと眺める傍ら悠はカップを手にコーヒーをすっ、と啜る。朝早く出掛けたはよかったものの、ではいざ何をしてすごすかと考えてみたが、最初から無計画であったので完全に暇を持て余す形となってしまった。
高天原の地は明治時代を彷彿とされていて、平成生れの遊び盛りな少年少女らが認識している娯楽と呼べるものは何一つない。
唯一、娯楽になったであろう悠のスマートフォンもとっくにその役目を終えて永き眠りに就いている。――充電を雷切丸に依頼した結果。過充電を通り越し、ぷすぷすと丸コゲとなった光景は、今となってはいい思い出だ。
従って、彼の退屈を紛らわせるだけの魅力あるしのぎはこれと言ってなく――。
「お前さん、“こぉふぃ”を飲めるなんてやるじゃねぇか」
「まぁ、飲み慣れてるんで」
とある喫茶店。結城悠が英雄足らしめる貢献者的立場にあろう彼……國鉄徹心に誘われた女人禁制の園――男茶会にて、コーヒーと洋菓子に舌鼓を打つ。
江戸時代初頭の長崎出島で輸入されたコーヒーが、明治時代に入ってようやく人々に受け入れられたように。ここ高天原でも頑張ってコーヒーを飲もうとする輩は多い。
彼らの中でコーヒーを飲める男は真の紳士であると、独自のステータスがあり、涙目になりながらも飲み干してはどうだと威張り合う光景がちょっとした流行にもなっている。
従って男性にして高天原を救った英雄がごくごくと美味しそうに飲む姿は、自然と彼らの目に尊敬の念が宿るには充分すぎると言えよう。砂糖もミルクもなし。ストレートで飲めば尚のこと。
もっとも、たかがコーヒー一杯を飲むだけでじろじろと見られている当の本人にしてみれば、非常に落ち着かないのだが。
「でも男茶会ですか。俺はこういうのに参加するのは初めてですけど、徹心さんはよく来るんですか?」
「まぁな。まぁ女房共に昼夜問わず誘われずに済む唯一の楽園ってやつよ。なぁ悠よぉ、お前さんも結婚したら気ぃ付けろよ? 下手すりゃ腰痛になって、そこで世話んなる医者からも吸い取られるんだからな」
「……気を付けます。いや本当に」
遠い目を向ける経験者は静かに語る。悠は深く國鉄徹心のとても重みある言葉を肝に命じた。
「しっかし、お前さんが本当に高天原を救うとはなぁ……今になっても信じられねぇよ。でもまぁ、お前さんのおかげで俺達國鉄一派の刀は村正の奴を超えたってことも証明できた。これからもお前さんには特別に安くしといてやるからよ」
「ありがとうございます」
楽しい時間は早く過ぎ去っていくもの。昼食時も近付き、そろそろお開きにと誰かが言った――その時。
「御用改めである! 神妙に致せ!」
突然がらり、と扉が開いた。
陽光を背に玄関前で佇む二人の影。
片や、例えるならば燃え盛る黄金の体毛を生やした獅子の如く。短く整えられた金色の髪と鼻筋の中央に入った横一文字の傷が、勇ましさと凛々しさを引き立てる。
片や、鋭く冷たい瞳で獲物を狙う猛禽類の如く。水に濡れたように鮮やかな漆黒の髪を後ろで一本に束ねている彼女の顔は威厳に満ちている。――直後、目が合うとべろりと舌なめずりをされた。にやぁ、という擬音が大変似合う笑みが彼らの恐怖を更に増徴させいて、恐らく当時者はその事実に気付いていない。
彼女らには共通点があった。そしてその共通点に己が保有している情報と合致したので、悠も納得する。程なくして、たったった……と軽やかな足音に耳と目を傾ければ。二人と揃いのダンダラ模様の羽織を纏う、見知った顔がやってくる。
「こ、虎徹姉と兼姉! お、置いてかないでくださいよ!」
「清光さん?」
「あ、悠さん! どうもこんにちは!」
「ほぉ。ではこの男が例の結城悠と言う男か」
「なるほど、男でありながら剣士としていい顔をしている。気に入った自分と結婚しよう」
「……清光さん。この二人は?」
「あ、はい。この二人は――」
「貴公が結城悠だな。某は新撰組局長、長曽祢虎徹という」
「自分は副長の和泉守兼定だ。惚れてくれていいぞ」
「この二人が、あの……」
新撰組局長、近藤勇の愛刀として知られている名刀……長曽祢虎徹。近江国――現在の滋賀県――の甲冑師から齢五十の時に刀匠としてデビューを果たした異色の経緯を持つ。甲冑を知り尽くす虎徹の切れ味は大変よかったが故に、偽者が多く出回り虎徹を見れば偽者と疑えと言う格言が存在するようになった。
鬼の副長こと、土方歳三の愛刀として知られている名刀……和泉守兼定。美濃国――現在の岐阜県――関の刀匠、兼定の一派が作り上げた一振りである。
関鍛冶の刀は外見の華やかさに拘らない代わりに、抜群の切れ味を誇り実用的な刀として数多くの戦国武将や侍達に広く愛用されてきた。
そこに加州清光が加わったことで新撰組の象徴とも言える面子が揃い、はて。御用改め――現代風に言い直せば家宅捜査――をされる理由が悠にはわからない。
「某らは貴公を探していたのだ。丁度お前がこの店に入ったと言う情報を受けたのでな。こうして駆けつけてきた次第だ」
「俺を……? 一体どんな用件で?」
「うむ。どうだろう結城悠。某らの新撰組に入る気はないか?」
「え?」
突然の勧誘に悠は戸惑いを隠せない。
(俺が……新撰組に?)
「どうだ?」
「いや、どうだって……いきなり言われても。だいたい、前々から思ってたんですけど新撰組って具体的にどう言う組織なんですか?」
異世界に己の知識を当て嵌めるような愚行を悠は犯しはしない。しかし、今までの会話で何度も耳にしていてその実、肝心な組織自体をまるで知らない。
こほん、とかわいらしく咳払いをした加州清光が語り出す。
「新撰組と言うのは私達三人を含む数十名からなる、いわば万屋みたいなものです。内容自体は桜華衆と大差はないんですけど、近隣住民の方々から寄せられた依頼を請け負ったりとか。万屋なのでなんでもしますね」
「仕事の成功率はほぼ完璧。そうした努力が実を結び、今の新撰組がある。そうだな姉者」
「ふん、我々新撰組はあんな軟弱組織とは違う!」
「もう、いつまで意地張ってるんですか虎徹姉。向こうは何度も誘ってくれてるのに」
「三日月さん達と何かあったんですか?」
「……ずっと昔のことなんですけど。虎徹姉が三日月さんに喧嘩を売ったことがあるんです。最初に造られたからっていい気になるな、自分達の方が強いから今日から全員部下な、って……。そこで仕合をして勝った方が“りーだー”になるってことになったんですけど」
「こてんぱにやられた……と?」
「えぇ、まぁ。いえ虎徹姉も結構頑張ったんですよ? だけどわざわざ三日月さんの刃戯が発動する夜に仕合を挑んだものですから、その……」
「なるほど。それはなんとも……」
相手の土俵で勝利してこそ意味がある。――なるほど、確かにそれも一理あろう。
相手が完全な状態だからこそ、勝利した時に得られる周囲への反応は極めて大きい。真の勝者たらしめるのに、これ以上の演出もまぁなかろう。
だから悠は長曽祢虎徹の行動を否定しない。しないが、やはり。最初の時点で勝てないと彼女は気付くべきたったと思う。
「某の真の実力もわからない愚か者に愛想が尽きて離反したまでのことだ。それよりもどうだ悠。貴公も某らの新撰組で働く気はないか?」
「えっ?」
「聞けば貴公は男でありながら剣の腕が立つらしいな。某らの新撰組は老若男女問わん。強ければそれだけで某らの同志として相応しい資格となる」
「姉者が言う通りだ。結城悠、お前の真の価値は新撰組でこそ輝ける。そして自分の男になれ」
「は、悠さんが新撰組に……わ、私の後輩ってことは、そこから……ぶふっ!」
「清光さんが鼻血を出した!」
「やれやれ、相変わらずその癖が直らんな。ほらちり紙だ」
「あ、ありがとうございます兼姉……」
「……さて、話戻そうか。どうだ?」
「それは――」
何を今更迷う必要がある。己の答えは既に出ているではないか。悠は静かに口を開く。
「……申し訳ありませんが、丁重にお断りさせてもらいます」
IFを考えてしまう。あの時小狐丸に出会わず、三日月宗近から桜華衆にも誘われていなかったら俺は。きっと新撰組に入隊していただろう、と。
幼少期の悠にとって新撰組とは、剣を振るうべき存在として憧れでもあった。特に池田屋事件で派手な立ち回りを見せた――役者達の迫真の演技は大人になった今でも鮮明に思い出せるぐらい彼の心に根強く残っていて、結城悠の鳴守真刀流に少なからず影響が与えられていたと言っても過言ではない。
だから新撰組の一隊士として働いていた未来(IF)も、きっとあった。――だが今は違う。
「な、何故だ!?」
「俺はもう桜華衆の一員です。俺を拾ってくれた小狐丸や三日月さんには恩があります。だから俺も最期まで桜華衆の一員としてあり続けたい……ですから申し訳ありませんが、遠慮させて頂きます」
「……なるほど、やはりいい目をしている。あいわかった。貴公がそう言うのなら仕方がないな」
「姉者!?」
「行くぞ二人とも。今日は結城悠と出会えただけでも大収穫だ。だが某はそう簡単には諦めんからな。それだけは憶えておくことだ――行くぞ」
愉快そうにからからと笑って立ち去る長曽祢虎徹。新撰組局長の言葉ともなればさすがの副長も従わざるを得ず。渋々と、後ろ髪を引かれているのが手に取るようにわかる眼差しを何度も何度も向けながら後を追いかける。
「そ、それでは悠さん。これで失礼します!」
「えぇ、また」
最後に加州清光が二人を追い掛けて――やはり、堪えられず戻ってきた和泉守兼定と鉢合わせた彼女がずるずると首根っこを掴んで連行した。――ドナドナと誰かが口ずさんだような気がしたが、まぁ気にしないことにする。




