第三話:狂った世界に生きる者達
「……タイムスリップとは、違うんだよな」
日本っぽい世界観だからか、不思議と安心感がある。
現地住民に混じって、悠は辺りを物色した。
町並みそのものは歴史の教科書や歴史博物館で見たものと大差ない。
強いて言うのであれば、すれ違う度に女性がジロジロと見てくることぐらいか。
しばらくして、更なる違和感と遭遇する。
警察と言う組織ができあがったのは明治時代からだ。
現代では警棒と拳銃による武装だが、当時はサーベルを帯刀していた。
だから腰にサーベルを差していることに異論はない。
ないが、どうして女性の警官ばかりしか見ないのだろう。
おまけにスリットが入ったミニスカートの制服を着用している。時代錯誤にもほどがあろうに。そして歩けば必然的に見えてしまう下着は白で統一されているとも知った。
「ほら悠さん。もっと私の傍に寄ってください! そんなに離れているといざと言う時に悠さんを守れませんからね!」
「あ、はい……」
「と、ところで悠さん。今の私達は周りから見ればどのように思われてるのでしょうかね!」
「さぁ。別に……刀を差している女性と歩いているぐらいにしか思われてないんじゃないですか? それに周りだって同じような――」
自分で口にして、一つの疑問が急に浮上する。
日本風の異世界。明治時代を連想させる文明レベル。
これらの要素に加わった新たな違和感に、悠は疑問を抱かざるを得ない。
よくよく見ると男性は必ず女性と行動している。
ただの従者か、恋人か、はたまた夫婦かどうかなど大した問題じゃない。
女性の腰には必ず左腰に一振りの刀を携えられている。
それこそが悠が抱いた疑問であり、抱いて当然すぎる内容だった。
店を開いている者も、食事処で慌しく働いている者も。
視界に入るすべての女性は、腰に刀を差しているではないか。
御剣姫守が帯刀しているのならばわかる。
彼女達は桜華衆たる組織に所属して、国を担っているからだ。
ならば道行く全員がそうである、なんて馬鹿げた話はない。
悠の知る歴史から言えば、明治初期にて廃刀令が発せられている。
所有する分には問題ないが、旧時代のように腰に携帯することを庶民は禁じられた。
大和では廃刀令が敷かれていない、と考えれば納得できるが。
対して男は丸腰だ。
可愛らしい柄の着物に簪などでおしゃれをする様は、悠が知る女性が本来するべき姿形である。
見ていてあれは毒だ。気持ち悪い以外の何ものでもない。
図体がでかく厳つい顔をしていても、その挙動は女性のようにしおらしい。
犬に吼えられて短い悲鳴を上げて涙目に脅える様子は、悠に多大な精神的ダメージを与える。
込みあがってくる嘔気を無理矢理抑え込む。
「あの、三日月さん。一つお尋ねしたいんですけど……どうして女性は皆刀を差してるんですか? それにさっきから見ていると男性は必ず女性と歩いているようですけど」
「それは……ってそうでした。悠さんは異世界の人だから知らなくて当然でしたね」
咳払いの後、三日月宗近が語り始める。
「まずは私――御剣姫守についてご説明しましょう。御剣姫守は大きく分けて三種類あります。一つは私を含めて村正によって作り出された真打造り。そして百年前以上も昔に村正が残した技術を、現代の技術力で模倣して後天的に作り出されたのが数打造り――正式名称は数打九十五式軍刀と私達は呼んでいます。そしてもう一つ、御剣姫守との間に生まれた混血児です」
「混血児……」
「私達……いえ、御剣姫守が生まれる前からいた人間の女性達は鬼と呼ばれる怪異と激しい戦いを続けていました。やがて私達が村正によって生み出され桜華衆が結成されたことで一年ほど前に終結しましたが……そこに至るまで女性は鬼に戦いを挑み続けて敗戦を繰り返して……とうとう絶滅しました」
「女性が絶滅したって……そんなことが」
開いた口が塞がらない。
純粋な女性が絶滅してしまった異世界。
現存する真打造りと、今も尚どこかで生産され続けている数打造り。その間に生まれた混血児。
人間を模して作られたはずの存在が、人類に代わって地球に君臨するなど疑似科学でしか悠は見たことがなかった。
「悠さん、これが私達の世界が歩んできた歴史です。驚くのも無理はないかもしれませんが……」
「いや、驚くなって言う方が無理ですよ……でも、よくわかりましたよ」
「……では次に男性保護法についてご説明しましょう。まず男性保護法と言うのは――」
「ずっと昔に起こった鬼との戦い……<兎杷臥御の戦い>で多くの犠牲者を出しつつも人類は勝利した。けれどもその影響か男児の出生率が激減、今じゃ三対七と男女比率はすっかり大狂い。そこで男性を保護するための法律……男性保護法を桜華衆が作り上げた――こんな感じで簡単に纏めてみたけど理解できたかしら?」
「だ、男性保護法……そんなのがあるんですね」
新たに得た情報は、悠に凄まじい衝撃を与える。
戦争の爪痕による人体変異。
男性の出生率の低下は、即ち子孫繁栄に悪影響を及ぼす。
女性だけでは子供は産めない。
だから男性は国の貴重資源として保護される対象に指定された。
つまり一人で外を出歩こうとしていた悠は、危うく法律違反者になりかけたのだ。
異世界から来たのだから、この世界の社会規則を知っているわけがない。
かと言って現地住民からすれば知らない話で、説明したとしてもすんなりと信じてもらえないと考えるのが常識だ。
つくづくここが異世界であると悠は思い知らされる。
ところで。
「どちら様でしょうか?」
三日月宗近の言葉を遮った女性に、悠は尋ねる。
身体からばちばちと放電現象を起こしている時点で普通じゃない。
彼女もきっと、御剣姫守と言うやつだろう。
「あぁ、申し遅れたわね。私の名前は雷切丸って言うの。はじめまして素敵なお坊ちゃん」
「雷切丸? 雷切丸ってあの……?」
「あなたの言う雷切丸がどの雷切丸かは知らないけど、多分そうよ。因みに千鳥って言う姉がいるんだけど、口うるさくて融通が効かないのがキズなんだけどね」
千鳥――立花道雪が愛刀として知られる名刀が、雷切丸へと改名されたのは雷獣を切り伏せたと言う伝承が有名だ。
実際は、戸次鑑連と名乗っていた頃に転寝をしていた樹木に雷が直撃し、降り注ぐ火炎を千鳥で切ったことが由来である、と大友興廃記には残されている。
千鳥から雷切丸と改名された名刀が姉妹として存在しているのだから、やはりこの世界では悠が持つ知識は何一つ通用しない。
「ら、雷切丸さん! 貴女どうしてここに!? 持ち場を離れるとは何事ですか!?」
「今日は休みだから久しぶりに高天原へ遊びにきただけよ三日月。どこかにいい男が転がってないかなぁって思ってたら、ここにいるじゃない?」
「悠さんは物ではありません!」
「でも三日月の男ってわけでもないんでしょ? それならさ、私が話し掛けたとしても問題ないわよね?」
「お、大ありです! 私は今悠さんの護衛中なのです。ですから邪魔をしないでください!」
「ふ~ん、護衛ねぇ。本当に護るだけなのかしらねぇ天下五剣さまは!!」
「うわっ!」
いきなり雷切丸に尻を撫で上げられた。
予想外すぎる行動に思わず飛び跳ねる。
雷切丸の行動の意図がわからない。
何故彼女は俺の尻を撫でた。それ以前に男の尻を撫でる需要がどこにある。
撫でたところでなにも面白くなどなかろうに。
しかし、雷切丸の顔には、とてもいい笑みが浮かんでいる。
「あ、貴女はいきなり彼に何をするんですか! 恥を知りなさい恥を!」
「うっさいわね! <兎杷臥御の戦い>は終わったって言うのに鬼の被害は完全に消えたわけじゃない! だから私達桜華衆は未だに解体されないまま、男と無縁な生活を送る毎日。一方で数打の子達は次々と旦那を捕まえて幸せな“はぁれむ”生活を送ってる! なんなのこの差は!? 明らかにおかしいでしょ!」
「だ、だからってそれが悠さんのお尻を撫でるのにどう関係があると……!」
「ぜっっっったい私は姉さんよりも、誰よりも幸せになってやるわ。重婚なんて絶対に認めない、ほんの少しも分けてやるもんか。だいたいあなたもあなたよ悠! だいたいなんなのこの魅力的な尻は! ぷりぷり振って私を誘ってるんでしょ!?」
「な、なんで揉むんですか!? 後それは貴女が勝手に思ってるだけでしょう!」
「くぅ……もう我慢できないわ。これはもう私の家……ううん、もうその辺の人気のない場所でいいから、このムラムラを貴方に解消してもらうことにするわ!」
「人の話聞いてます!?」
「させませんよ雷切丸さん! 悠さんは私がお守りします! 天下五剣の名に懸けて!」
「邪魔をするって言うなら容赦しないわよ三日月宗近!!」
雷切丸が刀を抜いた。
刃長およそ二尺の刃に蒼き雷が駆け抜ける。
激しく放電現象を起こす刃を前に、三日月宗近も静かに太刀を抜いた。
天下の名工、三条宗近が生み出した最高傑作。
抜き放たれた刃は、三日月の号に相応しい輝きを宿している。
名刀と名刀。
二振りの美女が刃を手に対峙する。
いやいやいや。それよりもやるべきことがあるだろう。
狼狽しながらも、悠は仲裁に入る。
「町中で何やらかそうとしてるんですか!?」
「下がっていてください悠さん。今の彼女は危険です。もしここで悠さんが攫われてしまったら……くっ、なんて羨ましい! じゃなくて破廉恥な!」
「えっ!? 俺何されるの? 後羨ましいって何!?」
「もう手でも玩具もすっかり飽きちゃったのよ……三日月、あなただってそれは同じはずよ? 本当はほしくてほしくてたまらないんでしょ?」
「い、今は関係ないじゃないですか! とにかく悠さんには指一本触れさせません!」
「真昼なのに私に勝てるかしらねぇ三日月ぃッ!!」
雷切丸が吼えた。
地を蹴り上げて三日月宗近へと肉薄する。
蒼い雷を纏い疾走する姿は正に一陣の稲妻。
刹那、けたたましい金打音が町中に反響した。
「甘く見られたものですね……日が昇っている時であればこの私に勝てると思ったその驕り、我が一刀のもと粉砕してあげましょう!」
「抜かしたわね!」
中空で交差する双刃。
目まぐるしい速度で刃が疾り、そして衝突を繰り返す。
目にも留まらぬ速さ、なんてレベルではない。
彼女達の剣は目にも映らぬ迅さだ。
刃がぶつかりあった、と認識した頃には既に別の場所で刃が交差している。
これが御剣姫守の戦い。
これこそが異世界の醍醐味。
刃を交えている二人はもう止められない。
いや、止めようと言う考えが綺麗さっぱりに消え去った。
俺は二人の戦いに見惚れてしまっている。
何故ならこんなにも、刃を交えている彼女達は強く、美しく輝いているのだから。
決して、生じた剣圧で衣服が破れて肌が大胆に露出されていくのを見たいからじゃない。
純粋に剣士として戦う姿を俺は見たいのだ。おっぱいに興味は……なくはないが、今はとにかく眼中にない。
十合、二十合と打ち合った彼女達の動きに変化が生ずる。
僅かだが二人とも息を乱している。
伴なって衣服はすっかり布と化していた。
秘部は辛うじて隠されているものの、上半身は完全に裸だった。
ぷっくりとした桃色の突起物はまだ穢れを知らず。
白く綺麗な肌は、とても健康であることを示している。
それはさておき。
空気の流れが変わったのを、悠は肌で感じ取る。
遂に二人の戦いが終わろうとしている。
どちらが勝ってもおかしくない。それだけの名勝負を彼女達は演じた。
ただ、ここで雷切丸が勝ったしまったら俺の何かが危ない。
故に悠は常識のある三日月宗近の勝利を祈る。
「いい加減決着つけましょうか三日月。ここであなたに勝って彼の■■■は頂くわ」
「だ、だから白昼堂々公衆面前で卑猥な言葉を出すのは控えなさい! せ、せめてそこは珍宝と言いなさい!」
「いや、それもそれでどうかと思いますけど……イントネーションでなんとかしろって話でもないですよ?」
「三日月宗近あああああああっ!!」
「雷切丸うううううううっ!!」
悠のツッコミを他所に、二人は同時に地を蹴り上げる。
両者の間合いが縮まり――次の瞬間。
「そこで何をしている!!」
遠くから怒号が聞こえた。
ぴたりと、両者の動きが止まる。
声がする方を見やれば、鬼神のような顔をした巫女がいた。
右手に太刀を握り締めていて、既に戦闘態勢に入っている。
「や、安綱さん!?」
「町中で喧嘩をしていると報告を受けて飛んできてみればこれは何事だ! しかも三日月、片方が貴様だったとはな」
「勘違いしないでください安綱さん。私はあくまで悠さんを雷切丸さんから守ろうとしただけです」
「ちぃっ! 脳筋女が一緒だと流石に厳しいわね――今日のところは見逃してあげるわ! 次に会った時はあなたの前で悠のぷりぷりお尻が私の物になるのをたっぷりと見せつけてあげるから覚悟しておくことね!」
とても物騒な捨て台詞を吐いて、雷切丸は颯爽と立ち去っていった。
俺の尻はいったい彼女に何をされてしまうのだろうか。
俺の尻のどこに、彼女を夢中にさせるだけのものがあるのか。
恐ろしくて聞けない。聞きたいとも思わない。
今後雷切丸には充分に注意するとして。
「大丈夫……じゃなさそうですね三日月さん」
改めて三日月宗近を見やる。
幸いなことに衣服を除いて、傷一つ見当たらない。
代わりに豊満な胸が揺れている。
それが眼前に迫ってきたのだから、悠の顔に驚愕の感情がこれでもかと浮かび上がったのは無理もない話だった。
悠は三日月宗近に強く抱き締められる。
顔は豊満な胸の中へと埋められる。
女性特有の柔らかな肌の感触とぬくもりが顔全体に広がって、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
とてもいい匂いだ。
このまま身を委ねてもいいかもしれない――って、そうじゃないだろう。
抱き締められるのはもちろん、何故彼女の生乳が押し付けられる。悠はそれがわからない。
わからないが、とにかく離れなくては。
この匂いと感触は猛毒だ。主に股間に大変な悪影響を及ぼす。
「ちょ、ちょっと三日月さん! いきなり何をするんですか!?」
「よかった……どこもお怪我はありませんね悠さん!」
「いや俺は傍観していただけで怪我なんかしませんからね! と言うよりちょっと離れてください。なんか息が苦しくなってきました……!」
「あ、ごめんなさい」
ぱっと三日月宗近の胸から開放される。
脳裏に残る快楽と、湧き上がる衝動を必死に理性で抑え付けた。
抑え付けようとした。
だが無情にも、悠の努力は虚しく終わる。
三日月宗近の視線が固まっている。
正確に言えば一点を集中していた。
彼女だけじゃない。駆けつけた童子切り安綱も、雷切丸との戦いを観戦していた野次馬達も。等しく視線は同じ箇所に向けられている。
どこを見ているのか。問うまでもない。
男として生まれたからこそ、悠は視線の意味を痛感していた。
「み、見ないでくださいいいいいいいいっ!!」
踵を返して悠は地を蹴り上げる。
駆ける。駆ける。駆ける。
ただひたすらに町中を全力疾走する。
顔から火が出そうなぐらい熱い。人間羞恥心が極限にまで達すると、こうも熱を帯びるものなのか。
不覚にも起きてしまった愚息を見られたにも関わらず、頭は意外と冷静なのが腹立つ。
とにかく、今は誰もいない場所に行きたい。
悠は高天原を飛び出した。