外伝2:一つ屋根の下で
第五話の裏面になります。
男が鬼を斬った――前代未聞の事件から数時間が経過した。
日はすっかり落ちて、漆黒の空に無数の星が散りばめられている。
特に月が一際美しく輝きを放っている。
高天原の町は眠りに就き――未だ灯りの消えぬ桜華衆本部で、三日月宗近は落ち着きなくウロウロとしていた。
とうに業務は終わっているし、やることもないので、このまま布団に入ってしまえば、三日月宗近の一日は終わる。
普段ならば終わるのだが、今日ばかりは是が非でも起きねばならぬ予定が突如舞い込んできた。
扉の向こうより聞こえてくる水の音。
時折混じる鼻歌は、異世界よりやってきた青年のもの。
現在、結城悠は入浴している。
それが何を意味するのか。改めて確認せねばならぬほど、私は愚鈍ではない。
無縁と思っていた異性との同棲。
加えて憧れの男性の裸体が、扉の向こうにあるのだ。
扉を開き、脱衣所を通りさえすれば楽園が舞っている。
春画ではない。本物の男性の裸体を見る機会など御剣姫守には皆無であると、三日月宗近は意識を過去へと遡らせる
軽い会釈することはあれど、そこから進展しない毎日。
恋愛にかまける暇すらなく、鬼との戦争――<兎杷臥御の戦い>。
悔いこそないが、三日月宗近が歩んできた人生は実に華のないものだった。
それがようやく、終わりを迎えようとしている。
「悠さんが……この先に……」
生唾を飲み込む。
覗きは犯罪行為だ――理性が三日月宗近に待ったを掛けた。
いくら男性の裸体を見られる機会を得たとしても、一線を越えてしまえばもう後戻りはできない。
一時の愉悦の代償が、永遠の追放など馬鹿げている。
だが、と三日月宗近は唸る。
バレなければ犯罪ではない――果たして誰が言った言葉だったか。
同感だ。相手に気付かれさえしなければ犯罪にはならない。
幾多の戦場を駆け抜けてきた私ならばできる。
加えて【月華彌陣】が発動している今ならば。
理性と欲望の針が揺れ動く。
しばらくして、三日月宗近は――脱衣所の扉を静かに開けた。
「なっ!?」
開けてすぐに、驚愕に目を丸く見開く。
どうやら同じことを考えている先客がいた。
ただ、目的は覗きではなく窃盗だが。
籠の中に綺麗に畳まれている衣服を物色する一人の御剣姫守。
普段の巫女服から部屋着に着替えている彼女が、何故ここにいるのか。三日月宗近はそれが理解できない。
戦場では誰よりも先陣で猛威を振るう。
彼女の振るう剣は剛の剣。強くて、如何なる障害も粉砕する。
それが童子切り安綱であることを、共に死線を潜り抜けてきたからこそ三日月宗近は誰よりも理解している。
だから、そんな童子切り安綱が下着泥棒を働いていることが、とても信じられない。
「あ、貴女は一体何を――」
「しぃっ! 声が大きいぞ三日月! 気付かれるだろうが……!」
「ッ……何をやってるんですか?」
「……貴様に言われずともわかっているさ三日月。だが我とて一人の女。人並みに欲情もすれば男性との恋にも憧れる――悠が来てから、どうしても胸の高鳴りが抑え切れんのだ」
「だ、だからって下着を盗んでいい道理にはなりません!」
「そ、そう言う貴様も同じ目的だろう!」
「わ、私は……!」
「……兎に角、悠の下着は我が借りておく。呉服屋に新しい物を用意させておけば、バレることはあるまい」
「ず、ずるいですよ安綱さん! だ、だったら私はこの洋服を頂きます!」
「なっ! き、貴様それは我が狙っていたのにっ! 貴様がそれを取ると言うならば我は――」
「……何やってるんですか二人とも」
とても冷たい声に、意識は現実へと強制送還された。
開きの悪い襖のように、恐る恐る声のする方を見やる。
仁王が立っていた。
一番大事な部分は手ぬぐいでしっかりと隠されている。
傷だらけの鍛え抜かれた上半身が、これでもかと視界に映し出される。
羞恥心を感じて黄色い悲鳴を上げて裸体を隠すことを一切せず、ただただ冷たい眼差しを向けられる。
色々と終わった。
三日月宗近は静かに、洋服を懐の中へとしまう。
その隣で下着を後ろに隠そうと試みた童子切り安綱の頭頂部に手刀が落ちた。
「三日月宗近さん……」
「は、はい!?」
「……俺の服返してください」
「……はい」
渋々と、せっかく手に入れた戦利品を三日月宗近は返す。
そして童子切り安綱同様、頭頂部に手刀が打ち落とされてしばしの間悶絶した。




