第三十三話:一つの終わり
これにて本編は終了いたします。
温かい夢を見た。
実家の道場の軒先で、俺はぼんやりと空を眺めていた。
どこまでも青くて、雲ひとつない。
地上を照らす陽射しは暖かくて、その光を浴びて鳥が優雅に泳いでいる。
無音の道場を包み込む蝉の鳴き声と風鈴の音が唯一の音楽。
「相変わらず掃除をサボってるわね」
鋭い眼光を向けながらも優しい口調の人がきた。
今は亡き婚約者――朱音が俺の隣に腰を下ろす。
そっと、彼女の頭が肩に預けられる。
「……やっと終わったわね」
「……あぁ」
「……ありがとうね」
それは間違いだ。
礼を言われるほどのことはしていない。
あの戦いは俺の復讐であり、朱音への償いだ。
俺の復讐は終えた。だから今度は彼女に許しを請わなくてはならない。
「ごめん」
「……」
「理由はどうであれ、俺はお前を斬った。この事実は変わらないし、変えようとも思わない」
「……そうね。確かにアンタは私を斬った。仮にも婚約者である私を容赦なく、ばっさりとね。実の父を躊躇いなく斬れるアンタは本物の鬼よ」
「…………」
「でも、鬼は鬼でもアンタは心優しい鬼よ。じゃなきゃ、私なんかのためにぼろぼろと涙なんか流さないでしょ。だからそれでチャラにしておいてあげるわ」
太陽のような笑みが朱音の顔に浮かぶ。
何かが、千切れたような気がした。
もちろん、何も千切れてなどいない。身体は五体満足にある。
業と言う名の鎖に縛られていた心が、許されたことで解放された。そんな気分だ。
自然と目頭が熱くなってくる。
決壊したダムのように涙が溢れて、止められない。
視界が潤んでぼやける。
「ちょっと、なんで泣くのよ」
「お、俺は……」
「まったく、情けないわね……」
そっと抱きしめられた。
優しい温もりが身体を包み込んでくれる。
それが余計に感情を昂ぶらせる。
「……あの日、あの刀に操られた時私の魂は半分以上喰われていた」
「……」
「でもアンタが私を斬ってくれたことで、私の魂はほんの少しだけ零姫村正の中に留まることができた。こうしてアンタの夢の中に出てこられるのも、あの刀を使って修復したからなのよ?」
「……そっか」
「……でも、もうそろそろ行かなきゃ」
朱音が離れる。
すっと立ち上がった彼女へと思わず伸ばそうとした手を、理性で止める。
彩月朱音と言う名の人間は既にこの世にはいない。
死者が向かうべき場所は現世にあらず。
生者と死者は同じ世界で生きられない。
そして生者である俺に彼女を引き止める資格はない。
ならば最後に、俺は朱音のためになにをしてやれるのか。
それは。
「ありがとう朱音。たったの二週間だったけど……俺は本当にお前と出会えてよかった! 本当に楽しかった!」
笑って彼女を見送ること。
涙で顔をぐしゃぐしゃになろうとも、盛大の笑みを浮かべて旅路を見送る。
それが朱音への手向けだと思うから。
「あ、そうそう」
ふと、何かを思い出したと言わんばかりに朱音が手を叩いた。
つかつかと歩み寄ってくる。
何をするつもりなのか。
疑問を口にするよりも早く、朱音が動いた。
唇に柔らかな感触が伝わる。
見やれば、綺麗な顔が眼前にあった。
驚く間もなく、朱音が離れる。
「婚約したのに一度もキスしてなかったじゃない?」
「……あぁ、そうだ。そうだったな」
「私以外の女とのファーストキスしたことは……まぁ勘弁しておいてやるわ。その代わり泣かせたりするんじゃないわよ――って言っても、男女の価値観が逆転してるから、この場合はアンタが泣かされる立場にあるのかしらね?」
「さぁ。でも……悲しませたりはしない。約束する」
「それでいいわ――最後にもう一度だけ。私を守ってくれると誓ってくれてありがとう。私を愛してくれてありがとう。私のために戦ってくれてありがとう。だから今度は悠がたくさん幸せになってね。間違っても私の跡を追ってきたりしたら、それこそぶっ飛ばしてやるか覚悟しておきなさい」
そうして、朱音が消えた。
伴なって世界が光に包まれていく。
夢の終わり。
夢の中で訪れる睡魔。
意識が現実世界へと帰還しようとしている。
「……俺からもありがとう朱音。俺はお前が本当に大好きだった。そしてこれからはお前に呆れられないように精一杯、後悔のないように生きていく!」
その言葉を最後に、悠は意識を手放した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
本日の天気は快晴。
鬼による被害が多いと言われている高天原は、そんな事実を感じさせぬほど平穏な空気に包まれている。
人々の笑顔と活気で溢れた町並みを物色しながら、悠は玄関へと足を運ぶ。
扉を開く。
見知った面々が出迎えてくれた。
先頭に立つ三日月宗近が微笑む。
笑みを浮かべ返して、悠は彼女達の元へと向かう。
零姫村正が起こした大和転覆計画――童子切り安綱命名――を防いだ功労者としての授与式が今から執り行われる。
天下五剣はもちろん、わざわざ……もとい是が非でもと、仲間を蹴落としてまで来てくれた御剣姫守に感謝の気持ちを込めて頭を下げる。
そして、蛍丸が出席していないことに悠は安堵の息をもらした。
「それでは、ただ今より授与式を行います」
式はあっと言う間に終わった。
銀色に輝く桜を模した勲章を与えられる。
その後は新聞記者によるインタビューと、長時間を費やしての写真撮影を受けた。
後日、大和に配送される新聞の出来栄えに若干の不安を抱きながら、悠は固まった筋肉を解していく。
「お疲れ様です悠さん」
「疲れましたよ三日月さん。写真撮影にあんなに時間を取られるなんて思ってもいませんでした」
「ふふっ。大和を救った初の男性英雄も長時間椅子に座るのは苦手みたいですね。でも、悠さんがいなかったら今頃私達や大和はどうなっていたか……」
「俺一人だけの活躍じゃありません。三日月さんや、皆さんがいてくれたからこそ得た勝利です」
「……そうですね」
「さてと、それじゃあそろそろ行きましょうか。今から宴会するんでしょ?」
この後、授与式と桜華隊入隊の歓迎も兼ねて宴会が行われる。
真昼間から酒が飲めると数名が喜ぶ中で、酔わせて襲ってしまおう、なんて物騒な会話もちらほら上がったのも悠は聞き逃さない。
とても不安な宴会だ。素直に彼女達からへの歓迎が受け取れない。
「大丈夫ですよ悠さん。悠さんは私が守りますから。さぁ、行きましょう!」
手が差し伸べられる。
その手を掴む。
しっかりと伝わってくる二つの感情。
一つは守ると言う不変の誓い。
一つは刀を振るう仕手には不相応な柔らかさと、全てを優しく包み込むような温もり。
あぁ、やっぱりそうだ。悠は口元を小さく緩める。
彼女とならば、どんな障害をも乗り越えていけそうな気がする。
ならば俺は、この繋いだ手を離さずにいよう。
彼女が俺を守ると言うように、結城悠もまた三日月宗近を守ろう。
今ならばはっきりと言える。俺は貴女に出会えてよかった、と。
「それに、早く皆の所に行って正式に交際することを伝えないといけませんしね」
この後、宴会と言う名の地獄の饗宴が開かれることを悠は覚悟した。




