第二十五話:姉妹
一先ず風呂場で蛍丸の唾液を洗い流す。
心身共にすっきりとしたところで、悠は素早く身支度を整える。
銘なき大小の刀を腰に差して、悠は町へと繰り出す。
どこに件の御剣姫守がいるかなど、悠には検討もつかない。
だが、逢えると言う確信があった。
言い切れるだけの証拠などはもちろんない。
ただ、己の勘がそう囁きかけるのだ。
必ず逢える。悠はそう信じて疑わない。
支部を出たところで、小狐丸を含む太安京支部の御剣姫守がどかどかと玄関にやってくる。
皆の顔にいつもの元気は見られない。
不安――そんな感情がこれでもかと孕んでいる視線に、悠は苦笑いを浮かべる。
「俺ならもう大丈夫だよ。だからそんな顔をするな」
「だけど、もし悠に何かあったとしたら……私達はどうしていけばいいんだい?」
「別に俺がいなくなったところで何も変わりはしないだろ。そんな顔をするなんてお前らしくないぞ小狐丸」
「お兄様、今度は姫がご一緒します!」
「それだったらオレもだぜ兄貴! 兄貴を守るのはオレの役目だからな」
「兼定だってお兄ちゃんを守れるもん!」
「それなら吾もだ! 今度こそ兄者を何人足りからも守ってみせる!」
「本当に大丈夫だって。ちょっとしたリハビリ……散歩してくる程度だから。すぐに戻って――」
「どこで行くつもりですか悠さん」
新たな台風の目が直撃した。
「……別に。ちょっとした散歩ですよ」
「では私が一緒に同行します」
不幸にも三日月宗近が加わってしまった。
今から御剣姫守に逢いに行くのに、三日月宗近の同行はあまりよろしくない。
三日月宗近が御剣姫守だから、と言う理由はもちろんそうなのだが。自分の隣に女性がいること自体がよろしくないのだ。
故に悠としては、なんとかして三日月宗近を撒きたいところではあるのだが。
鋭い眼光が絶えずこちらの行動を監視している。
では走って逃げるか。それも多分無理だ。
傷が完治したとは言え痛みはまだある。
動けないことはないし、敵と相対しても戦える。
けれども、万全に越したことはない。
今の俺だと、どう足掻いても三日月宗近には勝てない。
「……俺なら大丈夫ですから。放っておいてくれませんか?」
「駄目です。男性保護法をお忘れですか? 男性は国の宝なのです。特に悠さんは国宝を通り越して神宝にすら匹敵するお方。だから一人で歩くのは当然禁止されていますし、戦うのもまた許されません」
「……久しぶりに聞いた気がするな。その設定」
「ですので今日からは私が悠さんの護衛としてつきます。因みに今の悠さんには拒否権はありませんので、そのおつもりで」
三日月宗近の言葉に嘘や冗談と言った感情は一切ない。
本気だ。どんな場所であろうと、どんな障害が立ちはだかろうとも、側を離れないと言う凄みがある。
こうも言い切られてしまっては、悠も付き返せなかった。
「職権乱用じゃないかな三日月宗近。悠の顔を見てごらん。君と一緒なのが嫌だと言っているじゃないか」
「いや、別に俺は三日月さんだからじゃなくてだな……」
「貴女達はこの太安京を守る使命があります。私は童子切り安綱、鬼丸国綱、数珠丸恒次、大典太光世……四人との議論の結果、私が悠さん直属の護衛を務めることに決まりました」
「……で、正確には?」
「夜まで粘った私の一人勝ちです」
「バトルロワイヤル方式で決めたって訳ですか……」
「どちらにしても職権乱用であることに変わりはないけどね。君達天下五剣が現状最高位だし私達の上司になるのは納得してる。だけど悠の件に関しては譲れないよ?」
小狐丸の尾がゆらゆらと揺れ動く。
腰の太刀に手を伸ばし、今にも抜かんとする威圧と連動してか、その動きもどこか猛々しい。
小狐丸に触発されて、姫鶴一文字達も腰の得物に手を掛けた。
一色触発の状況に、通行人達の視線が全て集中する。
「ちょ、ちょっといい加減にして下さいよ三日月さん。小狐丸達もやめろ」
「じゃあ悠が決めてくれないかい? 君は誰を護衛につけたい?」
全員の視線が一斉に集中する。
誰も何も言わない。
口に代わって目が、自分を選べと催促してくる。
誰もつれていかない。悠にとって今一番選びたい選択肢である。
それができればどれだけ楽なことか。小さな溜息の後に、悠は銅貨を一枚取り出す。
姫鶴一文字達の表情が一瞬だけ曇った。これから何をするのか、彼女達は既に理解している。
「お、お兄様……もしかして、またアレでお決めになるのですか?」
「だって、この方が公平だろう? 誰かを連れて行くのは、もう俺が折れることにするよ……。だけど誰かまでは選ばない。だから手っ取り早くこいつで決める――表か裏か、最後まで当てられた奴が俺の護衛だ」
親指に乗せた銅貨を、天高く弾き飛ばした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
三日月宗近を連れて、悠は太安京の町を徘徊する。
コイントスによる公平なルールの下で決められた結果に、少なくとも流血及び殺傷沙汰になるのだけは辛うじて避けられた。
代わりに姉妹の絆に大きなヒビが入ったことぐらいだろう。
いつかそのヒビは時間の経過と共に修復されることを、今はただ祈るばかりである。
それはさておき。
悠は隣を見やる。
手を伸ばせば彼女の手と触れてしまえるぐらい近い。
そんな距離を保ちつつ隣を歩く三日月宗近は、支部を出てから一言も口を開かない。
かと言って、怒りや不満などの感情を抱いている訳でもない。
男性の視点から見れば、相変わらず美しい女性が歩いているだけにしか見えない。
けれども目が、こちらに何かを訴えているような気がしてならない。
何かあるのなら言ってくれればいいものを。などと言う気も起こらず、悠は時折三日月宗近を横目にしながら、ただただ目的地へと向かって歩く。
「……あの、最近高天原の調子はどうですか?」
とうとう、沈黙に堪えかねて悠から話題を振ることにした。
「別に、いつもと変わらず平和な日々を過ごしていますよ――一点を除けば、ですけどね」
「へぇ……それは?」
「……悠さん。高天原を離れて太安京へと来てから、随分と他の御剣姫守達と仲良くなられたみたいですね」
「え? ま、まぁ……そうかもしれませんね」
それがどうかしたのか、と続けようとして、突如背中に衝撃が走った。
衣服越しに感じる冷たく固い感触。近くの建物の壁のようだ。
正面には三日月宗近がいる。
とても近い。
頭髪から香る甘い匂いが鼻腔をくすぐって、鳩尾の辺りには豊満な胸がこれでもかと押し付けられる。とても柔らかい。
翡翠色の瞳が見上げてくる。
そして両脇の間には伸びた彼女の腕が壁を付いていた。これでは動きようがない。
――まさか、逆に壁ドンされる日が来るなんてなぁ……。
女性が憧れるシチュエーションをやられたところで、悠はときめかない。
何故なら自分は男であって、女性ではないからだ。
翡翠色の瞳が見上げてくる。
ほんのりと頬は赤みを帯びて、されど瞳には決意を秘めた熱い輝きが宿っている。
告白される、のだろう。
なんとなく、悠はそう思った。
静寂が流れる。
いつの間にか足を止めて見学している野次馬達に見守られること数秒後。
ようやく三日月宗近の口が静かに開かれる。
「結城悠さん。この際ですから率直に申し上げます!」
「は、はい!」
「私、三日月宗近は一目見た瞬間から貴方を好きになりました。
異世界の人間である貴方には理解してもらえないかもしれません。ですがどうか私に貴方のことを守らせてください。何があっても私が貴方を守り抜くと誓います」
「三日月さん……」
まるで少女漫画に出てきそうな告白だ。悠は小さく口元を緩める。
三日月宗近の言葉はとても頼り甲斐があって、安心できる。
知り合って数十日。まだ趣味すらも知らないのに。
これで性別が逆であったなら、もしかすると結城悠の心は堕ちていたかもしれない。
そんなことを、ふと思う。
もっとも、それは起き得ぬことだ。悠は心中で自嘲気味に笑う。
結城悠は人であることを辞めて、一振りの刀として生きる道を取った。
背負った罪を償うため選択した俺の答え。
一度決めたことを捻じ曲げてまで、生き長らえようなどとは思わない。
背負った罪は、まだまだ償い切れていないのだから。
「だから他の子と仲良くするのはやめてください。私だけを見てください」
「あっと言う間に本音が出てきたんですけど……」
「もし、私だけを見てくれなかったら……」
「み、見なかったら?」
「……本気で私の物にしてみせますから覚悟しておいてくださいね?」
あぁ、やっぱり姉妹だから本当によく似ている。
元々、小狐丸は三日月宗近と同じ三条宗近の作品と言われている。
同じ刀工から生まれた二振りは姉妹のようなものだ。
御剣姫守は村正によって生み出された姉妹。
その中でも二人は特に、原作の設定が強く生かされてしまったのだろう。
この三日月宗近にしてこの小狐丸あり。
かつて小狐丸が見せた妖艶な笑みと飢えた獣の目に、悠は頬を引きつらせた。
「それよりも、どこに行くのですか?」
「まぁ、ちょっとね」
言って、悠は歩を進める。




