第一話:非現実的邂逅
深い眠りについていた意識が、誰かに叩き起こされる。
結城悠と言う人間は死んだ。
だとすれば俺を呼び起こす者は地獄に住まう鬼か、はたまた閻魔様か。
死しても惰眠を貪る気などはない。罪を裁くための裁判を早急に行うと言うのであれば、今すぐにでも起きて証言台に立つとしよう。
そう思って目を開けて――見知らぬ天井に悠は目を丸く見開いた。
白い天井だ。立派なシャンデリアがぶら下がっている。
電球ではなく本物の蝋燭で灯りを点けるタイプとは、家主は随分と凝った趣味嗜好をしているらしい。
いやいやいや。思うべきところはそこじゃないだろう。
脳裏に浮かぶ疑問を、悠は口にする。
「なんで俺は……生きてるんだ?」
悠は意識を過去へと遡らせる。
燃え盛る道場で、確かに俺は死んだ。
頸に刃を当てて、そのまま切った感触は今でもしっかりと手の中に残っている。
誰がどう見てもあれは致命傷だったし、ヘマをするほど腕は鈍っちゃいない。
だと言うのに、結城悠は生きている。
切った箇所に触れてみる。それらしき傷はない。
柔らかくスベスベとした肌は赤子のようですらある。その現実が無慈悲にも事実であると悠に告げていた。
俺はどうなった。
何故俺は生きている。ここは一体どこなんだ。
着ている衣装が着物であることなど、この際どうでもよかった。
一気に押し寄せてくる疑問の波を一先ず頭の片隅に追いやる。
現在まで横たわっていたベッドから飛び起きて、目の前にあった扉を乱暴に開いた。
扉を開いた先。またも見知らぬ世界が広がっていた。
刀を天に掲げた五人の少女像が中央にある。
なかなかにスタイルがよくて官能的だが、こんなものは実家にはなかった。
そもそも、悠が住んでいた家は築百年以上の歴史を誇る武家屋敷である。
時代に合わせてリフォームが施されているものの、日本独自の和色は損なわせなかったし、石像を設ける趣味も資金もない。
従って、ここは誰かの敷地内と言うことになる。
あの燃え盛る道場から自害した自分を連れ出し、治療した輩がいるとでもいうのか。
それこそ、ありえない。
わざわざそんな真似をする人間は知らない。
だとすれば余程の変わり者か。それならばそれで、今度は動機がわからない。
ともあれ、今は情報が一つでも多くほしい。
靴を履き忘れ裸足のままだったが、悠はそのまま敷地内を歩く。
赤い絨毯が敷かれた廊下。
等間隔に飾られた壷や見たこともない絵画など。
どうやらかなり大きな建物らしい。まるで美術館にでも足を運んでいる気さえする。
ふと、視界の隅に動くものが映った。
窓の向こう。それなりに広い空間がある。
中庭だろうか。それにしては何も飾られていない。
そんな殺風景の中に、金色の長髪と翡翠色の瞳が特徴的な人がいた。
例えるならば闇夜にぽっかりと浮かぶ金色の三日月。万人が彼女に美を感じよう。
着物と軍服を複合させたかのような、独特な衣装を纏う彼女の腰には一振りの太刀が佩かれている。
そして女性の胸は豊満だった。
しばらく眺めていて――目が合った。
驚いたような表情を浮かべて、女性が駆け出す。
荒々しく扉が開放された音が館内に響き、続けてどたどたと廊下を走る音が奏でられる。
足音はこっちへと向かっている。
やがて、音の主が視界に映った。
「よかった! 目を覚まされたのですね!」
自分のことのように喜ぶ女性。
やはり、彼女が事を起こした張本人であるらしい。
敵意や殺意はまるで感じられぬが。どちらにせよ油断はできない。
「お、落ち着いてください! 私は貴方の敵ではありません!」
「えっと……失礼ですけど、貴女は?」
「も、申し遅れました。私の名前は三日月宗近、村正が生み出した御剣姫守が一振りです」
「は?」
彼女が何を言っているのか、まるで理解できない。
「えっと……失礼ですけど、もう一度だけお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「は、はい! 私の名前は三日月宗近と申します!」
「うん。一度医者に罹った方がいいと思いますよ」
三日月宗近と名乗った少女。
最近ではゲームやアニメを通して刀剣に興味を持つ女性が増えたと聞く。
そう言った輩は刀剣女子と言われているそうだ。
彼女もきっと、その内の一人なのだろう。
だが、自らを三日月宗近と名乗る辺り相当入れ込んでいて、そして誤った知識を得ている。
刀を扱う人間として、悠はその誤りを正さねばならない。
三日月宗近は天下五剣が一振り。
最古の刀工だと考えられている三条宗近の代表作とされる、日本が誇る名刀の中の名刀。
芸術的価値、資料的価値を高く評価されて日本政府によって国宝に指定されている。
決して村正が作ったものではない。
刀匠を目指す者はもちろんのこと、刀に関心を抱くものであれば知っていて当然の知識である。
「ひ、酷いです! 私はどこも悪くありません!」
「いや、その……大変申し上げにくいんですけど、頭の方を……」
「私は至って平常です! と、殿方からこのようなことを言われるなんて生まれて初めてです……しくしく」
まるで埒が明かない。
もはや、彼女が三日月宗近を語っていることにはツッコむまい。
しかし。
「それで、ここはどこなんですか? どうして俺はこんな場所にいるんですか?」
こればかりは尋ねねばならない。
頭に多少花畑は咲いていても、一応言葉が通じる相手だ。
必要な情報をここで引き出しておくに限る。
「ここは皇都、高天原にある桜華衆本部です。貴方はその前で倒れていたので、私達が保護しました」
「お、皇都……高天原? 桜華衆? なんですかそれ」
訳がわからない。
どれもが聞いたことのない単語ばかりが彼女の口から飛び出してくる。
それは自称三日月宗近が描く独特の世界なのだろう。
「そ、そんなこともわからないなんて……貴方の方が一度お医者様に見てもらうべきですよ!」
「なんでですか!?」
「それよりこちらからも質問です。貴方の持ち物ですが、勝手に見させていただきました。その中にあったコレは何に使うものですか? この、中央の丸い部分を押すと急に絵が表示されるカラクリなんて見たことがありません」
谷間から携帯電話が取り出された。
現代人であれば、小学生からでも持っているスマートフォンだ。
とうとう、悠の中で渦巻いていた疑問が違和感へと変わり噴出する。
「何って……スマホぐらい知ってるでしょ? 知らないとか冗談ですよね?」
「“すまほ”……? “すまほ”と言うのですかコレは」
「はぁ?」
おかしい。
まるで話がかみ合わない。
目の前にいる少女はあまりにも、無知すぎる。
知っていて当たり前のことを知らず。こちらが知らないことを、さも当然のように話す。
こんなにもコミュニケーションができない相手は生まれて初めてだ。
思わず頭を抱えてしまう。
「あ、あの……どうかされましたか?」
「いや大丈夫……大丈夫じゃないけど、とりあえず一旦落ち着きましょう」
「……どうやら記憶が混濁しているようですね。一先ずお茶でも淹れますので、改めてそこで話し合いましょう」
三日月宗近の提案に、悠は力なく首を縦に振った。
目覚めてから会話をしたので、確かに喉が渇いている。
彼女以外の、会話が通じる真っ当な相手と出会えるチャンスとめぐり合えるかもしれない。
案内されるがまま、長い廊下を歩く。
一室の前で彼女が立ち止まり、扉を静かに開く。
「おっ、どうやら例の男が目覚めたらしいな三日月」
「これは運命です。彼と出会い、そのまま熱い恋に落ち、結ばれる……これを運命と言わずしてなんと言えばいいのでしょう」
「数珠丸ったらまた妄想の世界に浸ってるし。つーか数珠丸が結ばれるとかありえないっしょ」
「それを言うなら貴様もだぞ光世。貧相な肉体では男を守ることも、振り向かせることもできん」
「安綱はがさつだからそれこそ永遠に無理でしょ。光世が一番女らしいし?」
「なんだと貴様! この童子切り安綱を侮辱するか!?」
「ま、まぁまぁ落ち着いてよ二人とも。ほらっ、せっかくの男の子がいるのに怖がってるでしょ? 仲良くしようよ、ね?」
「……国綱に感謝するのだな」
「それはこっちの台詞だし」
とうとう、悠は卒倒しかけた。
部屋の中にいたのは巫女服、着物、ドレス、スーツと個性豊かな格好をした女性達ばかりであった。
そして腰にはやはりと言うか、一振りの刀が携えられている。
三日月宗近に劣らずの美人なのは認める。過去最大の美人と称賛しても過言ではない。
しかしだ。そんな美しさも、今の悠からすればまったく価値を持たない。
悠が求めているのは常識人でまともな会話ができる人間であって、決して刀好きオタクではないのだから。
自らを天下五剣の名で呼び合っている時点で、もう期待は持てそうにない。
類は友を呼ぶ、とは正に彼女達を指す。
「さてと、それじゃあ貴様には早速いくつか聞かせてもらいたいのだが……」
「ちょっと待ってよ安綱。そんな威圧的な態度だから男の人に怖がられて寄ってこないんでしょ?」
「な、何を言う国綱! 我のどこが般若だと言うのだ!」
「そんなこと一言も言ってないよ……――ごめんね? 僕の名前は鬼丸国綱で、今君に話しかけたのが童子切り安綱。その隣に座っているちっこいのが大典太光世で、数珠を持って君に熱い視線を向けているのが数珠丸恒次だよ。三日月は……もう名乗ってるかな?」
「えぇ、先ほど」
「そっか。それじゃあ今度は君の名前を教えてよ」
「……結城悠デス」
「何故片言なのだ?」
「気ノセイデス、ハイ」
「結城悠……男の子なのに女の子みたいな名前ね。でも光世は結構好きだよ? ねぇねぇ、悠はなんであんな場所に倒れてたの!?」
「それは……」
大典太光世の問いに、悠は口篭る。
理由などわかるはずもない。寧ろそれはこっちが聞きたいことなのだ。
何故このような腐女子の集まりに自分が参加しているのかも、わからない。
そんな悠の心情を他所に、質問と言う嵐は続く。
「貴様の持ち物の中に一振りの太刀があった。今は砥師に預けているが、かなりの業物と見える。一体あれほどの代物をどこで手に入れた? しかし男が刀を所持しているのはあまり感心せんがな」
「ところで悠さま、貴方は恋人はいますかいませんよね。何故ならこの数珠丸と結ばれる運命にあるのですから」
「君ってどんな女性が好みだい? 僕みたいに……僕って言う女の子は嫌い、かな?」
「悠さん。お茶は緑茶か麦茶、どちらがよろしいですか?」
俺は聖徳太子じゃない。
一部を除いてまったく現状と関連性のない質問は無視するとして。
「真面目な話。ここがどこなのかをいい加減に教えてください。それと緑茶をもらえれば」
「ですから先ほども申し上げたように、ここは高天原で今いるこの建物は桜華衆本部です」
「だから、もうそれは――」
「おかしなことを聞く奴だな。まさか記憶を失っているのか?」
「私も最初はそのように思いましたけど……ですが、この“すまほ”と言う不思議な物を知っているようですし、その線は薄いかと」
三日月宗近の目に……否、この場にいる全員の目に嘘の感情は一切宿っていない。
五人の反応に、思わず身震いがする。
もし、だ。彼女達が言っていることが事実だとしよう。
ならば――俺は一体どこにいるんだ。
悠はその部屋を飛び出した。
背後から三日月宗近が呼び止めてくるが、今の彼からすれば知ったことではなかった。
外を目指して建物の中をがむしゃらに駆け抜ける。
途中何人かの少女とぶつかりそうになったが、気にしていられるだけの余裕などない。
玄関が見える。とても大きい。心の中で愚痴りながらそのまま外に飛び出した。
扉を蹴破らん勢いで開放して――ついに、理解する。
擬洋風建築の建物が群集する町並み。
地面は人工地面に塗り固められていない。
車は一台も見当たらず、代わりに馬車が人々の中に混ざって走っている。
今となっては死語となってしまっているハイカラな衣装を纏っている男女。
この現象を悠は知っている。
ライトノベルやアニメでも多く取り扱われているジャンルの一つ。
似たり寄ったりの作品が多く、またか、と見る者にとっては口にしてしまうだろうが、それでも未だに人気が衰退する様子はない。
そう、それは現代の日本人が異世界へと行くと言う、異世界転移と呼ばれる内容だった。
「な、なんじゃこりゃぁあああああ!!」
悠は驚愕の叫び声を上げた。