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第百三話:衝撃の事実

 漆黒がどこまでも続いている。

 いつもは満天の星がきれいなのに、今宵はどうやら雲が悪さをしているらしい。

 夜を照らす輝きが失われた中を進む術を、この時の結城悠は何一つとして所持していなかった。

 夜の山を歩くのがどれほど危険であるかがわからぬほど彼は愚かな人間ではない。そうせざるを得ない状況下に悠は置かれていた。


「……生きてる」


 断崖絶壁から飛び降りた悠は、まだ生きていた。彼の腕に抱かれている小牧昴も然り。

 気を失ってはいるが、小さく呼吸を繰り返している。賭けは、成功した――とは言え、安全を手に入れたわけでもない。

 悠にはこれよりやらねばならぬことが多々待ち受けている。


「早く……ここを早く離れないと!」


 まずは安全な場所の確保を最優先とした。

 山を下りようにも、辺りは完全な闇に包まれている。

 一寸先を見ることさえもままならない中で無事に下山できる確率が著しく低いという現実は、素人でも容易に想像がつく。

 灯りがないわけではない、火打石は常に携帯しているのだから火種さえ手に入れればどうということはない。

 悠はあえて使わなかった。鬼達はまだ二人を探している、そこに火を点ければ居場所を知らせるよい合図ともなる。

 月明かりがないだけに、赤々と燃ゆる炎はさぞ美しく漆黒に映えよう。


 灯りは使えない。培ってきた経験と勘だけが頼りとなる。

 一人だけであったなら、可能性は皆無でなかったかもしれない。腕の中には彼の門下生がいる。

 静かな呼吸を規則正しく繰り返している――小牧昴こまきすばるにこそ、早急な治療が必要だった。

 彼は結城悠ゆうきはるかのような修練を積んでいなければ、元が戦うべくしてできていない。

 小牧昴という人間はどこまでも、ごく普通の人間にすぎないのだ。体力を考慮すれば、時間の経過は彼の生存確率を著しく低下させていく一方だ。


 しかしながら、人気のない山に医者が都合よくいるはずもなし。本格的な治療はここだと望めない、応急処置ぐらいはできる。そのためにも悠は安全な場所を確保せねばならない。


「痛いかもしれないけど、ちょっとだけ我慢しててくれよ昴……」


 気を失っている昴に一言告げて、悠はついに歩き出す。


 一歩、砂利道を踏んだ。ずきりと全身を走り抜ける激痛に顔が歪んでしまう、額には大量の脂汗が滲んできた。

 普段は物柔らかな水面も、十分な速度を付けて触れればコンクリートと同等の硬さを誇る。

 断崖絶壁より飛び降りた悠に待ち受けていたのは、大きな川だった。深さも十分にあり、岩場に叩きつけられるのだけは避けられている。

 だが川がある以上、コンクリート並みの硬度と化した水面だけは足掻く術がなかった。

 幾分が減速させていたとはいえども、完璧ではなかった。

 全身打撲――濡れた布が肌に張り付く不快感も、今ばかりはまったく気にならずに済んだ。


「ぐっ……!」


 一歩、また一歩……鈍重な動きしか取れない己へと苛立ちを募らせる一方で、遠くから響く鬼叫ききょうに急かされる心を落ち着かせる。

 焦ってはならない、かといって悠長にもしていられない。どこだっていい、夜を明かせられる場所であればどこへだって。

 その願いが通じたのか、雲に隠れていた月が顔を覗かせた。微かに差し込んだ月光はとても弱々しい、されど確かに。進むべき道を示してくれた。

 数メートル先、岩肌にぽっかりと洞穴が空いている。


(あそこなら……!)


 悠に迷いはなかった。躊躇うことなく鈍重でありつつも、洞穴へと向かって歩を進める。

 入口まで辿り着くのに数分を費やしてしまった、が着いた安堵から笑みが浮かぶのを抑えられない。広々とはしていない、奥行きは想像してたよりもある。

 二人ですごす分には申し分なし。獣の骨などがないところを考察すれば、熊などの住処という線もない。

 安全を確認してようやく、悠は昴を横たわらせた。近くにある木々を拝借して簡易布団とする――葉っぱの部分を地面に敷いただけだが。


 入り口を草や枝で隠して、ようやく悠は火を手にすることができた。赤々と燃ゆる輝きは見ているだけで心に平穏が戻ってくる。


「待っててくれよ昴……もう少しの辛抱だからな」


 傷薬を取り出す。早速塗布するべく彼の着物を脱がせんと手を掛ける――同じ男なのに罪悪感が何故か芽生えた。

 胸元をはだけさせた、白くてきれいな肌が露わとなる。ここで悠は二つの驚愕に襲われた。


(こ、これはどうなってるんだ……?)


 小牧昴は紛れもない男の子だ、例え少女にしか見えずとも男だ。この事実が揺らぐことはない。

 不動たる事実が、大きく動かされているから、悠の目は見開かれている。

 男である彼にあってはならないものがある。

 平な胸が程よく膨らんでいる。指で突いてみれば柔らかな触感が返ってきた。

 この衝撃に痛みが一時だけ緩和されたことを、良しとするにはいささか抵抗があった、のだがこれは……。


「って、今はそんな場合じゃない……!」


 驚くべき点はふっくらとした胸だけではない。もう一つ、これにこそ悠は疑問の念が尽きなかった。何故お前が持っている、どこで手に入れた、どうしてこんなことになっている、この胸の膨らみも影響しているのか……――尽きることのない疑問に、悠は脳の片隅へと追いやった。


(自問したって意味ないだろ……!)


 自分の力のみで解決できない、なのにこの緊急事態の中であれこれと考えるのが果たして得策と言えようか――まずは何をすればいい。

 自らに問い、悠は昴の顔を見やる。

 顔色が悪い、呼吸も先程と比べて乱れている気がする。

 まずは昴を助ける、悠はしっかりと絞った布巾で彼の身体を拭くと傷薬を患部に塗布していく。


(お、落ち着け俺。別に疚しいことはしてないだろ?)


 これは歴とした治療である、と。別段咎められてもいないし、弁明する必要もありはしないのだが、悠は心中にて必死に治療という二文字を繰り返し呟いた。

 傷口はあちこちにある、それに小牧昴は男ではないか――ちょっと胸があるだけで男の身体に触れることに何を恥ずかしがる必要があろう、生娘であるまいし。


 下の方はどうなっているのだろう――ふとよぎる恐ろしい考えをした自分に、悠は身震いした。

 そんなもの、確認する必要はない。幸いなことに下半身に怪我と思わしきものは見当たらない。だから大丈夫、確認しなくてもきっと大丈夫だ。そう思うことにした。


「んっ……」

「喘ぎ声を出すなよ昴……!」


 患部を指でなぞれば身を捩じらせる。半裸も相まって仕草一つにしても妙になまめかしい。

 ますます、いけないことをやっている気分に陥ってきた。

 だからと放棄しては彼の命に関わらる、耐えながらやるしかない。

 悠は丁寧かつ慎重に、しかし迅速に、ある分だけの傷薬を昴に塗布した。

 終わるや否や着崩れした彼の着物を直す――我ながら恐ろしいと感じてしまうほどの速さに、悠は感慨にふける間もなく次に移る。今度は自分自身の治療だ。


(いつも多めに持っていろって言われてきたのが幸いだったな)


 前線に出る彼の身を案じる者達は多い。本音を言えば戦ってほしくないのが彼女らの主張であって、当事者にその意思がないと知ってからは諦めている。

 止めはしない、代わりに過保護なほど心配するようになった。

 例として挙げるなら、悠は装備の一つとして傷薬を持たされている。一人分としては余分であるから、悠はこれを返そうとした。戦いに阻害される要因となりかねない、しかし御剣姫守みつるぎのかみらは彼の言い分に良しとしなかった。


 いつも大袈裟な、と思っていただけに彼女達の小言に感謝の念が堪えない。

 礼を述べれば調子に乗ってあれこれ恩着せがましく要求してくるだろう、が悠はこの気持ちを帰ってから素直に伝えることにした。


「ふぅ……」


 傷薬を使い切った。痛みが徐々に引いていくのを感じながら、悠はようやく岩肌にどかっと背を預けた。

 安心感から睡魔が襲ってくる、ここで何も気にすることなく眠れればどれだけ幸せだっただろう。夜はまだ訪れたばかりだ、ここからが長い勝負となる。


「ん……」

「昴!」

「あ、あれ……ここは……」

「よかった……意識が戻ったみたいだな」


 どこか微睡んでいる瞳を左右にゆっくりと動かして、事態をやっと把握したのだろう。

 昴の目がかっと見開かれた。

 立て続けに飛び起きようとした彼を痛みが制止する、あくまで悠が施したのは応急処置である。

 すぐにでも無茶をしようものなら、肉体は瞬く間に悲鳴を挙げよう。声も出せない様子から痛みの度合いが図れる、一般人である昴には相当なはずだ。

 悠はそっと、割れ物を扱うように彼を再び横たわらせる。


「無茶をするな馬鹿。お前、かなり傷付いている状態なんだぞ?」

「は、悠さん……」

「応急処置はしておいた、が安心するのはまだできない。とにかく今は身体をしっかりと休めておいてくれ」

「……悠さん」

「明日、日の出と同時に山を下りる。弥真白やましろに着くまでの辛抱だ。戻れさえすれば後は――」

「悠さん」

「……どうした?」


 途中で発言を遮られて、しかし悠は怒ることなく昴に発言を許す。

 先の言葉、何か強い意志のようなものを感じた。何かを伝えようとしている。大方予測はできた、がこちらからそれを口にすることはしない。本人の口から語られるのを、悠は静かに傾聴する。


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