第九十六話:異世界式犬〇家
百合系ヒロインが、書いている内にアホの子になっている気がしてならないwww
とまぁ、それはさておき。百合成分なお話です?
東雲色の空を誰よりも早く見たことに、結城悠の意思は一切関係ない。
本来であれば、彼の睡眠時間はまだ一時間残されていた。その一時間が、許可もなくやってきた不届き者によって奪われたことに当人よりも、剣鬼の愛刀が怒りを露にしている。
同じ部屋で睡眠を共にしているのだから、彼女にとってもとばっちりだ。己が仕手の眠りが妨げられたことも、もちろん大きい。
(こんな朝早くから……いったい何の用だ?)
とりあえず、追い返そうにも訳を聞かずにとはいくまい。微睡の中に沈みつつある意識を、なんとか現世へと繋ぎ留めて、悠は礼儀なき来訪者へと尋ねる。
「……こんな朝早くに何の用だ?」
「勝負よ! このワタシと今すぐ仕合なさい! それでワタシが勝ったら出ていくのよ!」
「……やることが随分と姑息だな」
「小心者だね……兵法って言い換えれば、かっこいいかもしれないけど」
木刀をぶんぶんと振り回す竹俣兼光に、悠は欠伸をもって返した。先の仕合があってのことだろう――一筋縄ではいかぬと警戒されていることに対しては、悪い気はしない。
しかし、仕合をするだけのコンディションではない。そんな相手から勝利を得たいほどに、嫌悪されていることがひしひしと伝わってきた。もう一度だけ、大きな欠伸をすると悠はゆっくりと身体を起こした。
「……わかった。お前と仕合をする」
挑まれたからには、受けるまで。そのためにも悠は今日の仕事へと取り掛かる。
「ちょ、ちょっとどこ行くのよアンタ!?」
「まずは身支度とか整えてくる。その後に、ちょっと早いけど朝ご飯の支度だ。洗濯だってある。まずはやるべきことを終わらせてからじゃないと」
「そ、そんなの後回し……ってちょっと待ちなさい。アンタ今洗濯って言ったわよね!?」
「ん? あぁ、言ったけど……それが?」
「それが? じゃないわよ! アアア、アンタ姫お姉さまの下着まで洗ってるの!?」
「まぁ、そう、なるな……」
ここへ配属されてからというものの、家事全般は悠が請け負っている。
最近だと千年守鈴姫が来てくれたことで、掛かっていた負担も大きく軽減された。
こと洗濯においては、彼の愛刀が担うようになった。
さすがに女性の下着を洗うのは、いかな剣鬼であろうとも抵抗感がまだ拭えずにいた。
それを逆手に取ったかの如く、際どい下着が日に日に増してきた辺りから、完全に悠の仕事から外されている。
だから今答えたのも前の話であって、現在ではない。竹俣兼光への返答にはまだ続ぎがあった。
今はもう鈴がやってくれているから自分は関わっていない、と。少しばかり、伝えるのが遅かったらしい。
真っ赤な顔をした竹俣兼光に一瞬に詰め寄られるや否や、胸倉を掴まれて前後へと激しく揺さぶられる。
「ちょっと姫お姉さまの下着を洗うなんてそんな羨ましいこと許されると思ってるの!? それで色は!? 形は!? 包み隠さず答えなさいよ!!」
「お、落ち着け! いちいち憶えてるわけがないだろ!!」
「そんなこと言って! ワタシを騙せると思ったら大間違いなんだからっ! さぁさっさと吐きなさい!」
「そんなに見たいのなら洗濯場に行ってきたらいいじゃないか。洗濯は前日の内に出すのがここのルールだから。きっと籠の中に入ってるよ」
「そ、そうか! 待っててくださいね姫お姉さまの下着ィィィィィィィ!!」
嵐のようにやってきたかと思えば去っていく。どたどたと慌ただしい足音が遠のいていったのを確認して、悠は愛刀と一緒になって深い溜息を吐いた。
程なくして、奇声に似た声が洗濯場の方から聞こえてくる。きっとお目当ての物が手に入ったのであろう。聞いたことのない、奇妙な言葉の羅列が彼女の笑い声だと気付いたのは、姫鶴一文字の怒号が聞こえてきた時だった。
人とは、あぁも不気味に笑えることができるようになっているらしい。知りたくもなかった知識を得て、悠は自室を後にする。その後ろを千年守鈴姫がついて歩く。
二人が向かったのは、当然洗濯場である。悠にとっては、実に久しく訪れる場所でもあった。
千年守鈴姫が洗濯を担当したその日から、彼は洗濯場への立ち入りを禁止されている。
自身の洗濯物でさえも、彼女が代わって持っていくなど、そのやり方は徹底されていた。
確かに、これで悠が被害を被ることはなくなった、が立ち入ることすらも禁じたのは、今でも些かやりすぎであると彼は感じている。
もっとも、この苦言が剣鬼に愛刀の心に届けられることはなかった。呆気なく一蹴され、洗濯に関する権限をすべて剥奪された。
「いい悠。ボクが中に入るから、悠は入口の外で待機だからね?」
「はいはい、わかってるって」
どうあっても、洗濯場に入らせないらしい。このことに言及する気がないから、悠は素直に従っている。
洗濯場についた。中は異様なほどしんと静まり返っている。
もう事は終わってしまったのだろう。そう思いながら中を除いた悠は、己が目を見開かされる。姫鶴一文字の姿は、どこにもない。あるのは竹俣兼光ただ一人。いや、だったもの、と言った方が正しかろう。
垂直に頭が床に突き刺さっている状態で、彼女は発見された。
「こ、これはまた……なかなか凄いことをしたな、姫の奴」
「い、生きてるのかな……?」
「殺してはいないだろ、さすがに……」
微動だにしない様子に、千年守鈴姫が恐る恐る近付く。鞘の鐺で突っついてみた――反応が返ってこない。まさか……、と。最悪の結末が脳裏をよぎる。外で待機しているようにと愛刀に言われていたことも忘れて、悠は中へと踏み入った。
下着一つで殺人事件が起きたという衝撃故か、仕手が約束を破ったにも関わらず千年守鈴姫も彼を咎めることはなかった。
「おい本当に大丈夫か!?」
「こ、こういう場合ってどうしたらいいの!? 救急車って何番だっけ!? 百十番!?」
「この世界に救急車も電話もないし、それにその番号は警察だしっかりしろ鈴! と、とりあえずまずは引っこ抜くぞ!」
「う、うん!」
突き刺さった竹俣兼光が千年守鈴姫によって引っこ抜かれる。
「こ、これは……!」
本日二度目の驚愕が悠を襲った。
まず結果から言うと、竹俣兼光は生きていた。呼吸があまりにも静かだったから二人が気付かなかっただけで、彼女の心臓は確と鼓動を打っている。
悠に衝撃を与えたのは、他ならぬ竹俣兼光自身である。
彼女が生きていたことに悠は驚いたのか――否。
「わ、笑ってるよ悠ぁ……」
「こ、この状況でこいつは何で笑ってられるんだ……」
床下に隠されていた竹俣兼光の顔には、満面の笑顔が張り付いていた。
額から流れる血が赤々と染められていることも相まって、恐怖を植え付けさせるには十分すぎた。
(いったいなんで、こんな顔ができるんだ……?)
疑問からまじまじと顔を眺めていて、ふと違和感に気付く。竹俣兼光の口から何かがはみ出ている。
「紐?」
紐を引っ張り出してみる。涎まみれになった下着がずるりと出てきた。
あっ、と悠は声をもらす。見覚えがあるものだった。かつて夜這いを仕掛けられた際に、姫鶴一文字が履いていたものと記憶している。
「これって、もしかして……」
「あぁ、姫の物だろうな」
「……なんでそんなに自信あり気なの?」
「じょ、状況証拠だけでも十分にわかるだろ。あれだけ姫お姉さまって言ってたんだ、他の奴の下着を口に入れて喜ぶ方がまずありえない」
あまりにも透けていて、大切な部分がまるで隠せていなかったから、今でも忘れられずにいる――愛刀に告げればどんなことが起きるかわかっているから、墓場までこの話はもっていくつもりだ。
愛刀が向ける疑りの視線から逃れるように、悠は姫鶴一文字の下着をそっと、洗濯カゴの中へと入れた。持ち主が快く渡していないのは明白で、涎まみれの衣類をずっと持っていられても衛生面的にいただけない。早急に洗濯してやった。
「うぇぇぇ……いくらボクでも涎だらけの下着はあんまり触りたくないなぁ」
「じゃあ俺がやるか?」
「ボクがやる。ここはボクがやるから、悠は先に厨房に行ってて」
「了解した――って、こいつをこのままにしておくことはできないな」
血まみれで笑みを浮かべたまま気を失っている竹俣兼光を抱きかかえて、悠は洗濯場を後にする。ひとまず治療を優先させた。
「ん……」
「あ、気が付いたか」
「ここ、は……ってなんでアンタがここにいるのよ!?」
「第一声がそれか……。まぁ、元気そうでよかった」
暴れられる前に竹俣兼光を下ろす。嫌悪している相手に抱えられていたことが、余程ショックなのか。肩を戦慄かせてゆっくりと距離を空けてくる。
取って食わない、と言っても信じないのが彼女だ。黙って好きなようにさせておく。
「ど、どうしてアンタがワタシを抱えていたのよ!? まさか……まさかワタシと子作りを――」
「するつもりはないから安心しろ。それよりも、お前憶えてないのか?」
「な、何を……あっ!」
何かに気付いたように、竹俣兼光が急に大きな声を上げた。途端に己の至るところを弄っている――どうして下着の中にあると判断したかは、あえてツッコむまい。
それはさておき。
彼女の様子から、何を探しているかは容易に察せる。目当ての物ならば手元にはもうない。それを注げようとした時には、既に。疑念を孕んだ鋭い眼光に捉われていた。
(俺が盗むわけないだろが)
内心では酷く呆れつつ、悠は真実を告げてやる。彼女にとっては、目を逸らしたくなるやもしれぬが、代償にとばっちりを受ける気は毛頭ない。
「お前が口に入れていた姫の下着ならもうないぞ? 今頃は鈴が……俺の愛刀の千年守鈴姫が洗濯している」
「ななな、なんてことをするのよアンタは!? 姫お姉さまの下着なのよ!? それも脱ぎたてホヤホヤの……! それがどれだけの価値を生むか、アンタわかって……!」
「それはお前の中だけの話だろ……。後、衛生面的によろしくないから、二度としない方がいいぞ」
「や、やっぱりアンタの存在は害悪だわ! いいわ、ここで決着をつけてやろうじゃないの!」
「その前に、まずは朝飯を食ってからだ。早く作らないと腹が減ったってうるさいからな。お前の姫が腹を空かせて泣いたって構わないって言うなら、俺はいいぞ?」
「くっ……姫お姉さまを人質に取るなんてやっぱり男って生き物は存在しているだけで罪だわ!」
「……で、どうする? このままやるか、やらないのか」
「これも姫お姉さまのため……! さっさと作りなさい、ただし変なことをしないようにワタシが監視するから覚悟しておきなさいよねっ!」
「わかったわかった」
(面倒な性格をしてるな……)
猛犬よろしく、ぐるぐると唸る竹俣兼光を背に、悠は厨房へと向かった。




