第十話:刃戯
ススキの葉がそよ風になびく。
悠はこの場所を知っていた。
生まれて初めて人外なる存在と遭遇した日。
小狐丸と出会い、彼女の強さを垣間見た瞬間。
悠は小狐丸と対峙する。
既に彼女の得物は鞘から抜き放たれて、悠は納刀したまま見据える。
これより悠は仕合を行う。
実際の御剣姫守の実力は目にしたつもりだ。
だが先の彼女の口振りから考察すれば、まだ何か力を隠していると見るのは必須。
ともあれ、油断はできない。
その間、手頃な岩に腰を掛けてにっかり青江と小竜景光がお茶を啜る。
どこから湯呑と急須を取り出したのかは、あえて問うまい。
「ここなら誰にも邪魔されないから遠慮なくできるね」
「一応聞くけど、本気でやってもいいんだな?」
「もちろんさ。私も全力でいかせてもらうよ」
「それじゃあ」
遠慮をする必要はない。
悠はようやく刀を抜いた。
女だからと軽んずるつもりは毛頭ないし、すれば敗北は免れない。
そんな甘い考えてあの天下五剣に勝つなど夢のまた夢。
衣服が破れて胸が露になったところで、彼女達の動きは止まらない。
意識を切り替える。今だけは刃を交える敵と認識する。
刀を運ぶ。双極の構えを取った。
「じゃあこっちからいくよ悠」
小狐丸が地を蹴り上げた。
俊足の駆け出し。見る見る内に間合いが詰まる。
一足一刀の距離まで縮まろうとした、瞬間――静から動へ悠は転ずる。
陽光を刃で反射させての目晦まし。
小狐丸が目を閉じる――刹那、悠は大きく踏み込んだ。
鳴守真刀流は基本道場と言う場所を使わない。
最初の三年間はとにかく体力作りを重点的に行われる。
そこで使われる場所は自然が生い茂る森や山の中だった。
人の手が施されていない、いわゆる獣道をひたすら速く走る事により、体力と同時に足腰を鍛え上げる。
基礎が成ったと判断されると、今度は自然の中での戦技修練が行われる。
足場などが不安定な状況下の中でも支障なく闘える技術を身に付けるためだ。
そうした修練を成し遂げて、結城の剣士は超人的な脚力を身に付ける。
即ち縮地――すべての武術家達が目指す究極の歩法への到達を意味する。
光を刃で反射させての目晦ましから縮地にて勝機を掴み取る。
鳴守真刀流――陽之太刀。
一瞬であろうと、鳴守館の剣士は揺るがぬ勝機へと変える。
左脇腹から右肩へ。側面下方より悠は斬り込む。
本当に斬ってしまえば殺人沙汰になるので、素早く刃を返す。
いわゆる峰打ちだ。骨折は、まぁ常日頃生死の狭間にいる彼女ならば耐えられよう。
取った、と悠は確信した。
確信して、驚愕に目を丸く見開く。
ありえない。視界一杯に飛び込んでくる現実に思考が受け入れられずにいる。
いつ、彼女は偽者と入れ替わったのか。
表切上を受けた小狐丸の身体は、目論み通り左脇腹を捉えた。
しかし、伝わってくるはずの骨を砕く感触がまるでこない。
当然だろう。実態のない炎を叩いたところで感触など皆無なのだから。
「はい終了っと」
背後から聞き慣れた声がする。
同時に、背中に固い感触が伝わった。
ぐりぐりと押し付けられるそれが、鞘の鐺であり、同時に己の負けであることを瞬時に悠は理解する。
まるで何が起きたのかわからない。
わからないが、小狐丸の言う勝てない理由を身を以って実感させられた。
今の俺では、三日月宗近はおろか数打を除く全ての御剣姫守に勝てない。
「これが君と私の実力の差だよ」
超えるべき壁は、天まで届く勢いで悠の前に立ちはだかった。
「今のは何をやったんだ?」
刀を鞘に納めて悠は問う。
勝負はもうついた。
負けを認められずにもう一度勝負を挑むなど恥晒しもいいとこだ。
これが実戦であったなら、今頃無様に地に転がっていた。
だから素直に負けを認めて、次に生かせるように思考を働かせる。
生きていれば何度でもやり直しが許されるのだから。
「あんまり詳しくは教えられないけど、私達真打の御剣姫守にはそれぞれが特殊な力を持っている。私達はその力を刃戯って呼んでるんだ」
「じゃあさっきのは、その刃戯を使ったってことか」
「そう言うこと。後天的に誕生した数打にはこの刃戯がない。だから君じゃ真打である私達に勝つことはできない。よっぽど油断していない限りはね」
「……なるほど。よくわかった」
異能を操れる御剣姫守から、如何にして勝利を掴むか。
結城悠に与えられた機能は限られている。
それ以上の力を身に付けられれば、まだ希望も見えてこようが。
そんな都合のよい展開が足元にほいほいと転がっているはずもない。
結局は、自分自身の力だけが頼りだ。
与えられた短い猶予で、答えを見つけていくしか道はない。
「小狐丸、残された三日間……俺との修練に付き合ってくれないか?」
「そこは“でぇと”に誘ってほしかったけど。いいよ、君からの頼みだからね」
「青も……する」
「し、仕方ないから私も付き合ってあげるわよ」
「そ、そうか。まぁ色んな相手と戦った方が経験にもなるしな。お手柔らかに頼むよ青、それに」
「……任せて」
「い、言っておくけど仕合をする以上は手加減なんかしてやらないんだからね! ま、まぁ貴方の頑張り次第じゃ考えたげてもいいけど……」
やる気を見せる小狐丸らを視界の隅で見やりつつ、悠は沈思する。
普通の人間が超人に挑む。
絵にすれば映えるかもしれないが、当事者は顔面蒼白ものだ。
これが物語であったのなら作者の都合でいくらでも有利に進められよう。
だが悲しいかな。現実は非情である。しかも絶対に勝たなければならないときた。
相手に刃戯を使わせるよりも、もっと迅く動く必要がある。
いや、それだけでは不十分か。
違う方向性から向上するよう工夫した方がいいかもしれない。
だが、どんな工夫があるのだろう。
腹部から情けのない音が鳴ったのを合図に、悠はススキの原を後にした。
◆◇◆◇◆◇
昼時、店の一角を陣取った。
正面に小竜景光。
左右に小狐丸とにっかり青江が座す。
中央に設けられた火鉢の上でぐつぐつと煮立つ鍋を四人で囲む。
時代が明治へと移ったことで人々の暮らしに変化がもたらされた。
その代表とも言うのがすき焼きの原型となった牛鍋だ。
砂糖と醤油を鉄鍋に入れて溶かしてから肉を焼いて食べるすき焼きに対し、牛鍋は割り下と牛肉と葱を煮込んだ料理。
似ているようで内容はまったくの別物である。
「それにしても、牛鍋は本当に美味しいね」
「……うん」
「……初めて食べたけど、美味いな」
「でしょう? ほら、お金のことなら心配しなくていいから遠慮しないで食べて悠」
「……ありがとう小狐丸」
「後で身体でしっかりと返してもらうから大丈夫だよ」
「ごちそうさまでした」
「冗談だよ。本当に君は初心だね」
「……うるさい」
「ちょっと小狐丸! それ私の肉よ!」
「早い者勝ちだよ」
どうしてこの世界の女性は、性的虐待もどきばかりしてくるのか。
現代で同じようなことをすれば、即訴えられても文句は言えない。
国を担う力と権力があるからこそできることを、彼女達は理解すべきだ。
「それよりも、悠は今本部で世話になってるんだよね?」
「あぁ、今のところはな」
「じゃあ今日からは私達の支部に来るといいよ。君なら大歓迎だ」
「異議あり!」
隣の座敷部屋から大声が上がる。
ぴしゃりと音を立てて襖が開かれる。
声の主を見やる。
先頭に立って放電現象を起こしている彼女を、悠は知っている。
公衆面前で尻を揉んできた挙句、強姦未遂を働いた相手を忘れるはずがない。
「雷切丸さん!?」
「こんにちは悠。そして聞き捨てならないわよ小狐丸。この私を差し置いて抜け駆けするなんてことが許されるとでも思っているのかしら?」
「さて、なんのことやら。それに私は抜け駆けなんかしてないよ。悠が是非私にってお願いしてきたから、こうして一緒にいるんだ」
「……青も」
「は、はぁ!? 悠は私のところで預かる話なんだけど!? ほ、本当は面倒だから仕方なくなんだけどね……!」
「な、なんですって!? ちょっと悠この三人が言っていることは本当なの!?」
「いや、一部は間違いじゃないと言うか……皆の言い方と言うか」
「……この浮気者の尻軽男!」
交際してもいないのに浮気者とはこれ如何に。
特に後者については酷い言われ様だ。
俺が尻軽男ならお前は変態女だろうに。
口にしたい気持ちをぐっと堪えて、悠は咳払いをする。
「ところで、食事中にいきなり邪魔しにくるなんて非常識じゃないですか?」
「非常識がなんぼのものよ! こちとらもういい加減我慢の限界なのよ!」
「雷切丸の言う通りッス!」
別方向から襖が勢いよく開く音が鳴る。
どかどかと荒々しい足音でやってきた二人の少女。
腰に帯びている得物を見れば、数打造りでないことは明白だ。
一人は知っている。明朝の本部前で彼女から名乗ってくれた。
もう一人は、はて初めて見る顔だ。朝のどたばたの時にもいなかったはず。
熱烈な視線を向けてくる御剣姫守に悠は内心で小首をひねる。
「やぁ祢々切丸。それと村雨、寝言なら寝ている時に口にするものだよ」
「寝言じゃないッス!」
「然り。拙者達は、ほれこの通りお目めぱっちりでござる!」
「ま、まぁまぁ。他の皆も食べてるし店内だから全員落ち着いて落ち着いて!」
これ以上は営業妨害に繋がりかねない。
出禁をくらう前に仲裁に入る。
渋々と大人しい姿勢を見せる面々に、悠はほっと胸を撫で下ろした。
何故居座って客室を狭くするのか、などとは間違っても口にしてはいけない。
それにしても――村雨か。
村雨を見る悠の瞳に強い関心の感情が浮かぶ。
南総里見八犬伝にて登場する村雨は抜群の切れ味と、茎から水が流れ出し、水滴が刀身を覆うことで血の付着を防ぐ神秘的な力をも宿す。
故に村雨は架空の刀である――と言う認識が間違っていると、多くの日本人は気付かない。
江戸時代屈指の名匠、津田越前守助広の手によって村雨は実在するのだ。
悠は村雨を見つめる。
彼女は忍、なのだろう。語尾にござるを付けていたから多分。
実に古典的な忍者を演じる彼女の格好は際どい。
忍びなのだから機動性は欠かせられない。
だから着物を着ているのかどうかわからない格好は、仕方がないことにした。
それでも青緑色では隠密性が皆無ではなかろうか。
露出狂ならぬ露出強。
忍なのにまったく忍べていない村雨からの視線に、悠は思わず苦笑いを浮かべる。
「お、男の人から声を掛けられたなんて生まれて初めてッス!」
「せ、拙者もでござる。いやぁ、そんなに見つめられたりすると照れるでござるなぁ」
長いポニーテールの先端を指でくるくると弄る仕草がなんとも愛らしい。
もしかすると、彼女も比較的常識人に部類される御剣姫守ではなかろうか。
つかつかと歩み寄り、跪いて頭を垂れる村雨に淡い期待を寄せて――。
「さっそくで申し訳ございませぬが、拙者の主殿になってはくれぬでござるか? その、できれば拙者を罵り鞭で叩いてほしいでござる!」
御剣姫守に常識人を求めた自分が馬鹿だった。
悠にSMプレイの趣味はない。特殊な性癖なら、店に行くことを心からお勧めした。
極めて面積の少ない布のどこから取り出したのやら。小さな棘付きの鞭を渡されて、悠は全力で外へと投げ捨てる。
声にならない悲鳴が店内に響いたが、知ったことではなかった。
「とにかく今は飯時だから帰ってくれないか?」
「悠の言う通りだよ二人とも。それじゃあ私達は引き続き食事を楽しむとしようか。雷切丸達は早く自分の持ち場に帰った方がいいんじゃないかな?」
「……あれ? それを言ったら小狐丸も青もそう――」
「よし表に出なさい。ここでアンタ達をぶっ倒して目の前で悠をメチャクチャにしてやるわ!」
「大変賑やかで楽しそうですね……ねぇお客様?」
女性店員がすぅっと現われる。
にっこりと笑みを貼り付けている顔には、凄まじい怒気が孕んでいた。
結局出入り禁止処分を喰らい、必死の説得と店側の要求を呑むことで回避した。
胸を触らせるだけで済むならば、安い物だ。




