プロローグ
ざくざくとまったく整備されていない山の中を歩いていく。
足元には名前すらわからないような草が生い茂り、動物が掘ったらしき穴があちこちに空いている有様だった。とにかく歩きにくいことこの上ない。虫もわんさかいる。
「……帰りてえ……」
そんな状況に思わず俺がぼそりと呟くと、
『弱音を吐くなんて男らしくないわよ。受けるって言った以上、依頼はきちんとこなしなさい』
「……」
ポケットのあたりから女の声が聞こえてきた。
俺はポケットに手を突っ込んで音源を取り出す。
『聞いてるの、シグレ?』
「聞いてるよ。ったく、いなくても口うるせーなお前は」
音源の正体は一枚の紙きれだ。手のひら程度のサイズの正方形に区切られた薄っぺらい紙で、黒のインクでごちゃごちゃと記号が刻まれている。声はこの紙から聞こえてきていた。
感応紙、というアイテムだ。
魔力を流すことができる紙で、魔法陣を描く台座として扱われる。黒のインクでごちゃごちゃ描かれているのは魔法陣だ。
ちなみに自作。効果は『遠方の相手と会話すること』。
「つーかリッカ、場所は本当にここで合ってるのか? 見渡す限り大自然しかねーぞ」
通話相手の名前を呼びながら尋ねると、数秒のラグのあと魔法陣を介して返事が届いた。
『間違いないわ、きちんと調べてあるもの。連中は間違いなくその山の中に潜伏してるわ』
「アバウトすぎだろ。この山どんだけ広いと思ってんだ」
俺はリッカからの依頼を受け、『あるもの』を探してこの山に入った。
整備されていない山道を歩き続けて二時間。そろそろしんどくなってきた俺は心の底からさらなるヒントを欲している。
『って言われても、こっちでこれ以上掴んでる情報はないわよ』
「ええー……」
『まあまあ。ちゃんと依頼をこなしてくれたら、国王にかけあって例のものを仕入れてあげるから。あんたの研究に必要な、マンドラゴラの種をありったけ』
「……約束だぞ、マジで」
俺は嘆息した。まあ、この依頼には俺にとって重大な報酬が懸かっているのだ。今更この件を放り出すわけにはいかない。
……仕方ない。これ以上足で探すのも面倒だし、あれ使うか。
俺は二回目のため息を吐いて懐から感応紙を取り出した。
「【生体感知】」
感応紙に刻まれた魔法陣が発動する。
この魔法陣の効果は、『一定範囲内にいる生物の場所を特定する』こと。とはいえ虫のような自我の薄いものではなく、ある程度の魔力を保有する生物ーー主に人間をサーチする。
しばらく目を閉じていると、瞼の裏側で『サーチ』に引っかかった生物どもの分布図が表示され始めた。サーチを発動し始めておよそ十秒――きぃぃん、と耳鳴りのようなサーチ音が鳴り、俺は目当ての規模の反応を捕捉した。
「……見っけ」
すぐ近くだ。俺は最短距離でそこまで向かう。
やってきたのは山の斜面の向こうに口を開けるいかにもな洞窟だった。その入り口に無警戒に近づくと、中からいかにも人相の悪い男が二人出てきた。
片方がチビで、もう片方はノッポ。極端な二人組だが、むしろそれ以外は全部共通している――
「何だァ、てめえ」
「何しに来た、ああ?」
――すなわち伸びっぱなしのヒゲと髪、手入れの行き届いていない粗末な剣と胸当て、といういかにも盗賊っぽい出で立ちだ。
俺が無言で突っ立っていると、向こうも俺の姿をじろじろと眺めてくる。
俺は十八歳、という実年齢に相応の見た目だと自覚している。この世界の法では成人だが、連中から見れば若造に過ぎない。やや伸び気味の黒髪も、この地域じゃあ珍しくもない黒目も、あの二人には平々凡々とした容姿に映るだろう。
チビのほうが俺の姿を眺め終わるなりぶっと噴き出した。
「ぶははっ! おいおい兄ちゃん、そんな貧相なナリで何しに来たんだァ? 俺らに身ぐるみ剥かれに来たのか?」
「ったく運がねえなあ、おたく。ここが天下の盗賊団、『デリンジャー』のアジトだと知らなかったのかい?」
「……」
俺はその二人の言い様を、むしろ感心して眺めていた。すげえなこいつら。ここまで外見を裏切らないキャラクターってある意味貴重だぞ。
そんな感想を呑み込んで俺は聞いた。
「なあ、ここにあんたらのボスいる?」
「あん? お頭は今は大事な『商品』の検分中だが」
その答えに俺は内心ほくそ笑んだ。よしよし、無駄足にならずに何より。
そんなことを考える俺がどう見えたのか、チビのほうの盗賊が苛立ったように語気を荒げた。
「つーかテメェ、自分の心配したほうがいいんじゃねえの? 今からぶっ殺されて身ぐるみ剝がされる可哀想なお兄さんよォ」
「何か遺言あるなら聞いてやるぜ? 言いたいことあんなら言っとけよ」
「お、いいの?」
なんて親切なんだ。それじゃあお言葉に甘えよう。
俺は懐から新たな感応紙を取り出し――
「――てめーらこんなわからにくい所にアジト作ってんじゃねーよ! 何時間探したと思ってんだァァァァァァ!」
「「ぎゃああああっ!?」」
発動したのは、電磁波を生み出して敵をマヒさせる既成魔法陣【パラライズ】。それをまともに浴びた見張りの二人はもんどりうって地面に転がり、びくんびくんと痙攣した。その様子を見て俺はフンと鼻を鳴らす。
ーー盗賊団・デリンジャー。
人身売買を生業とする、ならず者たちの集団だ。知名度もそれなりに高く、街の衛兵詰所に行けば賞金首として張り紙にその名を連ねている。行商なんかも襲われたりするみたいだが、基本は人をさらって売り飛ばす人身売買ビジネスがメイン。
で、その『デリンジャー』の討伐こそ、今回俺がリッカから受けた依頼の内容である。
さーて賊を一掃するかと息巻いて洞窟に入って行こうとする俺の足元で、ノッポの方がかすかに口を開いた。
「お、お前、何者……?」
俺は少し考えて、にっこりと笑った。
「元・英雄☆」
「は? ……ぎゃあああああああ!」
いい笑顔のままもう一発同じ魔法をぶち込んで今度こそ意識を刈り取る。
さて、次は中だ。
俺は特に気負うこともなく洞窟に入り、ずかずかと奥に進んでいき――
「【パラライズ】!」
「うわぎゃっ!」
――その十五分後に悪しき盗賊団は壊滅した。
「終わったぞ」
『あら、早かったわね』
俺はついさっき俺の放った【パラライズ】の魔法で体の自由が利かなくなった盗賊団のボスを椅子代わりに、通信用の魔法陣で依頼人の女と話していた。
盗賊団・デリンジャーはそこそこの規模を持つ人身売買専門の組織だ。アジトは洞窟をさらに掘り進んで拡張されており、中にいた構成員たちの数はボスを含めて三十人あまり。その全員がぶっ倒れてびくんびくんと痙攣している現在の絵面は客観的に見てもかなり酷いものだった。
『とりあえず、あんたはそのまま離脱してくれていいわ。すぐに兵士を向かわせるから』
「見張りは?」
『どうせいらないでしょ? まさか天下の【法陣士】様が、十五分やそこらでせっかく捕まえた賊に逃げられるような下手は打たないだろうし』
「その呼び方やめろっつーの」
信用されているんだかからかわれているんだか。何となく後者な気がする。
「ま、そういうことなら俺はさっさと帰るわ。そんじゃ切るぞ」
『ええ。ご苦労様』
そんなやり取りを最後に、通信が切れた。
俺は椅子代わりの盗賊団のボスから尻を離し、立ち上がる。そして周囲を見回した。
洞窟の中とは思えないような広間には、無力化済みの盗賊以外にも人影がある。
人身売買の被害者たちだ。おそらく多くは誘拐されてきた哀れな一般市民だろうが、粗末な服を着せられた彼らはいきなりやってきて盗賊たちを蹴散らした俺のことをじっと見ている。
『……ッ!』
『ひ、ひいっ!』
「………………」
ところで、俺を見る視線がまるで火竜でも見るように怯えまくっていたのはどうしたものだろう。
まあいい。以来は達成したわけだし、ここにもう用はない。さっさと帰ろう。
「んじゃ、贅沢に転移魔法陣でも使って帰ーー」
「あのっ!」
「ん?」
帰ろうとした俺の背中に、慌てたような声がかけられた。
何かと思って振り返れば、それは人身売買の被害者の一人だ。
ひどく目立つ容貌のやつだった。少女だ。年は十一か十二か、それくらい。滅多に見ないような銀髪が洞窟内のわずかな明かりを反射して光って見えた。
何か用かと俺は無言で少女に視線で続きを促す。
すると少女は、言葉を探すように喉元をおさえ、それから特徴的な青い瞳をうるませて俺を見た。そして、必死な形相でーー
「お願いします、命の恩人さま! 何でもします、だから私をあなたのーーにしてください!」
ーーこれが、始まり。
三年前の『とある事件』が幕を閉じ、平和を謳歌していた俺に投じられたひとつの変化。
思い出すだに忌まわしい騒動が新たに幕を開ける、三か月前の出来事だった。
初めまして、ヒツキノドカといいます。
なろうさんは初めてで不慣れなため何かとポカをやらかすかもしれませんが、よろしくお願いします。
この話は後で追加した部分です。内容に支障はない、はず、です、多分。