51.摩天の狙撃手、台頭(中編)
すぐ近くで銃声が鳴った。
鳥巣は車椅子の速度を落として後方を振り返る。
心井が平然とした足取りで、その横を追い抜かす。
動揺する男たちの中央で――
千風と木咲が、銃口を向けあって静止していた。
どよめく周囲。
鳥巣は白けた目をして、「先行くよ」と言ってアクセルレバーを押す。
「おい、トリス」
何人かが、手に持った銃をしまいながら鳥巣に近づいてきた。
「俺ら、ここで抜けるわ」
「ああ。報酬は後日」
狼と取引関係にある彼らの顔ぶれを見て、鳥巣はうなずく。
いや、と男は悔しそうな顔をして首を振った。
「捨てるわそれ。この件で加担してたってバレた日にゃ、全滅だわ」
鳥巣は「そうかい」とだけ短く返事をして、手術痕の残る赤い手を振る。
いつの間にか木咲との決着をつけたらしい千風が、「じゃーねー!」と飛び跳ねながら離脱者たちを見送った。
鳥巣が編成を組み直そうとしたところで、端末が鳴る。
駆け寄ってきた千風を膝の上に座らせて、電話の向こうと短いやりとりをした鳥巣が、息を吐いた。
「――ご隠居」
鳥巣の呼ぶ声に、「うん?」と木咲が歩み寄る。
「……カイエが、おなくなりだ」
木咲の足が止まった。周囲の部下たちに動揺が走る。
木咲は表情を変えずに、ぽつりと問うた。
「本当?」
「この手の嘘を今この場で、キミにつく必要がどこに?」
「……そうだね。ねぇ、わざとじゃないよね」
鳥巣が答える前に、心井がやってきて言う。
「こちらの陣営ではないよ、キサキ。キミが寝返った時点で、鹿からは一斉撤退済みだし。どうやら待ち伏せされてたらしい。今、鹿の情報班が、どこの工作員か調べてる」
「ああ、そう」
フゥ、と息を吐いた木咲は、急に進路を変えて脇道の方に歩いていく。
「ごいん……」
追って駆け出そうとした千風を、鳥巣が止めた。
木咲の去った方から、バキン、と何かが壊れる音。
「自分らが」
木咲の部下たちが、鳥巣と千風に一礼して、足早に駆けていく。
うつむいて黙り込む千風を、鉾良が抱き上げた。
そこでふと、部下が数人、いなくなっていることに気づく。
「あいつらは?」
「出ていきました」
近くの一人が鉾良に答える。
「そうか」
と呟いて、前を向く。
***
「そこの階段を上がれば、すぐだよ」
心井の道案内に、千風が進もうとして――
何かに気づいてさっと頭を引っ込めた。
それを見た黒服の一人が、心井を引ったくるように伏せさせる。
壁の向こうから聞こえてきたのは銃声ではなく、やけに年若い、少年の不遜な声。
「いるんだろ、天祭 千風」
聞き覚えのある声に、千風はしゃがみこんだまま、ぱっと上を向いた。
「お知り合いですか」と黒服。
「ん」
千風がうなずいて、そうっと顔を出す。
壁によりかかるようにして立っていたのは、面倒くさそうな顔をしたヘッドフォンの少年。
「僕んとこにはまだ指示来てないから」
少年がヘッドフォンを耳から外す。
それを見た千風が、銃を下ろすようにと、後方の皆に手を振る。
不安そうな顔をする一人に、黒服の腕の中から心井がもごもご言う。
「彼がその気なら、何人かはもう撃たれてるよ」
それを聞いて、ふぅん? とヘッドフォンの少年が眉を上げる。
「誰だか知らないけど、そういうこと。……僕、御頭のこういうワガママに付き合う気、ないし」
「……随分とハッキリ言う人ですね。大上相手に」
鉾良が呟くのに、ああ、と鳥巣が言う。
「名前くらいは聞いたことあるんじゃないかい」
鳥巣が告げた名に、周囲がざわめく。
少年は、壁の向こうのその議論に、ちょっと嫌そうな顔をしてから。
「ヨエンがべそかいて知らせに来た。お前が無謀なことしてるって」
少年の目が、壁の亀裂をなぞるように見上げる。
「ねぇ、やめとけば?」
「んーん」
「……知らないよ」
「ん」
少年の横をすりぬけた千風が、ゆっくりと、階段を上り始める。
***
銃撃戦が止む。
カツンと、階段を踏む音が鳴った。
「戦力を得るために戦力を喪っては、本末転倒だと思わないかい、狼の御仁」
足元に転がる無数の死体を眺めて、鳥巣が壁の向こうに声を投げた。
鳥巣が呼んだその名に、鉾の数人が動揺を見せる。
「狼の傘下に入れ、『摩天』」
千風の耳に、大上の声が届いた。
「お前さえ大人しく来れば、鉾は残してやる」
身をよじった千風が、壁の隙間からそっと奥の部屋をうかがう。
一瞬だけ、大上の姿が目に入った。
前髪の隙間から覗く白目が、青白く光る。
――ぞわり、と千風の全身が総毛立つ。
千風の本能が警鐘を鳴らす。まともに対面してはならない相手だと。
『冷静さを欠いたら終わりだ』
鮮明によみがえる父親の声。
千風の両手が、拳銃を握りしめた。
「嘘だよ、千風さん」
千風の後ろから、鳥巣が冷静な声で言う。
「……こーし撃ったのと、りーだー捕まえたの、おおかみのひと?」
千風に仕事を与え、屋敷を出払った隙の、計画的な犯行。
そう鳥巣は言った。
「父親の遺体も渡そう」と大上の部下が言う。
「そんなの持ってないくせに」
間髪入れずに心井が呟く。
その声の方向に、大上が目を向けた。寄ってきた部下が何事かささやくのを聞いて。
「……やはり分界制約の手ぬるい警備も問題だな、こんなものを毎度通していたのでは何の意味もない、治安どころか通関以下だ」
鳥巣と心井の名を呼んで、大上は呆れたように言う。
「お前ら情報屋というのは、特にお前ら二人は、もう少し慎重で計算高い生き物だと思っていたのだがな」
「そうかい? 充分、慎重で計算高いと思うけどね」
大上の言わんとすることを正確に読み取った鳥巣が、飄々と呟く。
「ただ、生きたくもない人生を生きるのなら、それは死んでいるのと変わらない――ある人の言葉で、私の座右の銘だ」
先ほど宮地とともに追いついてきた菱架が、聞き覚えのある言葉にハッと顔を上げる。
「随分と余裕だな」と大上。
「ああ、殺されたって応じないよ。たとえ何がどうなったって、この姿勢は崩さない。覚えておいてくれたまえ――こちらに有益に働かない限りは、今後一切の協力をしない」
鳥巣がきっぱりと言い切った。
「愚策だな。――なら、お前はどうする、『摩天』」
大上は次に千風の名を呼んだ。
低い声で、大上が言う。
「お前がそこから出れば、そいつらが狙われることもない」
「嘘だよ」と鳥巣。
「うそ」
「うむ。千風さんの手から離れた途端、交渉材料として狙われる。格好の人質だ。千風さんが彼らを大事に思ってる限り、ずっとね」
「離れることに懸念があるのなら、自分で守ることだ。働くようなら、お前ごとエンライごと傘下に入れてやってもいい」
「それも嘘」
間髪入れずに心井が言う。
「そんな余裕ないくせに。ちーのこと焦ったのだって、知ってるよ」
「……だったら、どうする?」
鳥巣が、耳に当てていた端末を下ろした。
「何を時間稼ぎしてるのかと思ったら……千風さん、悪い知らせだ」
鳥巣がいつになく表情を曇らせて千風を呼ぶのに、少女はとことこと寄っていく。
「正直……これをそのまま貴女に伝えていいものか、迷っているのだが」
きょとんと見上げてくる小さな双眸に、鳥巣はためらいがちに口を開いた。
「義維、と言ったかい、あの彼」
「ぎぃちゃん?」
一瞬嬉しそうな顔になった少女に、間髪入れずに鳥巣が告げる。
「ああ。彼が、鉾を、裏切ったと」
ぱしぱし、と少女のまつ毛が数回動いて。
「……え?」
ポツリと、それだけ呟いた。
***
現れた男に、
「ぎぃちゃん!」
千風が呼びかけたことで、狼側の銃口が一斉に向けられた。大上の部下がそれを制止させる。
「人質か」と大上。
「いえ、先ほどお話した――」
大上の部下が言い終える前に、義維が急に駆け出した。
ぶん、と風切り音。
振り抜いた狙撃銃の側面で、手前にいた鉾の一人を殴打――いや、強打した。
男が鮮血を撒き散らし、悲鳴をあげて地に崩れ落ちる。
「――協力者です」
「おおう、ぎぃちゃんパワフルー」
押し黙る鉾の一同を横目で見つつ、引き気味だが茶化すように言った宮地が口笛を吹く。
思わず咎めるような視線を向けた鉾良に、「まぁよくあることだぁよ」と軽く答える。
びしゃびしゃと赤い液体が地面に散らばるのを気にとめず、義維はそのまま――大上のもとへ。
「……ふん、お前か。連絡をよこしたのは」
大上が部下を呼ぶ。情報担当の男がすぐさま答える。
大上の目が、義維の横顔を見る。
「ぎ、ぎぃちゃん!!」
千風の甲高い悲鳴。というよりも、絶叫。
呼ばれた男はその声の方向を、ただ冷淡な表情で見返し。
「どうせ鉾はもう長く保たない。――来い、ちー」
少女は義維の言葉に、はっと息を呑む。
鳥巣が焦ったように言う。
「だめだ、千風さん。鉾のみんながどうなってもいいのか」
「ううう、うー……や!」
鳥巣に腕を掴まれたまま、千風はぼろぼろと大粒の涙をこぼす。
千風のあからさまな動揺を見てとり、大上は黙って目を細める。
「……おい、なんでだ、義維」
鉾良が悔しげな表情で言うのにすら、義維は能面を崩さない。
ぎぃちゃん、と掠れた声が小さく呼んだ。
「ぎぃちゃん、そのひと、こーし、撃った……っ」
べそべそと泣く千風に、
「ああ、聞いた。――防げなかったんだろう?」
ひゅっと、千風ののどが鳴る。
「格子たちが死んだその時点で、ちー、お前一人がどれだけ警戒していたって、ロウシン相手に歯が立たないことは、充分わかったはずだ」
「……だから、ちーを手土産に、狼に?」
黙って聞いていた鳥巣が、呆れた目をして腕を組む。
「それ、千風さんはともかく、アンタ自身の保身にはなってないって気づいてるかい?」
「俺が死んだら、ちーは狼を抜ける。それだけだろう」
「……まぁ、鉾に残ることと比べて、どちらの生存率が高いかは分かりませんけどね」
心井が完全に他人事の口調で呟く。
「とっとと抜けたあいつらが正解だったのかもな」
小さくぼやく鉾の一人に、
「ああ、そう思うんなら、今からでもどうぞ」
鉾良が眉を上げて苛立たしげに言った。両目に涙をためる千風が顔を伏せる横で。
「ち、ちっぴ……」
千風が鳥巣に助けを求めようとするのを、
「鳥巣さんは、」
遮る義維の一言。ぱっと顔を向ける千風。
「鳥巣さんは、お前を助けてるんじゃない。自分の用事を果たしてるだけだ。費用分働いてる、それだけだ。今後も一生鉾を守るという契約をしたわけじゃないだろう?」
千風の瞳が、鳥巣の横顔を見上げる。
「治安部隊との交渉は確かに見事だった。だけど、あれは相手が治安部隊だからだ。あんな甘いロウシンは居ない。千風、お前が居着けば、鉾は必ず、どこのロウシンからも狙われることになる。……お前の手で、鉾を全滅させたいのか?」
ひゅ、と少女の喉が鳴り、
「――いい加減にしろ!!」
怒鳴ったのは――
「うり、ちゃ……」
――冬瓜だった。
顔面蒼白になった千風を抱きしめて、義維の名を呼ぶ。
「ちーが、どんな気持ちでずっと、アンタが戻ってくるの待ってたか! ちーはなぁ、ずっと、格子さんが撃たれたときから、ずっと!」
義維の目が無感動に、冬瓜のいる方向を見返す。
「そんな感傷や情だけで、気力だけで、生き残れる環境じゃないってことは、わかってるだろう」
「そん……」
冬瓜が絶句する。
震える千風の手が、冬瓜の手をぎゅうと握りしめる。
「……それでいい。悩んで、決めろ」
義維が人知れず呟くのを、大上の部下が一瞥して。
またすぐに視線を正面に戻した。
大上が手元の銃をガシャリと引きよせる。
「おい、早くしろ。周りから順に撃ち殺していくぞ」
「う」
青ざめた千風が、男の剣幕に押されてひるむ。
そこに――
一斉に鳴り始める、けたたましい警報音。
壁一枚隔てた向こうから、警笛とサイレンの音。
パトランプの赤い光が窓に映り込む。
「そこまでだ! 全員動くな!!」
とっさに出入り口に銃を向けた狼の数人が、表情を変える。
「な、治安部隊だと?!」
駆け込んできた紫紺の制服に、鳥巣が顔をしかめ、心井が首を振る。
大上が噛み付くように言う。
「おい、何の用だ。こんなとこに乱入するほどの権限があると、うぬぼれるほど愚鈍だったか?」
「あるいは偽物か」
鳥巣が呟き、
「いえ、あれは本物の……ですけど、でも、一人も見覚えが、」
そっと顔を出した心井が紫紺の集団を見て困惑したように呟く。
え、と鳥巣がその言葉に振り返ったところで――
ざり、と地面を踏みしめる小さな音。
間近で聞こえたそれに、たった一人、大上の側近だけが気づいた。
「ボス!」
叫んだ刹那。
大きく踏み込んだ義維が、至近距離から大上に銃を向け、引き金を引く。
大上をかばうように飛び出した護衛が、腹部を押さえ、血を吐いて崩れ落ちた。
「そいつだ!」「殺せ!」
狼の誰かが叫ぶと同時、出口側へ駆け出す義維。
鉾の陣営から義維の背へと、一斉に向きを変えた銃口が――次々と吹き飛んで地面に落ちた。
数人がうめいて崩れ落ちる。数人が手を押さえて苦悶の声を漏らす。
「……ナイス、ちー」
壁の裏側にいきおいよく転がりこんだ義維が、穏やかな声で呟く。
全身から鮮血をぼたぼたと垂れ流しながら。
千風がひとつ、嗚咽を漏らす。
両手で持った拳銃からは、細く、薄く、白い煙が立ちのぼる。
周囲に満ちる、血と硝煙のにおい。
そして――背を丸めた大上が、ゆっくりと、地面に膝をついた。




