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45.最後の晩餐


「ああもうティシリーがのんびりトーストなんて焼いてるからああ!」

(ミズチ)の屋敷。

ティシリーの服にしがみついたままのエイリがきいぃとわめく。変声期前の耳障りな高い声に、周囲の男たちが揃って嫌そうな顔をする。

「んーこれ食べ終わったら!」

ティシリーが足をぶらぶらしながら、焼きたての食パンにかじりつく。

「いやだからそしたら遅刻だからね?!」とエイリ。

「へーきへーきー」とティシリー。

「平気じゃないよあああもおお!」

またヒルエに怒られる殺されるううと頭を抱えてわめく少年を、少女の手がぐいと押しのける。

「エイリうるさーい、テレビきこえなーい」

「だからなんっでこの状況でのんびりテレビなんか観て……!」

勢いよく覗き込んだ先にある少女の横顔に――その真顔に、エイリはぎょっと固まる。

「……ホコが」

ぽつりと、少女の唇からこぼれる硬質な声。鮮やかな碧眼はまっすぐに画面を見つめている。

画面に映ったニュースの字幕と、壊滅的なまでに破壊された治安部隊東基地の建屋に。

「え、これ……」

つぶやくエイリの前、

「――行こ、エイリ」

食べかけのトーストを皿に置いて、ティシリーが席を立つ。

「……だ、だからさっきから僕がそう言って……!」

どたばたと出て行く男女を、男たちは「若いねぇ」「元気だねぇ」と茶化して、いつものように見送った。


***


「ちっぴー!」

ぱたぱたと駆け寄る千風に、高い背もたれの木彫りの椅子に座ったままの鳥巣が、片手を挙げて応じる。

「やあ、ご苦労だったね、千風さん」

「ごくろー!」

鸚鵡返しに返した千風が、向かいの椅子に飛び乗るようにして座る。

ふんふんと鼻を鳴らしながら楽しげに左右に揺れる千風を、目を細めて眺める鳥巣。

「兎にも角にも狙い通りだ。区域中が今、この話題でもちきりだよ」

そう言った鳥巣は、千風の傍らに立ったままの鉾良にも椅子を勧める。

「……何と、言っていいのか」

足元に視線を泳がせた鉾良は、そう呟いて――その場で深く頭を下げた。

「う? りーだー?」

「いやいや、正当な対価収入は千風さんから頂戴してるから」

と鳥巣は努めてビジネスライクに応えた。

椅子を引いた鉾良に、さて、と居住まいを正した鳥巣が言う。

「これからの話だけれど」

ぴっと姿勢を伸ばした千風が、揺らしていた足をぴたりと止めて鳥巣を見る。鳥巣は薄く微笑んで続ける。

「相手さんの作戦は失敗。次の手を打ってくるだろう。だけど、千風さんが台頭したのは予想外だろうから、しばらく時間がかかるはずだ。その間に、こちらは首謀者を探る」

「……手がかりはあるんですか?」

「なくはないね。――さて、その前に、」

目の前の円卓の端に置かれていた錫製の呼び鈴を、鳥巣の手がチリン、と鳴らす。鉾良の背後にあった朱塗りの扉が開き、ウェイターの男女が一礼ののち、食事の乗ったワゴンを押して入ってくる。

円卓に次々と並べられていく皿に、

「いえ、あの」

と鉾良が言いよどむ横で、

「ちーおなかすいた!」

千風が、差し出された子ども用の箸を受け取って構える。

「こ、こら、ちー」

どうやら遠慮するつもりらしい鉾良の様子を見てとり、目の前に置かれた前菜の皿を持ち上げつつ、鳥巣が言う。

「腹が減っては何とやらだよ、鉾の御仁。食事、兼、作戦会議だ、効率的だろう? 諸般の事情で私のいきつけの店でないことは悔しいが、ここも十二分にご満足いただける味だ。存分に堪能してくれたまえ」

自身を呼ぶ呼称が敬称に変わったことに気づいた鉾良が、ぎこちない動きで、ただ鳥巣の顔を見返し。

「いただき、まぁすっ」

その横で両手をぱちんと合わせた千風が、いそいそと前菜の攻略にとりかかる。初めて食べるナムルの味にむむむと顔をしかめて皿を押しのけ、次に北京ダックを引き寄せ、鳥巣の手際を見よう見真似で包もうとして、

「ううう」

口に運ぶ前にぼろぼろとこぼす。手元から重力で皿の上に戻っていった具材たちを、敵か何かのようにきゅっと睨みつけて。

「りーだー、これやってー」

「ん? ああ……」

仕方ないな、と眉を下げた鉾良は、「いただきます」と鳥巣に低頭してから千風の皿に手を伸ばす。

「具材、入れる量が多いんだよ。こんくらいでな、」

「ふんふん」

「千風さん知ってるかい、これ、アヒルだよ」

鳥巣が楽しげに言うのに、千風は目を丸くして、目の前のこんがり焼かれた肉を見つめ。

「あひるさん!」

両手を振りあげて、甲高い歓声。鉾良がわずかに眉を寄せる。

「……それ、食べにくくなりません?」

「そうかい?」

鉾良が「箸置いて。手で食いな」と巻き終えた北京ダックを千風に手渡す。

言われたとおりに両手で掴んでもすもすと頬張りつつ、口元をソースでべたべたにした千風が笑う。

「あひるさん、おいしい!」

「それは重畳(ちょうじょう)

満足気に鳥巣がうなずく。タフな千風にほっと息をつく鉾良。

「あぁ、」ふと思い当たった鳥巣が鉾良を呼んだ。「心配しなくても、誘ったのは私だ、支払いはお任せを」

「い、いえ!」

「まぁ必要経費だよ、本件は私の仕事でもあるから」

「え?」

湯気の立つ卵スープを口に運びつつ、鳥巣の説明。

「お宅を襲った銃弾とこちらのアジトを襲った銃弾、線条痕から同じ型と判明した。おまけにね、ご丁寧に銃弾のロットまで同じだったよ。舐められたもんだね」

「……そんな、つまり」

ご名答、と鳥巣の赤い指がパチンと鳴る。

「私たちに一切事前に察知させることなく、同時多発的に仕掛けるとは……やってくれたもんだ」

怒気を露わにする珍しい鳥巣の様子に、ふと千風が食べる手を止めて顔を上げる。

「というわけで、千風さんには同時並行でこちらの仕事も請けてもらうよ」

すぐに柔和な笑みでその感情を隠した鳥巣が冷静な声で言うのに、

「ん!」

元気良く答えた千風の手が、今度はむんずと揚げパンを掴む。パンの端っこから勢い良くかぶりつく千風の、ぼろぼろとパンくずやら何やら色んなものが落ちているひざの上に、今更ながらナプキンを敷いてやりつつ、鉾良が目を伏せる。

「……やはり、どこかのロウシンが一枚噛んで」

「まぁそうだろうね。今、絞り込んでるところだが――そちらの部下たちに徹底させておきたまえ、首謀者が誰か判明するまで迂闊な行動は慎むようにと」

従順にうなずこうとした鉾良が、はっとなって顔を上げる。

「……――あ、あの、」

先を促す鳥巣に、青年はあわてたように言う。

「今、数人が区域を出て、昔なじみの治安部隊に助力していまして。直接は連絡がつかない状態なのですが」

千風がはっとなる。

「ぎぃちゃん!」

「千風と治安部隊が契約を結んだ以上、東基地の件で拘束されているということもないと思いますが」

鉾良が口にした地名に、

「ふむ、そうだね。恐らくまだ一報すら伝わってないだろう。あちらさんは完全なる縦社会だ、他所で起きた騒動なんて――ましてや区域内の動向なんて報告義務も伝達ルートもないしね。……しかし、なるほど」鳥巣は思案顔で自身のあごをなでる。「このタイミングで仕掛けてきたということは――鉾の手数が減っていること、先方にはバレていると思ったほうがいい。その上で、うかつに口に出すことは避けるべきだ」

「はい」

「まぁ、治安部隊を引っ込ませた以上、今更そこらのエンライが余計なちょっかいを出してくることもないだろう。警戒すべきは首謀者と、それから、千風さんを欲しがる各勢力――色々居るけど、主に古参のロウシンどもだね」

壮大に広がっていく話に、ひく、と頬を引きつらせる鉾良。

「その仲間の彼らの所在と安否は、こちらでも探ってみよう」

「ありがとう、ございます」

コンコン、とノックの音。千風がほっぺをむぐむぐと動かしながら扉方向へ、俊敏に銃を向ける。

「……えー、これ、開けても大丈夫?」

扉越しに聞こえてきたのは、困り果てたような若い少年の声。

誰だ?と疑問符を浮かべる鉾良をよそに、鳥巣が答える。

「千風さん、下ろしてくれたまえ。味方だ」

千風がさっと銃を下ろすなり、外側から扉が開く。ふらっと現れたのは、一切武装していない細身の少年。

鳥巣がひょいと片手を挙げた。

「おかえり。万事つつがなく?」

「はい。いろんな人に逃げ道教えてもらって。ていうかすみません先輩、後手に回ってしまって」

「いや、私も気付かなかったから、おあいこだ」

鳥巣と気安く談笑しながら寄ってきた少年を見上げて、千風はぱちぱちとまばたきをして、はっとなる。

「ぎそーやの、おにーちゃん!」

「ああ!」

鉾良もほぼ同時に声を上げ、

「こんにちは。また会ったね」

二人の前で、心井は眼鏡越しににっこり笑って。

「あの夜以来だ」

感慨深そうにつぶやいて、千風に右手を差し出した。

「僕も、ちーって呼んでも?」

「ん!」

快諾した千風が、食べかすのいっぱい付いた手でぎゅっと握り返す。

鳥巣が再び呼び鈴を鳴らす。

間髪いれずに追加の料理が運ばれてくる。

「あぁお腹空いた。あ、久しぶり」

少年は給仕の一人に気安く声をかける。

「ご無沙汰しております、心井さま」

「この前はありがとね」

「お役に立てて光栄です。あのあとは問題なく?」

「うん。店長によろしくね」

「お伝えしておきます。どうぞ、ごゆっくり」

一礼して、にこにこ微笑みながら扉の向こうに消えた。

湯気の立つスープを湯匙(レンゲ)で掬い上げつつ、心井が言う。

「ついでに出がけに色々見てましきたけど、すごいですよ、例の新しい拠点の中」

「ほう?」

一瞬でスープを平らげた少年は、少し汚れたトートバッグから小さめのスケッチブックを取り出して、ナムルをもぐもぐしながら、さらさらと鉛筆を走らせる。

「こうなってて、で、ここに、」

「なるほどなるほど」

横からのぞきこんだ鳥巣が興味深そうに何度もうなずき、対面に座る千風がそれを真似てへこへこと頭を下げる。

「で、どうもリーダーが指揮執ってるんじゃない感じなんですよね。跡取りくんとお守りの二人なんか昨日海外出てったし、他の子も平然と遠征したりしてるし、『始末係』も動いてないし」

「一部の暴走だと?」

「にしては、誰も慌ててないんですよねー。今ちょっと教えてって交渉中なんで、何か分かったら連絡入れます」

めまぐるしい情報量のやりとりに固まっていた鉾良が、鳥巣相手に親しげに話す少年の横顔をまじまじと眺め。

「……偽装屋、では?」

「うん。偽装屋()やるね」

振り向いた少年がにこやかに答えた。

「でも、今のは……」

「はい、ここからは有料だよ」

「……」

なるほど本業は情報屋か、と暗黙の内に納得して、鉾良は確認するように鳥巣を見る。

「うん、後輩でね」

鳥巣が頷いた直後、

「おなかいっぱい!」

ぷふぅ、と満足げな息を吐いて、笑顔の千風が両手を腹部に置いた。

「それは良かった。あとは、食後の杏仁茶を味わってくれたまえ」

鳥巣が白磁の宝瓶(ほうひん)を持ち上げて、千風の前に置かれた器にたぷたぷと注ぐ。揺らめく真っ白な液面をのぞきこんで、湯気とともにのぼってくる甘いにおいを千風が吸い込む。

心井はごそごそとトートバッグの底のほうをあさって、

「ひとまず、確実に関わってるのはこのあたり」

ばさり、と紙束をテーブルの上に放り出した。何気なく目を向けた鉾良が、手書きのリストに連なる名前に目を瞠る。

「えっ――」

「ああ、そうだ言ってなかった」と鳥巣。

「はい。結論から言うと、僕を攫ったのは鹿でした」と心井。

「鹿、が……」

唖然とする鉾良。こてんと首をかしげる千風。

「おにーちゃん、ゆーかいされたのー?」

「うん。大丈夫だよ、この通り」

しれっと答えて微笑む少年。すんなり納得した千風の横、鉾良だけが「いや、え、鹿? 鹿に誘拐されて……え?」と動揺している。

でも、と神妙な顔をした心井が、箸を宙で止める。

「オールト式大型遠距離狙撃銃、鹿に入手できるルートなんて、ないはずなんですよね」

「誰が口を利いたのか、どこかが加担したのか。恐らく首謀者は鹿だけではあるまい」鳥巣が回転台を回してテーブルの上の紙束を引き寄せ、手に取って目の前にぶら下げる。「なんにせよ、少なくともこの人数だ」

代わりに目の前に回ってきた麻婆豆腐に、心井は嬉しそうな顔をして湯匙(レンゲ)を突っ込む。ふわりと立ちのぼった湯気が、のぞきこんだ少年の分厚い眼鏡を曇らせる。

きゃああ、と千風が歓声をあげて椅子の上に立ち上がった。

「ちーも回す!」

「え? ああ、回転卓(ターンテーブル)か、でもお腹いっぱいだろ?」

「まーわーすーだーけー!」

「ああ、ちょっと待たれよ千風さん」

鳥巣の言葉に、回転台に伸びた小さい手がぴたりと止まる。鳥巣が料理の皿を心井の前に全て下ろし、さっと拭いて、どこから取り出したのかぬいぐるみを置いた。

「お待ちどう。心ゆくまで、どうぞ」

「うわぁい」

右に左に回転台を回す千風を眺めてから、鉾良が「それで」と鳥巣にたずねた。

「それだけの人数を、これから一体どうやって……」

「千風さんがやっていた方法、そのまま使おう。まずは戦力増強、仲間集めと資材集めだ。幸いにして心当たりはいくつかあることだし。いや、まったく、千風さんの人脈はあなどれないね」

「う?」

存分に熱心にぬいぐるみを回しまくっていた千風が呼ばれて顔を上げるのに、鉾良と鳥巣が「なんでもないよ」と手を振り。

「私と千風さんと心井で増援の確保を。それから、鉾の御仁、君たちには物資の確保と運搬を頼みたい」と鳥巣。

「なるほど、わかりました」と鉾良。

「う、おにーちゃんの、くろい!」

千風が心井の手元を覗き込んで、目を丸くする。

「ああうん、これ、黒麻婆豆腐」と心井。

「この店の名物でね」と鳥巣。

千風はいそいそと自分の湯匙(レンゲ)をつかんで天に掲げ、

「ちーも、おあじみする!」

「ええー、これ、相当辛いよ?」と心井。

「たべれるー!」

「ちー、こっちにまだ不辣(からくない)の残ってるぞ」

鉾良の助け舟に、

「ああ、そっちは料理長じきじきに調整した、千風さん特製だよ」

と鳥巣が乗っかるが、

「や!」

にべもない一蹴。

「……ったく、」いつぞや似たようなやりとりをしたことを思い出し、学習しないお嬢さんだな、と苦笑しつつよそってやる鉾良。「はい、どうぞ」

「ありがと!」

はふはふ言いながらほおばる千風のグラスに、鉾良が水を継ぎ足したところで、心井の端末が鳴る。

心井はそれを耳に当てるなり、ガタンと勢いよく立ち上がる。

「――先輩、闇市窟(アキバ)に動きが」

「行こう」

短く答えて席を立った鳥巣が、ばさりとコートを羽織る。

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