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43.摩天の狙撃手、急襲(前編)


鳥巣は最初にこう言った。


『愚直に安直に人員不足と思わせるか、それとも「少数精鋭」を印象付けるか。世界でたった一人という、その存在の希少性を際立たせるのに必要な要素は――ただひとつ、「インパクト」だ』


***


治安部隊、東基地。

紫紺の制服を着込んだ男女が行き交う廊下を、一人の男が足早に抜けた。右の扉を開けて部屋に入る。

持っていた警棒を壁のラックに引っかけ、窮屈そうにタイを緩めてジャケットを脱ぎ捨てる。

定期巡回から戻ってきたその一隊の長に、書類仕事をしていた内勤の一人が、顔を上げて労いの言葉をかけた。

「なにか異常は?」

「川沿いに謎の焼死体、鑑識に回した。市街地でエンライの衝突を仲裁、あとは高架下の貸金庫屋が叩き壊された、これは追跡中。それと、これ」

早口に言って、ぽん、とデスクに放り出された、真っ白な洋封筒。

「事務方から預かってきた。今朝がた、ポストに投げ込まれていたそうだ」

内勤の男が手を伸ばし、真っ白な紙をかさりと開く。二つ折りで入っていたのは、ひらがな多めで丁寧に書かれた脅迫文。

「またかよ。最近多いなぁ。差出人……ええと、天祭? って知ってっか?」

脱いだジャケットをハンガーにかけつつ、持ってきた男が首を振る。

部屋の隅で端末を操作していた女性にその紙を渡すと、数分もしないうちに回答が来る。

「データベース検索しました。該当者、ありません」

「またイタズラか」

ふん、とつまならそうに鼻を鳴らす。

区域設立時ならばいざ知らず、今や本気で治安部隊を潰そうという意図をもって喧嘩を売る者など、バカ以外にいるはずもない。


なにせ――こちらには名だたるロウシンがついている。


「要求内容は?」

椅子に腰かけ出された茶を飲んでから、隊長の男が問う。

「東の鉄柵街のエンライ、鉾の解放」

「ああ、あいつか」

エンライのちょっかいならばたかが知れている。ロウシンの手を借りる(・・・・・)までもないだろう。そう判断して、

「時間以内に要求に応じない場合には強硬手段に出る、と」

書面の最終行を読み上げた内勤の男に、

「念のため警備に回しておけ」

いつも通りの対応を命じて、男は椅子から立ち上がる。


***


ガサガサというノイズのあと、聞き慣れた声が届く。

『こちらF地点。配備完了した。どうぞ』

『こちら本陣、了解。どうぞ』

無線を切った冬瓜が、袖を引いて腕時計に目線を落とし、

「ちー、時間だ」

ヘルメットのバックルをかちりと締めた。

「ん」

その隣で、千風がコクリとうなずく。


***


――なんの前触れもなく。

隣の男のヘルメットが、鮮やかに弾き飛んだ。


治安部隊、東基地。

正面入口の左側に立っていた警備担当の男は、右側の同僚を襲った突然の衝撃に目を瞠った。

「え、おい、どうした?!」

「銃撃だ伏せろ!」

後ろから別の警備の声。慌てて脇の花壇に隠れるが――

「ぐあ!!」

「おい!」

ばすん、と背中に銃弾が当たり、防弾チョッキ越しにひどい衝撃。びくりと身体が痙攣する。かろうじて身を隠し周囲をうかがえば、基地に出入りしていた軽装の男たちがあわててその場から逃げようと走り、そのうちの何人かが目の前で凶弾に倒れる。

振動、衝撃、悲鳴、血痕。

やがてその銃弾が、ある一点に集中していることに気づいた誰かが叫ぶ。

「おいッ、ドアが撃たれてるぞ!」

「大丈夫だ、防弾だ!」

嵐のような音を立てて銃弾をはじき返す強化ガラスの様子に、これならばしばらくは破られまい、と数人が息をつこうとしたが――その、ガラス戸の上下、金属レールと蝶番の部分にだかだかと銃弾があたり、やがてひしゃげたレールから、ぐらりと扉が外れる。

「…………な」

なんだこの手口は――

目の前でスローモーションのように倒れていく、大きな一枚板のガラスを、銃を構えた男はただ呆然と見送ることしかできない。

がしゃあん、と盛大な音を立てて、大きな板ガラスは瓦礫の上に倒れ、その衝撃で大きな亀裂が走る。

そうして、ぽっかりと口をあけた屋内から、いくつもの叫び声が聞こえる。

「だ、だめだっ、うかつに飛び出すな、裏口も撃たれてる!」

警備の男の足元、割れたガラスの欠片に、建屋内を慌しく駆け回る幾人の姿が反射して映りこんだ。

男は、先ほどの背中を撃たれた衝撃で尚もぐらぐらとゆれる頭の痛みに歯を食いしばり、無線のスイッチを入れる。

「こちら正面入口! 視認範囲に敵影なし!」

『了解。急げ! 狙撃位置を割り出せ!』

『こちらモニタ室。て、敵影、確認できません!』

「な……」

『カメラは作動しているのか?』

『は、はい、全機異常ありませんっ』

外部からの攻撃を確認するため、全方位に向けて設置された超望遠監視カメラの、そのどれにも映らない――つまり、それ以上の遠距離攻撃。

「なんだそれ、そんなん、前例ない――」

「お、おい、まさかもう囲まれてねぇか?」

後方から、どこか負傷したらしい、不自然に息の荒い同僚の声。

「ちくしょう、いったい何人いるんだ!」

「くそ、なんつう手際だ!」

入ってすぐの受付カウンターに身を隠していた別の隊員が唖然と叫ぶ。

そこでようやく館内緊急放送が鳴り、ド派手なビープ音とともに、ものすごい速度で入口の防護シャッターが下り始めた。



一方。

『おいおいおい、正面閉まるぞ、見えてるか千風!』

「ん」

いつの間にか銃を持ち替えた千風が仲間の声に冷静に答え、目の前にある、やたらとゴツい銃の引き金を引く。

照準の先にある正面入口の、閉まりゆくシャッターと地面の間、地面すれすれに何かが滑り込むように飛び込んだ直後、


どおぉん、と周囲に轟く爆発音。


強化合金製のスラットがひしゃげ、バラバラになって吹っ飛ぶ。ぶっ壊れたシャッターの残骸をぶら下げて、再びぽっかりと口を開けた正面入口から、黒い煙がもうもうと上がる。

『……おお、ほんとに内側から壊した……!』

鉾の構成員たちが双眼鏡をのぞきこみつつ、そこかしこの地点から野太い歓声をあげる。

『なんつう銃だよ!』

げらげら笑う男たちを差し置いて、依然として冷静な顔で床にぺたんと座り込む少女。その目の前には大型のディスプレイ。細かく区切られたその四角の一つ一つに、さまざまなアングルから映し出されているのは、瓦礫を積もらせ煙を立ち上らせる、そっけない印象のコンクリート製の建屋が一軒。

複数地点に設置したカメラからの映像を集約したディスプレイを前に、千風の手元には無数のコントロールスティックと引き金を模した形状のパーツが置かれている。千風の手がそれらを細かく動かしては照準を合わせて引き金を引き、モニタ越しの建屋の外壁がまた粉砕されて、がらりとその様相を変える。

「……こんだけずっと間近で見ると、ほんと、本物だよな」

千風の射撃を見守りつつ、その背後を守るように立つ冬瓜が、小さく呟いた。照準あわせとか狙撃技術の云々以前に、どの機材がどの画面とリンクしていて、今、千風がどの銃で何を狙っているのか、機材入手から始終一緒にいたはずの冬瓜だが、さっぱり分からない。

まぁいい、大事なのはそこじゃない。冬瓜はただの連絡役で、千風の護衛だ。


――戦力不足のこの状況で戦うために、鳥巣が提案した方法は――

千風の、モニタ越しの同時遠距離遠隔狙撃。


治安部隊の東基地をぐるっと取り囲むように、各地点に千風の操作するその特殊な狙撃銃を配備した男たちは、モーター音を鳴らして精密に動き的確に銃弾を放つその機械を、あとはただ見守るだけ。

「……俺、これが全部片付いたら、ちーに射撃、きちんと教えてもらうわ」

手持ち無沙汰な状況に、一人が悔しそうに呟いて、

「俺も」

「ああ、俺も」

数人が賛同した。


複数地点から放たれた弾丸の嵐が、建屋付近にある、見える限りのあらゆる障害物を完全に吹き飛ばした。崩れかけの外壁と、瓦礫だらけの地面。正面入口や窓や裏口を、ただぼっかり空いた穴のような状態にしてから、千風は引き金から指を離した。

「ぶりーちんぐ、かんりょー!」

モニタから目を離すことなく、千風が言う。

その言葉を合図に、防塵マスクに黒ヘルメット、黒の戦闘服を身に着けた男たちが画面に続々と現れ、姿勢を低くして小隊を維持したまま建屋に駆け寄っていく。

静まった射撃に顔を出した警備隊員とのわずかな交戦ののち、無線から聞こえてくるいくつかの声。

『東側一階、配備完了』

『西一階も完了』

『裏口付近、固めました』

『東側二階も同様!』

『正面も着いたぞ』

『西の二階、終わりました』

『悪い、屋上はあと少しだ……よし、着いた』

「ちー、これで全部だ」

冬瓜の声に、うむ、と神妙にうなずいた千風が、あごの近くにあるマイクの位置をちょっと直してから。

「ほうりこめー!」

言うなり、男たちが崩れかけの建屋のあらゆる入口――窓、裏口、屋上から一斉に投げ込んだのは――無数の手榴弾、発煙弾、閃光弾。

にわかに騒がしくなる建屋を見つめ、

「とつにゅー!」

右手を振り上げ、意気揚々と、千風が叫んだ。


***


「おい、潜入(はい)ってきたぞ!! 生きてる奴ぁ応戦しろ!」

年配の誰かが叫んだ声が、騒がしい廊下に反響した。

そこかしこで応戦する物音が聞こえ始める中、薄暗い壁際に隠れた隊員の一人は、今しがた全弾装填し終えたライフルを手に、壁の向こうに耳を澄ます。

加周(カシュー)!」

「いますよ」

自分を呼ぶ上官に温度のない声で応じて、壁際から飛び出すなり発砲。

「う……ぐあ!!」

同じ部隊に所属する五人同時の挟みうちで、瞬く間に小隊をひとつ鎮圧。苦しげにうめく足元の青年が万が一にも暴れないよう、片足で踏みつける。

「遅いぞ!」

頭に血の上っている上官が、自らが作戦より先に飛び出したことを棚に上げての横暴な叱責に、慣れた男は黙って頭を下げるだけに留める。見える範囲の状況と無線越しの報告を確認してから、近くの騒動に向けて一歩踏み出し――かけた足を、中空でぴたりと止める。

「……なんですかね、あれ」

「あ?」

振り向く上官に、指さした先。

周囲の半分ほどしかない背丈の迷彩服が、軽快な足音を鳴らして、目の前の廊下を横切った。

「知るか、追え!」

「はい」

深く考えることを放棄した上官の指示に従うことにして、加周は、小さい人影が去ったほうに足を向ける。

直線状の長い廊下を駆け抜け、友人も多く在籍している主力部隊のひとつが、混戦状態で応戦しているところに辿り着く。セオリーどおりの強固なバリケードを築く彼らの肩越しに――どさり、と一人の身体が地面に沈み込むのが見えた。

「よし、押さえ込め!」

地に伏した青年に、治安部隊の男たちが数人がかりで飛びかかる。

「宇村!」

仲間の何人かが青年に叫ぶ。

「大人しくしろ!」

じゃきり、と青年のこめかみに押し付けられた黒い拳銃が撃鉄を上げる。少し離れた物陰で舌打ちを鳴らす陣区の足元、千風がすばやく振り返り、

「うーちゃん!」

ぱぁん!

甲高い呼びかけと同時に、乾いた音。

一瞬の躊躇いもなく狙いを定めた千風の弾丸が、宇村を押さえつけていた一人の心臓を的確に撃ち抜いた。

誰も反応できないうちに。

崩れ落ちる男の腕を無理に振り切った宇村が、転がるようにして治安部隊員たちの中から抜け出す。

「撃て!!」

慌てて隊員の一人が叫んだ。

彼らが構えるより速く、闇雲に走る青年の背中すれすれを入れ違うようにして飛んだ千風の弾丸が、

「が!」

「うわ!」

治安部隊の数人が持つ拳銃を後方へと吹き飛ばした。

一瞬で膠着する戦況。

全員の視線の先には、青年たちの中央に立つ、どう見ても幼すぎる少女。見たこともない銃を構えた。


隊員は誰一人として、なぜか、動けなかった。

悪寒と、確信があった。

――うかつに挑めば、確実に、しとめられると。

誰かがごくりとつばを飲む音が、隊員たちの間に聞こえた。


その緊迫感を遮るように、カチリ、とスイッチを入れる硬質な音が鳴る。

「こちら加周。なんかヤバいの居ました。一階西側A会議室前、増援願います」

「か、加周!」

視線を向けた治安部隊の面々が、そこに立っていた眠たげな目をした青年を見るなり、にわかに活気づく。紫紺の制服の左胸に縫いつけられた特殊部隊のエンブレムに、鉾の幾人がぎょっとなって肩を強張らせる。特殊部隊は治安部隊の中でも選りすぐりの精鋭だ。

伸縮性の高い素材で作られた特製のブーツが、仲間を押しのけて一歩踏み出す。

「首謀者はその子?」

「う!」

はっきり答える千風に、そう、とだけ呟く加周。

陣区が顔をしかめる。

「おい、これ、援軍来るまでの時間稼ぎだ。とっとと行くぞ、ちー」

チキ、と加周の構えるライフルがいいタイミングで軋んだ音を立て、陣区がぐっと何かをこらえるような顔をする。

「名前は?」と加周。

「あまつり ちかぜ!」

「どこのロウシンの子?」

「ちーは、個人! どこのロウシンにもぞくさない!」

「……」

言われた意味を理解できずに固まる加周の後ろ、

「……はあ?」

ほかの隊員たちが間抜けな声をあげた。

加周の鼻にぐっとしわが寄る。

「……ここまで大っぴらに乗り込んできといて、所属は隠せってそのロウシンは言ってるわけ?」

鬼あたりかな、と加周は気難しいリーダーの顔を思い浮かべ。

「ちーはエンライ、ホコの子! ホコのこといじめたら、ちー怒るよ!」

加周がちらりと隣の仲間に視線を向ける。無言の質問を受けた同僚は視線を泳がせつつ答える。

「いえ、た、確かに、鉾っつうエンライの数人をここで拘留中です。で、その鉾は、どこのロウシンの傘下でもない、鉄柵街の小規模エンライですが……」

と、頭上からけたたましいアラート音。ぶしゅう、と噴出された白い粉末が治安部隊の男たちに向けて噴出される。

「うわ!」

「くそっ、なんで消火剤が!」

一瞬にしてもうもと立ち込める煙の間、奥へと駆け出していく黒服の男たちがかろうじて見えた。闇雲に発砲した数人の弾丸が数人の悲鳴をあげさせたが、大多数の足音は乱れることなく去っていく。

「急げ! 追え!」

部隊長らしき男が指示を飛ばし、数人を連れて白煙の中に飛び込む。

「がっ!」

がつん、とものすごい衝撃音。視界ゼロの目前にあった白い壁に激突して転倒。混乱の喧騒にまぎれて最高速度で下ろされた防護シャッターだった。

「ちくしょう……おい加周、あんたのならこれに穴、空けれるだろ! 撃ってくれ!」

ざわめく隊員たちの間、加周からの返答はない。

「え、あれ、加周? どこ行った?!」


***


『悪いね、待たせて』

無線越しの鳥巣の声が、走り出した鉾の男たちに届く。

「ちっぴ!」

『基地の事務員を数人、こちらに懐柔した。やはり、囚われの皆は地下階の拘置所にいるようだ』

鳥巣の声が誘導するのにしたがって、先頭の青年が階段に通じる扉を蹴り開ける。

『そう、その階段を下に。脇に宿直室があるから気をつけて』

「ん!」

『右に曲がって――そこだ』

がちゃ、と扉を開ける。

そして。

「りーだー!」

明るい声。

がしゃ、と拘置所の細い鉄格子と銃がぶつかって音を立てる。


「…………ちー?」


伏せていた顔を上げた鉾良は、ただ呆然と、そこにいる迷彩服姿の女児を見上げた。

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