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39.もう一人の狙撃手(前編)

とある建物の最上階。

馬鹿でかいスコープをのぞきこむ千風の後ろから、初老の男が腕組みしたまま厳命する。

「一歩も入れるなよ」

「ん」

ちき、と千風の手元の銃が、かすかな金属音を立てた。

少し離れた窓から千風と同じ方向に双眼鏡を向けていた男が、「捕捉しました。軽装甲車両10台」と声を張り上げる。

直後、千風の指先が動いたのを全員が見た。

ちゅん、とかすかな音。

千風と監視員の二人を除く全員の目の前には、突風にあおられてひっきりになしに舞い上がる砂塵と、その間にかすかに見える豆粒のような車の影しか見えていないが――

――双眼鏡の男が声高に報告する。

「先頭車両、横転。残り9台……8台、」

千風の銃が小刻みに動くたび、監視員の男が車両の減少を告げていく。

「鮮やかすぎて何の感慨もわかねぇわ」

部屋の端に座り込んでいた男が、敵の車両を淡々と破壊していっている(らしい)少女の横顔を眺めつつ、隣にいる仲間にぼやいた。

ああ、と隣のバンダナの男も首肯して、少女の手元で薬莢を排出し続けている巨大な銃器を見やる。制限区域内に流通する一人撃ちの銃器の中で、最大射程距離を誇る狙撃用ライフルだ。扱える者がごく少ないのが難点だが、と数日前に大上(ボス)が憤慨した一件を思い出して身震いする。

彼らの思考を遮るように、監視員の声。

「軽装甲車両3台、距離800(メートル)。狙撃部隊の射程距離に入ります」

「全員、構え」

狙撃部隊の隊長が部下に命じる。がちゃり、と数十の銃筒が窓の外に伸びる。

「その後方に小型四輪駆動車、10台……いえ、15台」と監視員。

「あ。対物ライフル」

頬当てに頬をくっつけたまま、千風がぽそりと言う。

なに、と顔をしかめた狙撃部隊の隊長が、速やかに顔をひきしめ、

「千風さん、前列はこちらで処理する。対物ライフル(AMR)を頼む」

「ん」

短い返事のあと――ごごん、と派手な音がして、彼らのいる家屋が揺れる。

「4階に着弾。負傷者数名」

大上(おおかみ)の横に座り、端末を耳に当てていた男が報告する。

千風が悔しそうな顔を一瞬だけ浮かべ。

――遥か彼方からの、爆音。

地平線の向こうで、ごう、と盛大な火柱を上げて炎上し、隣の車を巻き込んで吹っ飛ぶ車両の姿が、全員の目に入る。

「……え?」

慣れた顔をしている年長組の間で、呆然とする若手たち。

「おい、何ぼうっとしてる、撃て!」

狙撃部隊の隊長が張り上げた声で、

「は、はいっ」

やっと我に返った若い部下たちが慌ててスコープをのぞこきこむ。

狙撃部隊の隊長は、自分のひげを撫でつつ、ゆっくりと右に顔を向ける。そこに寝そべるようにして最大級の狙撃用ライフルをのぞきこんでいる、足元の幼い少女に問う。

「で……何した?」

「んー、ねんりょーたんくと、右のたいや、撃った」

前を見たままこともなげに答える千風に、

「……一発でか」

自身もそこそこ名の知れた狙撃手である男は、嫉妬丸出しの大人気ない顔をする。

監視員が告げる数字が徐々に減り、

「あと二台。停車しました、撤退していきます」

「ちくしょ、逃したか!」

悔しそうにわめいた狙撃部隊の男が、構えていた銃を放り出して立ち上がる。

とりなすように別の男が言う。

「追跡車両を向かわせました」

部屋の隅で大きめの機材をいじっていた男がゴーグルを外して言う。

「熱源反応消滅確認。ひとまず制圧ですね」

「あれしきの攻撃で、どうこうする気だったとも思えないがな」

大上が低く言って、眼下で燃え続ける鉄屑の残骸を睨みつける。

「どうでしょう、まさか我々が『摩天の旋風』を使ってくるとは思っていなかったのでは」

幹部の一人が頬の傷をなでつつ呟く。フン、と大上が息を吐いて腕を組む。

「舐められたものだ」

「まぁ、既に知られたでしょうがね。どういう手で来るか」

「さてねぇ、」

場に似つかわしくない軽快な相槌とともに、比較的軽装の細身の男が、持っていた地図をばさりと中央のテーブルの上に広げた。そこに、監視員と数名の狙撃手だけを窓辺に残して、男たちがぞろぞろと歩み寄ってくる。

「状況確認。駐屯地との連絡はまだ繋がってるか?」

「ええ。東西南北、全基地稼動しています。被害は軽微」

「よし。波に送った諜報は?」

「3名とは定期通信中。前線に一名、本部内に一名、倉庫に一名。残る4人は音信不通」

「適当に補充しておけ」

「は」

「あとは……治安部隊や軍の横槍もねぇな」

「はい。担当者を買収済みです。通報も差し止めているので、本部からの派遣があったとしても数時間後かと」

「みーえーなーいー!」

作戦会議に割り込む突然の大声。男たちが目を向けた先で、テーブルの下からぴょんぴょん跳びはねているらしい、千風の頭と両手だけが見えた。

甲高い声で騒ぐ子どもに、うるせぇな、と掠れた声の少年が不機嫌そうに睨み、

「ああ、悪い悪い」

軽く言った長身の男が千風をひょいと抱え上げて、テーブルに座らせる。すんなり口をつぐむ千風。丸い瞳が、黄ばんだ地図の上に立てられた、三色の旗をじっと見る。

「さて、と。――推定戦力は、大型装甲車が30、それに――」

千風は宙に浮いた足をぶらぶらさせて、男たちのやりとりを大人しく聞いている。

それにちらと目を向けて、機材係の男が聞いた。

「千風さん、調子はどうだ」

「んんー、ばっちしだぜ」

「お、頼もしいな」

分厚いグローブで頭をぐいぐいと撫でられて、きゃいきゃい言いながら逃げる千風。

「弾薬は足りてるか」

「ん。まだ予備ある?」

「あるぜ。一箱、置いとくな」

「う、ありがと!」

その部屋に、若い男が駆け込んでくる。

「失礼します! 情報部から報告! 先ほど、波の装甲車両に所属不明の車両が接触。合流してともにハイウェイを北上中。その数――数十、と」

狙撃手の男が盛大な舌打ちを鳴らし、癇癪を起こしたように首の後ろを掻きむしる。

「援軍呼びやがったな。どっからだ」

部屋の隅で機材をいじっていた男が端末を手に立ち上がり、慌てた様子で中央を振り返る。

「判明しました、(ミズチ)の砲撃部隊です!」

大上の右手が、座っている椅子の肘掛けを握りしめ、ビキリという音とともに亀裂を走らせる。男はゆっくりと顔をしかめる。

「……(ミズチ)が数十。厄介だな」

有名な古参の傭兵組合(アルティ)の名に震え上がる若手。狙撃部隊の隊長がめんどくさそうな息を吐く。

ばらばらとテーブルを離れ装備の確認などをし始めた男たちの中で、ただ一人、テーブルに身体を向けたままの細身の男は、無言のまま、地図の一点に赤い旗をトンと置く。そのまま地図を睨みつけて微動だにしなくなる。

伝令の男が、端末を耳に当てたまま声を張り上げる。

「諜報から詳細! 先陣到着まで残り三十千米(キロ)。先頭に自走砲8台、続いて大型装甲車両約20台。迂回路に特殊車両数台と小型装甲車両十数台が控えている模様」

「はーん、総攻撃と来たか」

ヒゲの男が迷彩柄のヘルメットをかぶり、あご紐のバックルを留めつつ呟く。

細身の男がぶつぶつ言いながら、数個の黒い旗を地図の上で動かす。数秒黙り込んだあとで、彼は手を叩いて周囲の人間を集めた。

「敵陣先頭が5千米(キロ)地点に到達したら、左右から大型装甲車を出して挟み込む」

伝令が俊敏にうなずいて端末を操作する。テーブルに座ったまま身を乗り出して地図をじっと見ている千風のしかめっつらに、細身の男が言った。

「天祭さん、(ミズチ)の自走砲を相手にしたことは?」

「あるよー。さんかい!」

細身の男がゆっくりと口角を上げる。

「三回ね……よし。何台いける?」

「うーとね、」

ブーツを履いた両足をぶらぶらと揺らしながら、顔を上げた少女の瞳がきょろりと部屋を見回して。

「ちーひとりで、2台。ちーとお手伝いひとりで、4台。お手伝いいっぱいくれれば……んー、8台?」

「全部じゃねぇか」

豪胆な返答に思わずツッコミを入れる狙撃部隊の隊長。細身の男がくつくつと笑い、地図上の旗の位置を素早く修正する。

「わかった。自走砲の対応は天祭さんに一任する」

「いちに?」

「お任せする」

「ん!」

「狙撃部隊のA・B班を好きに使ってくれ」

「ん、んー……」

千風の歯切れの悪い返答に、

「どうした。足りないか」

大上が尋ねるのに、くりっと瞳を動かして首をかしげ。

「フレイムは?」

部屋の隅、いつもなら異様に目立つ大型火器を配置しているはずの無人の地点を、小さな手が指さす。

FLAME T-30、通称フレイム。複数種類の弾丸を撃ち分けられる、トリッキーな狙撃用特殊火器だ。

「持ってきたが、お前用の予備だ」と大上が答える。

弾丸を装填していた一人が、先月の抗争で死去した男の名をぽつりと呟く。

「……あいつが、惜しまれるな」

狼内で唯一のフレイムの名手だ。あとこの場で扱えるのは千風だけだが、さっきまで使っていた狙撃用ライフルと同時に2丁撃てるはずもなく。

ぱちぱちとまばたきした千風が、不思議そうに大上の名を呼ぶ。

「今日、帽子の子、いないの?」

「……帽子? 誰のことだ?」

「うーとね、この前の追跡でね、ちーのライフル運んでた。あっ、トンネルのとこで転んだ! んとね、青い帽子!」

ああ、と思い当たったらしい男が作業の手を止めて振り向き、顔をしかめる。

「まさか呼遠(ヨエン)のことか? あいつ、老け顔だが幹部でも狙撃手でもねーぞ。下部組織の下っ端だ。あんときはたまたま近くに突っ立ってたから、お前の荷運びに使ったが」

「……なんで、あいつを?」

年若い少年の顔を思い浮かべながらの細身の男の問いに、千風は不思議そうに首をかしげる。

「だって、フレイム、つよいー」

じたじたと足を揺らす駄々っ子のような千風を前に、男たちは眉をひそめ、黙って顔を見合わせる。

大上が千風の名を呼んで、問う。

「十堂が、呼遠(ヨエン)について何か言っていたか?」

「ん? おとーさん、追跡のとき、いなかったよ?」

「……追跡のとき、呼遠(ヨエン)がフレイム撃ったか?」

「ううん」

「なら、なんで……ああ、トリスからそういう情報を聞いたか?」

「ううん」

「なら、なぜだ」

「うん?」

こてん、と可愛らしく首をかしげる千風。

はーあ、と幹部の男が、額に手を当ててため息を一つ。

「ラチあかねぇ。とにかくだ。ちー、制圧に必要な奴、好きに選べ。――で、いいな、参謀殿」

「ええ、もちろん」

細身の男が快諾したところで、きょろりと小さな目玉が部屋に集うメンツを見渡し。

「ちーと、A班と、ヨエンと、うんとね、リクと、あと……」

誰かを探すように体をうんと傾けて、

「ん」

壁際に寄りかかっていた小柄な少年は、最後に指をさされて憮然とした顔をする。

「ちぇー、僕またお守りかよ」

そう言って、壁から背をはなして後頭部で腕を組むと、千風をじろりと睨みつけ。

「僕、ガキって大嫌いなんすよね。そりゃコイツいると楽できるけど、汚ねぇし、うるせぇし、めんどくせぇし。よくこんなんのご機嫌取りなんてできますね」

べらべらと悪態をついて、最後に舌打ち。

「……っ」

真っ赤な顔でぷるぷる震える千風に、

「あぁ泣くな、ちー」

あわあわと黒服の男が駆け寄って抱き上げ、宥めるように背中を叩く。

「おいこら、んなこと言ってる場合か」

顔をしかめた先輩が少年を諌めるも、少年は全く悪びれない様子で肩をすくめ、

「雇われ戦力とは対等な契約が基本でしょ、なのにそんな一方的に、なんでもかんでも頼りきって。今に寝首かかれても知りませんよ、御頭」

剣呑な視線を、今度は怯みもせず大上に向ける。

大上は黙ったまま目を細め、少年を見返す。

「案外、天祭の名にびびりすぎてるだけなんじゃないすか」

はぁ、と息を吐いた狙撃部隊の隊長が、ライフルの調整をしていた手を止めて窓辺から言う。

「おーい、そのくらいにしとけ。お前が天祭と狼の名を舐めすぎなんだよ。まだ数回しか組んだことねぇから分からんのもムリはないが、千風(そいつ)を見かけで判断すると痛い目に遭うぞ」

「はいはい。良い子なんでしょ? 雇い主は牙を向かない、良い子」

「お前ね……」

腕時計を見下ろした少年はくるりと背を向けると、持っていた防弾ベストに腕を通し、腰に引っ掛けていた赤いヘッドフォンを耳に当てる。

持ち場に向かって足早に去るその背中を見送り、先輩がたがため息混じりにぼやいた。

「ったく、自分もめんどくせぇガキのクセに……」

「まー、なんだかんだ言いながら結局やるんだから、あいつ」

「どうせやるんだったら、あのぶつくさ言うのやめたらいいだろ」

「結局やるんなら、何言ったって良いんじゃねぇの」

「そりゃ俺ら相手なら何言ったっていいけど。ほら、ちー泣かせてまで?」

「あー……ごめんな、ちー。終わったら、あとでガツンと言っとくから」

ぽすぽすと厚手のグローブ越しに頭を撫でられて、真っ赤な目でぷるぷるしながらうなずく千風。

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