38.BD(後編)
あとで加筆予定。
「ただいま!」
元気良く廊下を駆けて部屋に入ってきた千風から、ふんわりと硝煙と血のにおいが漂う。操作していた端末から顔を上げた鉾良は、いつもどおりニコニコしているだけの、目の前の少女をじっと見てから。
「……ちー、なんか撃ってきたか?」
「う!」
千風が誇らしげな顔でうなずいた直後、にわかに玄関の方角が騒がしくなる。事態を大まかに把握した鉾良は、
「あー……車庫側の風呂、沸いてるから入ってきな」
ほんの少し眉を下げて、千風に廊下の先を指さす。
「ん!」
従順にうなずいてスタスタと風呂の方に歩いていく千風。何か分からないが何かをあっさり返り撃ちにして帰宅したらしい、頼もしすぎる少女の背を見送ってから、鉾良は事態の確認と片付けを手伝いに玄関へと向かう。
それから数十分後。
ハード系のワックスで無造作に逆立てられた毛先。簡素なTシャツの上に黒のジャケット、ダメージジーンズ。ゴツゴツと真っ黒なブーツを鳴らして板張りの廊下を進んできた黒髪の青年が、勝手知ったる溜まり場のドアを開ける。振り返ってくる見知った連中が室内で賭け事に興じているのに、
「よう久しぶり。変わってねぇなあ」
苦笑とともに歩み寄った。
ああ、と鉾良が片手を挙げる。
「恩戸、早かったな」
「御用命の件、探すまでもなく適任が居てね」
「さすが」
「……ん?」
足元から気配を感じて、恩戸が視線を下げる。
そこには、タオルを肩にかけて、風呂上りでほかほかしている女児。
千風の両目がじいっと見上げる先、穴だらけの耳に貫通したいくつもの金属が室内灯の光をまばらに反射する。
「……誰の子?」と恩戸。
「さる有名、いや無名な御方の」
「んだそりゃ」
要領を得ない回答に首をかしげる青年。鉾良は千風に顔を向け、
「ちー、こっちは……あー、なんだろな」
考えている間に、ペットボトルを持った陣区が部屋に入ってくる。
「いたいた、ちー、ほれお水」
「あんがと!」
両手を伸ばして陣区からペットボトルを受け取る千風。
「リーダー、やっぱあの冷蔵庫は当分ちーにゃ開けらんないっすよ」
陣区が鉾良に言う。先ほど、無人の厨房で風呂上がりの千風が冷蔵庫の扉をうんうん言いながら開けようとしていた現場に遭遇した一件を話す。
「ていうかなんで業務用にしたんすか」
その後ろから現れた久我が聞くのに、
「お前らがバカみたいに食うからだろが」
ぴしゃりと鉾良の一蹴。
「うーん、人数も増えたし、そろそろ小さいのもう一台買います?」
いつの間にか寄ってきていた宇村が出納担当の格子を見たところで、
「じんくん、ふた、あけてー」
今度は人知れずペットボトルとうんうん奮闘していた千風が、男たちの足元で飛び跳ねる。
「おおそうか、ほらよ」
陣区がフタを開ける間に、千風がくりっと両目を動かして。
「それなに?」
「ん? これ?」
少女に指さされた恩戸が、背負っていた大きめの黒いケースを床に下ろす。バックルを外して、その中から出てきたのは。
「ギターだよ」と恩戸。
見慣れない形状の物体に、千風はぐぐっと眉根を寄せ。
「……ぎたー、つよい?」
「殺傷能力はあんましねぇなぁ」
苦笑した青年がひょいとギターを手に取り、じゃかじゃか、と適当に奏でてみせる。途端に目を輝かせた千風に嬉しそうに微笑み。
「今晩暇か? 仕事の話だけじゃ味気ないし、どうせなら聴きに来てよ、みなさんで」
ジャケットの裏から取り出したフライヤーを千風に差し出した。
***
その日の夜。
明滅する古びたネオン。
四角い、そっけない黒一色の建物に、吸い込まれるように入っていく無数の人々。
酔っ払いやその他の理由で酩酊した若者たちが入口前の階段の両端に座っているのを、千風の目がじいっと見つめる。
「前、段差気ぃつけろ、ちー」
そう言って差し出された冬瓜の手に、
「ん」
千風はぎゅっとしがみつくようにして階段をのぼる。
暗い室内に入るなり、カウンター脇でグラスを傾けていた恩戸が手を振る。手首に巻いた黒革のベルトが揺れる。
「来たな御一行。時間通りだ」
「思ったより混んでるもんなんだな」
周囲を見回しつつ鉾良が言うのに、恩戸が得意げに笑う。
「ここは特にね。結構有名なんだよ。区域中から人が集まって……おっと、」
注文のためにバーテンを呼ぼうとした恩戸が、カウンター横の小さな黒板を見て、にんまりと笑ってグラスを掲げてみせる。
「ラッキーだぜお前ら、今日の歌姫は彼女だ」
きらめくカットグラスの動きに釣られるようにして皆がステージに目を向け――ちょうどタイミング良くそこに現れたのは、スパンコールの散りばめられた、ぴったりとしたロングドレスを身にまとった美しい女性。
「あっ」
甲高い声を上げる千風。
その声に目を向けた壇上の女性は、
「あら」
そこにちょこんと立っていた女児を目に留めて、ちょっと驚いた顔をしたあと、ゆっくりと綺麗に微笑む。
千風に歩み寄った鉾良が慌てて聞く。
「ちー、知り合いか? 一体どこの……」
「スパイのひと!」
千風の説明にぎょっとなる周囲をよそに、
「区域は狭いわねぇ」
と呟いた早房は、次に義維に向けて、白い手を優雅に振る。羨望と糾弾の視線が周囲の仲間から集まるのに、
「宮地さんのお知り合いです」
義維は居心地悪そうに、ぼそりと弁解する。
「あら、つれない人ね」
なおもからかうように笑う早房が、舞台袖に片手で合図したかと思うと、壇上から客席に下りてきた。酒を手に談笑していた人垣が、歌姫の降壇に気づいて、ごく自然に割れる。
早房の、深めのスリットからのぞく白い足に、ぱたぱたと駆け寄った千風がいきなりびたんとひっつく。早房の護衛らしき黒服の男たちが警戒した目をする前に、早房の手がひらりと諌めて、見下ろして。
「ふふ、どーしたの。私、何かに狙われてる?」
「ううん、にんむなの!」
「任務?」
「あのねぇ、じんくんがね! いけぇって!」
「わわわ、ちー!」
「俺らにはできねぇことをやってくれ!」と千風を送り出した三馬鹿が早房に問いかけるような目を向けられて、あわあわと目に見えてうろたえる。端で恩戸と会話中の鉾良がそれに呆れた顔をする。
「……撃たれるかと思っちゃった」
小さくつぶやく早房の声は、喧騒の中、千風の耳にだけ届いた。
「う?」少女は足にしがみついたまま、顔を上げる。「……おねーさん、ちーの敵?」
「いいえ。まさかそんな、無謀な」
「むぼ?」
「そんな危ないことしないわ、って意味ですよ」
「ふーん?」
興味なさそうな相槌を打つ少女に苦笑して、そっと顔を近づけ、
「ねぇねぇ、最近、宮地とは会ってる?」
「ん! おたんじょーび会、したよ!」
「あら……そう。さすがね」
「う?」
「ああいた。――ココロ!」
恩戸の大声に呼ばれて、小柄な少年が人ごみを掻き分けて駆け寄ってくる。
「心井。偽装屋だ」
「初めまして」
走ったせいでずれた眼鏡を両手で押し戻してから、一礼。そのあとまた、ずれた眼鏡を両手で押し戻す。
純朴そうな少年だな、という印象を鉾良は抱く。
恩戸が笑顔で紹介する。
「ココロ、こちらは鉾の方々。訳あって偽装屋探してるらしくてな。相談乗ってやってくれ」
「ええ。僕でお役に立てることがあるなら、喜んで」
「謙虚だろ? こう見えて、こいつ、ロウシンの仕事なんかも請け負ってんだぜ」
ぺしぺしと少年の頭を親しげに叩く。少年は照れたように笑う。
「あれはオンドくんが紹介してくれたからだよ。本当に顔広いよね、いつも助かってます」
「まぁ、お互い様ってな。――んじゃあ後は任せた。俺すぐ準備あっから」
心井の肩にぽんと手を置き、入れ替わるようにして恩戸が去っていく。それをきちんと手を振って見送ってから、小柄な少年は鉾良に向き直り。
「じゃあ行こうか。立ち話もなんだし……マスター、奥のボックス空いてる?」
回答代わりにカウンターを滑る、レトロな分厚いカードキー。刻印されたローマ数字を指でなぞって、
「ありがとう」
と言い置いた心井が、勝手知ったる足取りで店の奥へと進んでいく。千風を三馬鹿に預けてから、鉾良と義維がそれに続く。
心井の手元で、スライドさせたカードキーがカシャンと鳴る。バーを上げて通り抜けた少年は、背の高いコの字型のソファにゆっくりと座った。
それから数分後。
鉾良が概要を話し終えたところで、
「一時中断にしよう」
「……え?」
心井の手が、ソファの脇に備え付けられている小型モニターの角度を、二人に見えるように変えた。ステージの様子が映し出されている。
穏やかな音楽がかすかに聞こえてくる。
「ここだとスピーカー越しだから。一度は生で聴いておいたほうがいいよ、今日は彼女がはりきる理由もあることだし」
そう呟いて立ち上がり、さっさとボックス席を出て行く心井を、顔を見合わせた鉾良と義維が追う。
壁際で話し込んでいた三馬鹿と千風に、片手を上げた心井が合流してステージを指さしている。
照らし出された壇上に視線が集まる。穏やかだった音楽が次第に激しさを増し、散っていた群衆がわっとステージ側に詰めかける。舞台の端にしゃがみこんだ早房が、前列の観客と握手する。
鉾良の端末が鳴る。
「ちょっと失礼。ああ、ギイも来てくれ」
「ごゆっくり」
手を振る心井。鉾良と義維が足早に建物を出て行く。
「おい、前行こーぜ!」
はしゃいで駆け出す三馬鹿に、
「ちー、音おっきーの、や」
顔をむむっとしかめて、後方の壁にびたんとひっつく千風。
「あ、僕がみてますよ」と心井が言うのに、
「おう、よろしく!」
三馬鹿はばたばたと駆けていく。心井はすぐ横のカウンターに顔を向け、
「バイトくーん、りんごジュースください」
「ちわす、ココロさん。どうぞ」
「ありがとう。グラス二つもらっていい? ありがと」
顔見知りの青年から、ジュースの瓶とグラス2つを受け取ると、
「はい」
と片方のグラスを千風に差し出す。
「ありがと!」
両手で受け取った透明なグラスの、ふちを指でぐるっと一周なぞる千風を見つつ、心井の手が瓶のフタを開ける。カシャ、と鳴る金属音に千風が顔を上げる。
心井が首をかしげて瓶を振る。
「瓶のままのほうがいい?」
「ううん、はんぶんこ!」
「そっか。――はい、どうぞ」
たぱぱ、と音を立ててグラスに注がれる液体を、少女の目が、じいっと見つめる。
わっとステージが沸いた。
古びた鍵盤楽器が刻む、揺れるようなリズム。ハコ全体に突き抜ける管楽器の音。ざわめきと歓声の中、ステージ中央に悠然と立っていた女性がゆっくりと目を開けた。
並んでしばらくじっと、無数のシルエットの向こうの、煌びやかなステージを見つめる。
少年の視線がすっと横に動いて、隣でストローをくわえてジュースをすすっている小さな少女の横顔を眺め、
「オンドくんはどう? 怖い?」
少女はストローから口を離して、少年を見上げた。
「ううん。お耳がねー、きらきら」
「ああ、そうだね」
ステージの上手側で愛用のギターをかき鳴らしている恩戸の、両耳でじゃらじゃらと揺れているピアスを指さす。
「あとねー、ぎたー、おもしろい」
「それは良かった」
ドン、とひときわ大きい音が鳴って、二人は顔を正面に戻す。
ストローを噛む千風に、
「鉾に居付くのかい?」
「う?」
ステージのほうを向いたまま少年が問いかけた。
「良い人たちだね」
「ん」
「間借りなのか、一員として所属するのか、そろそろ立ち位置を決めたほうがいいよ。キミは選べるんだから」
「……おにいちゃん、ちーのこと、しってる?」
ごわごわした前髪の下で小さく笑って。
「少しね」
少年は囁くように答えた。
歌姫の声が途切れた直後、鍵盤楽器が流れるようなメロディーを奏で始める。
「学校も、行っておいたほうがいい」
心井がぽつりとつぶやく。
もし区域内に一生暮らすとしても、区域外のモラルも常識も、教養としては必要だ。ルールに従うべきだと言っているのではない。そんなものを律儀に守っていては、もちろんここでは生き残れない。
ただ、何が世間一般ではタブーとされているか、何をしたら四角四面の治安部隊が出張ってくるか、念頭に置いておきさえすれば動きやすい。
だから、ある程度の教養は必要だ。
そしてそれを学ぶには、通学という手段が一番安全で、一番手っ取り早い。
演奏の合間にそんなことを落ち着いた声音で語ったぼさぼさ頭の少年は、パーカーのポケットに両手をつっこんだまま薄く微笑んで。
「またね」
と言った。
***
「十堂の消息は不明ですが、少なくとも千風は生きています。この前トリスが寄越しました」
青シャツが言うのに、黒コートの男が目の色を変える。
「その話、本当か」
「ええ。あ、そいや、姉さんあのとき千風さんのこと、帰りに送っていきましたよね」
青シャツの男が隣の女性に問い、女はうなずく。
「ああ、十堂の迎えがないのは珍しいなとは思ったんだが」
「どこまで送った」
男の威圧するような問いかけにも、女はしれっとした顔のまま、肩を竦めて足を組み直し。
「中心街まで。すぐに人ごみに消えましたよ、残念ながら」
黒コートの男は、何事か考えるようにじっと押し黙る。
「……つまり、トリス経由で、仕事は変わらず請けているということか? なら、なぜ古参の連中に連絡がない?」
「どこかと組んだ上で、一時的に放し飼いにしている可能性もありますよね」
ふー、と息を吐いて、青シャツの男が柔らかな背もたれに寄りかかる。
「あのあとトリスとロイに聞きましたが、二人とも「そんな価格で売れる情報じゃあない」と。よほどのロウシンと組んだのか、千風さん自身が口止めしてるのか」
「トリスは天祭びいきだからな、ほだせるとすればロイの方だ」
黒コートの男が席を立つ。
「こちらは引き続き闇市窟を張る」




