36.ちっぴーとぴっちー
情報屋・鳥巣のコイバナ。昔話です。
ちょっぴりビターエンドですので注意。
小気味よい音がして、弾かれたボールが転がる。
ハイスツールに腰かけた男が、キューを壁に立てかけてから、上機嫌にハハッと笑う。
「ああ懐かしい。当時は鳥の撹乱だなんだと随分と騒がれたもんだよ」
「そうだったっけ?」
と言いながらも途端に言葉少なになった鳥巣を、周囲の男たちが指摘して笑う。
お得意の口八丁と膨大な情報でこれまで和平的に交渉を成功させてきた最近人気の情報屋が、何の交渉もなく突然、懇意にしていたエンライに奇襲をかけて有無を言わさず構成員二人を奪う――という珍事に、当時は噂好きの酔っ払いどもや他の情報屋たちが大いに沸いた。
鳥巣の手がテーブルの木目を滑り、
「……それでも、どうしても、欲しかった」
喧騒の中、誰にともなく、ぽつりと呟く。
後悔はしていない。
していない、と――しきりに自分に言い聞かせている。
そうでなければ、やってられない。
***
硫黄のような異臭がする配管の下、埃っぽい廊下を足早に通り抜ける。道端に座り込む大勢の視線を無視して、穴だらけの扉を押し開ける。
「あっ、いらっしゃいませ!」
店の奥に逃げこもうとしていた背中が、鳥巣の顔を見るなり怯え顔を満面の笑みに変えた。数日前、この店にたむろしていた邪魔なチンピラを鳥巣が自己都合で追い払ってからというもの、なんだか異様に懐かれた。
「ちょっと待ってて! くださいっ」
甲高い声。少女が店の奥に駆けていく。
鳥巣は狭い店内を見回して窓際に向かい、がたつく木の椅子にストンと座り込む。右膝を覆うように手のひらを当てれば、偽物の皿の下で、遅れて発条がギギッと軋む感触。
店の奥から、少女に背中を押された老人が現れる。
「あんたか、待ってたよ」
老人は鳥巣の顔を見るなり、棚の下から必要なものを取り出して並べていく。要求通りに整備された新品同様の銃器たちと――それに混じり、しれっと置かれている、包帯、錆取り剤、整備用オイル。
鳥巣は眉を寄せた。
「……じいさん、あんた、気づいてんだろ」
ズボンの下でかすかに軋んだ音を立てる、義足に。
老人の、伸び切った白い眉毛の下で、しわだらけの瞼が気休め程度に広がって、ただでさえ細い目が糸のように細くなる。
「いいなぁ、あんた、自由そうで」
「は?」
「おっと、これの整備を忘れとった」
老人が一丁の銃を分解し始める。
時間のかかりそうな気配に、鳥巣は鼻から息を逃がし、窓枠代わりの剥き出しの鉄筋に手をかけた。中空に身を乗りだして階下を見下ろす。地表から吹き上がってくる緩い風が癖毛の先を揺らした。
乱立する灰色の壁に阻まれた狭い視界で、何とはなしに遠くの緑を眺める。
ここは。
外から見ると、崩れかけの雑居ビルが横に複数つながったような不恰好な形状をしている。とあるエンライの拠点だ。
そして、そのエンライたちが出した廃棄物を目当てに、浮浪者たちが大勢住み着いている。さまざまな事情で居場所を追われた者たちがこの建物に逃げ込み、エンライに追われながらも上へ横へと勝手に拡張して、自らの居場所を作った。生きていくために必要な仕事を分担し、やがてここに小さな「町」が形成された。この老人と孫娘もその住人だ。
鳥巣は椅子に座りなおして、足を窓から突き出す。増改築を繰り返した不安定な足場を、ギシギシと軋ませる。
「シロさん、何か飲むー?」
少女が鳥巣の偽名を呼んで食品棚に手を伸ばすのに「おかまいなく」と短く返して、あくびをひとつ。浮かんだ涙を指でぬぐう。
「ヒシカ、」
老人が何事か言いつけるのに、
「はーい」
行儀のよい返事をした少女が店の奥に走っていく。
鳥巣は窓枠に頬杖をついて、老人の丸まった背中を眺める。
この場所で動くには、エンライの構成員の振りをするのが一番自由が利く。だからそうした。
そして、鳥巣が調べ上げた情報の中には――ここのエンライに、他に義肢のやつなんて一人もいないはず。構成員のふりをして各種必要種類を偽造し、数人を買収してた上で今現在ここに潜入している、鳥巣ただ一人を除いては。
内通者は鳥巣を裏切ってヘマをして殺された。そのおかげで仕事の予定が大幅に狂ったが、必要な情報はすべて手に入った。
で、当面の問題は、この迷宮じみた穴ぐらからどうやって出るか。いくつか手は打ったが、どう見積もっても早くて来週になるだろう。
こんなことになるならカッコつけて後輩の助力拒むんじゃなかった、帰ったら謝って手伝ってもらおう、ていうかこき使ってやる、とあからさまな八つ当たりを画策する。
どこからで工事でもしているのか、はたまた暴動でも起きたのか、かすか遠くから聞こえてくる物音と人工的な振動に揺られながら、鳥巣はそっと目を閉じる。
この突然降ってわいた暇をどう利用しようか、未だに考えあぐねている。最近珍しく働きづめだったからな、と、鳥巣はここ数ヵ月で終わらせた大小無数の案件を思い返す。
「……細々と続けていた稼業がようやく軌道に乗り始めたところ、だったんだが」
小さくぼやいて、心もとない細さの柱に寄りかかる。
「……ヒシカ」
っていうのか。名前。
棚の向こうで老人ががちゃがちゃと金属音を鳴らす中で、鳥巣はごくごく小さくつぶやく。
……ただの、第一印象だ。
冷静になってみれば別にどうということはない。何のメリットも合理性もないのだから。現実的ではない。
ただ――最初に目が合ったときに。
ただ、欲しい、と。
強烈に、そう思った。
……それだけだ。
***
「ここ、出たこと、ないのか」
鳥巣の言葉に、少女はぷらぷら揺らしていた足を止めて、キョトンとして。
「ここ? このお店ですか? そんなわけ」
「いや、この建物」
たてもの、と耳なじみのないらしい言葉を復唱してから、少女はコクリとうなずいた。
「そうですね。私、ここに住んでるので」
「住んでいても、普通は――……いや」
それが当然だと、当たり前に思っている。
少女の世界は、生まれてから今までずっと、この狭い店と、薄暗い廊下と、それからエンライのゴミ捨て場だけなのだと。
***
「あんた、自由そうだなぁ」
老人が自身のひげを撫でながら、しみじみと呟いた。
鳥巣は、昨日入手したばかりのエンライの機密書類をぱらぱらとめくりながら、曖昧な相槌を打つ。
「確か、前にもそんなようなこと言ってたな、じいさん」
作業の手を止めた老人がのんびりと歩いてきて、鳥巣の座る椅子のすぐ横の床にどっかりと腰を下ろす。それから、声をひそめるようにして呟いた。
「あれだろう、お前さん、ここのエンリーのモンじゃないんだろ。最初は例の乗っ取り企てとるっつーラオシンのモンかとも思ったが、どうやらそうでもないらしい」
「ラオ……ああ、ハイハイ」
自分じゃなかったら通じてないぞ、と内心で呆れつつも、古すぎる「ロウシン」と「エンライ」の呼び方に鳥巣は眉を下げる。老人はマイペースにうなずいて。
「そんな奴もいるんだなぁ。――なぁ、どうだい、あいつの婿にゃ、あんたくらい自由な奴がいいやな。なぁ? ここの連中は、金やら地位やら序列やらで、どうにも窮屈そうでいけねぇや。そう思うだろ?」
鳥巣はちらりと店の奥のほう――先ほど少女が出て行った扉を見ながら答える。
「……婿って」
「この前、あいつとそういう話をしたんだよ」
「ああそう」
白けた返事をする若造に、老人はこっそりと苦笑して。
「で、どうだい」
半ば諦めて依頼していた損傷のひどいナイフをほぼ元通りの状態で差し出されながら聞かれて、鳥巣は仕方なしにまじめに取り合ってやることにして、しばらく考えてから。
「……ああいう子の婿には、自由なんてのよりも、安寧、安定、安全あたりが似合うんじゃないのか」
「まぁ、ちっと箱入りに育てちまったがな。まぁ……あれだ、保護者の許可は下りてるって、そんだけの話だ」
なんだそりゃ、と呟いて、肩をすくめる鳥巣。
「ああそう……そりゃ、どーも」
どっこいしょ、と立ち上がった老人は腰をたたきながら鳥巣に背を向け、棚からいくつかの箱を取り出す。
「こんなところ、ずっと居るべきじゃあない。世界はもっと広い」
ぽつりと言う。
「何を言っているのか」老人のたわごとを、鳥巣は鼻で笑う。「あんたの判断は正しい。何がどうでも全部、死ぬよかマシだ」
一般人がエンライの目を盗んで比較的自由に出入りできたのは、数十年前までの話だ。今は他のエンライの拠点同様、万全の警戒をしている。今ここにいる住民の大半は、その数十年前までに、どうにかしてここに入った者たちの子孫だ。入るのにも出るのにも、鳥巣のような用意をしない限り、見つかり次第殺される。
「……生きたくもない人生なんて、死んでるのと何も変わらないさ」
負け惜しみのような老人のその言葉に、鳥巣はなんだそれ、と呟いただけだった。
***
やけに静かな店内を見回す。
ぴちゃん、とどこかで水滴が落ちる音。
「シロさん?」
店の奥から何かをひきずるような音がして、細く開いた扉の隙間から少女がひょっこりと顔を出す。
「いらっしゃいませ!」
「じいさんは?」
「じいちゃんはねぇ、エンライのひとに呼ばれて銃砲の点検に行ってます」
少女の指が、エンライの幹部が暮らしている区画の方向を指さす。
「ふぅん」
どん、と破壊音。棚板が軋んで、地面が激しく揺れる。
「わわ、近いよ」
菱架が小走りに奥のほうに駆けていき、
「シロさん、奥の部屋に……」
「もうバレたか。それとも別件か?」
少女の言葉を無視して鳥巣はぽつりと呟くと、
「え」
固まる少女の前で、ひょいと棚を飛び越えた。
しゃがみこんでごそごそと棚をあさる鳥巣に、少女が慌てて駆け寄ってきてその腕にしがみつく。
「ど、どろぼうはだめです!」
「違うよ、自分の依頼品もらってくだけだ」
腕を振りほどいた鳥巣は、いつも老人が開け閉めしている金庫をさも使い慣れたもののようにあっさり開錠して、中に作業分の硬貨を放り込んで。
「おい、じいさん戻るまで、ちゃんと奥に隠れて……」
がちゃん。足元で金属音がして、ふと下を向いた。
「……なんだこれ」
自分の拳銃と、それに引っ付いている謎の鍵束を持ち上げる。
「あ、それ……なんで、」
銃と金属束をつなぐ金属の輪をしばらくいじっていた鳥巣が、ぐっと顔をしかめる。
「完全に食い込んでるな。おい、これ、なんの鍵?」
「ええっと……備蓄庫の鍵と、そこの出入り口と、ここの扉のと、あ、あと発動機の」
「すぐに外せるか」
「えっと、うん、ちょっと待ってね」
銃のグリップ部分を握り締めて、少女はとある装置の前まで走っていくと、
「え、え、え、」
「どした」
鳥巣が歩み寄ると、涙目の少女が振り返って装置を指さす。
「れ、レバーがないの……」
「……じいさん、持ってったな」
「え、なんで……」
「合鍵は?」
「あいか、な、なに?」
「予備の鍵」
「ない……と思う。じいちゃん持ってるかなぁ」
鳥巣は黙って、その厄介な銃を見る。とあるロウシンの紋が刻まれた黒い拳銃だ。あのじいさんは分かっててこの銃を選んだに違いない。
そのロウシンに出入りする際の証明になる銃だ、こんなところに置いていくわけにはいかない。それに、この店でこの銃が見つかっただけで、この店は終わりだ。
かといって、鳥巣がこの銃を持ち出したとすれば――この「町」で施錠もなしに生活するなんて、どれだけ致命的なことか。
「ど、どうしよ」
うろたえる菱架の横顔をじっと見る。
逡巡は一瞬。判断は直後。
「……ああくそ」
鳥巣は舌打ちをして、少女の細い腕を掴んだ。
「ついてこい、走れ」
「え」
少女を睨みつける。
いまここで置いていくのは負けた気がする。自分のプライドにも、あの食えないじいさんにも。
一人でだって逃げ切れるか分からない、この状況で。
「行くぞ!」
鳥巣の大声に、うつむいていた少女はぱっと顔を上げた。
少女の手を引いて店の扉から廊下に飛び出して、駆け出す。
「あの、シロさん!」
「心配ない。……これ、レバーさえあれば、はずせるんだな?」
「うん」
「お前でも?」
「うん!」
よし、と鳥巣は大きくうなずいた。
いずれにせよ、まずは状況を確認してからだ。
***
「――それで、その潜り込んだネズミは処分したのか」
「いえ、捜索中と聞いてますが。そもそもデマの可能性もまだ捨てきれないようで」
「なんだそれは。情報担当は何をしてる」
警備担当の男が二人、会話しながら廊下を歩いてくる。戸口にぼんやりと立っている一人の青年に気づく。
「おい、なんだお前」
不審そうな顔をして、一人が腰の拳銃に手を伸ばす。
「――モニタ室、開けてくれるか」
青年がぽつりと呟いた、その単語に男たちは動きを止める。
情報漏えい防止のため、警備担当と幹部数十人以外には知るはずもないその機密事項。
「か、幹部の方ですか、失礼しました」
顔を見合わせ、男たちが納得しかけたところで。
鳥巣はポケットに入れていた手を引き抜いた。
二発の銃声。くぐもった声。
二人の男が崩れ落ちる。
「……出てきていいぞ、ヒシカ」
鳥巣が言うなり、柱の影から少女がひょっこりと顔を出す。
「平気?」
「平気。こっち」
一足先にモニタ室に入った鳥巣が、手早く装置を操作して無数の画面を切り替え始める。
面倒だが、一度エンライの区画に行くか、または落ち着いたころに一度店に戻って、じいさんに菱架をあずけてから出ていくしかない。
そう仕向けたのがじいさんなのだということは分かっているが――疑問は、残っている。
耄碌したふりをしておいて、これだけ知恵の回る老人ならば、分かるはずだ。
入ってきた鳥巣なら、もう一度改めて入ってくることも可能だと。一度一人で脱出してから、用意を整えて、あとから菱架を迎えに行く、という選択もあったはずなのに、そのほうが安全ということも分かるだろうに、どうしてこんなに事を急いたのか。こんな面倒くさいことをさせるのか。
……絶対に、連れて行ってほしかった?
「……馬鹿じゃないのか」
ぼそりと呟く鳥巣。
「シロさん、なにか言った?」
駆け寄ってくる菱架に、鳥巣は「なんでもない」と手を振って、
(さて、ここからどうするか――)
モニタに映る一人の姿に動きを止めた。
***
壁に埋め込むように、幾重にも施された過剰なほどの倒壊防止加工の金属を、鳥巣の足がガツンと蹴る。
その音に、室内にいた老人はゆっくりと振り返る。
「来たか。そのまま出てってくれて良かったんだがなぁ」
「じいちゃん!」
菱架が涙目で駆け寄ってしがみつく。
「おい、あんた、悪ふざけが過ぎるぞ」
低い声で言う鳥巣に、老人は手に持っていた革袋をぐいと押しつける。
「餞別だ。いや、嫁入り金かな。持ってってくれ」
「は?」
老人がその袋から古びたコインを一枚取り出して、親指の腹でその表面を撫でる。
「長く住んでるとなぁ、ここに出回る硬貨なんて、だいたい覚えちまうんだよ」
その言葉に。
「――」
鳥巣は冷や水を浴びせられたように固まった。
老人は泣きじゃくる菱架を抱きしめたまま、相変わらずののんびりした調子で続ける。
「エンライが外ででかい仕事でもとってこない限り、基本的にゃおんなじもんがおんなじとこ、ぐるぐる回ってるだけなんだよ、飽きもせず」
「……は」
(まさか。最初から――全部、)
老人は眉を下げると、今まで鳥巣が支払った硬貨すべてが入った革袋を、力強く押しつける。
「……受けとる気なんて、最初から、なかったのか」
それ以降は声にならなかった。
老人の手から、バラバラと落下する円筒形の物体。
それはおびただしい数の鎮痛剤だった。幻覚作用と中毒性のある強烈なものだ。重篤患者でもそんなに大量に必要としない。それこそ――10人単位の患者がいるか、あるいは、とある心臓病の末期患者でもいなければ、そんなもの。
そんなもの。
……つまり。
いつも服用している薬をぼとぼとと床に落とした老人に、少女は不思議そうな顔をして、
「じいちゃん、落としたよ」
赤い目のままそれを拾い集め始める。
老人が鳥巣を見ながら言った。
「ヒシカを連れてってくれ。よろしく頼む」
少女が慌てて顔を上げる。
「じ、じいちゃんも、だよね?」
震える声を聞きながら、鳥巣は黙って老人を見返した。老人はこれ以上何も言うつもりはないとばかりにじっと口を閉ざす。
「――こっちだ!」
廊下の先から複数のあわただしい足音が近づいてくるのに、菱架が青ざめる。
鳥巣は表情を変えずに時計を見て、端末を耳に当て、
「用意は? ああ、予定通りだ、うん」
菱架の手を引いて窓を開け放つと、一回下を見下ろしてから、
「ヒシカ、先に行って」
「え、きゃあ!」
少女を抱き上げ、窓の外にぽいと放り出した。
老人があっけにとられる。
「……無事、なんだろな?」
「心配ない、下に待機してるのは昔から有能な奴らでね。で、じいさん、あんたもだ。外ならマシな治療だってある――」
「あんたにとっちゃ、こんなに簡単なことだったんだなぁ」
ゆっくりとした足取りで近づいてきた老人は、鳥巣の手をとらずに――鳥巣の背を押した。
「お、おい!」
慌てて窓枠をつかもうとした鳥巣の手は宙を掻いた。
重心を崩して落下を始める身体の後ろで、
「わしが逃げると困る奴が、何人かは居るんだ、これでも」
そんな言葉が、頭上から聞こえた。
***
「――停めてくれ」
しばらく黙って車窓を眺めていた鳥巣が、ぽつりと呟いた。
すぐに振動が収まる。
鳥巣は隣に座っていた菱架の引いて車外に出る。
頭上に広がる綺麗な青空を見上げて、菱架が息を呑む気配。
「……はは」
鳥巣の口から、無意味に乾いた笑い声がこぼれ落ちた。
後悔はしていない。
していない、と――しきりに自分に言い聞かせる。
そうでなければ、やってられない。
右手に繋いだ少女の手を、鳥巣はぎゅっとにぎりしめる。
ちょっと間があって、幾分弱い力で握り返される。
「……自由だね」
ぽつりと呟いたその声は、いつまでも鳥巣の記憶に残った。
***
――これは、いつの会話だったか。
時折、断片的に思い出すことがある。
「ああ分からないね。なんだそれは、非効率的な」鳥巣はひょいと肩をすくめて、既に定位置となった椅子の上で大きく伸びをする。「誰かのために生きたり、誰かのために死ぬ奴の気が心底知れないね。主体性のない」
「そうかい」
くるりと背を向けて、
「まぁ、悪くないこともあるのさ」
作業の手を止めないままのんびりと呟く老人に、鳥巣はまた肩をすくめる。
***
「嫌いだ。ああいう、人種は」
すねたように呟く鳥巣の手元で、チャリチャリと金属音が鳴る。形見代わりの鍵束だ。
何十年も前、あそこに店を開いたときに、じいさん自身が作ったものだったのだと、あとから菱架に聞いた。
鍵束を置いて、それに手を合わせてから、鳥巣はぽつりと呟く。
「嫌いだよ」
その背を見つめて、そっと眉を下げて少女は微笑む。
作業BGM:ティファニーで朝食を、This Is It、槇原敬之、ALICE、コブクロ




