33.救援と眼帯、十堂の銃(前編)
銀色に光る拳銃を構えた黒いベストの少女が、背を丸めてひた走る。そのすぐ後ろに、サイドライド式のライフルをかついだ男が続く。
頭上から突き出ている地盤改良用の太いボルトの錆びた先端から、なんだか良く分からない暗い色の液体がぽたぽたと肩にしたたり落ちてくるのを、義維の手が払いのける。それから、今しがた通ってきた、うねうねと蛇行する長い迂回路を振り返り、
「……なるほど、地下道か」
義維がつぶやくのに、
「う!」
前方を進む千風が肯定するように、ぴょんと飛び跳ねる。
「わ、なんだアイツ――」
とぱぱぱ。
相手が捕捉した直後、千風の射撃で次々と倒れる。
千風が手を伸ばした扉を、義維の手が、ばん、と開ける。
「ゆきちゃん!」
甲高い悲鳴がつんざく。
室内から一斉に向けられる銃口。
「――銃を下ろせ、味方だ」
敵意丸出しの男たちの後ろから聞こえてきた、覚えのある落ち着いた声に、
「ゆきちゃん!」
千風ははっとなって大声を上げた。うつむく鬼藤の手の間からぼたぼたと垂れる鮮血。
「けが!」
鬼藤の姿を見つけ、千風が駆け寄る。
「大事ない。それより、早かったな」
部下の止血を受けている鬼藤が冷静な声で言う。
「ううん、ちかみち……」
「ああ。――まさか本当に使う日が来るとはな。こんなにすぐ」
しわの多い顔を歪めて自嘲気味に笑う鬼藤。
そこへ歩み寄る一人の男が、千風のすぐ横にひざをつく。
「千風様、ご無沙汰しております」
「あ、うんてんしゅのひと!」
「光栄です」
千風はきょろりと周囲を見回し、
「ねぇねぇ、ゆきちゃん、ひしょのひとは?」
鬼藤はクイ、とあごで壁の向こうを示す。
「あっち側だ。まぁ色々あってな。今の秘書はそいつだ」
「初めまして、千風様」
ベージュ色の帽子をかぶった男が丁寧に一礼する。それにつられるように一礼を返したあと、千風は、むー、と眉を寄せて。
「ゆきちゃんとこ、ケンカおおいねぇ」
肩をすくめる鬼藤。
義維は背負っていた荷物から医薬品を取り出して秘書に渡す。礼を言って受け取った秘書がそれを横の部下に渡し、部下がすぐさま開封すると、即効性のある痛み止めだけを選び出して壁際の数人に投げる。
「何人で来た?」
鬼藤の問いかけに、千風はぴっとピースサインを向ける。
「ふたり! ちかみち、ひみつだから!」
「うん」
端末を耳に当てていた義維が言う。
「屋敷の外に五十人ほど待機させてあります」
「そうか」
駆け込んできた部下から状況報告を受けたあと、総括担当らしき男が背筋を伸ばして言う。
「どう突破するか考えあぐねていたのですが……片付けていただいたようで」
不思議そうに千風が言う。
「そんなにやっつけてないー」
「いえ、充分です。外部との通信も確保できましたし」
てきぱきと手際よく段取りを進める男たちの様子を義維が感心したように眺めていると、
「む?」と千風。
鬼藤がおもむろに、千風の首根っこを引っつかんでぶら下げる。
銀色の銃が少女の手元でスッと持ち上がり、
「ぐ……!」
板張りの壁にいくつかの穴が開く。壁と空間を少し隔てた先で、鈍い転倒音と、数人のくぐもった声。
鬼藤の手が、千風の身体をすとんと床に下ろす。
襟ぐりを撫でる千風に義維が歩み寄る。
飛び出していく部下たちを眺めつつ、鬼藤が言う。
「届くならすぐ撃てと言ったろう。何をぐずぐずしていた」
「ひとり逃げちゃったー」
「一匹くらい放っておけ。こういうときはまず数を減らすことだと教えただろう」
完璧主義の狙撃手の悪癖が抜けない少女にマッタクと憤慨する鬼藤に、
「組長、」
俊敏に歩み寄った一人の男がそっと耳打ちする。
「……ふん、逃がしたか」
「あるいはこの騒動の中……可能性は低いと思いますが」
「そうだな、――ちー」
「ん?」
絶え間なく四方を確認していた少女がくりっと振り向くのに、思案顔の老人が言う。
「来る途中に織河、見ていないか。特徴は……ああ、右足にでかい火傷跡があって、ひきつれたような歩き方をする奴だ」
きょとんとする少女の前に、運転手の男がしゃがみこんで。
「来る途中に、歩き方が変だな、と思った方はいましたか?」
千風はちょっと考えてから、
「ちっぴー!」
両手をぶん回して元気よく答える。
「……ち?」
運転手と秘書がそろって固まるのに、
「違う、トリスのことじゃあない」
渋面の鬼藤が首を振り、次に目線を義維に向ける。
「見ていないな?」
「はい」
義維は即座にうなずく。義維がまともに捕捉する暇もなく全員、先を歩いていた千風によって地に伏していた、先ほどの光景を思い浮かべつつ。
フン、と鬼藤は鼻を鳴らして、右目を覆う包帯に触れる。
壁の向こうでどさどさと何かが崩れる音がして。
「どうぞ。二階へのルートを押さえました」
扉近くの男がそう言って扉を蹴り開けた。
「いくぞ、上だ」
鬼藤がうなずいて歩き出すのに、千風がぱっと顔を輝かせて頭上を指さす。
「お空のお迎え?」
「残念ながら、航空機の類は最初に全機差し押さえられてな」
「あう」
あからさまにがっくりと肩を落とす少女の頭に、ぽんと老人の手が載る。
***
「近頃のエンライはエラい儲かってんねぇ」
背後から聞こえた、からかうような言葉に、階段を上っていた義維が振り向く。うらやましそうな顔をした男が、義維の羽織る防刃繊維の端を引いている。
「いや、これは」
宮地とドバトとのいきさつを鬼相手に言いよどむ義維の前、同じ色の布をひらひらさせながら階段を上っていく少女の背中を見つけて、
「ああ、嬢ちゃんの持ちもんか」
男は勝手に納得してうなずく。
「みたいなものです」
くるりと振り向いた千風が、にんまり笑って布の端をスカートのように持ち上げてみせる。
「ぎぃちゃんとおそろいなの!」
「おお、そりゃよかったな」
「ん!」
前方の鬼藤に呼ばれて身軽に階段を駆け上がっていく千風。それを見送ってから、義維が男に聞く。
「敵側の要求は?」
「なにも。どこのアホウと結託したが知らんが、あの動きから察すると組長の首だろうね」
なるほどそんなものか、と納得しつつ、義維は袖をまくりあげて、腕にできた赤い擦過傷を掻く。
ふと訪れた静寂に、鬼藤の秘書から手渡された水筒から水を飲んでふぅと一息ついた千風が、「あ」と小さく呟く。
直後、後方から、どかんと爆音。
先程までいた下の階の部屋からものすごい量の爆炎と熱風が吹き出し、廊下を伝って階段にまで流れ込んでくる。
「今ので何匹しとめた?」
上昇気流に飛ばされそうな帽子を押さえて近くの男が聞いてくるのに、
「んー」すぐ目の前にある壁を凝視しながら千風が答える。「5人?」
「意外とすくねぇな」
別の男が舌打ちを鳴らすのに、
「けがしたのは、もっといるよ」
にわかに騒がしくなる後方を振り向いて、千風が言った。
漂ってきた煙に混じる不愉快なにおいに、少女は顔をしかめて、襟巻きのなかにもそもそと口元を埋める。
いくつかの壁を隔てた向こうで、どかんと破壊音が鳴る。
「お、あっちでも始まったか」
仕掛けの爆薬が作動した音に、義維の横を歩く男が、後方への射撃の合間に呟く。
前を歩く者たちに続いて廊下を曲がった千風が、廊下の先にある扉に向けて撃つ。木戸を貫通した弾丸に、扉の向こうからいくつかの苦悶の声が上がる。
扉が内側から蹴破られる。
伏した仲間を踏み越えて駆け出してくる迷彩服の男たち。
長い廊下は瞬く間に混戦状態になる。
その片隅、鬼藤の脇にさっと寄ってきた少女が、その混雑の隙間を縫って一人、また一人と撃ちとっていく。
どさり、と敵陣の最後の一人を地面に沈めた男が、フー、と長い息を吐いて髭周りの汗をぬぐう。
窓の向こうに、合図の照明弾がチカリと光る。
義維が端末を耳に当てつつ、千風を呼んだ。
「ゆきちゃん、ゆきちゃん、」
千風はとことこと寄っていって、鬼藤の前で、こてん、と首をかしげる。
「ちー、もう帰ってへいき?」
「ああ。助かった」
骨ばった手が少女の丸い頭をそっとなでる。千風はくすぐったそうに笑ってから。
「行くぞ」
端末をしまった義維が短く声をかけ、
「ん!」
ぱっと伸ばされた手を小さな身体ごと抱え上げると、外側から開け放たれた窓に駆け出す。ベランダで待機していた鉾の数人とすれ違うようにして、義維はベランダの柵を飛び越えると、緩い傾斜になっている屋根の上を走る。
「にんじゃ!」
千風の嬉しそうにはしゃいだ声が聞こえたあと、すぐ耳元で装填音。
背後に向けて数発撃つ千風に、窓から身を乗り出していた追っ手が、次々と屋根から足を踏み外す。
「降りるぞ」と義維。
「ん!」と千風。
義維の手が雨どいをつかんで、一階下の屋根に飛び移る。
と、そこで。
「……おい、なんだ、あいつ」
すぐ下にある道で、タバコ片手に談笑していた通りすがりの二人がそう呟くのが聞こえた。彼らの視線の先で、街角のごみ捨て場が燃えているのが見えた。
そして、その前で撃ち合っている数人。どうやら別の小競り合いらしいそれに、義維はその先にある鉾の仲間との合流予定地点を頭に描いてから、
「迂回するか」
「ん」
迎えの一人が開け放しておいた非常用のハッチから、一階下の室外機の上にすとんと降りる。はしごを伝って地面に降りると、先程の二人組が、目の前をばたばたと駆け抜けていく。
義維が千風をすとんと地面に下ろす。
なおも燃え盛るごみ捨て場の前で、仁王立ちになった一人の男が大声で叫ぶのが見えた。男が異様に銃身の長い黒い銃を取り出して撃つ。
反動で銃口が大きく跳ね上がり、撃った男はたたらを踏む。命中した無人商店が赤い炎を上げて一気に燃え上がる。数人が逃げ去る。黒い塊の消し炭となった商品が棚からぼとぼとと落ちていくのが見えた。
「……強烈だな」
だが、大した腕ではない。逃げる敵を追って走っていく男の背を眺めつつ、先程の大雑把な撃ち方からそう判断して、
「ちー、なんだあの銃」
だが思わず義維は聞いていた。
たった一弾で爆散するような勢い。去っていく男の、破れた手袋の端から鮮血が垂れるのが見える。
千風からの返事はない。
「ちー?」
少女はただ、撃った男の背中を見つめている。
と。
千風が顔を上げ、いきなり駆け出す。
「おい!!!」
走り去る小さな背中を追って義維も駆け出す。
千風が角を曲がる。
「ちー!」
追って角を曲がった義維が足を止める。千風は、地面をじっと見たまましゃがみこんでいた。視線の先には一台分の車の轍。
「今の、知り合いか」
義維の問いに首を降り、少女は両手を広げてはっきりと言う。
「あれ、おとーさんの!」
「……銃が、か?」
「ん!」
「あれが、十堂さん本人では、ないんだな」
コクリとうなずく小さな頭。
「あれ壊れてないか」
「ううん」
「あれで暴発じゃないのか」
呟く義維の後ろで、鉾の数人が二人の名を呼ぶ声が聞こえた。
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