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31.『列強』、台頭(後編)

街角に停められた中古のクーペの前に、二人の男が立っていた。

右側に立つ茶髪の男が、坂道を駆け下りてきた四人に向けてひょいと片手を挙げる。

「おつかれ」

「トリス!」とティシリー。

きゃあ、と千風が歓声を上げて、

「ちっぴー、あし復活!」

鳥巣の、人よりやや太めの右脚にがっしりとしがみつく。

「ええ、ご心配をおかけしまして」

にんまりと笑いあう二人の横で、ティシリーがもう一人の男に目を向ける。

「ホコラ?」

鉾良はさっきから黙ったままで、ティシリーの姿に目を瞠っていた。どこからどう見ても、ただの細腕の少女。

「あ、ええ。……失礼、若いとは聞いてましたが……」

少女はにっこり微笑んで。

さっと鉾良に近寄ると、いきなり足払いをかける。

「!」

不意打ちをまともに食らって重心を崩した鉾良の頭上すれすれに、二人の少女が予備動作なく銃弾を撃ちこむ。

鉾良の頭が地面に付く寸前、義維の手が鉾良の腕を横からぐんと引き上げた。

「すみません、動けず」

「いや、ああ……俺も一瞬死んだかと」

その後ろで、ビルの陰から飛び出してきた数人が撃たれて崩れ落ちる。

「ごめんねっ」

ティシリーは片手でひょいと謝ってみせてから。

「トリス!」

「ちっぴー!」と千風。

同時に名を呼ばれた参謀は、それだけで二人の依頼を理解して「はいよ」とうなずき。

「三手に分かれましょう。合流地点は追って連絡します」


***


走り去っていくティシリーの後ろ姿を一瞬だけ建物の隙間に見た男が、後方の仲間に「いたぞ!」と叫ぶ。別の道に向かっていた全員があわてて引き返してくるのをせせら笑いながら、一番乗りの男が意気揚々と少女を追おうとして、

「ガキ、邪魔だ!」

道の真ん中に取り残されたようにぽつんと立つ、不審な少女に気づいて怒鳴った。一直線に向かってくる男の顔を冷静に見上げた千風が、

――ぱすん。

「ぐあ!」

男の大腿に一発撃ち込む。

男が予期せぬ痛みにバランスを崩し、もんどりうって倒れる。

その隙にぱたぱたと駆けていく千風。

「おい、てめぇ! クソガキ!」

男の仲間が血相を変えて追ってくる。

「ぎぃちゃん、だっこ!」

別の方角の敵に応戦していた義維に向かって、ぱっと両手を広げる千風。

ひょいと片腕で抱き上げた義維の、そのすぐ耳元で、がしゃこ、と装填音が聞こえた。義維がそこに目を向ければ、拳銃が義維の肩越しにまっすぐ後方を向いている。

「ちー、そっから撃つのか」

「ん」

短い返事。ちきちきと調整する音。千風の精密な動作が如実に義維に伝わる。

ティシリーの向かった方向とは逆の方向へ駆け出す義維。その肩越しに数発の弾丸が後方へ連射され、数人を仕留める。

思いもよらぬ攻撃にぎょっとなって減速する男たち。それを激昂した何人かが追い抜いて駆けてくる。

じわりと縮まる距離に、千風の手が義維の頭をぺしぺし叩く。

「ぎぃちゃ、加速! ぜんそくりょく!」

「揺れるぞ」

「いいよ!」

明快な返答にひとつうなずき、ぐんと速度を上げる義維。きゃい、と短く楽しげな声を上げた千風が続いて数発撃ち、後方で苦悶の声。

義維は杞憂だったかと肩をすくめ、固定ベルトでも用意するか、と割と真剣に考え始める。周辺地図を思い出しながら、入り組んだ細い路地を直感的に抜け、

――と。

「みぎーー!」

頭上からの大絶叫に、反射的に地を蹴る義維。空き家らしき木戸を右肩で破って、暗い室内に転がり込む。

直後、どぉんと地面を揺るがす、ものすごい爆音。ばちばちと壁材に当たる粉塵。割れて曇った窓ガラス越しに、いくつもの赤い火柱が上がるのが見えた。屋外からは、男たちの混乱しきったわめき声。

肩で息をする義維が、千風の平然としたつむじを見下ろす。

「……あれ、なんだ?」

「おねぇちゃん!」

「……『列強』とは、初対面だろ?」

さっきそんな話出てたか?と義維が首をひねるのに、

「う? ちっぴーとおねぇちゃん、言ってた」

きょとんとした顔の千風が見返してくる。

「さっきか?」

「ううん、おでんわ」

千風のずば抜けた聴力は知っている。電話越しの会話を聞き取っていたとしてもおかしくない。だが。

義維はぐっと眉を寄せ。

「……英語、だったぞ?」

「ん」

コクンと表情を変えずにうなずく千風。

「聞き取れるのか」

「ん?」

首をかしげた千風の後方で、どかーんと爆音が鳴り、火柱が上がる。

「……まあいい」

そんなことを話してる暇はない、と義維が思考を切り替えて室内をずかずかと進み、勝手口を蹴り開ける。石段を降りて狭い裏路地を見渡し、

「あそこか」

鳥巣から指定された建物が民家の屋根の上から突き出ているのを見つけると、千風を抱えなおし、再び駆け出す。


***


鉾良が運転しているクーペが急に減速する。後部座席に黒いパルプボードの箱を放り込んでから、助手席に乗り込んだ鳥巣がバタンと扉を閉める。

「出して」

「二人は?」

窓から銃を引っ込めて、アクセルを踏み込みながら鉾良が聞くのに、

「予定変更。もうしばらく暴れてから合流するそうだ」

「はぁ」

不可解そうに生返事をする鉾良を放っておいて、車窓から顔を出した鳥巣が、ぽいと何かを後方に投げる。

追ってきた三台のバイクが、いきなり蛇行して側道に突っ込み大破。ガソリンに引火して赤い爆炎が上がる。

「な、なんだ?」

衝撃音に慌ててバックミラーをのぞきこむ鉾良を「いいから前見て」とたしなめ、鳥巣は手に持ったもう一本の金属缶を、手の上で何度か放り投げ。

「うん、そこ右折」

「はい」

律儀にウインカーを出してからハンドルを切る鉾良をひっそりと笑って。

「面倒なことに首突っ込んだと思ってるだろ」

カーブミラーに目をやりつつ言う鳥巣。

「いえ、それはまぁ……分不相応だとは思っています」

鉾良が遠慮しながら答えるのに、

「どうせ関わり合いになるのなら、敵に回すより味方として助力しておいたほうがはるかに有益な相手だ」

「そうですね」

「心配しなくても、彼女は『列強』の中では珍しく穏健派、割合話の通じるほうだよ。ああ、リトロ語は鋭意習得中だから、多少の言い回しは多目にみてやってくれ」

鳥巣はのぞきこむように、先ほどからずっと動揺しきりの鉾良の顔を見上げ。

「悪い子じゃない。恩を売っておいても無駄にはならない」

「……それは、そうだと思いますが」

「うん? なぜ?」

「ちーが随分なついているようで」

「ああ、それはどうかな」

問いかけるように、鉾良の視線が助手席に向く。

鳥巣はぼさぼさ頭をぼりぼりと掻いて。

「こと人を見る目に関して、千風さんの判断はあまりアテにならないよ。どんな雇い主でも従順に遂行してきたフリーランス精神は父親譲りだ、なにせもし裏切られてもそこで撃ち殺せばすむ訳だから」

二の句が継げなくなっている鉾良をちらりと一瞥して。

「十堂のやり口、そのままだ」

鳥巣は懐かしそうに目を細める。

「ていうか、どっちかっていうと、彼女が千風さんを気に入ったようだしね」

先ほど電話で興奮ぎみにまくしたてられた自慢げなティシリーの言葉を思い出して、鳥巣は口角をあげた。

「さて、着いたね」

「はい」

キ、と小気味良いブレーキ音を鳴らして停車する。


***


千風を抱えたまま、鉄筋製の階段を義維は三段飛ばしで駆け上がる。

「ちー、合図」

義維が揺さぶりながら言うと、千風は嬉しそうに笑い声をあげながら、

「ちっぴー! きーたーよー!」

後方への射撃の合間に叫ぶ。打ちっぱなしのコンクリートにくわんと反響する甲高い声に、全員がわずかに顔をしかめる。

返答とばかりに、階段の上から数発の発砲音が響いた。義維と千風の脇を抜けた銃弾で、階段から足を踏み外して、数人が転がり落ちる。

扉の隙間から片膝を立てて拳銃を構えていた鉾良が、二人を迎え入れるように足で扉を押し開ける。その横を通り抜けて部屋に入った義維が、千風をすとんと下ろした。がらんとした部屋を見渡す。

「で、なんでエレベーターで来ないんだ?」

すぐ右横にある銀色の扉を指さし、不可解そうに鉾良が言うのに、

「ちー、だんべる!」と誇らしげな千風。

「筋トレです」と真顔の義維。

「ああそ」と鉾良は肩をすくめる。

設置を終えた狙撃銃から手を離して、鳥巣がゆっくりと振り返る。


***


エイリがティシリーの手を引いて、石畳の坂を駆け下りている。

背後からの発砲音。通り過ぎたばかりの店先の布屋根(オーニング)がパスンと撃ち抜かれる。

「あ、こっち!」

楽しげな声をあげたティシリーがエイリの首に腕を回し、

「うええ」

路駐している軽トラックの荷台に飛び乗る二人。

「なんだあんたら!」

運転席で昼寝していた男が飛び起きて叫ぶのに、ティシリーの右手の拳銃が一発鳴る。嵌め殺しのリアガラスを貫通すると、銃身の長い別の銃を斜めに押し込んで――目を白黒させている運転手のこめかみに、銃口をぐっと押し付ける。

「出して!」

ぶぉん、とエンジンが間髪入れず排気をふかす。揺れる車体に、エイリは慌ててガードフレームを掴んで体勢を整え。

「ティシリーこれバスジャック……! いやバスじゃないけど」

オロオロするエイリに、すでに荷台の上でくつろぐ気まんまんのティシリーがびしりと親指を立てて。

「ヒッチハイクよ!」

「ええー……?」

路上で何事か叫んでいる追っ手たちの姿がみるみるうちに後方へと遠ざかる。それにティシリーが楽しげに手を振る。

息をつけたのも数分の間。

すぐさま数台の車両とバイクが、燃費の悪そうなエンジン音を響かせながら追いかけてくるのが見えた。二人は荷台に積まれていたガラクタのうち、空のタンクとミニバイクの間に身を潜める。

トラックの後輪めがけて放たれるいくつもの銃弾に、運転手がひきつった悲鳴を上げながらアクセルをベタ踏みする。

「あ」

積み荷の隙間からわずかに頭を出して絶え間なく周囲を見回していたエイリが声を上げる。運転席横のパネルを乱暴に叩き、

「おじさん、左に寄せて! あっ減速しなくていい!」

交差点に立つ赤い消化栓に、がつんと音を立てて男の足が乗っかる。そのまま軽トラのサイドパネルを掴んで飛び乗ってきた鉾良が、エイリに礼を言ってぽんと頭に手を載せ、

「すぐに義維も来ます。これ、鳥巣さんから差し入れ、と」

飲料水のボトルが宙を舞う。受け取ったティシリーがごくごくと飲み干し、「ぷはぁ」とおっさんくさい息を吐く。

「どうも」

頭に置かれた手を微妙な表情で見上げつつ、エイリが短く礼を言って、もう一本のボトルを受け取る。

「チーは?」

空のボトルを追っ手に向かってぶん投げてからティシリーが問うのに、鉾良は右手で斜め上後方を示す。少女は黙って鉾良が示す先に建つものをじっと見つめ。

「よし!」

追っ手側に背を向けたまま、いきなりすっくと立ち上がり、

「え?! 危な――」

ぎょっとなるエイリ。突然現れた目当ての姿にとっさに幾多の銃口が向けられる。少女が後方を振り向く前に――ぱしゅん、と頭部を射抜かれた追っ手の一人が崩れ落ちて、銃を落とす。

「え」エイリの声。

当然のことのように一瞥してから、ティシリーの手が続いて数発。

エイリと鉾良が見たのは、まるでドミノ倒しのように次々と横転していくバイク。異音を鳴らし黒煙を上げながら失速する派手な車両。タイヤを撃たれた車は大きく旋回して、隣のバイクを対向車線まで弾き飛ばす。

「狙撃だ!」と追っ手の誰かが叫ぶ。

「どこだ? あそこか?」

仲間の吹っ飛んだ方角を見てから、一人が西側のビルを指さし――直後、集団は一斉に12階建てのホテルの影に入る。ビルが見えなくなる。

と、束の間。

ぱぱん、と乾いた音。二人が胸を押さえて倒れる。

「ちっくしょ、ちげーな」

「どこからだ?」

追っ手たちが騒いでいる間に再びの襲撃。まるであやつり人形の糸が切れたかのように、周囲の人間が一斉に崩れ落ちる。流れ出る鮮血が、風にあおられ飛沫となって散る。

「まさか……」

一人が見つめる先には、隣の区との境目に建つ摩天楼(スカイスクレーパー)

「いや遠すぎだろ」と一人が笑い、

「あんなん、どこ隠れても……」

脂汗を浮かべた一人が震える声で言う。


「おい! あんたら! あいつらは?!」

運転席からの焦った声に、応戦していた三人は前方を振り向く。廃材らしき木材が乱雑に積み重ねられ、道いっぱいに広がって進路を防ぐようにずらりと並ぶバイクが見えた。

鉾良がめんどくさそうな顔をして――

その直後、脇道から猛スピードで飛び出してきたバイクが、どがしゃあ、と最前列のバイクと数人の男をまとめて横方向に吹っ飛ばした。

「ギイ!」とティシリーが顔を輝かせる。

運転手がとっさにハンドルを切り、軽トラックは義維が出てきた小道に飛び込む。悪路にがたがたと揺れながら走るトラックの上で、千風と鳥巣のいるであろうビルに向けて手を振ってから、ティシリーが微笑む。

「素敵なチームね」

鉾良がゆっくりと口角を上げた。


***


少女の丸い目が、真新しい電子照準器をのぞきこみ――

放たれた数発の弾丸が、遠方に立つ一本の電柱をえぐるように撃ち抜いて、ばすんと音を立てる。

ぐらり、と傾ぐ灰色の柱の根元を、駆け寄っていったティシリーの足が、ダメ押しとばかりに蹴り飛ばす。

数本の電線に引きずられるようにして、引っかかった大型広告が歪んで傾き――続いて、千風の弾丸が、錆びた看板の支柱を吹っ飛ばす。

ティシリーを追って飛び出した男たちの頭上に、

「え?」

ふっと影が落ちる。

直後、がしゃあああん、とけたたましい音。降り注ぐ破片。

周囲に広がりもうもうと立ち込める、濁った色の砂塵。

「XXXX!」

異国語で歓声をあげたティシリーが、嬉しそうにぱちんと指を鳴らすのが見えた。

「なかなか使えそうだね。ふぅん、これは買いかな」と鳥巣の声。

「ん。ちっぴーも撃つ?」

銃から顔を離した千風が、隣に座る鳥巣の義足を指さして顔を輝かせる。

「今日はやめておこう。ひとまず温存」

むむー、と唇を尖らせて、残念そうに鳥巣のひざをぽすぽす叩く千風。

鳥巣が見下ろす先には、数本向こうの通りを駆けていくティシリーとエイリの姿。建物の間を見え隠れする二人に続いて、加勢に向かった義維と鉾良の姿が見える。

「それで、どうだい、『列強』は」と鳥巣。

「うんとねー、おねぇちゃん、つよい!」と千風。

「そうだね」

「あっ、おとーさん、しってた!」

「おや」

相槌の合間に鳥巣がケースから見慣れない銃器を取り出すのに、千風が目を丸くする。

「ちっぴ、新しいのいっぱい!」

「試したいやつ、ありったけ持ってきた」

いくつか床に並べると、

「これなんてどうかな」

不思議な形状をした銃を一番下から取り出して、千風の両手に持たせる。はしゃぐ少女を尻目に、鳥巣は銃器に添付されていたメモ書きをぺらりとめくる。


***


「それ置いてけ!」

呼び止められた声に、木箱を肩に担いだ男が足を止めて振り返る。ナイフを持った小さい少年が睨んでいた。

男はクチャクチャとガムを噛みながら辺りを見回した。日中でも人通りの少ない道には、はるか前方の煙草屋の前に老婆が一人いるだけ。少年の周囲には誰もいない。

「スリにしちゃ堂々としすぎだな」

男が鼻で笑って通り抜けようとするところに、少年がすばやく回り込む。

即座に男の右足が跳ね上がり、

「ぐ……!」

蹴り飛ばされて、エイリの身体がアスファルトの上を滑る。ぼたぼたと鼻から落ちる血液を押さえて、ぺっと赤い唾を吐き出す。

「くっそ」

男が何事もなかったかのように近くの居酒屋(エスタミネ)に入っていくのを睨みつける。

「酒が切れてるだと? ひでぇ店だな」

男は靴の先でバーカウンターを蹴り飛ばし、差し出された珈琲(カフェ)を片手に、笑いながら窓際の席に向かう。

「で?」

そこに座っていた男が顔を上げて言うのを無視して、足元に木箱を下ろし、虫食いのカウチにどっかりと腰かける。

「持ってきたが、こんなん何に使うんだ?」

対面の男に向かって、ガスンと木箱を蹴り出す。

「ちょっとな」

上機嫌に笑う男が、木箱に手を伸ばす。

「まさか、ついに出てくのか」

「まさか」

「ほどほどにしとけよ」

擦り切れた紙幣をテーブルに置いて、木箱を運び出していく。店のドアベルが乾いた音を鳴らす。臨時収入を懐にしまった男は、冷めた珈琲(カフェ)をのんびりと口に運び、

――対面の椅子が再び引かれた。

「おい、相席なら……」

言いかけて見上げた先には、露出の高い服を着た金髪の少女。満面の笑みを浮かべて、ひらひらと手を振っている。

少女はすとんと椅子に座り、古煉瓦を積み上げて作られたカフェテーブル越しに向かい合い、

「お前らのボス、なんてヒト?」

頬肘をついた美女が首をかしげてそう問いかけるのに、

「……へ?」

赤い顔で、呆けた返事をする男。

「すぐそこでいきがってるエンライだ、拠点は西に三本いった先で左折」

「トリス!」

ドアベルを鳴らして店内に入ってきた男にぱっと目を輝かせたティシリーは、即座に席を立って駆け寄ろうとして、

「おおっと」

少女の細い手首を男が掴む。

「オレのが先だよな?」

「ん?」

くるりと振り返る極上の美女に顔を寄せ、男は下卑た笑みで何事かささやく。にっこり微笑んだティシリーが、近くの客から飲みかけの拿鐵(ラテ)を奪って、

「やーよ!」

ばしゃあ!と男の顔面にぶっかけた。激怒する声と振り回された太い腕から身軽に飛び退って、笑いながら逃げ出す少女。仕方ないなと肩をすくめて少女のあとを追う鳥巣の前に、

「あああの! トリスさん!」

入れ違いに店先の階段を駆け上がってきたらしいエイリが、ぜーぜーと息を切らしながら飛び込んでくる。店を出る鳥巣に合わせて方向転換して併走しつつ、

「これ、余計におおごとになってません?!」

「おおごと、ね。それこそ今更だろ、少年」

「いやまぁそうですけど、でも!」

エイリの手が鳥巣のジャケットを掴む。

「そもそも『列強』がこの地で暮らすってこと自体がおおごとなんだよ。リトロ暮らしじゃ分からないのも無理はないが」

「分かってます! ……ティシリーがどんだけぶっ飛んでてすごいかは、おれだってちゃんと分かってます、けど」

ちょっと眉を下げた鳥巣は、ぽんぽんと宥めるように少年の頭を軽くたたき。

「私は私の策で助力するだけだ。それが気に食わないのなら、あとは自分で考え、自分で動きたまえ。貴殿の策に納得すれば、私も余計な手出しはしない」

ぐ、と少年の喉の奥が鳴る。

「……はい」

「うん、足掻けよ若人(わこうど)

エイリの手が、鳥巣のジャケットからするりと離れる。

「しかし、今頃ヒルエは半狂乱だろうねぇ」

「それ言わないで……!」

顔を覆って悲鳴をあげる少年。


***


手首を蹴り飛ばされて、男の手から黒い拳銃が弾き飛ぶ。すかさず間合いを詰めた義維が両足に均等に体重をかけ、男の顔面にガツンと拳を突き入れる。痛そ、と顔をしかめる野次馬。

その背後に、路上のゴミを吹っ飛ばして突っ込んできたクーペが、つんのめるようにして停まる。

「乗れ!」

鉾良の声と同時、後部座席のドアが内側から開く。乗り込んだ義維に、

「ぎぃちゃん!」

嬉しそうな声をあげた千風が後部座席のシートの上を転がってきて、義維の太ももに引っ付く。

クーペが勢いよく走り出す。

流れる車窓を見ながらドアを閉め直した義維は、膝の上の千風を見てから、鉾良が運転席に収まっているのを見て、助手席が空席なのを見て、それから車の内装を見て。

「鳥巣さんとは、無事合流できたと」

「ああ。全部アドリブにしか見えないが、どこまで計算尽くなのやら」

鉾良が答えて、ハンドルを切りながら肩をすくめる。

住宅地と思しき細い道を縫うように抜けて、鳥巣が指定した集合場所に停車すると、

「先に着いたみたいだな」

鉾良が窓を開けようとして――だすん、と車体が大きく揺れた。ドアパネルの開閉スイッチに伸ばそうとしていた手を止めて、鉾良が天井を見上げる。

だすだすと断続的な揺れはなおも続き、ルーフパネルを踏みつけてフロントガラスに出てきたのは、

「おねぇちゃん!」

千風がダッシュボードに飛び乗って、内側からフロントガラスに引っつく。

首もとにゆるく巻かれたスカーフの端が、蝶のように優雅にふわりと舞う。

ぺろりと舌を出した少女は、その場で両足を開いて重心を落とし、目の前の建物の正面入口に、がしゃこん、とばかでかい砲身を向ける。さっきまで鳥巣の車の後部座席に積んであったものだ、と鉾良が気づく。

「え」

義維の呟き。直後、

どぉん、と大地を鳴動させる砲撃音。

千風が「うー」とうめきながら自身の胃のあたりを押さえる。

粉々に砕かれた正面入口のすぐ脇にある窓が内側から吹っ飛ばされる。ひしゃげた金属製の窓枠が、鈍い音を立てて地面に落ちる。

武装した男たちが怒りながら飛び出してくる。

「名乗れ! どこの奴だ?!」

「あたしー!」

動転する男たちの前で、ただ胸を張る金髪碧眼の少女。

「……は?」

「組織ぐるみの行動ってことではないようだねぇ」

いつの間にか助手席側のドアに寄りかかっていた鳥巣がのんびりと分析する。

建物の裏手の扉から、下っ端らしい若者たちが逃げ出していくのが見える。

ティシリーがぱちんと指を鳴らし。

「勝負しよー! たくさんやっつけた人が勝ち!」

二の腕にできた赤い擦過傷をぺろりと舐めて。

瞬間、地を蹴って身軽に駆け出す。

手首に付けた細い金属製のバングルが、しゃらりと誇らしげに揺れる。

銃砲をかついだまま、ただの穴となった入り口にティシリーが飛び込む。後ろから走ってきたエイリがそれに続き、

「ちっぴー、いい? いい?」

「ああ」

車外に飛び出した千風が、鳥巣に許可をもらって二人のあとを追う。

「弾薬庫担当、よろしく」

入れ替わりにクーペの助手席に乗り込んだ鳥巣がトランクに積まれている弾帯(リンクベルト)を指で示し、車を降りようとしていた義維がそれにうなずいていくつか肩にかけてから出ていく。

「出します」

短く断ってから鉾良がサイドブレーキを戻し、少し開けた窓から銃口を突き出す鳥巣。

「いや、そのままアクセル。突っ込んで」

「……え?」

鳥巣の足がトントンと催促するようにドアパネルを蹴り。

「こんだけ暴れりゃ気づいたろう? 特殊装甲。こんくらいじゃびくともしないさ」

「はぁ」

半信半疑の鉾良が言われるがまま、ペダルを踏み込もうとしたところで、屋内で爆発音が複数回鳴り、がらがらと何かが崩れる音。負傷した数人が動転しながら飛び出してくる。

「なんで『列強』がウチなんかに!」

「躾けるか捨てるか、2つに一つだ」

ティシリーの代わりに簡潔な説明をして、腕組みをした鳥巣が目線で、大通りのはるか先からティシリーを追って駆けてきた男たちを示す。

「お前ら……!」

建物の中から出てきた年かさの男が、切迫した面持ちで彼らをギロリと睨みつけ。

別の年長者の男が、両手を挙げながら鳥巣の名を呼んだ。

「わ、悪かった。あんたらに向かってった馬鹿どもは、責任もってこちらで処分する」

「そうしてくれると助かるね」

鳥巣が肩をすくめる。

血みどろの人間を数人引きずって出てきたティシリーが、

「二度とー、このよーなことのないよーに!」

びし、と人差し指を突きつけて、誰かのモノマネらしいポーズをとる。

「ああいうへこたれない輩は存在を瞬殺するより、社会的に抹殺してやったほうが効くんだよ」

しれっと恐ろしいことを言う鳥巣に、鉾良の顔がひくりとひきつる。


***


ティシリーの鮮やかな回し蹴り。重く鈍い音がして、大男があっけなく崩れ落ちる。

加勢に駆け寄ろうとしていた義維が固まる横で、

「なんだろうね、鉄でも仕込んでんのかね、あれぁ」

歪に変形した男の身体を見て、半目の鳥巣がぼやく。

そしてその背後に数多積み重なるのは瓦礫と死体。たった今しがたできたばかりの。

「充分遊んであげたよね?」

上品にそう言った少女の手が、がしりと男の頭部を鷲掴みにして、

「ひ」

息を呑む男。じゃこっ、と物々しい音とともに、眉間にゼロ距離で突きつけられる真っ黒な銃口。

「いー加減に、しろよ?」

にっこりと綺麗に微笑んだ整った顔立ちの真後ろから、ちょうど逆光が差し――風になびく艷やかな金髪が、威嚇するようにぎらぎらときらめく。


鉾良は思わず息を呑んだ。

堂々と一人立つ、そのいでたちに。


凛々しい横顔を彩るように、日差しをまとった金糸が舞う。

先ほどから完全に傍観者の姿勢に入った鳥巣が、肩をすくめ得意げにせせら笑う。

「あの『列強』に勝る者なんざ、こんな小国の片隅に居るわけないのさ」

魑魅魍魎が群雄割拠する、世界最悪の無法地帯。そんなところで平然と生き抜いてきた……のみならず、世界にその名を轟かせるまでになった少女が、こんなところで苦戦するはずもない。

鉾良が人知れず息を吐くところへ、

「言ってきた!」

ぴょんぴょんと危なげなく瓦礫の上を飛び移りながら、ティシリーが戻ってくる。その後ろに、へたりこむ男たちの姿が見える。

「さぁて、」

エイリの手を取り、笑顔で千風を振り向いて、

「ごはん行こ!」

ティシリーは鳥巣の肩にがっしりと腕を回した。


***


運ばれてきた蕎麦せいろに、ティシリーが甲高い歓声をあげてエイリに飛びつく。赤い顔のエイリがそれを慌てて押しのける。

「初めてですか、蕎麦」

義維の質問にエイリがうなずく。

「そ、そうです。こないだテレビで観て、食べたい食べたいってずーっとわめいてて」

千風の前に置かれたお椀に気づいて、ティシリーが目を輝かせて身を乗り出して。

「チー、それなにー?」

「うふふ、これ、きつねさん! あっこれだよ!」

横に置いていたリュックを掲げてみせる千風に、ティシリーが首を傾げる。

ティシリーが腕を組んで、むむう、とあらん限りに唇を尖らせ、

「……キツネの、肉?」

千風とエイリがうなずく周囲で、年長者たちが首を振る。

「う? しっぽ?」と千風。

「ちがうぞ」と義維。

どう説明したものかと困惑する鉾良。

「トリスさん、あの、通訳……」

「適当な訳語がないものはどうにも」

肩をすくめて、さっさと自分の鴨せいろをすすりはじめる鳥巣。

「まあいいや、食べよ。はぁお腹すいた」

エイリがぱきんと箸を割る。

「えっとね、ティシリー。こっちに味付いてるから、こうやって」

エイリが、自分のとティシリーの蕎麦猪口にめんつゆを注ぎ入れて、

「ここに麺をディップして」

実演してから、ずずっ、とすすってみせる。

「音を立てて食べるのがコツです」と鳥巣。

「ほうほう!」

顔を輝かせたティシリーが、ぱっと自分の箸を手に取る。おぼつかない箸さばきで蕎麦をつまみ上げ、つゆに漬け、ずるずるっと一口ほおばって、

「んー!!」

だすだす、と横の座布団を叩く。

「おいし?」と千風が見上げる。

「んー!」

だすだす、と横の座布団を叩く。

「暴れないでよティシリー」

エイリがまなじりをつりあげる。

「薬味は?」

鳥巣に差し出された小皿の上のネギと白ゴマをつまんで、そのままぽいっと口の中に入れるティシリー。慌てて止めた鉾良が懸命に説明するのを横目で見つつ、鳥巣は次に、

「千風さんは?」

とキツネリュックを抱える小さい少女の前に小皿を出す。

義維の蕎麦猪口の染付模様を細い指で熱心になぞっていた千風が、ぷるぷると首を振る。

「ちー、そういうの、きらーい」

「おや、そうかい」

「あ!」

ティシリーが声を上げて箸を置く。スカーフの端と金髪の毛先が焦げていることに気づいて、そっと悲しげな顔をする。

「帰ったら髪切って、エイリー」

「え、また? いいじゃんそこなら、自分で見えるでしょ、自分で切りなよ」

「だめ! ちゃんと全部揃えるの!」

「えーどうせ結ぶのに?」

「エイリ、分かってない!」

そういえば、と鉾良がティシリーに聞く。

「リトロにはいつまで?」

「ん? ずうっといるよ?」

それを聞いてエイリが壁に向かってほっと息をつくのを、鳥巣がそっと笑う。

「言っただろう、彼女は『列強』の中では珍しく穏健派、割合話の通じるほうだって。快楽主義で刹那主義の戦闘狂どもとは違うよ」

「そうそ! あんな奴らと一緒にしないで!」

得意げな顔をして立ち上がる。

「あっでも、エイリがロマ行くときは付いてくからね!」

「ほう? 行く予定が?」

鳥巣が片眉を上げる。

「行きたいんだって! でねー、いつか一緒に『列強』って呼ばれてねー、」

「わー! 言うなよ!」

顔を真っ赤にしてジタバタするエイリ。

「オイシイお店とか、いっぱい案内したげるね!」

「『列強』に言わせればロマ行きもただの観光旅行になるのか……」

遠い目をして呟く鉾良。

ふと気づけば、千風がエイリの手元をじいっと見ている。

「ええっと……なに? これ? 欲しいの?」

エイリがその目線を追い、千風のお椀の中にぽいっとカマボコを入れてやると、顔をひっつけんばかりに液面を見つめてから、ぱっと顔をあげ、

「ありがと!」

「う、うん」

照れたようにそっぽを向くエイリと、いそいそと箸を一本持ってカマボコをつつき始める千風をぼんやりと眺めて、

「微笑ましいねぇ」と鳥巣。

「う、うるさいなぁもう!」

エイリが照れ隠しにわめく。

と。

箸を置いた千風がおもむろに拳銃を取り出して、まっすぐ店の入口に向ける。

「ん? 誰だい?」と鳥巣。

「しらないひと」千風がぽつりと答える。「ちっぴーのなまえ、ゆってた」

「あっはっは、ジュドもそれやってた! チーはぜーんぶジュドと同じね!」

千風の仕草を見て腹を抱えて笑うティシリーに、

「ほんとう?」

千風は目を丸くして、とても嬉しそうに聞き返す。

格子状の引き戸が開いて、作業着姿の男が二人飛び込んでくる。

「ああ……ロイだな、まったく」

二人の顔を見るなり、鳥巣が小さくぼやいて片手をひらりと振る。うなずいた千風が銃を下ろして服の下に仕舞う。

鳥巣が鉾良にクルマのキーを放り投げ、

「白いケースに赤字で0080と書いてあるやつ、持ってきてくれるかい」

「はい」

鉾良が俊敏に席を立って駐車場のほうに消える。

入ってきた二人は鳥巣の姿を見つけるなり、悲壮な顔をして座敷の前にしゃがみこむ。

フゥ、と鳥巣が大きな溜息をついた。

「何度も言わせるな、ウチでは扱わない」

「そうおっしゃらず……」と大柄なほうが言う。

り、理由を教えていただけませんか」と小柄なほうが言う。

「理由ねぇ」

面倒くさそうに呟く鳥巣の視線の先には、義維に取り分けてもらった小皿のきつねそばを、フーフーしてから美味しそうにすすっている千風。

「信頼のおける有能な狙撃手が、NOと言ったからだよ」

「た、試してはいただけたんですね?!」

「あの、使用感とか、お気に召さなかった点など……」

そこへ鉾良が戻ってきて、これですか、と持ってきたケースを開いて見せる。中に入っていた真新しい狙撃用ライフルを見て、

「それいらないの? じゃーあたし欲しい!」

わくわくと両手を出すティシリー。鳥巣が鷹揚にうなずく。

「ああ、差し上げよう。不平不満はそっちから聞いてくれ」

わぁい、と歓声を上げて鉾良からケースごと引ったくったティシリーが「ちょっと撃ってくる!」とエイリの手を引いて店から飛び出していく。ティシリーを追って二人も店を出ていき、

「まぁ、あれしきの銃器に不満なぞとやかく言う『列強』なんて、居ないんだけどね」

扉が閉まったあとで、しれっと付け足すように鳥巣が呟く。

「ちーも、ちーも! 使えたよ!」

じたばたと足を揺らす千風に、あぁそうだね、と穏やかな相槌を打つ鳥巣。

「もちろん千風さんも何でも扱えるけど、所有するとなるとコダワリってのがあるだろう? 『列強』は基本的に何でもかんでも使って、とにかくぶっ飛ばせばいいって考えだからね、その違いだよ」

「んー?」

首をかしげる千風。

ティシリーがけらけら笑いながら戻ってくる。

「どうだった?」

「よく分かんなーい」

「『列強』って聞いたら飛び上がってどっか行っちゃいましたけど」

心配顔のエイリが後方を気にしつつ言うのに、

「ああ、いい、問題ない」

と鳥巣が手を振る。


***


「はーあ!」

店舗から一歩踏み出すなり、夕暮れの空に向かって、上機嫌で伸びをするティシリー。

「この国は、ぜーんぶ狭いのがダメなとこ!」

「なにそれ?」

横を歩く、この国から出たことのないエイリが不思議そうに聞く。

見上げてくる少年に、金髪少女は綺麗に微笑んで。

「いつか教えてあげる」

続いて店から出てきた千風を振り返り。

「ばーい、チー」

「ばいばーい!」

千風は飛び跳ねながら手を振った。

作業BGM:WANIMA

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