29.『列強』、台頭(前編)
時間通りに鳴った呼び鈴に、鉾良が書類から顔を上げる。
「ちー、巡査だ。奥行ってろ」
ソファに寝そべり鉾良のネクタイで遊んでいた千風が、鉾良の声にぴょんと飛び起き、
「あーい! かーくれんぼしーましょ、あっぷっぷ!」
紺色のネクタイをぶん回しつつ、ぱたぱたと廊下を駆けていく。
首を傾げてその背を見送った鉾良が、小さくつぶやく。
「……なんか違うよな」
まぁいいか、とぼやいてから玄関扉を開けた。
紫紺の制服をきっちりとまとった細身の男が、鉾良と目が合うなり帽子を脱いで深々と一礼する。
「しばらくぶりです。長いこと分界制約の応援に出ていて、やっと戻って来れましたよ」
苦笑気味にそう言ってくたびれた顔をする男に、鉾良は労いの言葉をかけてから、玄関扉を広めに開けて中に招き入れた。
「南の暴動の件か? なかなか鎮圧しないらしいな」
「それはもう片付きましたよ。つっても昨晩ようやく、ですけど。――お邪魔します」
「どうぞ。――そうか。とすると、またこっちも騒がしくなるかな」
鉾良に続いて廊下を進み、すれちがう男たちと黙礼を交わしつつ、制服の男は鉾良の問いに淀みなく答える。
「でしょうね。今朝方さっそく柵近くの家屋がいくつか爆破されました。どこぞのエンライが傭兵組合を数人雇ったのだとか。駆けつけたときには一帯焼け跡でしたよ」
請われずとも話し始める男に相槌をうちつつ、治安部隊の機密規定もまるで無意味だな、と鉾良は内心で苦笑する。区域のそこらじゅうで頻繁に行われていることだ、今更ではあるのだが、改めて考えるとなかなかにひどい。
客間に入り、応接セットに向かい合わせで腰を下ろしたところで、茶を持った格子が部屋に入ってくる。
「ありがとう、格子くん」と男。
「さて、例の狙撃事件についてだが」と鉾良。
「何かつかめました?」
「いや、目星をつけた例の塔に踏み込んだんだが、既にもぬけの殻だった。今も一応見張りを立ててはいるが、戻ってきた様子はないな。事件もあれきり起きてないんだろ?」
用意していた嘘を整然と並べる鉾に、疑う様子もなく男はうなずく。
「はい。おそらく調査を嗅ぎつけて、どこかへ逃げたのでしょうね」
「はは、俺らが出た途端だな」
「ええ、治安部隊も舐められたものですよ。なんにせよ、止まったのなら一安心です」
「調査は中座?」
「そうなりますね。――そうそう、今度はこちらをご相談したいのですが」
治安部隊の関心が既に次の事件に移っていることに鉾良は薄く笑んで、男から差し出された書類に目を落とす。
なにせここは『制限区域』、進展が見られなければすぐに別の、被害の多い事件に大半の人員を回すのが通例。お蔵入りの事件など腐るほどある。
「うん、何……ああ、『列強』がらみか」
「ええ。どこまで把握してます?」
男の問いに、鉾良は書類の端を指で弾くと、記憶を辿るように視線を天井に投げる。
「先日、ロマで突然失踪した『列強』の一人、『ポルカ・ドット・クラッチ』――弱冠十代にしてその地位に君臨する少女が区域に上陸したという噂が立った。が、未だ目立った動きはない。……ってところまでだな。何か動いたのか?」
「いえ、彼女自身は、どうやら今後も動くつもりはないそうで。先日、そう明言したらしいです」
茶をすすって答える男の言葉に、鉾良は怪訝な目を向ける。
「でもなぁ、まさかはるばるこんなところまで観光もないだろう。子育てでもするつもりか?」
本国への移住理由の第一位を挙げる鉾良に、男はあいまいな返事をする。
「男連れで入国したそうですから、その可能性もありますが……今のところ不審な動きはありません。それよりも現状、問題になっているのは、周囲の熱狂的な『信者』どもです」
湯飲みに手を伸ばそうとしていた鉾良が、手を止めて男を見る。
「……なんだそれ」
「『列強』が『列強』というだけで舞い上がる馬鹿どもがいるんですよ。彼女を指導者として祀り上げ、第三勢力としてこの地で台頭せんとしているそうです。その勢力争いが最近激化してまして」
「まぁ『列強』が手に入るとなればな」
「ええ。それとね、彼女自身、大人しくはしているのですが……」
表情を曇らせた男に「なんだ?」と先を促す鉾良。
「いえね。彼女、一応はミズチの一員って肩書きらしいんですけど……どこの領地とか関係なく、そこらじゅうの繁華街でふらふら遊び歩くんですよ。誰もとやかく言えないのを分かっててやってんでしょうけどね」
「へぇ。まぁそうか、十代の少女だもんな」
「何か企んでる可能性もなくはないので、このあたりにふらふら来た場合には対応に注意してくださいね」
「ああ、わかった、皆に伝えておく。何かあったら知らせるよ」
「助かります。何もないことを祈ります」
それではこれで、と腰を上げた男を再び玄関まで見送り。
「さてと」
玄関扉を閉めた鉾良は、廊下を戻り、客間の前を通り、自室の前を通り、奥の和室に入った。電気をつけないまま、押入れ――この前の千風の隠れ場所のふすまを開け、中をのぞきこむ。
「……いないか」
鉾良は廊下に戻ると、中庭の木々を眺めつつ煙草を取り出す。カチリ、とジッポが鳴る。紫煙をくゆらせつつ、すれ違う部下たちに「ちー見てないか」とたずねつつ廊下を進む。
くすくす笑いながら指さしで教えてくれた部下が示したとおりに、風呂場の扉を開ける。タイル張りの浴室に裸足でしゃがみこみ、ビニル製のアヒルと鼻を突き合わせていた丸い背中に声をかける。
「みーつけた」
「おそい!」
真っ赤な顔がいきおいよく振り向く。
「はは、悪い。ちー隠れんの上手だから」
ぷぅと頬を膨らませた千風が立ち上がり、脱いだ靴下を持つ手で、びしりと指を突きつける。
「りーだー、たばこ吸ってた!」
聞かれてたか、と苦笑し、詫びてから抱き上げる。
「寒かったろ、ここ」
「声がねー、わんわんするの、面白い!」
はいはい、と鉾良が風呂場の扉を閉めたところで、
「あ、ぎぃちゃん!」
義維と廊下で出くわした。
「ただいま戻りました」
「おう」
じたばた暴れる千風を、鉾良は義維にぽいと手渡す。
鉾良のネクタイを首に引っかけ、両手に靴下を装着した千風が、きらきらした目で義維を見上げて。
「あのね、ぎぃちゃん、お昼ご飯食べ行く約束!」
「ああ、今日だったか。リーダーも行きますか」
「いや、このあと会合がある。あぁ、義維、帰りについでに煙草買ってきてくれ」
「はい」
ネクタイを鉾良に返してから、義維は千風をつれて屋敷を出た。
***
定食屋を出た義維が、帰路に足を向けようとした千風を呼び止める。
「煙草屋寄るぞ」
「あ、ちー、赤いのがいい!」
「お前は吸わないだろ」
「ん」
「味が違うんだよ」
「んー?」
人通りの多い道に出て、信号待ちで立ち止まる。
数秒後、信号機が青に変わる。
義維は一歩踏み出そうとして――だが、周囲に立つ誰もが進もうとしないことに気づく。なにごとかと義維が怪訝な目をした直後、
「『列強』……」
周囲のざわめきを耳にして、皆の視線を辿り――その先の店先に、笑い合う細身の少女と小さな少年がいるのを見た。
義維のすぐ真横に立っていた男二人が、顔を寄せて小声で言いあう。
「ホントに? あれが?」
「ああ、さっきも絡んでった男が一発で倒されたって」
「まじかよ」
あれが『列強』、と義維は目を瞠る。
言われなければそうと気づくこともないだろう、何の変哲もないただの細身の少女だ。異様に露出の多い服と、どこかの異国の血を色濃く残した、特徴的な金髪碧眼と明るい肌の色が印象的なだけの。
「ぎぃちゃん?」
千風が不思議そうに義維を見上げる。
「……ちー、『列強』って知ってるか」
「らっきょ?」
「いや、なんでもない」
義維は首を振り、「行くか」と千風の手を引いて彼らに背を向けたところで――耳をつんざくような女性の悲鳴。後方からの高音にとっさに振り向く義維。
何かが猛スピードで迫って来たかと思うと、一切減速しないまま、義維が防戦するべく広げた腕を横をたやすくすり抜け、
「う?」
千風を、ぎゅうっと抱きしめる。
義維の目の前で、絹糸のような金髪が風をはらんでふわりと舞い上がった。
甲高くわめき続けるその声が、悲鳴ではなく歓声だと義維が気づいたのは、その数秒後。
義維が、抱きしめられたままの千風に問う。
「……ちー、知り合いか?」
「う、ううん」
動転しているらしい言葉少なな千風が目を白黒させている。取り囲むように立ち尽くす周囲の全員も驚きに固まっている。その人ごみを掻き分けるようにして、
「ティシリー! 急にどっか行くなって!」
黒いスニーカーの少年が、息を切らし、足をもつれさせながら駆け込んできた。先ほど店先で『列強』と談笑していた少年だ。ティシリーと呼ばれた少女は顔を上げるなり、ぱあっと目を輝かせて、
「エイリ! 見て!」
目の前にぶらんと――千風の両手首を持って、ぶらさげた。
「カワイイ!」
上機嫌で浮かれるティシリーに、少年はくわっと目を見開いて。
「な……どこで拾ってきた!!」
「ひどい言い草だな」
思わずぼそりと突っ込みをいれた義維に、少年はようやく気づいて。
「す、すんませんっ、でもコイツ昨日ネコ拾ってきて、おとといは犬でその前は鳥で、全部飼うとか言いだすからヒルエがおれのことちょー睨んでくるし、食肉にするっつーギドさんとさんざバトって、今やっと逃げ出してきたところで……はぁ……」
弁解が途中から義維には良く分からない愚痴に変わっていき、年若い少年は最後に気疲れのため息をついた。どうやら『列強』のお付きはかなり苦労するものらしい。義維はそんな彼を憐憫の目線で見つめた。
そんな少年の下降しきったテンションをよそに、千風を抱っこしたままのティシリーは、鼻歌交じりにくるくる回りながら千風に問う。
「ね、名前は?」
「ちー」
「チー!」
ひときわ甲高く叫んだかと思うと、
「わう」
戸惑う千風をぎゅうぎゅう抱きしめて頬ずりする。
「お、おねぇちゃんの、おなまえは?」
「ティシリー!」
金髪の少女は答えるなり綺麗に微笑んだ。
そこに義維が聞く。
「『列強』では?」
「それはニックネーム。ホントの名前はティシリー」
すんなり肯定したティシリーに、やはり『列強』なのかと義維はうなずく。ティシリーの物怖じしない目が、義維をまっすぐに見上げる。
「キミ、チーのトモダチ?」
「ああ」
「名前は?」
「ぎぃちゃん!」
先に千風が答えた。
「義維です」
「おっけー、ギイ。こっちはエイリ!」
と少女が少年を指さす。
「ど、どうも。……って、じゃないよ、ほら、いい加減その子放せって! 困ってるじゃんか!」
はっとなったエイリが言う。言われたとおりにティシリーが千風を下ろす。
「すんません、こいつ、えっと、なれなれしくて」
エイリが安堵したのも束の間。
千風の周囲をくるりと回ったティシリーが、いつの間にか千風の右手を引いて道路を勝手に進んでいく。
「チー、このあと一緒におでかけしよ!」
「う!」
女子二人がきゃいきゃいはしゃぐのを追いかけて歩き出しつつ、エイリがはぁと息を吐く。
「……なんか、いきなり、すんません」
「いや」
義維が短く答え、はっとなったティシリーがこぶしを振り上げる。
「チー! ゲーセン行こ! ゲーセン!」
「げ?」
「楽しいとこ!」
千風がぱっと顔を輝かせて義維を振り返る。
「ぎぃちゃ、いい? いい?」
「ああ」
袖を引いて腕時計の時刻を見て、義維はうなずいた。
「いいぞ、行くか」
***
アクリルケース内にうず高く積み上げられたぬいぐるみたちに、千風の目が最大限に見開かれる。
「ぎぃちゃん! ぎぃちゃん!」
騒々しいゲームセンターの喧騒の中で、ひときわ甲高い歓声をあげ、飛び跳ねてはしゃぐ千風に、
「どれがいい」
義維がコインケースから小銭を出す。ゲーム機の前を横歩きで進む千風が、ひとつひとつ指さしながら言う。
「ぺんぎん! ぞうさん! かものはし!」
「良く知ってるな」
カモノハシとアクリル越しに、じいっとにらめっこして。
「ちー、動物はかせ、だよ!」
誇らしげな千風に、義維はそうか、とうなずき。
「で、どれがいい」
「んー、きつねさん!」
くったりと腹をへこませて座り込む、キツネのリュックサックを指さす。精巧なぬいぐるみの硝子の瞳に、少女の笑顔が映りこむ。
千風の声を聞きつけたエイリが、別の筐体の脇から顔を出し、
「そんな端っこの……」
千風が指さしているキツネの位置に、顔を曇らせる。
義維が持っていたコインが筐体に吸い込まれ、安っぽい音楽とともに三色のLEDライトがちかちかと明滅する。レバーを握った義維の手が細かく動いた。
「わー!」
アームがキツネリュックを引っかけたところで、千風が大声を上げる。
その横まで寄ってきた少年がアクリルに貼り付いて顔を高揚させ、「すっげぇ……」と吐息混じりに感嘆する。
ガコン、と取出口に落ちたのを千風が慌てて取り出して。
「きつねさん!」
「こっち、背向けろ」
義維がリュックを背負わせてやると、千風は満足そうな顔をしてその場でくるりと回った。
「あ、あの、ギイさん、あれはできる?」
エイリがそわそわしながら、少し離れたところにあるレーシングゲームを指さす。
「最近やってないな」
と言いつつ向かう義維。わくわくと付いていくエイリと千風。周囲をぶらついていたティシリーがやってきて、シートに座った義維がコインケースを取り出したのを見て、
「あたしも!!」
隣の空席に座った。
「ちーも!」
「え、ペダル届か――」
戸惑うエイリの前で、千風は当然のように義維の膝の上によじ登り、
「ちー、ハンドル!」
むふんと得意げな鼻息を吐いて、ハンドルを両手で握る。
「ああ、任せた」と義維。
エイリが残念そうな顔をしているのを見て、義維は指を三本立てた。
「三本勝負だ。一回目は総力戦、二回目は男同士でこれ、三回目は女同士で、あっち」
コインをつまんだ義維の指が、対面に置かれたゾンビのシューティングゲームを指さす。その指からひょいとコインを摘み上げたティシリーが、
「よーし、勝ーつ!」
とコインを投入する。
「あっちょっ、勝手に始め」
うろたえるエイリが慌てて座る。
起動音が派手に鳴り響き、流れていたデモ映像が途切れる。
「ちー、どれがいい」
画面を指さして、千風の頭上から義維が聞く。
「う?」
「車。運転する車、選べ」
義維がギアレバーを動かして選択画面のカーソルを動かす。千風の丸い目がきょろきょろと動いてそれを追い、
「あっ青いの!」
「これか」
グラフティで埋め尽くされたゴツい改造車両を迷いなく選んだ女児に、エイリが怪訝な顔を向ける。その横でティシリーがサイドカー付きの大型バイクを選んでいる。
「なんでレースなのに、みんなでっけぇの選ぶんだよ」
ぼやくエイリに、
「エイリ、時間切れー」
「あ!」
制限時間で画面が切り替わるのに、けらけらとティシリーが笑う。
「ちー、ハンドル分かるか」
「わかるよ!」
GOサインが出てファンファーレが鳴る。三人の足が一気にアクセルペダルを踏み込んだ。ガコン、と安っぽい音がする。
「右だ右」
義維の指示に、
「みぎー!」
大声を上げてハンドルを切る千風に、エイリがうるさそうな顔をして、
「言わなくても曲がれるって!」
と言い返したところで、
「あ」
「うわ!」
障害物をよけそこねたエイリの車がいきなり横転して壁にぶち当たった。
「ああああー」うめくエイリに、
「う?」と千風が顔を向けて、
「ちー、前」と義維。
「あ」とエイリ。
続いて青の改造車も壁に当たって転回し、
「いえーい!」
ティシリーが歓声をあげたと同時、チェッカーフラッグがはためいた。
「くっそー……」
「はい、次! 二回戦!」
ぶつくさ呟くエイリのシートの後ろに、席を立ったティシリーが回り込んで、ヘッドレストにあごをのっける。
「ちー、ハンドル交替」
義維の言葉にぱっと両手を放した千風がバンザイのポーズのまま、くりっと振り向いて。
「ぎぃちゃん、ちー、ここいていい?」
「ああ。落ちるなよ」
あわてて身体を反転させて義維の腹部にひっつく千風を見て、けらけらとティシリーが笑う。エイリがコインを投入する。
「あ、夜道モードにしましょうよ」
「ああ。ちー、夜景だぞ、前」
「う?」
「キレイ!」
身を乗り出して歓声をあげたティシリーがエイリの首筋にするりと細い腕を回し、
「ぎゃ!」
エイリが顔を真っ赤にして暴れる。
白の乗用車を選択した義維の横で、銀色のスポーツカーを選択したエイリが、ふーん、と小さく言う。
「なんつーか、普通なの選びましたね、ギイさん」
「ドリフトできるんだよこれ」
「え、まじで?」
「ああ、見せてやる」
義維が薄く笑ったところで――開始の合図。
二人の足が同時にペダルを踏み込む。
「くろい!」と千風。
「夜景だからな」と義維。
少し進んだところで、ぎゅん、とモーター音が鳴り、義維のモニターの映像が横滑りに流れる。千風がぴっと背筋を伸ばす。
「うう、いまのなに!」
「ドリフト」
「どりふとー!」
じたばたと足を揺らす千風のかかとが義維の脚に当たる。
「じっとしてろ、ちー」
「む」
「チー、こっちねー」
義維の脇にしゃがみこんだティシリーが手を伸ばし、ひょいっと千風を抱え上げる。その細腕にどこに力があるのかと思うほど、じたばた暴れたままの千風を軽々と持ち上げる。目の前できらきら揺れるティシリーの髪飾りに手を伸ばしつつ、千風が聞く。
「ぎぃちゃん勝ってる?」
「うん」
「ちっくしょ、ギイさん速すぎ!」
エイリが悔しそうにわめく。悠然とハンドルを切る義維の車があっという間にゴールラインを駆け抜けた。
「……勝てるわけない……」
見たこともないタイムから目をそらしハンドルに顔を埋めていたエイリが、しばらくして、がばっと顔をあげ、
「ギイさんドリフト教えてください!」
「今度な」
さっと席を立つ義維に不思議そうな顔をする。義維が親指で示した方向を見て、
「ん? ……あ!」
エイリは慌てて駆け出す。後ろで騒いでいたはずの二人の姿がいつの間にか少し離れたところにあって、シューティングゲームの前で見知らぬ軽装の男が二人、やに下がった笑みを浮かべティシリーに熱心に話しかけている。エイリはそこにためらいなく割って入り、
「すみません、コイツ――」
「ああ? すっこんでろ、ガキ」
かっと顔を赤くしたエイリが息を吸う前に、
「げ」
はっと何かに気づいた男二人がそそくさと立ち去る。エイリが怪訝な顔をして振り向くと、そこには仏頂面の大男――義維が、両手をポケットに突っ込んだまま、ただ立っていただけで。
「ずりぃ……」
自身の倍ほどもありそうな長身を見上げてぼそりと呟くエイリに、ゲーセン特有の騒音の中、聞き取れなかった義維が顔を寄せ、
「な、なんでもない、ありがとギイさん!」
そっぽを向いてぼそぼそ言ってから、ティシリーを振り向いて「勝手にどっか行くなって!」と説教をかますエイリ。
義維は少し首を傾げつつ、飛び込んできた千風を抱き上げる。
「大丈夫だったか」
「ん。みゃじみたいなひと、きた!」
けらけら笑う千風の顔を眺めつつ、
「……そうか」
少しだけ宮地に同情する義維。
その後ろ、ティシリーが頬を赤らめてとても嬉しそうに微笑んで。
「ありがと」
「う、い、いいからやりなよ!」
抱きつこうとするティシリーを跳ね除けてあわあわするエイリ。
「ん!」
義維からコインを受け取った千風が、それを高々と掲げてから、
「てぇーい!」
掛け声とともに投入口に入れる。
ずがーん、と間抜けな衝撃音が鳴り、大げさなテロップが流れる。手前の箱に放り込まれていたプラスチック製の拳銃を二丁、ティシリーの手が引き抜いて、
「へい、チー!」
右の一丁をぽいと千風に放る。
「うい!」
受け取った千風が意気揚々と銃筒部分を引こうとして、
「む?」
「装填はいらない、引き金だけで良い」
背後から義維が説明すると、動かない銃を手に、千風が困りはてたような顔をする。
「電気銃でそういうの、あっただろ」
「あ!」
「用意おっけー?」
ティシリーが振り返って聞くのに、満面の笑みでコクンとうなずく千風。ティシリーの白い手が、『START』と書かれた赤いボタンをぽんと叩いた。
「敵が出てくるから全部撃てばいい」
背中越しにそう指示する義維に、
「ん」
うなずいた千風が、薄暗い路地から飛び出してくるゾンビを次々と撃ち抜いていく。
腕組みして黙って観戦に徹していた義維の横に、エイリが寄ってくる。
「ギイさん、これプレイしたことあります?」
「ああ」
即答する義維に、エイリは不可解そうな顔をする。
「これ、ゾンビだし、けっこう映像えぐいじゃないすか。あっちの、キノコ撃つやつとかのほうがカワイイし」
「これが一番難しいからな」
「いや、だから」
尚も言い募るエイリに、義維がティシリーを示して、確認するように言う。
「重火器の『列強』なんだろ?」
「ティシリーはそうだけど。あのちっこいの」
義維が黙って正面を指さすのに、追うようにしてエイリの視線が向く。
「……うっそ」
唖然とするエイリの前――二つに分割された画面の両方に、『PERFECT』の文字が躍る。
銃を下げたティシリーが隣にぱちぱちと拍手を送る。
「チー、上手!」
「えへん!」
胸を張る千風に、きゃー、とわめきながらひっつくティシリー。はしゃぐ二人に、義維が画面を指さして言う。
「次来るぞ」
「むむ!」
ぱっと離れて、さっと銃口を向ける二人。
『第二ステージ』のテロップとともに、音楽と画面が切り替わる。
義維が二人に言う。
「次は人間が出てくるから、人間は撃つなよ」
「ん?」
首を傾げる千風に、エイリが補足する。
「照準当てると赤くなるだろ、青いの撃たなきゃいいんだよ」
「ん!」
「青ね、おっけー!」
『START』のテロップと同時、無数の敵影が画面に現れ、千風が俊敏にしゃがみこむ。
「ん? 何してんの」とエイリ。
「千風、よけなくていい」
「う?」
義維が言って、千風の脇に両手を入れて立たせる。
「ゲームだからな。こっちが撃たれることはない。好きに動け」
「ん!」
視認できないほどの速度でめまぐるしく増えていくスコアを、あんぐりと口を開けたままのエイリが呆然と見ている。
「さ、最高得点……」
いつの間にか集まってきた群集が背後でどよめく。
振り返った少女二人が、彼らに向かって無邪気にピースサインをした。




