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18.兄妹ダウト(後編)


「うー」

頭を隠してうめいてぷるぷる震えている千風の前に、身を呈すように立ちはだかる男二人。

「任せろ、ちー」と陣区。

「俺が守ってやる」と久我。

二人の右手には、新聞紙を丸めて棒状にしたものが握られている。それをそれらしく構えて武装している二人に、

「……なにやってんだお前ら」

通りすがりの宇村(うむら)が、洗濯カゴを抱えたまま呆れ顔で立ち止まる。

「共同戦線っすよ!」と陣区。

「ちーの天敵退治っす!!」と久我。

二人が新聞紙で指した先には――床をうろうろと這い回る、豆粒サイズの蜘蛛。

「……ああそう」白い目で見る宇村。「早く片付けろよ」

「はいっ」

さっさと歩き去っていく後ろ姿に向けて、威勢のよい返事をする久我の後ろで、

「撃っていい?」

涙目の千風がぽつりと言い、

「いやいやいやっ」

「待て待て待て、それはやばい」

ざっと青ざめた二人が慌てて千風を振り返る。

「俺ら最近やらかしてっから、これ以上の家屋損壊はまずい」

「あーくそ、すばやいな」

ばすばすと久我が新聞紙を振り回し、

「もーちょいだからな、辛抱な、ちー」

「うううー」

陣区が千風のフォローに回り――


結局、その数秒後に現れた鉾良が「とっとと片付けろ」と殺虫剤を噴射して、一瞬で片付いたという。


***


「あっ」

廊下の先に冬瓜を見つけて駆け寄る千風の前で、

「また? ……そうか、うん、分かった」

端末を耳に当てて愕然と呟く冬瓜。

千風の手が、冬瓜のズボンの布をくいくいと引っぱる。

「おとーさん?」

「うん。親父からの電話。良く分かったな」

「きこえた」

「そっかぁ」

うちの子優秀、と目尻を下げる冬瓜に、千風が聞く。

「また?」

「おう。まじやべーわ。……どーすっかなぁー……」

玄関のほうを見ながら鼻先をこする冬瓜。すぐ隣でその様子をじっと見上げていた千風が、突然ぱっと振り返り。

「もりす!」

トイレから出てきた森洲が本を片手に廊下を進む後ろ姿を見つけて、ばたばたと駆け寄る。

「もりす、あのね、うりちゃんがね!」

足を止めた森洲が黙って振り向く。

「うわわ、ちょ、ちー!」

冬瓜があわてて追いかけるのに、

「だって、うりちゃん困ってる!」

千風の、さも当然といわんばかりの真剣な主張。

一瞬あっけにとられたあと、冬瓜はふっと表情を緩めた。

「……ちーは、人を頼るの、上手いな」

か細い声でそれだけ言った冬瓜の横顔をじっと見つめつつ、森洲が口を開く。

「いいんすか」

二人の足元で千風が飛び跳ねる。

「もりす、この前、てつだうってゆった!」

数秒押し黙る二人の間で、飛び跳ねるのをやめた千風が、きょと、と目をしばたたかせて。

「……ゆってない?」

「言った言った」

森洲が軽く答えて、ぽんと千風の頭に手を置き、

「じゃあ行きましょう」

と言ってすたすたと廊下を歩き出した。

「え。どこに?」

戸惑う冬瓜に、振り向いた森洲が答える。

「僕よりよっぽど心配(そわそわ)してた人たちのとこに。――三人寄れば何とやら、ですよ」


***


「ふむ」一部始終を聞き終えた陣区が、ひとつうなずき、きっぱりと言った。「わかった、そいつだ、最近言い寄ってきたっつうお前のカノジョ。間違いない」

「え、すっげ。何で?」と久我が聞く。

「お前みたいなのにそんな可愛いカノジョが言い寄ってくるってことがまずありえねぇ」

「……は?」

「絶対に裏があるね、それは」

「ひでぇ」冬瓜が座ったまま上体を左にぐーっと傾け、隣にいた千風がきゃーと言いながら押しつぶされる。「ついに来た俺のモテ期を祝ってくれる気はないの、ジンクくん」

(ねた)む気しかねぇ」

「妬むのかよ」

「あら正直さん」けらけらと久我が笑う。

「……仕切りなおして、」眉間を揉みながら森洲が言う。「フューリさん。可能性としてあるのは、それで全員ですか?」

「んー、おう。全員言ったと思うけど。そのカノジョ、工場の従業員、出入りの業者、近所の職人仲間だろ。あとは、」

指折り数える冬瓜の仕草を、隣の千風がふんふんと真剣そうな相槌を打ちながら真似る。

「俺のダチ、ああ、特に行きつけの飲み屋の連中が怪しいかな。俺、何度も潰れたし……と、あと、うちの家族」

「いやぁ、さすがにそれは」

と言いかけた久我の言葉をさえぎり、冬瓜ははっきりと言う。

「怪しいのは最近刑務所を出た弟。親父から勘当されてて。俺んとこには金くれって来るけど。最近辞めた従業員もいねぇし、そもそも雇いの人はああいう情報全部持ってねぇし」

「外から侵入された線は?」

陣区が聞くのに、冬瓜が首を振る。

「監視カメラは敷地内外そこらじゅうに付いてんだよね、あのあたり職人ばっかだから、昔みんなで一斉に用意してね。通りとかにもあるぜ」

「それで、不審者はいなかった、と」

「ん。見回りも週一でやってんだよね」

「そうかー……」

うなだれる陣区の横、久我が首をかしげて口を開く。

「なぁ、その情報ってのは、お前いつも持ち歩いてんの?」

「おう。どっかに置いとくのも怖いし、財布ん中に入ってる」

冬瓜の答えを聞いて、森洲がゆっくりと目を細める。

「さっき挙げた人たちの中で、そのことを知っているのは?」

「えー、家族くらいかなぁ。どこに仕舞ってるかなんて、誰にもわざわざ言ってねぇけど」

「そのカノジョさんは?」と森洲。

「うーん、財布渡したことなんてねぇぞ?」

「そんなん、泊まった日とかどうとでもなんだろ」と陣区。

「あ、目の前で財布の中身ぶちまけたことなら何回かあるわ」

「アホだ」と久我。

「じゃあ……」薄暗闇の中、森洲が指を一本立てた。「フューリさんが偽の製造法Aを書いた紙を財布に入れたまま、カノジョさんと会う。弟さんと会うときには製造法B。ご家族はそれぞれCとDの紙を持ち歩く。工場にはEの書類を放置しておく。で、どれが相手企業に伝わったかで絞れます」

「おおー」久我の歓声と、

「う?」千風の疑問符が同時。

うーん、と冬瓜がうめいて腕を組む。

「いやでもそれ、偽の製造法ってことは成功しないんだろ。成功して市場に出ない限り、俺らにはどれが伝わったんだか分からないんだけど」

「……あ」

「やーいモリスやーい」

「おいおい、しっかりしろよモリスくん?」

とたんに(はや)し始める先輩二人に、

「そんなに言うならあんたらもなんか意見だしたらどうです?!」

わずかに赤面しつつ食ってかかる森洲。

「なら、そっからの産業スパイだ!」と陣区。

「それ相手と同罪に成り下がりますが?!」

「ああそっか、モリスくん頭いいー」と久我。

「もういいです」

疲れきった顔の森洲が、ひっついてこようとする久我を押しのける。

そこで、ふすまの向こうから「おおい、」とくぐもった声が聞こえて、

「お、呼ばれてるぞクーガ」

と一番入り口側に座っていた陣区が言い、

「はいはい、ここっすー!」

元気よく答えた久我が陣区のひざの上に身を乗り出して、押入れの内側から(・・・・・・・・)スパンとふすまを開ける。

「うわっ、何でそんなとこから出てくんだ!!」

ちょうど部屋に入ってきた先輩が、ぞろぞろと押入れから出てきた後輩たちにぎょっとなるのに、

「作戦会議す!」

なぜか誇らしげな顔をして、威勢よく答える久我。

「だからって何で押入れ(こんなとこ)でやる必要が……」

ぶちぶち言いながら、一番奥に放り込まれていた森洲が窮屈そうに首を回す。

「雰囲気出るじゃん」しれっと答える久我に、

「いりますかね雰囲気」と森洲。

「じんくん、足くっさーい」

四つんばいで上段の押入れから出てきた千風が鼻をつまむ。

「な、なに?!」

陣区がひどくショックを受けたような顔をして、自分の片足を顔に近づける。


***


翌日。

とりあえずここ行ってください、と森洲からいきなり指示された住所の周辺で、冬瓜と千風は車を降りた。エンジン音を走り去る車を見送ったあと、

「ここらへんか?」

森洲から渡された紙切れを取り出す冬瓜の隣、つないだ手を上機嫌に揺らす千風が、新しく買ってもらった靴を嬉しそうにとんとんと鳴らす。

「んー、こっちか」

電柱に書かれている番地を頼りに、入り組んだ細い路地を進む。

と、つないでいた手がぱっと離れた。

冬瓜が紙から顔を上げる。目の前には、駆け出していく千風の後ろ姿。

「こら、どこ行くんだ!」

「ねこさん!」

振り向いた千風が嬉しそうに指さした先に、みゃうと可愛らしく鳴く子猫が一匹。尻尾を揺らしてぴょんと側溝に飛び込むのに、千風が歓声をあげて駆け寄って、側溝の前にしゃがみこむ。

「うりちゃん、いない!」

「残念。そこの溝の中、走ってったんだろ」

のんびり歩み寄った冬瓜が、ほら、と千風に向けて手を差し出すのに、千風がぱっと顔を上げて――

「あっ」

俊敏に立ち上がった千風がまた駆け出し、手前の道を曲がる。

「おい!」

冬瓜があわてて追う。

「こっち!」

壊れたフェンスの狭い隙間を通った千風が、明らかに他所様の私有地な土地に駆け込んでいき、

「こらっ、ちー! 止まれって!」

数秒後にそこに辿りついた冬瓜がフェンスを掴んで飛び越える。

「へーき!」と楽しげな千風。

「なにがだ!?」と冬瓜。

身をかがめた千風が、コンクリート壁の亀裂でできた小さな穴に入る寸前、

「お前は! 猫じゃねーだろ!」

冬瓜の腕が少女の体を引っ掴んで持ち上げる。甲高い歓声を上げて、じたじたと暴れる両手両足。

「っぶねぇ。……ったくー」

息を吐いた冬瓜が、自分には到底入れやしない小さな穴をにらみつける。

「猫はもういいだろ。仕事すんぞ仕事」

「したよ!」

「してねぇよ」

よいしょ、と千風を抱え直したところで冬瓜の端末が鳴る。「はいはい」とめんどくさそうな声を出した冬瓜が、千風を下ろしてから端末を耳に当てる。

「もしもし、……はぁ? 何? って、あ、……切れたし」

「もりす?」

「うんそう。何かわかんねぇけど、ちーに用事だからすぐ戻れって」

こてんと首をかしげる千風が、ふと顔を上げて――周囲をきょろりと見回したかと思うと、急に駆け出す。

「わ、ちー?! またかよ!」

「だめ! うりちゃんここいて!」

さっきとは打って変わって、千風の金切り声のような鋭い制止に、

「えっ、でっ、えっ?!」

動揺する冬瓜を置き去りにして、千風はあっという間に町並みを駆け抜け、とあるマンションのエントランスを抜け、エレベーターに飛び乗った。

閉まりゆく扉を確認した後、目一杯背伸びして、それでも届かない階数ボタンを睨みつけ。

「お」

ふと動きを止め、服の下から銃を取り出すと、銃筒を引き伸ばして、それでボタンを押す。がたがたと動き始めた箱の中で、千風は、にんまりと満足そうに微笑んだ。

チーン、と古臭いベルの音とともにエレベーターが停まり、少女はぴょんと両足飛びで最上階に下り立つ。欠けたプランターに片足をひっかけて塀にしがみつき、塀の上から顔を出すと、

「んーしょ!」

ごそごそとスコープを取り出して、目当ての方向に向ける。

「うりちゃーん……いた!」

眼下に冬瓜の姿を見つけて、宙に浮いたままの足をじたばたと揺らす。右手に握った端末で千風の端末に発信しつつ、これいつ義維さんに連絡しよう、とうろたえきって周囲を駆け回る冬瓜の様子をしばらく眺めて。

ふん、ふん、と調子ハズレの鼻歌を歌っていた千風が、動きを止める。

「むー?」


***


「森洲! 至急って何が――」

大声を張り上げて玄関扉を開けた冬瓜が、じたばたもがく千風を抱えたまま玄関に転がり込んでくるのに、

「わり、ちょっと避難させてもらってるぜ」

上がり框に腰掛けていた宮地が立ち上がって、ひらりと手を振った。その隣には血みどろの部下が二人と、ジャケットののすそを焦がしている別の部下が一人。

「え、は? おわっ」

突然の事態にぎょっとなる冬瓜の腕から千風が抜け出して、

「みゃじ!!」

嬉しそうに宮地に駆け寄った。宮地の右脚に引っつこうとするのを、宮地の手がひょいと抱き上げ、

「よお、ちー。……ん? そっちのお前は、なーんでそんなお疲れなの?」

「い、いや……」

突然現れた大物が気安い質問を投げかけてくるのに目を白黒させる冬瓜。ぷぅと頬を膨らませた千風が、あのね、と宮地に言う。

「ちー、ちゃんと待っててってゆったのにー、うりちゃんウロウロしてたから!」

千風の勝手な言い分に目くじらを立てた冬瓜が言う。

「あのなぁ、ちゃんと分かってるか? いくら区域外だっつったって一人じゃ危ないから、勝手にどっか行くなって言ったろ?」

「うー」

不満そうにぶすくれた声を出す千風。

事情を理解した宮地がへらっと笑う。

「大丈夫大丈夫、一人で出歩いても心配いらねーよ」

「え?」

顔を向けた冬瓜に、

「ちーがそーいう気分のときは好きに放し飼いにしてやんな。知らん大人の出したお菓子にひょいひょいついてくのも、自分に銃口が向いてねぇときだけだから。どーせケロッとした顔で帰ってくんよ。なんかテキトーに全滅させて、な」

判断ミスも帳消しにできるほどの実力だからなそいつは、と豪語する男。

「……そ、そすか」

ていうかこの人ってどう応対したらいいんだ、これはリーダー呼んできたほうがいいんじゃないか、と落ち着きなく視線を彷徨わせる冬瓜を差し置いて。

「みゃじー! あのねー!」

「おう、なになに?」

なにやら楽しげに話し始めた二人に、冬瓜はホッと息を吐く。そのタイミングでひょいと部屋をのぞきこんできた久我が、おーいと冬瓜を呼んだ。

「ちょっと来てみろよ、けっこーいい感じで聞こえるぜ」

「なにがよ」


***


「……なにこれ」

目の前のスピーカーから流れ出るノイズ交じりの謎の会話をしばらく聞いたあと、冬瓜が森洲に問いかけた。

「盗聴器の逆探くらいならやりますよ、僕」森洲がしれっと答える。「これ、区域で良く流通している型なんで」

森洲が手の中で転がしているのは、先日千風がベッドの下から持ってきた金属の塊で。

「いや盗聴とかさぁ」

「盗聴器には盗聴器を。正当防衛の範囲内です」

「……そ、そうなのか……?」

首をかしげる冬瓜の後ろでガチャリと扉が開く。

「もりす!」部屋に入ってきた千風がぴょんぴょん飛び跳ねる。「ちーが録った! ちーが録った!」

「うんうん偉いぞ、ちー。よくやった」と久我が褒めて、

「んふー」

撫でられて、満足そうな息を吐く千風。

冬瓜が固まる。

「……いつの間に?」

「え? 何寝ぼけてるんですか」ものすごく嫌そうな顔で森洲が言う。

「今、行ってきたでしょうが」

「もりすの声が聞こえたら、ぽいってするの!」

満面の笑みで答える千風。

「そうそう。グッジョブ」と森洲。

「えへん!」

胸を張る千風。

「なん、だよ……それ、俺に言えよ!」

ぐったり脱力する冬瓜を見て、森洲がきょとんとして。

「……フューリさんが投げ入れたんじゃ」

「う? ちーがぽいってした」

千風が答えるのに、一瞬固まる森洲。

「……すみません、そのへんは二人で分担してってつもりで言ったんですけど」

「あーなるほどねーいやもういいわ。本題に入ろう」

「はい。これ、聞き取れた範囲ですけど」

うなずいた森洲が、手元のメモを差し出す。そこに見知った名を見つけて、冬瓜は眉間にしわを寄せた。

「……てことは、やっぱ、(トウガ)が……」

「――とも言い切れねぇんだなぁこれが」

背後から聞こえた声に、冬瓜が振り返る。

「ジンク」

年下の少年数人を連れて部屋に入ってきた陣区は、数枚の紙切れを千風の前に差し出す。

「見てくれ。こいつらか?」

「んとねー」

出された全部をひっつかんだ千風が、ぴょんと近くの椅子に飛び乗って

、ばらばらとそれをテーブルの上に広げる。

「なに? 写真?」

のぞきこんだ冬瓜が聞き、

「おう」

と陣区が答える。

千風が写真をごそごそと動かし、勢いあまって床に落ちた数枚を、「ああもう」と森洲が拾い集める。

数秒後――千風が、両手でテーブルをばんと叩いた。

「このひとと、このひと!」


***


剥がれかけのポスターと、靴跡とへこみの残る汚い壁を手でたどりながら狭い階段を下りる。重い両開きの扉を押し開けるなり、ふらふらと室内を歩き回っていた男たちがいっせいにこちらを向く。

「部外者は立ち入り禁止だ、出てけ」

壁際の一人が低い声で冬瓜に言った。

「人を探してんだけど」

それを無視して冬瓜は話しだす。

「背丈こんくらいで、ちょっと前まで坊主頭、いまは金髪で長さこのへん。そこの角の店のスカジャン着てて……あ、背中に緑の龍が入ったやつね。ピアスは右3、左3、舌1。タバコの銘柄は――」

「知らんね」

無愛想に答えて追い出すように手を振る見知らぬ男。

「うりちゃん、いた!」

冬瓜の頭上から、肩車されていた千風が大声で言った。

「お、まじか。どこらへん」

「下りる!」

「はいはい」

冬瓜が千風をすとんと地面に下ろすなり、冬瓜のジャケットの袖を引っつかんだまま駆け出す千風。「またか」と呟き、つんのめるようにして冬瓜が足を動かす。酩酊した足取りの男たちの間を抜け、

「おいこら、なに勝手に入って――」

伸ばされた男の腕を、

「わり」

軽く謝罪した冬瓜がひょいとかいくぐり、

「トウガ!」

冬瓜の声に、柱の影にしゃがみこんでタバコをふかしていた少年が振り向いた。

「やっぱりいた」

目の前に立った冬瓜に、少年は眉を寄せ、そっとサングラスをはずす。

「……なんで、ここに来るんだよ」

「トウガ、お前、ここのメンバーになったのか?」

冬瓜の問いかけに東瓜がなにか答える前に、東瓜の先輩らしき男が、東瓜の肩に腕を置いて言う。

「おいトウガ。まさかそいつがお前の兄貴か?」

黙ってうなずく東瓜に、そうかと先輩は口角を上げる。

「……あれの製造法、今も持ってんだろ、兄貴」と東瓜。「死にたくなかったら、大人しくそれを渡せ」

「あれを外に出したら、うちの工場はどうなるんだよ」冬瓜が言う。「そんくらいお前だってわかるだろ、なんで――」

「どうなったっていい」東瓜が答えた。「あいつらが先に俺を切り捨てたんだ、どうして俺があいつらのことを考えてやんなきゃなんない」

「トウガ」

「早くしろ、何くっちゃべってる。ここまで一般人連れ込んできやがって。それともお前もグルか?」

先輩が急かすのに、「いえ」と短く答えた東瓜がジャケットに手を突っ込み――

「逃げとけ、ちー!」と冬瓜。

振り抜かれたそ少年の手に握られていたのは、ラージブレードを引き出した真っ赤な十徳ナイフ。千風がきゃあと言いながら反対方向に走っていき、そこにあった棚の影に隠れる。

「おい、トウガ! 話聞けって!」

あわてて距離を取りながら冬瓜がわめくのに、少年は黙ったまま腰を落としてナイフを握りなおす。

その直後。

がしゃ、と中二階の欄干が金属音を鳴らした。

「冬瓜! 助けて!」

聞き覚えのある女の声に冬瓜が視線を向けたその瞬間、東瓜が大きく踏み込み――

見上げた先にいる、いつもどおりの格好の、彼女。

冬瓜のジャケットが大きく引き裂かれる。

「ぐ……っ!」

うめいたのは――冬瓜ではなく、ナイフの引っかかったままの上着を遠くに放り投げられた、東瓜のほう。

「おい、何遊んでる」

手首を押さえる東瓜に、先輩らしき男が威圧的な声を出す。

そこに、

ぱぱん。と乾いた発砲音が複数、鳴った。


東瓜の両膝のすぐ横を、高圧の空気が通り抜ける。

数瞬送れて、何がおきたのか理解して、少年の背にぞわりと悪寒が這い上がる。


「――全員、動くな。手を挙げろ」

一瞬だけ静まった騒動の中央で、そう冷静な声を出したのは、冬瓜だった。

いつのまにか冬瓜のすぐ横に戻ってきていた小さな少女の足元に、カランと転がるいくつかの空薬莢。

誰が発砲したのか気づけなかった全員が、立ちすくんだ一瞬ののち、視線をさまよわせて――千風の手元で白煙を上げる銃口を見つけた。

「……どうして」

小さく呟いた女の手から、落ちた拳銃がさびた階段に落ちて甲高い音を立てた。横たわった拳銃の上に、女の指先からしたたった鮮血がぽたりと落ちる。

冬瓜がふっと笑って、彼女の名を呼んだ。

「もういいよ、そういうの。知ってるから。――ずっと気遣わせて、悪かったな」

その言い方に、全ての計略がバレていることを悟った女性が絶句する。

「………………なんで」

と、東瓜が女性に向かって叫んだ。

「おい! 出てくんなっつったろうが!」

女性は少年を見つめ、悲しげな顔をして首を振った。長い髪が綺麗に揺れる。

「……だって、トウガ一人じゃできないでしょ。いつも言ってたじゃない、兄貴にケンカで勝てたこと、ないって」

顔をしかめ舌打ちを鳴らす少年に、壁際の男たちが「使えねぇな」とつぶやく声が聞こえ――

「うわ!」

彼らが服の下から銃を引き抜く前に、千風の指が引き金を引いた。

弾き飛ばされた拳銃が地面に落ちる音。数人がうめきながら地面に膝をつく。

「全員動くな、って言ったろ」

と冬瓜が平坦に言うのに、周囲の人間がいっそうざわめく。

少年はあせった表情で千風を見た。

両足を肩幅に開き、完全な射撃体勢で拳銃を構える小さな少女。

「なんだよ、そんな奴……少年兵なんて、わざわざ雇って」

「違うよ、こいつはただの友達。俺がついてきてって頼んだだけ」悲しげに冬瓜が答える。「どんな理由があっても、たとえ相手がお前でも――俺は家を守るって決めたんだ。家を出たときに、鉾に入ったときに。ほら、俺、工場作業ぜんぜん向いてなかったろ、だからさ、せめてさ。跡継ぎ押し付けたみたいで、お前には負担だったかもしんねぇけど。ごめんな、情報は渡せない」

押し黙る東瓜の後ろから、いくつもの足音が近づく。彼らの物騒な視線は、部外者の冬瓜ではなく、彼の弟に向けられている。

ざり、と砂を踏む足音に、東瓜の肩がおびえるように震える。

冬瓜はその意味をわかっている。使えない駒は口封じに処分される。そんなのどこでもやってることだ。

それと――すぐ右隣から見上げてきている丸い両眼にも、もちろん気づいている。冬瓜の決意と指示を待つように、じっと黙っている少女。

冬瓜は苦渋の表情を浮かべて、ぎゅっと両目を閉じる。

「……ちー、頼む」

「ん!」

一言で冬瓜の意図を理解した聡い少女は、ぱっと飛び出して、

「とーが、にげて!」

少年の名を呼びながら撃った。少年を狙っていた複数の銃が全て男たちの手元から弾け飛び、からからと間抜けな音を立てて、コンクリートの上を滑る。

「…………なん、で……」

かばわれたことに気づいた少年が動揺の声をあげ、呆然と冬瓜を見る。

冬瓜はぐっと唇をかみ締めて、

「お前らの仕事を潰したのは俺だけど、だからって……だからって、見殺しにはできない!」

言い切って、弟を見つめる。

「お前はもう、そう思ってないかも知れないけど……俺は、大切な家族だって思ってる、お前のこと」

「……っ」

ぐ、と少年の喉が鳴った。

そのとき、わっと出口付近が騒がしくなる。

同時に、

「道を、あけろー!」

千風がそう叫びながら、出口方向に立つ全員の足元に向けて発砲した。

「な……何事だ?!」

「なんだこいつ!!」

あわてて飛び退った数人が正体不明の小さな少女を凝視し、

「とーが! あっち!」

千風が人ごみの減った出口方向を指さし、躊躇う二人に冬瓜が怒鳴る。

「いいから! 出てけ!!」

一瞬で始まった混乱の中、東瓜はぐっと泣きそうな顔をして――それはよく見覚えのある、幼き日の『弟』の面影を残していて――

「……!」

駆け出していく背中を、冬瓜はただ見送ることしかできなかった。


***


「で、なんで助けに行ったほうが怪我してるんです?」

「そりゃ助けに行ったからだろーが、いてて!」

痛がる久我に「あとは自分でやってください」と包帯止めを放り投げた森洲が、次に、部屋の隅でうつむいたままじっとしている冬瓜に視線を向ける。

「で、フューリさんは無傷なんですね」

「うん、平気。ありがと」

わずかに顔をあげてへらっと力なく笑う冬瓜のところに、トイレ帰りの千風がとことこと寄っていく。

「ちーも。すげぇ助かった。ありがとな」

冬瓜の手が、ぽんと千風の頭に乗る。

「ううん」

「で、無事逃がせたんですよね? その二人」

と森洲が椅子に座りながら聞くのに、

「たぶんな。あんだけの混乱だから、はっきり断言はできねーけど」

と出口付近で応戦していた久我が、そのときの状況を思い出しつつ答える。

うつむいたままの冬瓜が、千風の頭から手をそっとはずして、その指を組んだ。

「……逃がしたら、いつかまた足元掬われるかも知れないって、そんときこそ工場も終わるかもって、俺も思ったけど……どうしても、こんなところで見殺しに、したくなんてなかった」

歯の間からぽつりと呟く懺悔のような独白に、全員が黙ってうつむいた冬瓜の頭を見る。

「甘いって分かってる。そう思ってるのが俺だけだったってことも、ちゃんと分かったよ。はぁ……やっぱなぁ」

鼻声でそう気丈に呟く冬瓜の悲しげな顔を見つめ、

「あげる」

「ん?」

千風がポケットから取り出した赤い飴玉を差し出す。

「はは、さんきゅな」

目尻を下げて飴玉を摘み上げる冬瓜。長椅子によじ登ってその隣にすとんと座った千風が、にじり寄るようにして冬瓜のすぐ横にひっついた。

ノックのあと、鉾良が部屋に入ってくる。

「フューリ、ご両親には」

「さっき電話入れました」

「そうか」

その後ろから陣区が部屋に入ってくる。冬瓜は、よう、と力なく手を挙げて、

「ジンク、お前正解」

皮肉げに言うのに、押入れ会議に参加した全員が陣区の言葉を思い出す。

――お前みたいなのにそんな可愛いカノジョが言い寄ってくるってことがまずありえねぇ。絶対に裏があるね、それは

「……ごめん」

微妙な顔をした陣区が頭を下げようとするのを、

「うわ、いや、ごめん。完全八つ当たりだわ、これ、悪い」

あわてて冬瓜が手を振って止める。

と、千風の身体が、かくんと揺れる。うとうとしている千風のところに義維が寄ってきて、いつもの就寝時刻をとっくに過ぎた時計を指さす。

「そろそろ寝るぞ」

「んーん」

右手で眠たげな目をこすりながら、左手で冬瓜にひっついたまま離れようとしない千風に、冬瓜は努めて優しい声を出した。

「ちー、俺は大丈夫だから、おやすみ」

「んーん」

首を振る千風。

「じゃ、今日は冬瓜の部屋で寝るか」

義維の提案に千風はうなずく。が、ちょっぴり不安そうな顔をする。

困った顔をする大人たちの間で、少女はうろうろと視線をさまよわせ、

「と、としこしする!」

「……年越し?」

突然の時期はずれの言葉に、全員が顔を見合わせ。

「あ、徹夜って意味すかね。今晩ずっと起きてるってことだろ?」

と久我が聞き、

「う!」

と千風が元気よくうなずいた。

義維が明日の予定を思い出して眉を寄せる。

「……座敷に布団持ってって、雑魚寝でもするか」

「いいっすね、俺たちもお邪魔していいすか?!」

陣区がウキウキと言った。


***


三人分の布団をまとめて抱えた久我が、扉を蹴り開けて部屋に入ってくる。

「どいてろ、ちー。蹴られんぞー」

千風はきゃーと喚きながら部屋の隅に駆けていく。面白がった数人がそれをどたどたと追いかける。

その手前あたりで、

「ていやー!」

陣区が両腕を振り上げ、白いシーツを、ばさぁ!と全力で広げた。

「ホコリ立つでしょーが!!」

今回ももちろんむりやり参加させられた森洲がそれを見てキレる横で、

「今更だろ」

すでにシーツの敷き終えた自分の布団の上であぐらをかいた義維が小さくぼやく。そこへ、千風が布団の上をころころと転がりながらやってくる。

「うー?」

寝酒を片手に部屋に入ってきた一人が、げ、と顔をしかめる。

「おいおい、布団そんなに引っ付けてんなよ気色悪い」

「だってちーが端から端まで転がりたいっていうから」

別の一人がそう答えて「ほら」と指さす先に、ものすごく嬉しそうな顔で、でんぐり返しを繰り返す千風。

「ガキってなんであんなに三半規管強いんすかね」

「見てるだけで酔いそうだわ」

「どうせ酔うなら酒がいい」

わいわい言いながら酒盛りを始める片隅。

それとはまた別の一角では――久我が枕をひとつ、むんずとつかんで高くかかげ。

「いいかぁ、ちー。世の中には枕投げっつー素敵白熱スポーツがあってだなぁ」

「なにそれ!!」

前転からぱっと起き上がる千風の前で、

「とくと見よ! こうだー!!!」

大きく振りかぶる。

ぶん投げられた枕が、ばふん、と盛大な音を鳴らして――四つんばいになっていた陣区の尻に激突した。

「命中!」久我がぱちんと指を鳴らし、

「めーちゅー!」千風が飛び跳ねる。

「よーし次、トス!」

と冬瓜が別の枕を天井近くまで放り投げ、

「俺、アタック!」

駆け寄った久我がそれをばすんと足元に叩き落とし、

「からのー、時間差!」

陣区が自分で投げた別の枕を叩き――それが、シーツのしわを直していた森洲のわき腹に激突した。

「あ」

バランスを崩して、どさりと布団の上に横転する森洲。

「わっりー、モリス!」

謝りながらもげらっげら笑っている三人に、

「ほんっとあんたら、三人寄れば何とやらですよね!」

ゆっくり起き上がった森洲が、めがねの位置を直しながらまなじりを吊り上げる。

「モリちゃんカリカリしちゃってなにもう更年期? あ、嘘、ごめんて! 痛って! マジ投げ禁止!」

「ちーも! ちーも投げる!」

「おう、そーだな。えーっとなんか投げれそうなもん……」

周囲を見回す冬瓜に、

「仕方ない、格子(こうし)さんの羽毛枕を使うときが来たようだ……」

久我が肩を震わせながらおもむろに取り出した真っ白な枕に、皆がどよめく。

「おっ前、コレ、格子さんこだわりのバカ高価(たか)いやつだろ?!」

「ちーが投げるくらいじゃバレねぇって」と久我が笑う。

「ていうか、どうやって借りてきたの」と陣区。

「そりゃもちろん、だるま落としっつかクロス引きっつうかの要領で」と久我。

「無断なんだな」と冬瓜。

「どうやって戻す気だ」と陣区。

わいわいと始まった緊急会議の端、

「……ほんともう、良くこんなこと思いつくというか何というか」

ぶちぶちと愚痴る森洲の横、義維が冬瓜の横顔を眺めながら口角を上げる。

「元通りだな」

「……そうですけど」

顔をそむける森洲の言葉をかき消すように、

「ギイさん!」久我が義維のほうに向かって枕を振りかぶっていた。もう片方の手にはさらに複数個の枕が抱えられている。「いいすかギイさん、いいすかっ?!」

「投球フォーム入ってから聞いてんじゃねぇよ!」

げらげら笑いながら軸足を指さす陣区。

うなずいた直後に飛んできた枕を、義維は片足でばすっと蹴り飛ばす。

「かっけー!」と久我が口笛を吹く。

その流れ弾から逃げるように千風がきゃーとわめいて、近くにあった布団の中に逃げ込む。

「お、なかなか賢いな」と陣区。

「尻隠さずだぞ、ちー」と冬瓜。

「フューリってばロリコン!」と久我。

「ちー!」

別の方向から嬉しそうな声に呼ばれて、布団の中から顔を出した千風がくりっと振り向く。そこには巨大な布団の山ができていて。

「滑り台、作った!」

「わぁい!」

両手を挙げて駆け寄っていく千風と入れ違いになるように、一仕事終えた紀水(きすい)が酒盛り集団のほうに歩いていく。

「水くれ。さんきゅ。いやぁ、ついはりきった」

すでに汗だくの紀水が、額に浮かぶ汗を寝巻きのそでで拭うのに、

「もっぺん風呂ってこいよ」

綺麗好きの一人が嫌そうな顔をして言う。

「すべらない!」

けらけら笑いながら滑り台の中腹でもがく千風に、

「まぁ布団だからな」

冬瓜が前から引っ張って下ろしてやる。

その様子を眺めていた大柄な一人がぼやく。

「ちーの隣に寝る奴は吟味しねぇと、寝返りで圧死しちまいそうだな」

「わはは。なぁちー、義維さんに押しつぶされたことねぇの?」

「ないよーでもねぇ、」千風がけらけら笑いながら言う。「ぎぃちゃんのイビキがうるさいときはねー、鼻つまむの!」

「……どおりで息苦しいと」

義維が鼻にしわをよせる。

冬瓜が聞く。

「ちー、そいやお前、おねしょは?」

そわそわと体を揺らす千風。

「し、しないもん」

「どーだかなあー」

「ちゃんと起こす!」

むきになって叫ぶ少女に、

「ん?」

疑問符を浮かべる全員。

ああ、と義維がうなずいて補足する。

「トイレ行くときな」

「ん! あ、」

きらきらと目を輝かせて、ずらりと並ぶ布団を指さし。

「今日は、ちー、起こしほーだい!」

「勘弁してください」

一斉に頭を下げる。

ふわぁ、と千風が大きなあくびをするのを見て、

「そろそろ寝るかぁ」

陣区が目覚まし時計のセットを始める。

紀水きすいが泣く泣く力作の滑り台を解体する。

トイレから戻ってきた千風の布団を、義維がめくってやり、

「ほら」

「うー」

眠そうな返事をして、のそのそと四つんばいでそこに収まる千風。

「電気消しまーす」

と部屋の中央の布団を陣取った久我が言い、かちんと紐を引くなり、部屋全体が暗闇に包まれる。

千風は布団の中で寝心地の良いところをさがしてしばらくもぞもぞしたあと、ふと思いたって。

「……ぎぃちゃん、ぎぃちゃ、」

隣の後頭部にもそもそと近づき小声でささやけば、暗闇の中で寝返りをうった義維と目が合う。

「ねぇ、ぎぃちゃんは、おとうさんとおかあさん、いる?」

「前はいたが、もういないな」

「ふぅん?」

「ああ。昔、世話になった人はまだ生きてるな」

まばたきを繰り返す千風の前で、わずかに表情を緩める義維。

「ふぅん……」

千風の眠たげな相槌に苦笑した義維が、おやすみ、と千風の布団の上からぽんぽんと叩く。

千風は心地よい振動を感じながら目を閉じた。


作業BGM:WANIMA

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