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2.闇夜と、ゆるやかな夜明け

「狙撃手」との交渉に赴いたはずの鉾良が、小さな少女を抱えて車を下りた。リーダーの帰還を待っていた大勢の部下たちの姿に少女が怯える。それを見て、鉾良は全員に部屋に戻るよう指示を出す。

瞬く間に静寂を取り戻した廊下を、少女にとりとめもない話題を振りながら進んで、鉾良は一つの部屋に扉を引いて入った。柔らかなソファの上にそっと少女を下ろす。

「さて、と」

息を吐いた鉾良を、少女の、動物のような目がじっと見上げてくる。

怯えられているのは、実のところ鉾良もほかの連中と変わりない。深夜に銃撃戦をやらかした現場だ、治安部隊が駆けつけてきたら面倒なことになると判断し、塔からの道のりは有無を言わせず抱え上げて連れてきたが。

これではまともに話もできないな、とそっと息を吐いて肩をすくめる。目つきの悪さが有利に働いたことは数あれど、まさか一般人のようなもどかしい思いをする日が来るとは考えもしなかった。

「全員……はダメだな。格子、幹部の連中をここに集めろ」

「はい、ただちに」

即座に格子の足音が遠ざかる。

鉾良はコートの裾を払って、ソファの前の床に座った。ソファから見下ろしてくる少女と目を合わせ、努めて穏やかな声で言う。

「諸々の前にあと一つ、キミにやってもらいたいことがある。キミの世話係というか、側仕えというか、補佐というか……ううん、そうだな、いつも側に居る人を一人決めたい。今から来る人の中から、一番怖くないと思う人を選んで欲しい。できるか?」

「……ん」

丸い瞳が何かを探すように左右に揺れたあと、小さな頭がコクリとうなずく。

「よし」

合意を得たところで、タイミングよく後方の扉が開く。鉾良は背後を見もせずに言う。

「説明は後だ。全員、壁沿いに並んで座れ。大声を出すな、決して威嚇するなよ」

部屋に入ってきた数人の男たちは、見知らぬ小さな少女と床に座る鉾良を見て、不思議そうに顔を見合わせてから、黙って指示に従う。

ぱちぱちとまばたきする少女の目が、じっと彼らの動きを追う。

少女から男たちが良く見えるよう、鉾良は床から立ち上がって、少女の視界から外れたソファの端に腰を下ろした。両手両足をついている柔らかな地面が動くのに、少女が不思議そうな顔をして、ソファの反対側の端で足を組んだ鉾良のほうに顔を向けた。鉾良はひらひらと手を振って、壁際を見るようにあごで示す。少女の視線が戻る。鉾良は組んだ足の上に頬杖をついて、少女と一緒になって、戸惑い顔の部下たちを眺める。

鉾良ほどではないにせよ、この屋敷にいるのは、それなりに屈強で貫禄のある者たちばかりだ。この中に都合よく適材が居るとも思えないが、と諦め半分で退室の指示を出そうとした、そのとき。

「そのひと」

ぽつりと少女の声。小さな手が、右端に座る一人の男を指さす。男は一切の表情を変えずに少女を見て、それから鉾良を見た。

「そうか、義維(ぎい)か」

そうつぶやいて薄く微笑んだ鉾良が、男を手招きする。義維と呼ばれた男は立ち上がって少女の前に進み出る。

「お」

部屋の隅に控えていた格子から、驚きの声が漏れる。鉾良も目を見開いた。

誰の催促を受けたわけでもないのに、少女がひとりでにソファを下りて――両腕を広げ、義維の足にはっしとしがみついたから。小さな指がズボンの布地を握りしめる。

あっけにとられていた鉾良が、やがて、くつくつと噛みしめて笑う。

「なぁ、義維。この子の世話、お前に任せてもいいか」

「構いませんが……」

義維は身をかがめ、少女の脇に手を差し入れて、ひょいと抱き上げる。

「お前、名前は?」

少女は四肢をぷらぷら宙に揺らしながら、小さな声で答えた。

「ちー。千風(ちかぜ)

「名字も言えるか?」

天祭(あまつり) 千風(ちかぜ)

鉾良と格子が目を見合わせ、格子が首を振る。

聞いたことのない名だ。

すぐに調べます、と小さく言いおいた格子が、すぐに隣室へ消える。

義維は一つうなずいて、少女に答える。

「俺は、義維(ぎい)だ」

くりっと寄り目になった少女が至近距離にある男の顔をじっと見る。その顔が、不意にぱぁっと輝き。

「ぎぃちゃん!」

男の鼻先に、少女の小さな指が、てん、と乗る。

ぶは、と堪えきれなかった壁際の数人が吹きだす。

義維は表情を変えず一つうなずいて、少女を右肩にひょいと乗せた。

愉快そうに口角を上げた鉾良が、義維のもう片方の肩に手を置いて言う。

「部屋はお前の隣室に用意しよう。食事はあとで適当に部屋に持っていく。ほかに必要なものがあればそこらの奴らに言え。――おい、お前ら、義維からの指示に最優先で対応しろ。以上だ」

壁際の男たちからの返答を聞いてから、鉾良は足早に厨房へと消える。義維もそのあとに続いて、肩に少女を乗せたまま部屋を出た。


***


それから数時間後。

夜明け前の薄ら空を何ともなしに眺めていた義維は、小さなノックの音に目を向けて返答した。

扉が開いて、鉾良が顔を覗かせる。

「リーダー」

義維はベッドに腰かけたままで、さっと低頭する。

「悪いな、起こしたか」

「いえ」

床板を軋ませ鉾良が部屋に入る。義維の膝の上にあるものを見つけて、ほんのわずかに――おそらく、腹心の部下である義維でなければ分からないほどわずかに――強面の男は相好を崩す。

すぅすぅと寝息を立てる、少女の穏やかな寝顔。

「こっちに居たのか」

用意した隣室ではなく、義維の自室にいた二人に意外そうな目を向けて言うと、義維は困ったように眉を下げて答えた。

「一度は隣で寝たのですが。眠れないと、泣きながら来まして」

「はは、そうか。年は聞いたか?」

「10と」

「10歳……そんなもんだったかな」

自身の幼少期を振り返ろうとして、思い出せなくて首を振る。

それから、傍らに放置された、食べかけの食事を見る。

「あまり減っていないな。腹を鳴らしていたんだが。まあ、時間も遅かったからな」

「眠気が勝ったようですね」

薄く笑った鉾良が、義維の横にそっと座る。


***


数冊の書類を持った格子がその部屋に現れたのは、それから数十分後、義維が鉾良からあらかたの説明を受けた直後のことだった。

扉を開けた格子は鉾良に一礼したあと、二人の前の床に座って切り出す。

天祭(あまつり) 千風(ちかぜ)、どこの記録にもありませんでした」

「そうか」

「落ち着いたころ、父親の名を聞きましょう」

鉾良はうなずく。

格子は続ける。

「治安部隊への報告はどのように」

はは、と鉾良が皮肉げに笑う。

「まさか、引き渡すとでも?」

「いえ、ですが……この子の所属が不明である以上、相当なリスクを背負うことになるかと」

「ああ、わかっている」

鉾良の眉間のしわがぐっと深くなる。こんな腕前を持つ狙撃手がどこの組織にも所属していないことなど、まず信じられない。狙撃を生業(なりわい)としていたのであれば、そこには依頼人が必要。必ず、どこかの組織とつながりがあるはずだ。

「だが――それを負ってでも、こいつを側に置く価値があると、確信した」

鉾良の断言に、塔での圧巻の迎撃を思い出した格子が、神妙な顔でうなずく。

「ならば私は、有意義なほうに賭ける」

眠る少女の目にかかる前髪を、鉾良の手がそっと払う。

「うちには狙撃手部隊がないからな。あわよくば有能な狙撃手が一人手に入れば養成していくのも可能かと思ったんだが……ま、その件はしばらく保留だな。ひとまずは、ここの環境に慣れて、良く寝て、良く食べて、充分に肥えさせること。そのあとのことは、それから考えるさ」


***


それから数日後の、ぽかぽかした日差しの降り注ぐ、とある昼間。

相変わらずの仏頂面で廊下を進む義維の、右肩に座るちっこい女児。義維の分厚い胸板の前で、細い素足がぷらぷらと揺れている。

久しぶりに屋敷に帰還した一人が、扉を開けるなりそれを見て、

「……ぐ、げっほ!」

飲んでいた炭酸水を噴き出して盛大にむせこんだ。

「あー、あれなー。俺はもう見慣れたわ……」

近くを歩いていた別の男が肩を落とし、半目でぼやく。

視線の先で二人は厨房に入り、数分も経たないうちに出てきた。行きと変わったのは進行方向と、義維の手にペットボトルが握られていることと、それから女児の頬がぱんぱんに膨らんでいることだけ。丸っこいほっぺたをもごもごと動かして、懸命に何かを咀嚼している。

「美味いか」と義維。

「ん」と女児。

二人の姿がゆっくりと廊下の先に消えるのを、棒立ちの男たちはただ黙って見送る。

「……えーと、あの義維さんがまさか幼女趣味だったとは」

ややあってから、一人が半笑いでそんな軽口を言う。

別の一人が腕を組んで壁によりかかり、

「リーダーは何考えてるんだ? ここは託児所じゃねぇぞ」

二人の顔を見てから、更に別の一人が呟いた。

「……あの子が、例の、リーダーが欲しがった狙撃手だった、って話を聞いたんだが」

言われた二人は目を見合わせて、すぐに、げらげらと笑い始めた。

「はぁ? 何言ってんだお前?」

「寝ぼけてんのか? 見ただろ、あんなちっこいガキだぞ?」

「いや、そうなんだけど……俺も良く知らねぇよ、格子さんたちが話してるのを立ち聞きしただけだ」

「盛大な聞き間違えだな、酔っ払い」

「だよなぁ」

散々笑い飛ばされて去っていく二人を見送り、じゃあ何の話だったんだろう、と取り残された一人は首をかしげながら後頭部を掻いた。

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