12.ゆきちゃんと誘拐騒動(後編)
至近距離から突きつけられた黒い銃口を、鉾良の目がじっと見返す。細かい傷のたくさん付いた、有名な汎用モデル――とどうでもいいことを観察する。
「……これは、鬼の意思ということで?」
「いえ、私個人の判断です」
あくまで温度のない声で答える、考えの読めない無表情の秘書の顔を見てから、鉾良はフゥと息を吐いて。
「申し訳ありませんが、私には、千風に関する一切の権限がありません。すべて、あいつ自身が決めることです」
「天祭 千風との雇用契約は?」
「いえ、私たちはただの保護者のつもりで。多少、手伝ってもらったりもしますが」
――ぱっと銃口が上を向く。
「よろしい」
「……は?」
鉾良が呆然と見返せば、安全装置をカチリとかけて銃をしまった秘書が悠然と微笑む。
「どこのロウシンが攻めてきても、それくらいは持ちこたえてくださいね」
「……ああ、ええ」
試されていた、と遅れて気づく鉾良。冷静になってみれば当たり前だ。あの状況、千風に見られたらどう転んでも鬼に利益はない。
気疲れを感じながら襟首を直す鉾良が、それからはっとなって。
「え、――攻めてくるんですか? ロウシンが!?」
がばっと座席から身を起こす横で、秘書はゆっくりと足を組み替えて。
「千風様の既存客が千風様の意思に反することはほぼないでしょうが――中には、天祭を知っていても十堂殿しかご存知ない方もいますし、ロウシン上層で一人歩きしている天祭の噂にも大小あります。他からの圧力、千風様の離反など、なにかありましたらこちらにご一報を」
「あ、はい」
すっと差し出された名刺をあわてて受け取り、
「ああ、それから、こちらも」
続いて差し出されたリストのような書面を恐る恐る受け取る。
冒頭の一文は――
「……『深夜・土日営業の小児救急(闇医者含む)』?」
「健康診断も欠かさず受けさせるように、と鬼藤組長からの伝言です」
先ほど銃を持っていたときとまったく変わらない声音と無表情の秘書に、鉾良は一拍遅れて承諾の言葉を返した。
***
千風の手が、車の窓にびたんと張り付く。車内からそれに気づいた鉾良が、慌てて窓を下げる。
「こら、そんなふうに触っちゃだめだ。指の脂が付くだろ」
「油?」
その横で秘書が微笑む。
「構いませんよ、毎日磨いていますので」
「で、どうした」
と鉾良が聞くのに、千風はちょっと寄り目になって。
「あのね、木にひっかかったからね、ぎぃちゃんよりひしょのひとのほうが背ぇ高いって、ゆきちゃんが」
秘書が自分と鉾良の座高を見比べて。
「そう変わらないと思いますが……行ってみましょうか」
千風に手を引かれて向かった先には、赤いフライングディスクが引っかかった木を見上げる男三人。
「自分が登りましょうか」
ジャケットの袖をまくり始めた運転手の進言に、
「その格好でか」
スーツ姿の部下を、鬼藤が呆れ顔で見る。
「新しいのディスク、買って来い」
「やだ、あれがいいー」
駄々をこねる千風を鉾良が叱る。
周囲を見回していた秘書が、どこからか拾ってきた棒きれを千風に「どうぞ」と手渡し、きょとんとしたまま棒を受け取った千風を、
「失礼します」
ひょいと持ち上げて頭上に掲げる。
「これでどうでしょう? 届きませんか」
棒を持った左手ではなく右手を振り回す千風に、
「棒で取るんだよ、ちー」
鉾良からのアドバイス。棒の先がディスクを乗せている枝に触れ、
「お」
落下したディスクを、義維の手がキャッチする。
地上に千風をすとんと下ろした秘書に、千風が尊敬のまなざしを向ける。
「ひしょのひと、力持ち!」
「ありがとうございます。千風様にお褒めいただけるとは光栄です」
「あ、ちーって呼んでいいよ?」
「ありがとうございます」
秘書は心底嬉しそうに礼の言葉を重ねた。
「まだやるのか」
無事救出した円盤を手にして、広場のひらけたほうに走っていく千風を、そう呟いた義維が追いかける。疑問符を浮かべた鉾良に、運転手が一部始終を話す。
「おい、ちー、腱鞘炎になるぞ。銃、持てなくなるぞ」
「りーだー撃ってー」
ぽいとお気軽に手渡される銃。特殊加工済みの限定復刻モデル。
どうしたものかと思案して、
「ああ、そうだ」
公園を囲むように立ち並ぶ店舗のほうに駆け出していった鉾良は、居酒屋の店先で木箱を解体していた少年から木の板をもらって戻ってくると、
「これやったことあるか、ちー」
長い下り坂になっているほうに走っていき、勢いを殺さぬまま板に飛び乗る。ざざっと音を立て、鉾の体は風を切って芝の斜面を滑り下りた。
服についた草を払って立ち上がり――見上げた斜面の上には、真っ赤な顔の千風。
「それやるー!!」
愉快そうに笑った鉾良が大股で坂を上り、千風に板を手渡す。
「すべり台!」
歓声をあげる千風。
「『台』はないがな」
苦笑する鉾良に、首をかしげつつ千風は板にちょこんと座り。
「りーだー、進まない!」
じたばたと足で漕ぐ千風を笑い、
「重さが足りないんだろ」
鉾良が義維を親指で呼び寄せる。うなずいた義維が千風の後ろに座って板の前端を持ち、
「行くぞ」
大きく踏み切る。速度を上げた即席のソリは、千風の悲鳴を乗せてあっという間に遠ざかる。
「ぎぃちゃん、もう一回!」
はしゃいだ声が聞こえて、真っ赤な顔の千風が全速力で坂を駆け上がってくる。
五回ほど滑り下りたところで、急に千風が動きを止めた。小さな声で言う。
「おなかすいた」
だろうな、とうなずく義維。
正午はとうに過ぎている。
「昼、どうしましょうか。何か買ってきましょうか」
鉾良の提案に首を振った鬼藤は、さっさと車の方角へ歩き出す。
「予約してある」
赤いディスクを頭上にかかげた千風が走っていって、鬼藤を追い越して飛び跳ねる。
「ごはん!」
鉾良が礼を言ってあとを追う。
車のドアを開けつつ、秘書が千風に言った。
「ちーさん、今度は前の席に座りますか? 眺めが良いですよ」
「座る!」
くりっと目玉を動かして鬼藤の元に駆け寄り、服のすそをつかむ。
「ゆきちゃんと座るー」
「おおそうか、よし」
「組長、」
秘書が表情を曇らせるのに、鬼藤は千風の頭を撫で、
「なに、最高の護衛がいるんだ」
こん、と防弾スモークの窓を叩く。
***
広い駐車場を抜け、ロータリーを回って、車が止まる。下り立ったところは、一軒の料亭の前。
「お待ちしておりました、鬼藤様」
並んで待っていた和服の人間が一斉に頭を下げる。両開きの格子戸がからからと開く。
屋内に控えていた人間も一斉に頭を下げ、驚いた千風が義維の影に隠れる。足にひっついたままの千風をそのまま運ぶようにして義維が段差を上がり、仲居のあとについて廊下を進む。
車内とは打って変わって黙りこくる千風を見下ろし、
「来たことあるのか?」
「ううん」
前方を進む鬼藤が言う。
「最近、贔屓にしていてな。前に使っていた店はちょっとした火事に巻き込まれて修復中だ。従業員が八割ほど死んだらしくてな」
鉾良が頬を引きつらせつつ相槌を打つ。
先頭を進んでいた仲居が、突き当たりのふすまを開けて部屋の中へと導く。
「ただいまお食事をお持ちいたします。しばしおくつろぎください」
一礼した若い仲居が内庭の障子を開ける。窓の外には、青石を中心に据えた、見事な枯山水庭園が広がっていた。
ほう、と感心したように息をもらした鉾良の隣で、千風が両手を振って叫ぶ。
「お砂場!!」
「違うぞ」
即座に顔をしかめる鉾良。
「ご自由に描いていただけますよ」
庭に降りた仲居が、死角に立てかけられていた砂熊手を持ち出して言う。
上座に座ってあぐらをかいた鬼藤が言う。
「引いてこい、ちー」
「わぁい」
千風がぴょいと縁側から飛び下りて草履をつっかける。迷いなく砂紋を踏み荒らし、手前に置かれた平たい岩の上にしゃがみこんだ。追って庭に下りた義維が、仲居から砂熊手を受けとる。
岩の上から、千風が偉そうに指をさす。
「ぎぃちゃん、くま描く!」
「一筆書きだぞ」
「う?」
きょとんとする千風を手招いて。
「ほら、先導。お前が動いた通りに引く」
「えっとねぇ、」
千風は岩から飛び下りると、義維の手を引いて後ろ向きに歩こうとする。
「前見ろ、転ぶぞ」
「次あっちー」
数分後。
「ゆきちゃん、見て見て!」
はりきった声に言われるがまま、鬼藤はすっかり様変わりした、というよりは踏み荒らされただけに見える庭に目を向ける。
「すっかり見違えた。ちーの庭だな」
「多才ですねぇ」
「そこはなんだ、その、手前の」
左側の、踏み固められた空白部分をお猪口で示す。
千風が走っていってそこにちょこんと収まる。
「ここ、ちーのいるとこ!」
「……斬新だな」
「素晴らしいですね」
くすくすと秘書が笑う。
仲居たちが膳を持って来て丁寧に並べる。
手を洗った千風と義維が席に合流する。
「いただき、ますっ」
手を合わせて千風が言う。
「見て!」
自慢げに箸を動かす千風を大人たちが口々に褒め、浮かれすぎた千風が畳に芋を転がして悲しい顔をする。すぐに仲居が寄ってきて「新しいものをお持ちしますね」と言うのに、千風は芋の欠片を右手でむんずと掴んで、
「洗ってくる!」
「……ええと、かしこまりました。板場で洗ってまいりますね」
「ちがうよ、ちーが落としたからちーが洗うの」
「そうだな」空いた小皿を持った義維が立ち上がり、千風の手から芋を置かせて。「すみませんが、お邪魔しても」
「ええ、どうぞこちらへ」
しばらくして、千風が大切そうに持って帰ってきた皿には、先ほどの芋ではなく、大きく反り返ったエビフライが一本乗っていた。
鉾良が唖然とする。
「……ちー、それは?」
「ちー、えび好きー!」
皿を置いた千風が、頬を押さえて嬉しそうに答える。
答えを求めるように義維を見上げる。
「落とした芋と交換してほしいと、板長が千風に交渉を」
「そう、おいも食べたいって! えっとねぇ、まけない!」
「まかない、な」
「なるほど、板場のプライドだな」と鉾良。
長いエビフライが尻尾を上下に揺らしながら、徐々に千風の口の中に消えていく。
続いて運ばれてきた小豆色のかたまりを、竹製の黒文字を手にした千風がつんつんつつく。
「ようかん!」
「惜しい、ういろうだ」
「ういろ! ……んー、にこごり?」
「それはメシだな、これはデザート。甘味」
「ああこら、義維の真似はしなくていいから」
一口で食べた義維を真似しようとする千風を鉾良が止める。
空になった食器を持って仲居が全員退室したあと、鬼藤は四方の襖と障子を閉めさせると。
「十堂の死体は見たか?」
いきなり千風にそう問うた。義維のひざによじ登り満足げにふんぞりかえっていた千風は、あわてて首を振る。
「う、ううん、あのね、ちーが行けないお仕事。でもね、いっしゅうかん……いっしゅうかん……」
尻すぼみに消えていく千風の言葉に、ふむ、と鬼藤がうなずく。
「一週間がリミットだと、あいつが言ったのか」
「ん」
「そうか」
ならば恐らく――その先に続く言葉は、全員が呑み込んだ。
鬼藤が改めて、千風の名を呼ぶ。
「お前に覚悟があるのなら、依頼主の名を教えろ。お前から俺への依頼だ。何が起きたのか、必ず暴いてみせ――」
「――いわない。いわないよ」
そう答えた千風は、怯えた目ではなく、一人の狙撃手の目をしていた。
どんな理由があれ、天祭が顧客情報を明かすことなどない。それが掟だ。愚問だったな、と鬼藤は白煙混じりの息を吐き出す。
「まぁ、一人では行くなよ。相手が誰であれ、足と手数くらいなら貸そう」
「ん」
まだ火の灯る煙草を灰皿に置いた鬼藤が、ひらりと手を泳がせる。
特殊空軍のハンドサイン、と鉾良が気づいたときにはすでに――
千風の手元で三つの発砲音。銃口は上座方向。
鬼藤の脳天を捉えた――と、鉾良と義維の座る位置からはそう見えた。銃弾は鬼藤の後方にある漆喰の壁に穴を開ける。鬼藤のすぐ脇を抜けたのだ、ときづいたのは数瞬後。
「なに……」
完全に固まる鉾良をよそに、
「そこか」
低く呟いた鬼藤が目を伏せる。秘書がその背をかばうように立ちふさがり、弾痕の方向に銃を構える。
同じ方向に、どこからか慌ただしく駆け寄っていく足音と、続いて、激しく争う物音が聞こえてくる。
「逃すと思うのか?」
ドスの効いた鬼藤の声が、部屋の空気を震わせる。
「おい、座れ」
ただ呆然と立ち尽くしていた鉾と義維に、鬼藤が短く言う。赤くなった自身の耳の先を痛そうに撫でて、千風に顔を向ける。
「もう少し離せよ、ちー」
「だって、ぎぃちゃんのおひざー」
義維が座るのに、転がり落ちた千風が義維に再びよじ登って、その腹部にひっついて満足そうに息を吐く。
武装した仲居と門番の男が血相を変えて駆け込んでくる。
「何事ですか?!」
「虫が紛れ込んどるぞ。駆除したまでだ」
「えっ……」
鬼藤の言葉に二人はざっと青ざめ、
「大変申し訳ございません、早急に確認します」
鬼藤は落胆したように言う。
「なんだ、わざと泳がせていたのではないのか」
千風が寄ってきて、ぱちぱちとまばたき。
床に伏して非礼を詫びる支配人と料理長を、鬼藤の目が見下ろす。
「気に入っていたのだがな、残念だ」
秘書が腰を上げ、鬼藤の肩に上着にかける。
「それでは、帰りましょうか」
「あの、会計は」
鉾良が言うのに、部屋を出ようとしていた鬼藤が振り返る。
「野暮を言うな、これくらい貢がせろ」
「これとは比べ物のにならないほどの恩恵を、千風様からは戴いています」
秘書の言葉に鬼藤が顔をしかめ、
「まったく、お前も無粋だな」
「失礼致しました」
秘書が素早く頭を下げる。
「何なら月々の養育費も振り込みたいところだがな、傘下でもないお前らにに下手に金を流すとどこかに不和を生む」
……ということはつまり、そうでなければどこかに知られたら問題になるほどの大金を貢ぐつもりなのか、と鉾良は目を覆う。
庭を一周駆け回って戻ってきた千風が、廊下を進む鬼藤に追いつく。
「ゆきちゃん、ごちそーさま!」
「はいよ」
鬼藤がああと思い出したように、後方を歩く鉾良を振り返り、千風の頭に手を置く。
「内偵の場合もあるから迂闊に言い出したりはしないが――覚えておけ。こいつが外に出たがるときは、たいてい『居る』。さっきのようにな」
1万PVありがとうございます! 閲覧いただいたすべての方に感謝を。
PV大台+ブクマ50件超御礼小話、次に掲載します。




