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堕ちた悪魔とひとりぼっちの少女  作者: 道草屋
第一章 悪魔による甲斐甲斐しい介護と独り言
9/23

第三話「随分と警戒されているものだ」

花屋のおっちゃん視点でお送りします。

何度見ても大きなお屋敷だ。

ザックは背負った籠を地面に下ろして、一息ついた。


自分が生まれる前からこの土地に住んでいた貴族の屋敷。

今は一人の男だけが生活し、それは悪魔であるという噂の屋敷。


その噂の大元はザック自身であり、屋敷に足を運んでいることは町の人間に知れ渡っている。

しかし、誰も真意を問いただそうとはしない。

ザックもまた男が何者であるかはっきりとは分かっていないため、答えることはできない。

一族の末裔か、主人亡き後も居座る使用人か、はたまた住み着いたよそ者か。

ここまでは考える。しかし最後は、


「町や国が放っているのだから、害はないのだろう」


ザックは人より大きめな腹と同じく大きな心で適当に納得している。

こういうことは深く考えない方が得である。

町の皆も同様に、さわらぬ神に祟りなしと、わざわざ探ることはしない。

それに男の正体が分からなくとも、悪事を働いている気配はない。

変な噂を立ててしまったものだと初めは後悔したが、男の「おつかい」が収入の一部になっているので正直ありがたい。

大量に買い込まれるおつかいの品は、ザックだけでなく町の収益でもある。

花は滅多に買わないが、ハーブの苗を頼まれることが時々あるのだ。

男の金がどこから湧いてくるのかは分からないが、ヘーテインの町に害がないのならザックにとっても他の住人にとっても幸せなことであった。


「ねぇ、なんであの人は町に下りてこないの?」


娘のアーシャは籠の中を覗き込んで、なんとも言えない顔をする。

男に一度会ったことのある娘は、男というよりもこの屋敷そのものに警戒心を抱いているようだった。

例の一件の当事者ということもあり、この子は敏感なのだろうとザックも妻も考える。

数年前から始まったおつかいを、アーシャは快く思っていない。

それが、普段ならザックを見送るだけであるのに、今日はついていくと言い張った。

早くに起きて市場をあちこち回り、そのあと森の中を進むのは、子どもにとっては結構な労働である。


「つかれたよ」


案の定、アーシャはぶすくれて座り込んでいる。

森に入る前から足取りが重かった。

先に帰るかと聞くと、頑として行くと言い張ったので、無理には帰さなかったのだが。


「こらこら、門にもたれるんじゃない」

「えー、だって疲れたし」


今年で十三になったアーシャは、初めてここに立った日の齢に逆戻りしたようであった。

というより、最近アーシャは同年代の娘が使う気だるげな言葉遣いに加えて、どこか幼さが戻ってきたような雰囲気がある。

理由はなんとなく分かっているので、とくに咎めることはないのだが。

正直、こんな我が娘をあまり男に見られたくない


と思っていると、男がこちらに向かって来るのが見えた。

荷を運ぶための台車を押している。

ザックが籠を背負って屋敷まで入るのは手間であろうと、この男は台車の木箱に移し替えて自ら運ぶ。

他人を屋敷に入れたくないのか、町の人間を庭にすら入れたくないのか、はたまたザック自身に過失があるからか。

残念ながらザックは悲観的に物事をとらえるよりも前向き思考が強いため、手間が省けたくらいで思考を止めている。

しかし恥がないわけではないので、だらしなく門にもたれて脚を伸ばす娘の首根っこをひっつかんで立たせることはした。


「おはようございます」

「おはよう」


男は駆け足できたというのに、息一つ乱れていなかった。

若いっていいな、とザックは自分の腹を一瞬見下ろした。


「そちらは?」


男の視線はザックから、その陰で自分を見つめるアーシャに向けられていた。


「お、おはようございます」


男が来るなりザックの後ろに隠れたアーシャは、父親を盾にして顔だけ出して言う。


「こら、ちゃんと前に出て挨拶なさい」

「ああ、迷子の犬の飼い主と一緒に来た娘か」

「よく覚えていらっしゃる」


(覚えているも何も、この男がお父さんにこの仕事をさせてるんだから、その娘はあの時の娘だって、分かって当然でしょ)


アーシャはこっそりと頬を膨らませた。

ついてきたのにはちゃんと理由があるのだ。

父親に、この仕事を押し付けるのは止めてほしいと、アーシャは男に言いに来たのだ。


月に一度か二度、父親が朝早くに家を出て昼頃に帰ってくるという習慣が始まって早数年。

店の仕事だってあるのに、父親は文句ひとつ言わずにこなしている。

アーシャはそれを見るのがなんとも苦痛であった。

足腰の弱ったじいちゃんばあちゃんでないなら、自分で町に下りてくればいいのに。

そんな不満はずっとあったのだ。

ただ、言い出すタイミングを伸ばしていただけのこと。

一人で男の屋敷まで来ることが怖かったというのは絶対にない、断じてない!


アーシャが一人心の中で叫んでいるのは、眉間にしわを寄せた表情からなんとなく男にも分かった。

当人の父親は背を向けているので全く気付いていないのだが。


「この仕事がなかったら一日中座りっぱなしの毎日ですから、いい運動ですよ」


と、本人が全く気にしていないことにも気付いていない。

ついでに言えば、屋敷まで来る日は花屋を畳んで休業日にしている。

仕事の掛け持ちが理由というより、子どもが一人増えて妻と相談した結果のことなのだが、アーシャには上手く伝わっていない。


「今日はなぜ?」

「はい、急についていくと言い出しまして」


(なんでそんなに腰の低い喋り方なのっ)


アーシャはまた頬を膨らませるが、男は取引先である。

またザックとしては、一応貴族の住んでいた屋敷に住まう相手であるから、丁寧に対応したい。

とはいえ普段の口調を全て隠せているわけではない。

男がそれをなんとも指摘しないので、花屋も肩の力を抜いている。


「一つ、聞きたいことがあるのだが」

「なんでしょうか?」


木箱にすべて詰め終えたザックが手ぬぐいで顔を拭う。

普段は一方的に花屋が町のことを語り時間が過ぎていくので、珍しいことである。


「病人には何を食べさせたらよいのだろうか」

「病人ですか?」


種類にもよると言われて、男は言葉に詰まった。


「栄養失調に近い」

「でしたら、すりおろしたりんごですとか、野菜なんかを作ってやるといいですよ」

「ほうほう」

「実は今、下の子どもが熱を出してましてね。うちもそうやって与えているのですよ」

「なるほど」


ではあれで合っていたのだろうか、とぶつぶつ言うので、ザックはつい聞いてしまった。


「だれか、お屋敷に病気の方がいらっしゃるのですか?」


男の目がほんの少し見開かれ、顎に当てていた拳が、唇を閉ざすように上にずれる。

普段あまり変化しない表情と挙動の持ち主であるから、ザックにはだいぶ慌てたように見えた。


「私はてっきり、お一人で住んでいたのかとばかり」

「いや、一人だ。あれは先日拾ったのだ」

「あれ……猫ですか?」

「いや、人間だ」


「あれ」と「人間」という言い方に少し引っ掛かりを覚えたザックだったが、なんとなく言いづらそうな男の様子を見て、深くは探らないことにした。

好奇心が騒がないといえば嘘になるが、ザックにだってつつかれたくないことはある。

それに、もしかしたらあまりよろしくないことに男が加担しているのかもしれないし……。


「ねぇ、だったら町に下ろしてお医者様に見せたほうがいいんじゃないの?」


それまで黙って聞いていたアーシャが、やはりザックの後ろから顔を出して言う。

ザックは慌てて口を塞ごうとするが、アーシャはその手をするりと抜けて男の前に歩み出る。

自分の父親よりもずっと背の高い男に見下ろされて一瞬ひるんだ。

目を合わせないようにして、しかし顔だけは上を向ける。


「具合が悪いんならお医者様に見せたらいいじゃない。こんなお屋敷に住んでるんならお金があるんでしょ?だったら簡単でしょ?」


私たちみたいな一般人には簡単じゃないけどね、という気持ちがけっこう漏れ出ている。

ザックはあたふたとして男と娘とを交互に見る。

アーシャも言いたいことが言えたのでさっさと父親の後ろに引っ込みたいのだが、男の視線から逃げ出すのはなんとなく癪だった。


正直、男は激昂すると思っていた。

小娘に生意気な態度で意見されたら、たいていの大人はいい顔をしない。

それに加えて、アーシャは男が貴族だと思っていた。

町の誰も、父親でさえも男の素性を知らない。

しかし着ているものや態度がなんとなくアーシャの想像する貴族と似ていたのだ。

黒を基調とした派手ではないがしっかりとした作りのスーツと、色白で傷一つない肌。

金持ちで土仕事など知らないといった見た目がアーシャの考えを確定させた。

貴族のために父親が働かされているというのは、アーシャをひどく不快にさせる。


(たとえ本人が気にしていなくても、私は気にするの!)


いっそここで自分に手を上げてくれれば話は進展するのかもしれないとさえ思った時だ。

男の手が自分に伸びてくる。

怖い、と一歩下がろうとしたが、もはや逃げられる距離ではない。

痛いのが来る。ぎゅっと目をつむった。


「……殴ろうだなんて考えはないのだが」


くしゃ、と頭に手が置かれた。


「随分と警戒されているものだ」

「申し訳ありません!娘が……」

「いや、何も問題はない」


男の手が高い位置で結わえられたアーシャの髪を梳いて離れていく。

顔を上げると、無表情ながらも微笑みのようなものが張り付いている。


「目覚めはこの屋敷でと思っている。彼女は眠っているのだ。だからしばらくは動かしたくない」


納得できるような出来ないような理由だが、アーシャが何か言う前にとザックが手を取り引っ張ったので何も言えずに終わった。

アーシャは改めて男を見た。もう先ほどのように笑ってはいなかった。


「あとで薬を届けましょうか」

「いや、しばらく様子を見る。入り用になったら連絡を入れよう」

「分かりました」


一礼して、下り道をすたすたと、ザックに引きずられる形で道を下っていく。

アーシャは最後に何か言おうとして、それはきっと別な言葉だったのだが、


「またね!!」


こんなことを言うつもりでは、決してなかったのだ。

ザックは驚きに口をあんぐりと開けて、すぐ叱責の言葉を浴びせた。

男はそんな二人が見えなくなってから、ごろごろと荷台を押して屋敷に戻っていった。



** *



「なんだか前見た時よりも生き生きとしていた。なにか良いことがあったのかもしれないな」


森を抜けてから独り言のようにザックが言う。

アーシャは、とっさに出てしまった言葉を反芻していた。

ふと興味がわいて父親に問うてみる。


「いつもあんな風なの?」

「あんなって?」

「無表情」


ザックは軽快に笑って、娘の肩に手を置いた。


「そうでもないよ。まぁ、はじめのころはそうだったけど、今じゃ割と表情豊かになったね。初対面だと緊張するのかもしれないな」


先日の旅の男たちに話したような口調で話すことは、初対面の人間ではおそらくありえないだろう。

伝わりやすいように話し言葉を変えたが、もしも彼らが男と会ったら「誰だこいつは」と首をかしげるだろうか。


「大人なのに緊張するの?」

「誰だってそうさ」


そういえば、男は「彼女」と言っていたか。

ということは女の子が病気になっているのか。

もしくは大人の女性ということになるのか。


「…………」

「どうした?」

「なんでもない。ていうか、思ってたよりも貴族っぽくなかった」

「お貴族様じゃないんだよ、多分」

「じゃあ、なんなの?」

「さぁねぇ」

「はぐらかさないで教えてよ」


「よぉ、ちょっといいか」


アーシャがザックの腕を掴んで前後に揺らしながら問い詰めていると、声がかけられる。

町に続く道の、畑を仕切る柵に腰掛けていたその男の顔に、ザックは覚えがあった。


「あんた、このまえの旅人さんか?」

「ああ、覚えていてくれたのか。なら話は早い」


青白い顔の男はにかっと笑う。

驚いて自分の後ろに隠れたアーシャをなだめて、ザックは話を促した。


「ここらへんで女の子を見なかったか?」

「女の子かい?」

「ああ、ちょうどあんたの娘さんと同じくらいか、もう少し幼いんだが」

「さぁ、見ていないな」

「本当か?」

「嘘ついてどうするんだ」


アーシャはその時、森を見ていた。

森の中にひっとりと佇む屋敷の、木々の合間から微かに存在が確認できる、時計の針のような塔を見ていた。

あの中で眠っている人間について考えていた。

その視線に気づいた男が、アーシャの目の高さに合わせて膝を折る。


「お嬢ちゃん、あの屋敷がどうかしたのかい?」


アーシャは喉の奥で小さく悲鳴を上げた。

男は汚らしい格好をしていたし、前歯が何本かない口が語り掛けてきたからだ。


「あそこになにかあるのかい?」

「すまない、先ほどまで我々はあの屋敷に運びものをしていたんだ。この子はまだ気になってるみたいでね」

「なるほど、そういうことでしたか」


男はザックとアーシャそれぞれに礼を言って、あいさつもそこそこにザックたちが来た道を早足に行く。

その先の分かれ道に馬車が止まっているのが見えた。



「なんだったんだろうな?」

「女の子を探してるってことだよね、あれって」

「そうだろうな。そういえばアーシャ、なんで屋敷なんて見ていたんだ」

「だって、お父さん……」


アーシャはちらりと後ろを見た。

馬車の周りで男たちがなにやら話している。


「……拾ったのは「彼女」って、言ってたでしょ?」


不穏な空気を纏う一団から目を背けて、アーシャは黙り込んだ父親の手を引き道を急いだ。

日はまだ高く、燦々と白い日差しが照らしているというのに、アーシャの心は雲が陰ったままだった。



** *



ネイビアは仲間に、花屋の主人とその娘から聞いた話をそのまま語った。

アシアは苛立ちをそのまま顔に出して、作りの良くない顔がさらに醜くなる。


「それで、あの屋敷にあいつが匿われているってことか」

「確証はないが、その可能性は高いぜ」


商品の一人がいないことに気付いたのは森を抜けてすぐだった。

獣が出るとは聞いていたが、食べ物のにおいにつられて襲われることまでは想定していなかった。

屋敷までの道は獣の気配がなかった。

どうやら森の中は獣が出る道とそうでない道がはっきりしているようであった。

それを知らなかったことが油断となり、大分被害を受けた。

馬が喰われなかったことが唯一の救いである。


荷を隠すための布はところどころが破れて中が丸見えになってしまった。

人気のない場所に馬車を止めて修復すると同時に、獣に破壊されたり、落としたりしたものを確認していった。

その時、荷台の奥で光を嫌うように固まっていた商品の一人がいなくなっていることに気付いた。


しかし、誰に問い詰めてもいつ出て行ったのか知らないと言う。

殴っても蹴っても吐かないから知らないのは本当なのだろう。

逃げ出したという真実に変わりはない。

血の跡がないから、獣に食われて引きずり出されたという線は消える。

となれば森に逃げたか、町に逃げたか、どちらかである。


アシアたちは後者から洗っていくことにした。

森に逃げたとして、獣に襲われてすでに死んでいると考えたのだ。

森とは別の道を少女を探しながら進み、途中に点在した民家にも聞きこんだがそれらしき証言は得られなかった。

そしてとうとう、ヘーテインの町まで戻ってきた。

顔を知っている者から話を聞いていき、残るは花屋の主人だけであった。

ここでなにも収穫が得られなければ、また森に入ることになる。

なにか確証があれば、と願っていたところに二人が来たのであった。


なぜこれほど少女に執着するのかといえば、ちゃんと理由がある。

修復の道具を探しに町へ出た仲間の一人が、その領地に住まう貴族の話を聞いたのだ。

その貴族は金持ちではあるが少々趣向が変わっていて、年端もいかぬ少年や少女を愛でることを道楽としているらしいのだ。

少女は痩せぎすではあるが、太らせれば貴族が好む少女となるだろう。

ようやく買い手が見つかったのだから、ここで売らない手はない。

今まで手間をかけさせた分はきっちり金になってもらわなくてはいけない。


アシアは悪い顔で舌なめずりした。

日はまだ高い。

屋敷に赴くのは日が落ちてからにしよう。


バラの花はもう必要ないだろう。

今度は商売目当てではなく、強奪に行くのだから。


悪魔一応外向きに使う「男」を演じているようです。

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