プロローグ6・「少女と悪魔」
たとえば、こんなお伽噺。
少女は自分の足を蝕む鉄の鎖に足を取られてながらも、何とか茂みに身を隠した。馬車が完全に見えなくなり、馬の嘶きも聞こえなくなり、木々のざわめきだけとなっても、まだ動かなかった。
というより、動けなかった。奴隷の扱いなど家畜と同然かそれ以下であり、残念ながら人間は動物よりも生命力がない。特に自分のような子どもなどは。
それでもなんとか立ち上がり、少女は脇道へと進んでいった。町に逃げるという選択肢はなかった。
人間が恐ろしかったというのと、脇道の先に屋敷があることをアシアたちの話から聞いていたからである。
もちろん相手が悪魔であるという可能性も知っていた。
しかし彼女に恐怖はなかった。
なぜか? 答えは至極単純である。
人間の方がよほど悪魔らしいと、彼女は身をもって知っていたからだ。
この先に待っているのがたとえ悪魔であろうと、構わなかった。
むしろその方が良いとさえ思えた。
馬車であれば数分で済む距離を、どれだけの時間をかけて進んだのだろうか。途中で何度も気を失いながら、這うようにして門の前にたどり着いたのは、空がオレンジ色に染まり星々が輝きだした頃だった。
ようやくたどり着いた、という達成感と同時に絶望的なまでの疲労感に少女は倒れ伏した。
もはや立ち上がることも門を叩くこともできない。
ここまで来て、こんな終わり方で死ぬのか。少女の目に涙はなかった。そんな力でさえも残っていなかったのだ。
これまでに何度も死にたいと思った。死のうとした。でもできなかった。今は体を動かして空に臨むこともできない。地べたに頬を擦り、土を掴むことしかできない。
浅ましいことだ。
少女は目を閉じた。
諦めるというよりも、終わらせるのだ、と思った。
最期に自分の意思でここまで来れたのだ。奴隷として死ぬのではなく、ここで私は私として死ぬのだ。
―――――…………でも、できることなら、もっと、もう少しだけ、生きたかったな。
ぽつり、ぽつりと、雲もないのに降り出した雨の中を、男は少女を抱いて屋敷の庭を戻る。誰が来たのかと出てみれば、息絶える寸前の少女が倒れていた。
奴隷だとすぐに分かった。
わざわざ手を取り救う必要はない。
だが俺は、少女のささやかな願いを聴いてしまった。
屋敷の扉を開ける直前、腕の中で少女が微かに目を開けた。
鮮血のごとく赤い両の眼が男を捉える。
ぐたり、と少女の首が傾き、その身体がどっと重みを増した。
死んだ。
男が微笑を浮かべ、鋭い牙がちらとのぞく。
指をぱちんと鳴らすと、少女の手足から垂れていた鎖が粉々になって砕け散った。
「悪魔たるもの、願いは聞き届けなくてはなるまい」
かくして、それは独り言であり契約となり、一人ぼっちの少女と落ちた悪魔を繋ぐ鎖となった。
物語は、始まったばかり。