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プロローグ4・「ヘーテイン」

たとえば、こんなお伽噺。

 この町の朝は、丘の上の羊飼いがラッパを吹くことで始まる。太陽が山のてっぺんから頭をのぞかせて街へと光を注ぎ、羊飼いはその日の気分に合わせて曲を演奏する。

 町に住む人々は、それを楽しみに毎朝広場へ集まる。

広場は、中央に位置する巨大な噴水を取り囲むように、数々の店が並んでいる。店主らは準備を始める傍ら、ラッパの音に耳を傾けるのだ。

「今日は青菜がよく揃っているよ!」

 八百屋が声を上げた。それを合図に、あちこちで威勢のいい掛け声があがる。

「今朝とれたばかりの魚だ!」

 まだ生きている魚の尾を掴んで、頭上に掲げる者もいる。

「焼きたてのパンだよ。朝食にどうだい?」

 店の前にまだ湯気の昇るパンを並べていく者もいる。

 一人の少年が、寝間着のまま広場に現れた。頼りない足取りで、ときどき頭をこっくりこっくりさせている。

 後からやってきた黒い犬が少年に向かって吠えた。尻尾を盛大に振って、朝の挨拶でもしたつもりだったのだろう。しかし少年は犬の声に驚いて覚醒し、そのまま一目散に走り出した。

「お母さん!」

 パン屋の前で品定めをしていた母親に飛びついて、ふっくらとしたスカートの裾を握りしめる。その拍子にパンを落としかけた母親は、こちらに向かって走ってくる大きな犬を見て、仕方ないという風に肩をすくめた。

「ははっ、一体どうしたんだよ」

 パン屋の店主が立派な口髭の下で豪快に笑う。

 犬は垂れた耳を揺らしながら、わふわふと何かを伝えようとしているようだ。

「坊主、うちの犬にでも噛まれたか」

「ち、ちがうよ」

 少年は母親の背中からそっと頭をのぞかせる。

「ほ、吠えられたんだ」

「まあ、あなた驚いてあんなに必死に逃げていたのね」

 母親は半ば呆れて、半ば楽しそうだ。パン屋の主人は再び客引きに精を出す。

 耳まで赤くなった少年に、犬はゆっくりと近づいた。そして、少年の手の甲をべろりと舐めた。

 今度は悲鳴こそ上げたが、少年は、逃げることをしなかった。

「もう、おどかさないでよ」

 了解した。というように犬が高く鳴く。少年は犬の頭をそっとなでるとその場に座り込んで戯れ始めた。

 太陽の光がラッパの音と共に町に降り注ぐ。人々は会話を止めて、光を受けながら透明の音色に耳を傾ける。

 平和そのものを現したような光景だ。

 だが、ラッパを演奏する羊飼いだけは気付いていた。今しがた、山をひとつ越えてこの丘を下っていった馬車が、決して喜ばしいものを積んでいないことに。そしてその馬車は、町へと続く一本道を進んでいくのだ。

ラッパを口から離した時、馬車の姿はもう見えなかった。

なにか悪いことが起きなければ良いのだが。未練がましく町を見下ろしていた羊飼いだったが、やがて仲間の犬と共に己の仕事へ戻った。

 町では朝の市場が活動を再開していた。仕事を始めた店の数はさらに増え、人々の活気が満ち満ちている。

 八百屋の妻は、町はずれの畑からちょうど道を下っていた。背中に背負う籠にはたくさんの野菜が入っている。

 毎朝夫が市場に野菜を運び、自分はそのあと商品を足すために後を追う。それが常となっていた。

 彼女も畑から羊飼いのラッパを聞いていたが、途中で一度音がぶれたことを気にかけていた。あまり町に下りてくることがない羊飼いを気遣ってのことだ。

「あとで散歩がてら丘まで行ってみようかしら」

 採れたばかりの新鮮な野菜を食べれば、すぐに元気になるだろう。八百屋の妻は道を急いだ。

 その時だ、馬の嘶きに、彼女はどきりとして振り返った。丘に通じる道から馬車が二台、こちらに向かってくるのが見えた。

 大国の隣に町はあるため、人の行き交いは少なくはない。だが、あの馬車はなんだか様子が変だった。言葉では表しにくいが、関わらない方がよさそうだ。彼女の直感がそう告げた。

 しかし道の脇にそれた彼女の隣で、馬車は止まった。

「ちょっとすみません」

 仕方なく顔を上げると、男が黄色い歯を見せて笑いかけていた。

「なにかご用ですか」

「いえ、いえ。我々は怪しい者ではありませんよ」

 八百屋の妻は、はっとした。自分は初対面の相手に向かって失礼な顔をしていたのではないか。

 町の住人として、軽率なことをした。そう感じた彼女は、慌てて弁解する。

「すみません。そんな、疑うつもりではなかったんです」

「それは、よかった」

 男はほっと胸をなでおろす。

「じつは我々、旅をしながら荷物を届ける仕事をしておりまして。今もある貴族様から、先の町へと届けものをする途中でして。あの町の、次の町です」

 あの町と言いながら、男は少し先に設けられた木の看板を指さす。

「ヘーテインだ。間違いない」

 隣の屈強な男が顎をなでる。腕に走る傷跡は、八百屋の妻の足を震わせた。

「それで、この大荷物ですから。我々はこのまま町に入っても、ご迷惑かと思いまして。どうしようかと考えましてね。ならば町の住人に聞けば話は早いだろうと、そう結論いたしました。しかしどうにもその姿が見つからない。どうしたらよいものかと思っていた所、あなたを見つけたというわけです」

 男が言い終えたころには、八百屋の妻はすっかり彼らのことを信用していた。運び屋の一行が、ヘーテインの町まではるばるやってきたのだと。大きな傷跡も、仕事によるものだろうと、合点した。

「町の大通りなら広いから、そこを通りなさいな。あそこは馬車が優先的に通れるのよ」

「それはありがたい」

 男はその胸を後ろの馬車にも伝えた。

「よかったら、町までご一緒しませんか?」

「いえ、私は歩きたいので」

「そうですか」

 男は丁寧に頭を下げて、馬車を走らせる。

その後ろ姿を見送っていたと彼女は、二台目の馬車が隣を走った時に、おかしな臭いを感じた。

 獣ののような臭いだが、どこか違う。畑で使う腐葉土にも似ているし、カビのようでもあった。

「まあ、あれなら仕方ないかもね」

 彼女はそう呟いて、再び歩きだす。

 木の骨組みの上に布をかぶせただけの荷台は、泥がこびりついて所々縫いなおした跡があった。色んな荷物を乗せているのなら、臭いも混ざっているのだろう。

 それこそ、貴族が運ばせる荷物なのだ。中身が一体何なのか、見当もつかない。


物語は、始まったばかり。

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