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プロローグ3・「むかしむかし、あるところに・2」

たとえば、こんなお伽噺。

かくして、悪魔の協力のもと新王の貿易は国を豊かにしていった。しかしその一方で、国が廃れていったことを、新王はまだ知らなかった。

 高い値で買い取られる奴隷のために、国民の数は急激に減少した。それを補うために、新王は外国からの貴族を移民としてどんどん受け入れていった。

 深い森を切り開き、道を作り、大勢の人間が国に入ってきた。

しかし、贅沢三昧を極めた貴族たちはすぐに国の生活に飽きて、祖国に戻っていった。そのうち、国に入る人間もいなくなった。

 奴隷の生産は、女の産む子供が成長しなくては成り立たない。しかし売るスピードに産むスピードが追いついていけなくなった。

 女達は相次ぐ出産による疲労に倒れた。国で働いていた男の奴隷も疲弊し、動ける者は少ない。

 これはなんとかしなくてはいけない。新王は慌てて悪魔を呼んだ。

「おい、悪魔。出てこい!」

 しかし、いくら呼んでも悪魔は現れない。

 そのとき悪魔は国のはずれにいた。新王の声は聞こえていたが、戻る義理はなかった。正式な契約もなく、またこれ以上力を貸しても自分にはなんのメリットもない。

 もうそろそろ潮時かな。

 そんなことを考えながら、あてもなくふらふらと森を彷徨っていた時だ。人間の血の臭いがした。

 人間の姿で臭いのするほうへ言ってみると、小さな家にたどり着いた。その庭に、鎧姿の男が二人うずくまっていた。この国の――奴隷ではない方の――兵士だ。

 ちょうど空腹だった悪魔は、その場で二人の首を切り落とした。鮮血の迸る頭部を両手に持ち丸のみにした。

 その時だった。小さな悲鳴が聞こえたのは。

 視線を向けると、一人の女が泥まみれで倒れていた。兵士の血が池のようになり、その中ですすり泣いている。

 破れた服と兵士の鎧が下半分だけ外されているのを見る限り、この男達は強姦にでも来たようだ。

「立てますか?」

 頬の血を手の甲で拭いながら、悪魔は好青年を演じた。人間に接触する際には第一印象が大事だ。だから、親切で心優しい青年を演じるに限る。すでに兵士を殺しているのに好青年を名乗るなどおかしなものだが。

 ぐいと腕を引っ張ってやると、女は素直に立ち上がった。

「あ……ありがとう」

「いいえ」

白い歯を見せて爽やかに笑ったつもりだったが、女は青ざめて後ずさる。血濡れた口内は、女の目にしてみれば獣のように映ったであろう。

そう、悪魔はついさっきまで人間を食った事を忘れていたのだ。人間でも満腹になると気が抜けてしまうだろう、あれと同じ現象である。

「あ、あなたは、なに?」

「なにかと問われれば、悪魔です」

「悪魔!」

 青かった女の顔からさらに血の気が引いて真っ白になる。当然と言えば当然の反応であるが、次の女の一言には驚かされた。

「お願いです、助けてください!」

 まさか、悪魔に助けを乞う人間がいたとは。

 悪魔は思慮の浅い王子の顔を思い浮かべて、くすりと笑った。

「なにを望むのだい?」

 これを悪魔の了承だと受け取ったらしく、女は涙をこぼしながら言った。

「この国を、助けて……」

「この国を? どういう意味だ?」

 てっきり今の貧しい状況から救い、新たな国王にしてくれ。とでも言うのかとばかり思っていた。

「優しかった国王は、人が変わってしまったように非情な方になられた。そのせいで、私は夫と子供を奪われました。家族が、今この瞬間も、どこかで奴隷として働かされているのかと思うと、私は……」

 女はとうとう泣き崩れた。

悪魔はその身体をとっさに支えた。そして自分の行動に驚いた。

―――なんだろう、この痛みは。

それは今まで感じたことのないものであった。無数の、絹のように細い針が刺さったような、そんな痛み。

 しかし悪魔には、それがなんなのか分からなかった。

「お前は、俺になにをくれる?」

「へ?」

「お前の願いを叶えるなら、俺はあんたからなにかをもらわないといけない」

 悪魔の言葉に、女は迷うことなくこう答えた。

「私を。どうぞ、この身体を差し上げます。それでも足りないのなら、魂を……」

 人間の魂――それは極上の味だ。悪魔にとっては最上級の代物。断る理由など無い。そう、無いはずなのだ。

「本当に、いいのか?」

「え?」

「魂を、代償にするのかと聞いている」

 俺は何を言っているのだろうか。

 一人の人間の女が、自分の肉体と魂を代償に一つの国を救いたいと悪魔に願った。ただそれだけのことなのに、どうしてこんなにも息苦しくなっているんだ。

 自分は、なにを望んでいるんだ?

「構わない」

 こうして、悪魔は女の願いを叶えることになった。

 あちこちに奴隷として飛ばされた国民を、生きている分には全て取り返した。切り開かれた森の木々は、すべてもとに戻した。破壊された家々も、家畜も、すべてもとに戻した。女の顔には、笑顔が絶えなかった。

 これに驚いたのは新王であった。国がもとに戻っていくのだ。自分が築いていった王国が、あっという間に崩壊していくのだ。

 こんなことができるのは、あいつしかいない。

「悪魔!」

「ここにいる」

 悪魔は元国王――王子の前に降り立った。

「どういうつもりだ!」

「俺は、ある人間の願いを叶えただけだ」

 そして、今から最後の願いを叶える。

「あの女が願ったことは三つ。一つは家族と売り飛ばされた国民を皆連れ戻すこと。二つ目は国を元通りの状態にすること。そして最後は――」

 鋭い爪をもつ悪魔の手が、振り上げられる。

「お前を殺すことだ」

 振り下ろされた切っ先は、肉を引き裂き、血に濡れる。かつて国王の血で染まった純白の正装は、今度は王子の血で赤く染め上げられた。

 なぜか悪魔は、胸の奥がすっきりした気がした。

 女の元へ戻ると、彼女は笑顔で悪魔を迎えた。

「ありがとう」

 そう言って、女は目を閉じた。

 どんな痛みが襲ってこようとも、それは自分が願ったことだ。魂を売ることは不浄な人間のすること。分かっている。だけど、自分は後悔していない。

 しかし、いつまで経ってもなにもない。ゆっくりと開いた視界に、悪魔の姿はなかった。代わりに、自分の娘達がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。


 悪魔は王子と出会った塔の、あの部屋にいた。傍らには王子の死体が転がっている。

血の臭いでむせかえりそうな室内に、突然雷鳴の轟きが響いた。

『貴様はなぜ、代償を受け取らなかったのだ』

 その声は無数の悪魔の声であり、彼自身の声であり、悪魔という概念そのものであった。

悪魔はなにも答えなかった。その眼は鮮血のごとく赤く染まり、唸る唇から鋭い牙が覗いている。

「俺に、受け取る資格は無い」

『資格だと! 悪魔が何を言っているのだ!』

 そうだ、確かにそうだ。

俺は悪魔で、本当なら約束通り代償を受け取っているはず。それが普通だ。それがあたりまえなのだ。だが、

「だが、俺が王子に力を貸したことによって、あの女達は……」

『不幸になった。とでも言いたいのか』

「実際その通りだ!」

『腑抜けたことを抜かすな!』

 どこからか刃が飛んできて、悪魔の頬をかすめた。つう、と伝う血は、人間のそれと同じ色をしている。

『貴様、気でも狂ったか!』

「俺だって、分からないさ! なんで、なんでこんなにも苦しいのか! 訳が分からないんだよ!」

 悪魔は叫びながら泣いていた。唯一の明かりであったランプが割れて、室内は闇夜のごとく暗くなった。

『貴様……人間に同情したというのか!』

 怒気をはらんだ声にはっとしたとき、そこはもう塔の一室ではなかった。しんと静まり返った、ただっぴろい広間。どこかの屋敷の広間であることだけは分かる。そこに一人だけ、人の姿をした悪魔がいる。

「おい、何をしたんだ!」

『貴様には罰を与える。お前は死ぬまで、ここにいるのだ!』

 声はそう言い残して、去っていった。

 そこがどの屋敷なのか、あるいは王宮なのかは分からない。

 だが、悪魔は今もそこに住み、来訪する人間を待っているそうだ。自分の新しい契約者となる、人間を―――


* * *


「そういえば、この話はどこで聞いたんだっけか?」

 そもそもどういう趣旨で作られたのだろうか。子供を脅かすには教訓もない、結局ハッピーエンドでもない。

 一つの国を動かした悪魔がそれを元に戻して、報酬を受け取らなかった罪に、仲間の悪魔たちから隔離された。

 とどのつまり、悪魔は自分のせいで自分の首を絞めたわけだ。

「まあ、どうでもいいか」

 そんなことはどうでもいい。早く次の街で酒にありつきたい。

 男は力任せに馬の尻に鞭を当てた。



物語は、始まったばかり。

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