白く黄色い悪魔と私
夢だけをめいっぱい詰め込んだ。
「さあ、どうぞ召し上がってください」
ニコニコと笑う目の前の少年が、私には死の宣告をする悪魔のように見えた。
私の名は、マヨーネ・オーラン・ラ・ビネグル。
花も恥じらう十五歳。魔法大国タームオの端にある小さな男爵家の末娘で、
この世界では珍しい黒髪黒目の美少女である。
自分のことを美少女と語るのもなんだが、だって、『私』からすれば
今の私はとんでもない美少女なのだ。
――私には前世の記憶がある。それも、ここではない別の国、
それどころか恐らく世界だか星だかが違う場所の。
日本と呼ばれるその国で、私はごくごく普通の人間だった。
いわゆるゆとり世代で、大学卒業後に就職に失敗し、家事手伝いという名のニートをやっていた。
そこまでの記憶はあるのだが、死ぬような心当たりはさらさらない。
なので最近ではたちの悪い妄想の一種ではないか、と思うようになっていたのだが。
「……マヨーネ様?」
怪訝そうな声をかけられて、意識がようやく現実に戻る。
できれば戻りたくはなかった。
「え、ええ、ごめんなさいませ、ブロワール様」
目の前の、黄金色の髪に白い肌の少年を見る。
そのサファイア色の瞳で見つめられれば、たいていの人間は
コロリと参ってしまうのではないだろうか。
それが我が家の遠く離れたお隣さん、辺境伯ブロワール様の長男とあれば
五年もすれば社交界でもたちまち人気を博するに違いない。
今はまだ、十になったばかりであどけなさのほうが勝るけれど。
さて、彼が物心ついて以来、初めてブロワール伯に連れられてやってきた今日。
挨拶代わりに私に差し出したのはこの辺り名産のヒメカンバーだった。
シャキシャキとした歯ごたえと瑞々しさは、生で丸かじりするには最高で
私も夏の暑い盛りにはキンキンに冷やしてよく齧っている。
ヒメカンバーははっきり言って私の好物なのだ。
だから私は危うく籠一杯のヒメカンバーで恋に落ちるところだった。
『マヨーネ様がヒメカンバーがお好きだと聞いて、
私の方で独自のソースを用意したのです!』
その一言以来、私が現実を放棄しかけていることに、笑顔の美少年は気付いていない。
「あ、あの、もう一度ご説明いただけないかしら? このソースはどうしたの?」
口の端をヒクヒク引きつらせながら、私は彼、ええっとそう、
キョウラ・ギトーカ・ル・ブロワール様に問いかける。
「はい! これは卵の黄身と酢をですね……」
「そ、そう。卵とお酢、ですね」
私の懸念は当たる。一口大に切り分けられたヒメカンバー。
それに付けられた、白と黄色の中間のようなソース。
深く呼吸する。こちらの世界に生まれて十六五年。
もうきっと、体はこちらの世界のものだ。だからイけるはず。
イけないとまずい。辺境伯の長男からの贈り物を無下にするなんて、
下手をすればお父様の首が跳び、一家離散。
私の(比較的)夢のような生活も終わりを告げてしまう。
「そ、それでは、いただきますわ」
フォークに刺さったヒメカンバーを口に放り込み、シャクリ、と噛み締めた。
あの青臭さを打ち消す、まろやかな酸味。
ああ。
「……うぐっ」
好き嫌いって肉体の問題じゃなく魂の問題だったんだな。
大して咀嚼せずに、傍らにあったお茶で流し込む。
切り分けられたものには目もくれず、ザルに置かれた生のヒメカンバーに手を伸ばす。
シャキシャキがじがじむしゃむしゃゴクン。
口いっぱいに青臭さと旬のもの特有の甘さが広がるまで、三本飲み込み、人心地。
「一口で三本もお食べになるとは! そんなお気に召されましたか?」
おい、この息子とんだ節穴だぞ。大丈夫か辺境伯。
脳内で悪態をつきながら、潤んだ目で睨み付ける。
「実はこのソース、近々売り出そうと思っているのです。
そこで、親愛の意をこめてマヨーネ様の名をいただいて」
得意げに語る美少年に、被っていた猫が剥げた。
「どこん目ばつけとっとかキサン。こげんかもん、二度と食わん」
「え゛?」
美少年が硬直する。だが、言わずにはいられなかった。
「きさんのこっば売りに出すちは別によかた。なんで持ってくっとかやん」
「え? あ、あの?」
「なんでファンタジーん世界でマヨネーズば食わないかんとか、ち聞いとる」
「ま、マヨーネ様?」
物静かで大人しいが風変わりな姫、という私の被っていた猫を信じていたらしい、
十歳のガキンチョは呆然としている。こんな子供相手に大人げないと常識が叫ぶ。
しかし、耐えられなかった。
今まで積み上げてきたものが、台無しになるが構わないと思ってしまっていた。
「こん酢いかつん、前々からちーとでん好かんやった!
こっちさん来てから食わんでよかち思いよったつに、
なんでこっば食わなんかね? キュウリは生の一番うまかつに、
いらんもんばかけっから、ふざくんなよ」
かつての故郷の方言でキレている私を、子供は愕然と見ている。
「今、キュウリって言った?」
「あ?」
「キュウリって、その、ヒメカンバーのことですよね?」
聞くことはそれかい、と冷静な部分がツッコミを入れて、
ようやく私はクールダウンする。
「マヨーネ様。つかぬことをお聞きしますが、その、日本、という国をご存知ですか?」
「……ええ。その言い方ではキョウラ様もですわね?」
今更猫被られてもなあ、と小さな呟き。
「聞こえとっぞ」
「ひっ」
呟きよりは少し大きな、悲鳴。
その後話を聞いたが、彼はやはり転生者だったらしい。
まあ、ファンタジー世界の普通の貴族がいきなりマヨネーズは作らないだろうから、
これは予想通りだった。私の前世ではそういう物語をよく見かけたものだ。
聞けばまあ、出てくる出てくる彼に「チートだ(こすかー)!」と叫びたくなるような特性の数々。
普通は一つか二つしか使えない属性魔法の素質は、四大だけではなく光と闇まで持っているし、
剣と槍の腕は武勇で名高いお父上の血を継いで、一騎当千の片鱗を見せているらしいし、
双子の妹たちはめちゃくちゃ可愛くて彼のことを大好きらしいし、
彼の考案した手法(元の世界の知識)で領地の収穫量は着々と上がっているらしい。
そのおかげで村の人々との仲も良好だとか。
「これも多分、お見合いだったのでしょうねえ」
「父上から、マヨーネ様と親しくなれって言われたから、たぶん」
二人でため息をつく。
「とりあえず、お友達からはじめますか?」
ごまかさなきゃいけないし、と呟く美少年に向かって、私は頷く。
「ええ、お友達、ですわね。お父様に他の縁談を探してもらいますわ」
へ? と間抜けな声が上がる。
「……なし崩しに婚約者にでもされたら、絶対マヨネーズば食わなんめーが。
味とかの問題じゃなして、マヨネーズってだけで体の受け付けんけんがら」
いくら将来有望な美少年だろうと、故郷の話ができようと、
マヨネーズを私に食わせようとする限り、一線は越えられない。
「というわけで、私はあなたのヒロイン達から恨まれないうちに、適当な家に嫁ぎますわ。
実家を出るのは嫌ですけど、あなたの物語に巻き込まれたくありませんし」
自分のことを美少女だとはおもっているが、貴族社会では十人並みの私には
チート主人公のお見合い相手なぞ荷が重すぎる。
巻き込まれないうちに離れるのが得策に違いない。
「で、でも、それじゃあ父上にはなんと言えば」
「食事の趣味が合わなかったと、言えばよろしいのではなくて?」
辺境伯が食に強い拘りを持つ人なのは有名だ。
食事が美味しくなるから、多分キョウラの行動も認められているのだろう。
「……それで納得しそうなのが、父上だよなあ」
はあ、とため息をつく姿は、年相応のように見えた。
そんな彼を見てマヨネーズさえ絡まなければ玉の輿に乗れたかな、と
ちょっぴり惜しく思う我が身の俗っぽさに、私もため息が漏れた。
それから一年。私はキョウラくんとそこそこ仲良くしつつ、
父のツテを辿って同じようにいな……自然にあふれた風光明媚で、
美味しいヒメカンバーの育つ領地を持つ人のところへお嫁に行った。
出世とはあまり縁がなさそうだが、読書家をしていても食うに困らないという
これぞ理想の生活、という夫の一番良いところは。
「やっぱり、ヒメカンバーは生が一番だよね」
「ええ、まったく」
二人でぽりぽりとヒメカンバーを齧る。遠く王都では魔法学院の主席が
今までにないほどの才能を発揮しているらしいとか、王女様と婚約したらしいとか、
そういう話が進行中のようだが、今の私には関係ない。
「ああ、早くお腹いっぱいヒメカンバーをいただきたいものですわ」
「だめだよ、体が冷えてしまうからね」
私より少し年上、どこぞのチート美少年ほどに顔はよくないが
人の良い夫は宥めるように笑いながら、私を抱きしめ、丸く膨らんだ腹を撫でる。
もうすぐ生まれてくる我が子が無事にお腹の外に出るまで、
体を冷やすヒメカンバーは三日に一本までとお医者様に厳命されている。
「ええ。分かってますわ。でも本当に美味しいんですもの、ヒメカンバー」
くすくす笑って、抱きしめ返す。
「ましてや、一緒に美味しく食べてくださる貴方がいるのですから」
ヒメカンバーと同じ、エメラルドグリーンの髪を撫でればさらに強く抱きしめられる。
やっぱり、食事は好きなものを趣味の合う好きな人と食べるのが一番。
私の幸福は、白と黄色ではなく、緑色と共にあるのだ。
作者はあとドレッシングとかもダメです。