歴史から消された国の物語
時は中世。
多くの国に囲まれた、とてもとても小さな内陸国があった。
国の名はレイオス。
今までレイオスは領地を広げようと他国を攻めなかった。
いや、軍事力が無く、攻めても勝てる可能性は皆無に等しかったのだ。
ある日レイオスの女王は病によって亡くなり、まだ幼き王女が王位を継承した。
これがレイオスに転機が訪れるきっかけとなった。
数年後、レイオスは隣国に攻め込んでいき、領土は拡大していった。
その結果、近くの大国の怒りを買ってしまい、
「謝罪の意として王女を公開処刑せよ。」
という通告が来た。
レイオスの国民は嘆いた。
国民の絶大なる信頼を得ている王女を殺すことも、
レイオスが滅ぼされることも、
つらい選択であると。
それでも王女の答えは一つだった。
数日後に、レイオスの中心に位置するレイオス中央広場にて公開処刑を行う。
レイオスの未来が懸かっているため、守護はレイオス全勢力をもって行う。
つまり、王女は迷わず自分の死を選んだのであった。
――公開処刑前日の夜――
まるで空も哀しんでいるかのように雨が降っている。
レイオス城の一室に小さな灯りが灯っており、
そこには、王女直属の騎士であり、数々の戦を勝利へ導いた歴戦の騎士、
クレスが跪く。
彼の前には、王女セリスが窓の外を見つめていた。
窓辺にあるオルゴールが安らぐ音色を奏で、部屋の沈黙を打ち消している。
「私、夢を見たんだ。民が皆幸せに暮らす夢を。
他国の顔色を窺わないと生きられない弱いこの国じゃ、
それは遠い、遠い未来の事かもしれない。」
窓の外のどこか遠くを見つめる彼女の瞳には、
明日処刑される人物であるとは思えない希望の光があった。
「でもな、私はそれを信じてる。
だから今、王女である私の命で戦争が回避できるなら、
それで良い……。」
と言い、セリスはクレスの方を向くと
セリスらしくない弱気な声で言った。
「……なぁ?“最後”の命令だ。
……明日、お前は、お前だけは私を笑って、見送ってくれよ?」
「――――仰せのままに――――」
――公開処刑当日――
憂鬱な朝になった。
いつもより遅くおきたのに、
中央広場の守護の仕事に行かないと自分の中決めて、
今日一日仕事は無いのに、今までで一番嫌に感じる朝だ。
時計を見れば、処刑の時刻まであと三時間。
「これでいいんだ。この国のためなんだ。」
と何故か高鳴っている鼓動のせいで、ぐちゃぐちゃしている考えの中、
俺は貴方を想うこと無く、ただ眼を逸らして正論を吐いた。
でも、本当に良いのか?本当にこれで良いのか?
俺は幼い頃からセリスに忠誠を誓い、仕えてきた。
だから、分かったことがある。
彼女は幼い頃からレイオスの国民のことを想っていた。
そして、彼女は自分自身より国民のことを想っていたから、
セリスは王位を継ぎ、己を犠牲にしてまで国に仕えた。
「……明日、お前は、お前だけは私を笑って、見送ってくれよ?」
ふと昨夜のセリスの言葉が頭をよぎった。
そうだ、彼女は全てを犠牲にしてまで国に仕えたんだ。
短いけれど、その生涯は報われるべきだ。
もういいだろ…。彼女に見返りがあっても、
彼女が自由になっても良いじゃないか!
この時、俺の中でぐちゃぐちゃしていた考えは一つにまとまった。
「セリスを助けに行くんだ!」
鎧を着て、剣と槍を携え、愛馬に乗り、駆けだした。
ここは中央広場のある城下町から離れた郊外。
今ならまだ間に合う。俺は今、行かなくては!
中央広場を守るのは眼下に広がる数千の大軍、
それに挑むはセリス陛下に仕える歴戦の騎士。
数千の大軍と歴戦の騎士の想いは偶然すれ違い、空前の悪意に。
絶望した彼らに和解は無く、誤解で互いに絶望するだけ。
時代の悪戯は次第に加速していった。
数千の大軍にとって歴戦の騎士はレイオスを滅ぼそうとする悪。
歴戦の騎士にとって数千の大軍は忠誠を誓った陛下を殺そうとする悪。
その様はまるで善人欠如の勧善懲悪。
また、数千の大軍はレイオスを守るという正義。
歴戦の騎士は忠誠を誓った陛下を救い出すという正義。
その様は寧ろ悪人不在の勧悪懲善。
そして、彼らは間もなく衝突しようとしていた。
クレスは封鎖された関所を強行突破し、
遠くに城下町が見える所に到着すると、愛馬を逃がした。
彼が強行突破した関所から上げられる一つの烽火。
それを見たレイオス軍がクレスの元へ向かってくる中、
クレスは雲ひとつない紺碧の空を見上げていた。
……人とはおかしいものだ。
負けるに決まっている無謀な戦いを挑むというのに、
心は落ち着き、死への恐怖心もない。
運命は俺を笑うだろう。
愛に溺れた俺はさぞかし滑稽だったに違いない。
でも、あの日語った貴方の言葉の裏には、隠れた痛みがあった。
それに俺は今頃になって気付いたんだ。とすれば、
俺は貴方にも、自分自身にも嘘をついていたんだ。
今まで何度も気付いていたのに言えなくて、自分の中に押し込めていた。
何よりも貴方に嫌われることが恐ろしくて、
本当は貴方の為に何一つしていなかった。
それなのに、俺は貴方の為だと戯言を吐いて貴方の手を握っていたのは、
ただ目の前の現実から逃げただけに過ぎない。
「ハハ、ハハハ!情けなくて笑えてくる。
貴方の命に比べれば国も、民も、同士も、家族も、己の命さえ
―――――――惜しくもない!」
クレスは槍を構え、レイオス軍の守る中央広場へ向かって走り出した。
かつて自分の部下だった者を、
かつて共に飯を食べた仲間を、
かつて共に鍛錬した仲間を、
かつて共に勝利を喜びあった仲間を斬り殺し、
かつて仕えた国を裏切り、
守るべき民の命を捨て、
?ただ貴方だけ?とエゴを叫ぶ。
全てを裏切り、殺戮を続けるその様は鬼人か?
それでも俺は貴方の元へ行く。
俺はもう逃げない。
「―――ぐぁ!」
多くの兵を斬り捨て、死体の上を駆け抜けていると
いきなり腹に蹴りを入れられ、後ろに飛ばされた。
急いで体を起こすと、クレスを囲んだ兵士たちが、じわじわと詰め寄って来ていた。
俺の足元に槍が転がっている。
「お前ら一斉にかかって来いよ。俺は今無防備だぜ。」
言い終えると、クレスを囲んだ兵士たちは雄叫びを上げて襲いかかってきた。
しかし、クレスの口元から笑みがこぼれていた。
「――――――散れ。」
クレスは、殺気を漂わせ、剣のように鋭い声で囁いた。
それと同時に槍を蹴り上げ、槍を両手で振り抜き、兵士たちを一閃した。
そして、雄叫びは断末魔の叫びとなり、空へ響いた。
クレスは静かに立ち上がり、叫んだ。
「俺の行く手を阻む奴は、塵にも残らないと思え!」
その声に彼の近くのレイオス兵は恐怖し、
クレスは走り出して間合いに入る者を抹殺していく。
「どきやがれ!」
突然響いた声を聞くと、クレスの前にいた兵士たちが左右に避けた。
その瞬間クレス目がけて大きな剣が勢いよく振り下ろされた。
咄嗟に槍で防ごうとすると槍が折れ、
追撃を反射的に避けたが剣先が左目を斬り、視界を閉ざされる。
「……お前は…………ヴァン!」
左目を抑えて前方を見ると、
かつて同じ志を持ち、
共に腕を磨き、
お互いを理解し合っていた親友の姿があった。
ヴァンの手には長く威力のある両手剣がある。
「よう、クレス。何故お前はセリス様の御意志を裏切った。……何故だ!」
クレスは折れた槍を捨て、腰に携えた剣を抜いた。
「違う、俺は気付いたんだ!セリス様はずっと――――」
「お前に何が理解できる!
お前がしていることは、あの方の決意を無駄にしているんだぞ!」
攻防を繰り返した二人は間合いを取り、お互いに隙を窺っている。
「俺は彼女の本当の気持ちを知ったんだ。」
「ふざけるな!もういい……この一撃でお前の目を覚ましてやる。」
ヴァンは両手剣を頭上に掲げると回し、
遠心力を加えて振り下ろそうとしていた。
「邪魔だぁぁぁ!」
それに対し、クレスは左手に剣を握り、体勢を低くして駆けだした。
周りの兵士たちは二人の戦いを呆然と眺めていたが、
次の一撃で勝負は決すると予感した。
ヴァンは両手剣を振り下ろし、
クレスは走るスピードを落とさず、横にステップしてこれを避けた。
しかし、ヴァンはクレスが避けることを読んでいる。
誰もがヴァンの一撃を避けられないと確信した。
「――――――ぁぁぁぁぁああああ!」
その時、クレスは右腕を上に掲げ、
右腕を斬らせてヴァンの両手剣の軌道をずらし、
ヴァンの必殺の一撃が外れた。
俺の片目が見えなくなっても、
俺の右腕が斬り落とされても、
貴方の抱く痛みに比べればそんなものは物の数じゃないさ。
あの日、俺が言えなかった言葉を伝えるまで、
俺は死ぬ訳にはいかない!
クレスは片手しか使えない分を走る勢いで補い、
ヴァンの脇腹を斬ってそのままセリスの元へ向かって駆け抜けていく。
「何故だ……クレス…………クレェェェェェス!」
クレスの背に、膝を地に屈したヴァンは、様々な想いが込めて叫んだ。
迫りくる死刑の時刻。
間に合わなければ全てが終わる。
急げ、この命が続くまで。
公開処刑が行われる中央広場では、
セリスはすでに処刑台に立ち、首を縄でくくり、処刑の時刻を待っていた。
小高い丘から見下ろす中央広場は国民によって埋め尽くされていた。
しかし、国民の誰もが涙を流したり、感謝の言葉を言ったりしている中、
彼女の瞳は光を失いつつあった。
その時、何者かがこちらに走ってくる足音が聞こえ、
足音のする方を見るとセリスは言葉を失った。
足音の主は彼女の前に来ると跪く。
「陛下………」
「…お前……」
足音の主は片目が失い、右腕を失った歴戦の騎士、
返り血と己の血で血まみれになったクレスだった。
「……ご無事で何より……。
申し訳ありません……このような情けない格好になって……。
……騎士、失格ですね……。
それでも……、俺は貴方を笑ってなど、…………断じて見送れません!」
クレスの決死の言葉を聞き、セリスは胸に両手を当て、笑顔を作って言った。
「……私を助けないで。
私の命で戦争を止めるの。
お願いよ、お前は私を、笑って見送って………。」
「嫌です!」
セリスが処刑台に戻ろうとした時クレスが初めてセリスに反発した。
「たとえ世界が何色に染まったとしても、
俺は貴方の手を離さないと誓ったんだ。
貴方の頬を下っていく涙に、俺は貴方の心の声を聞いたんだ―――。」
セリスはじっとクレスの姿を見据えると、首にかかった縄を外し、絞首台から飛び降
りた。
クレスは優しく微笑み、セリスを受け止める。
「――なんで……、なんでそんな傷だらけになってまで…、私を助けようとしたの
よ、…バカ。……国のために死ぬんだって、覚悟をしたのに…絞首台に立つと、きっ
とクレスが助けに来てくれるはずだって、心のどこかで期待してしまったの。…死ぬ
ことが、怖くなったの…」
クレスの背中にまわしたセリスの手にさらに力が加わる。
「…この俺が来たからには、もう大丈夫ですよ。俺が貴方を、絶対に守り抜いてみせ
ますから。」
クレスがそう言うと、処刑の時刻を知らせる鐘が鳴り響いた。
「たった今この時をもって、レイオスの王は死んだ。セリス、…あなたはもう自由
だ。」
クレスは今までの労をねぎらうように、ゆっくりとセリスの背中に手をまわし、強く
抱きしめる。
セリスは、別れを惜しむように囁いた。「それじゃあ、あなたも自由よ。もう私を助
ける必要はないわ。」
クレスは頭を横に振った。
「いいえ、俺が忠誠を誓ったのも、たとえ世界が敵になろうと絶対に守り抜くと決め
たのも、レイオスの王女のためではないのです。セリスという、世界中でたった一人
の少女のためなのですよ。」
「…………ありが…とう…」
何かから解放されたように、セリスの目から涙が次々と溢れだす。恋愛も自由も涙も
何もかもを捨て、国のために尽くした少女の、初めての涙だった。
「────ッ!!」
クレスは頭を動かし、来た道を睨んだ。
「すみません、陛下。」
セリスの肩に手を置いて、優しく身体を離す。
「セリスでいい!」
「は、はい!兵士達が追いついて来たようです。もう行きましょう。」
クレスはつい癖で、気を付けの姿勢のまま話しかける。
セリスは左手をクレスに差し出すと言った。
「ずっと、ずーっと遠くへ連れていって、私の騎士様。」
セリスの微笑みに、クレスは不適な笑みを浮かべ答える。
「仰せのままに。」
クレスはセリスの手を握り、二度と離さないという決意を胸に駆け出した。
中央広場を埋める民衆の間を駆け抜ける中、「ありがとう」という声が二人を囲ん
だ。後ろにいるセリスを盗み見ると、彼女は黙ってうつむいていた。
中央広場を抜け、二人は城下町の門を出た。運が良いことに、門を守る兵士は丁度持
ち場を離れていたようだった。
「ピィィィィィィ!」
城下町の門を出て、少し離れた所で二人は立ち止まり、クレスは口笛を吹いた。
「馬を呼びましたので、ここでしばらく────」
セリスのうつむいた姿に言葉を失った。前髪でセリスの表情は見えない。沈黙が二人
を包み込み、気がつくとクレスの愛馬は二人の前に来ていた。
「貴方は国のために、民のために十分に尽くしたんだ。だから、彼らも報われるべき
だと思っているよ。」
クレスに促され、セリスは黙ったまま馬に乗った。クレスは城下町の方を向いたまま
動かない。心残りでもあるようにただ見つめていた。
「…やるべきことはただひとつか。」
「クレス…、馬に乗らないの?」
クレスがいつまでたっても馬に乗ろうとしないので、セリスは疑問に思い始めた。
「いえ、ただしないといけないことを思い出したので、セリスは先に行っててくださ
い。必ず追いつきます。」
クレスは微笑みながら言った。それに対して、セリスは突然のことに慌てだす。
「お前は一体何を……まさか!────」
「行け!」
クレスは、セリスが彼の真意に気づく前に、彼女が反対する前に馬を走らせた。二人
を繋ぐ手が一本、また一本と指がゆっくりと離れていく。
「ダメ、クレス!私はお前と────」
彼から離れていくセリスの言葉は、彼にはもう届かない。けれど、彼女の瞳に映る彼
は小さくなっていく。彼の声は一切聞こえないが、なぜか彼の口から言っていること
がわかった。
「ス、ミ、マ、セ、ン。」
そう言うと、クレスは口から血が溢れるほど歯を食い縛ったまま、目を伏せた。そし
て、セリスが見えなくなると歩いて門の前に立つ。クレスは、ようやく見えてきた追
手の部隊を睨み付けた。その部隊は、かつて彼が所属していたレイオス直属騎士団の
4人だ。その後ろを多くの兵士が歩いているのが見える。
「必ず追いつくって約束したからな。守れなければ、今度こそ騎士失格だな。」
クレスは手で顔を覆うが、笑みがこぼれる。クレスは決意を新たに剣を抜き、叫んだ
言葉は大気を揺るがす。
「我が名はクレス!我が命があるかぎり、ここは絶対通さない!
────これが俺の騎士道だ────」
その後、謝罪の意たる王女の処刑がなされなかったこの国は、
他国の怒りを買い全面戦争に突入した。
そして、程なくして滅んだ。
処刑を妨害した名も無き歴戦の騎士も、
処刑から逃れた汚れた王女も、
その後の消息を知る者は
――――――誰もいない─―――――
どうも断歩です
2作目ですが
実はレゾンデートルの2ヶ月前から書いてて
やっとできた自信作です
また
感想とアドバイスをもらえると嬉しいです