別れて出会う、あの頃に
人生、上手くいくことの方が少ないんだろう。
かといって、ずっと上手くいかないことばかりでもないんだろう。
不幸を紛らわすような小さな幸福たちが、見たくない現実から時折目を背けさせてくれる。
そんな世界に、僕は一人、ぽつんと残されたような気分だった。
時刻は午前三時。朝焼けにはまだ遠い冬の深夜、小降りの雪が頬を掠めては、やけに空気の冷たさを思い知らせてくる。
そんな中でも、僕は歌う。
人気のない公園の隅で。
『ラ〜、ララ〜……』
歌詞とも言えないその言葉で、音だけを必死に紡いでいる。
寒さで手が震えているのに、それでも何故か歌おうとしてしまう。
理由は単純だった。
歌を歌うのが、好きだから。
♢
小学二年生の夏休み、お父さんから初めて買ってもらったギターをきっかけに、のめり込んだ音楽の世界。
思ったよりも楽しくて、思ったよりも難しくて、思ったよりも煩わしい。
そんなギターを抱えて、慣れないコードを押さえながら、まだ幼く高い声で歌っていたのを、よく覚えている。
初めてその歌声を聞かせたのは、実は親ではなかった。
誰よりも先に聞かせたい人がいたのだ。
実川春。
幼馴染で、小さい時からずっと二人で遊んでいた。
二人きりで、だ。
時にはゲーム、時にはキャッチボール、時にはおままごと、時には——
思い返してみれば、女の子がやるような遊びも、男の子がやるような遊びも、二人で一通りやったかもしれない。
それほどまでに、ずっと一緒にいた。
僕には、僕たちには、友達がいなかったから。
「あっ! ギター! 買ってもらったのー?」
いつもの人気のない公園で、僕らは二人、ブランコに座りながら話していた。
「へへ、いいだろ。パパが買ってくれたんだ!」
「え〜いいなあ〜。わたしのパパなんて、なーんにも買ってくれないよ!」
「案外、おねだりとかしたら買ってくれるんじゃない? ハルは親にも遠慮してるから、もっとばーんとした方がいいよ!」
「ばーーーん!!!…….どういうこと?」
二人でゆらゆらと、少しだけブランコを揺らしながら笑い合う。
「あ、なあハル。オレ、曲弾けるんだぜ」
思い出したかのように、ギターを持ち直した。
「え、ほんと!? 弾いてみてよ!」
「へへ、任せろ」
そして、ゆっくりと弦を押さえながら、拙い音を奏で始める。
ところどころ不協和音で、上手く弾けてはいない。
それでも必死にくらいついて、思い出して、指を動かした。
そして、
「ラー、ララ〜…….」
歌い始めた。
震えていて、弱々しい声。
今にも途切れそうな、柔い声で。
「っ……」
じっと見つめているハルをよそに、僕は覚えたものを全部見せつけてやろうと、必死にギターへ目を向けていた。
思えば、あの時彼女に目を向けていれば、僕はこんなにも音楽を続けていなかったかもしれない。
あの時の不協和音を聞いた君の顔を見ていれば、辞められていたかもしれない。
そう思う。
『ジャ〜ン』
最後だけ綺麗に弾けた。
だからこそのドヤ顔で言う。
「どうだ、すげえだろ!!」
すごくない。
けど、
「……うん! かっこよかった!」
ハルは屈託のない笑顔で、そう答えた。
♢
翌日の朝になってからだった。
ハルが死んだことを聞かされたのは。
まだ親族の誰も亡くなっていなかった僕にとって、ハルの葬式が初めての葬式だった。
辺りが黒い人ばかり。
辺りが暗い人ばかり。
僕も、その一人だった。
『なんで死んだのか』
『なにがあったのか』
『オレのせいなのか』
『ダレのせいなのか』
幼いながらに思考は巡った。
けれど、誰も僕に答えはくれなかった。
♢
いつの間にか歳をとった。
こんな深夜に歌を歌う僕は、今じゃもう二十歳だ。
大人になってしまった。
今でも思い出すのは、幼い頃の君の声。
君の髪、君の瞳、君の口、君の手。
もう忘れかけてるけど、でもまだ、忘れられない。
君に言いたいことはごまんとあるが、何も言えない。
聞こえてくる声は、どれもあの頃の君のセリフなのだから。
『今日は何して遊ぶ?』
『みてみて! こんなとこにでっかい穴が空いてたの! 何かの巣穴かな?』
『わたし、こわいはなしいっぱい知ってるよ! 最近覚えたんだ〜』
『ねえ、もう一回聞かせてよ!』
——「コウくんの歌」
「ッッ!?!?」
確かに耳元だった。
耳元で、あの時の、あの頃のままの声が聞こえた。
妄想とか、幻想とか、想像とか、全部違う。絶対に違う。
確かにいた。今、そこに。
「ハルっ!!」
思わず名前を呼んだ。
けど、その声は宙を舞って、雪と共に流されていった。
「気のせい、か……」
言いたいことがあった。
あれから友達ができたとか、あれからもっと歌が上手くなったとか、ギターもたくさん弾けるようになったとか、親が離婚して大変で、今は働きながらも頑張ってるんだぞとか。
全部全部、君に話したい。
「話したいよ……ハル……」
「さっきからなに? 聞こえてるよ」
「っ!? うわぁぁっ!?」
間違いない。今度こそ聞こえた。
確かに聞こえた。間近で聞こえた。
思わず驚いて、俯いていた顔を上げた。
——驚くこともうまくできなくなった。
だってそこには、紛れもないあの頃の、あの時のままの、
「よっ! ひさしぶり、げんきしてた?」
ハルがいた。
僕は、呆然とブランコに座り尽くしたまま、静かに揺られていた。




