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狼男に転生した俺は魔物の支配者ではなく、庭付き戸建ての夢を見る  作者: ミツメ


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心地の良い忙しなさ

 目の前のハーピーを見下ろしながら、俺はしばらく動かなかった。仕留めることは簡単だという事実と、そうしないという選択が、身体の中でぶつかり合っていたが、やがてどちらが勝ったのかは自然と分かる形で決まった。

 俺はゆっくりと距離を詰め、そのまま腕を伸ばし、抵抗される前にその身体を担ぎ上げた。軽い。想像していたよりもずっと軽かった。栄養が足りていないのだろう。だが、持ち上げた瞬間、ハーピーは激しく暴れた。爪を振るい、体を捩り、声を上げる。必死の抵抗だった。だが、それでも振りほどけるほどの力はない。


 押さえ込む。逃がさないように腕に力を込める。暴れる。さらに力を込める。しばらくそのやり取りが続いたが、やがてハーピーの動きが徐々に弱まっていく。完全に諦めたわけではないが、どこかで理解したようだった。逃げられないということと、今すぐに殺されるわけではないということ。その二つを、言葉ではなく状況から読み取ったのだろう。抵抗は次第に小さくなり、やがて止まった。


 そのまま森を引き返す。来た道を辿りながら、慎重に足を運ぶ。余計な戦闘は避けるべきだ。今の状態では守りながら戦うことになる。それは避けたい。周囲の気配に意識を向け、匂いを拾いながら進む。幸い、大きな危険に遭遇することはなかった。


 やがて、見慣れた焼け跡が視界に入る。小屋と、畑と、墓。そのすべてが変わらずそこにあるのを確認して、わずかに肩の力が抜けた。ハーピーを地面に下ろす。すぐに逃げ出すかと思ったが、そうはならなかった。羽が動かない以上、まともに逃げることもできないのだろうが、それ以上に、どこか様子を窺っているようにも見えた。


 問題は傷だった。折れた羽。そのままではどうにもならない。だが、どうすればいいのか分からない。ノームたちは怪我についてほとんど語らなかった。そもそも、彼らは俺が傷つかない存在だと信じていた節がある。だから教える必要がなかったのだろう。


 頼れるのは前世の記憶だけだった。


 断片的に思い出す。骨折、固定、安静。完全ではないが、やるしかない。周囲から使えそうな枝を集める。まっすぐで、ある程度の強度があるもの。蔓も探す。縛るためだ。水を用意する。できるだけ清潔にするために。


 ハーピーに近づく。すぐに身を強張らせるが、先ほどのような激しい抵抗はない。様子を見ている。ゆっくりと手を伸ばし、折れた羽に触れる。痛みが走ったのか、ハーピーが小さく声を漏らす。だが、引っ込めない。逃げない。こちらの動きを見ている。


 位置を整える。ずれている骨をできるだけ元の形に近づける。ハーピーの体が震える。だが耐える。枝を当てる。固定する。蔓で縛る。強すぎず、弱すぎず。何度かやり直しながら形を整える。時間がかかる。だが、途中でやめるわけにはいかない。


 ようやく一通り終えたとき、息を吐く。うまくいったかどうかは分からない。それでも、何もしないよりはましだ。


 少し離れる。ハーピーはその場に座り込んだまま、動かない。しばらくして、ゆっくりとこちらを見る。その目にあったのは、先ほどまでの剥き出しの恐怖だけではなかった。何かを確かめるような視線。


 その日から、奇妙な同居が始まった。


 最初のうちは、ハーピーは一定の距離を保ち続けた。小屋の近くには寄らず、畑にも近づかない。ただ、逃げることもなく、その場に留まる。水を置けば飲む。肉を置けば食べる。だが、こちらが近づけば身構える。その繰り返しだった。


 数日が過ぎる頃には、少し変化があった。こちらが近づいても、すぐには身構えなくなる。完全に警戒を解いたわけではないが、逃げる必要がないと理解し始めている。自分が殺されないという事実を、時間をかけて受け入れているのだろう。


 一方で、ゴブリンとの関係も変わっていた。あの個体は、もはや単に肉を盗みに来る存在ではなくなっていた。ある日、肉を取りに来たあと、同じ場所に何かを置いていった。見たことのない木の実だった。匂いを嗅ぐ。毒はなさそうだ。食べられる。次の日には、別のものが置かれていた。金属の欠片。どこかから剥いできた装備品の一部のようだった。


 それが何を意味するのかはすぐに分かった。


 交換だ。


 肉をもらう代わりに、何かを持ってくる。それがこのゴブリンなりの関係の形なのだろう。言葉はないが、行動で示している。そのやり取りは続いた。置くものは毎回違う。木の実、骨、布切れ、時には使い道の分からないものもあったが、それでも意味はある。関係が一歩進んだ証だった。


 そして、変化はそれだけではなかった。


 いつの間にか、気配が増えていた。最初は気のせいかと思ったが、違う。確実に数が増えている。弱い気配。傷ついたもの、痩せたもの、単独で生きていけないもの。そういった存在が、この場所の周囲に集まり始めていた。


 理由は単純だ。


 ここには、牙を向けてこない強者がいる。


 それだけで、弱い魔物にとっては十分な理由になる。魔物は知性を持つ。その程度には差があるが、人型に近いものほど、その働きは大きい。危険か、安全か。奪われるか、生き延びられるか。その判断は、本能だけでなく経験でも行われる。


 この場所は、襲われない。


 その認識が広がれば、集まってくるのは当然だったのかもしれない。


 気づけば、ノームたちの集落跡には、いくつかの影が住み着いていた。ゴブリンの他にも、小さな魔物や、怪我をした個体、単独で生きるには弱すぎるものたち。それぞれが一定の距離を保ちながら、この場所に留まっている。


 俺はそれらに対して、特別なことは何もしなかった。追い払うこともなければ、積極的に関わることもしない。ただ、そこにいるだけだ。だが、それだけでは足りないことも分かっていた。肉は多めに狩るようになった。余った分は置いておく。畑を興味深そうに見ている個体がいれば、試しに種を転がしてみる。理解できるかどうかは分からないが、それでもやってみる。


 小屋の前に立ち、畑を見る。その周囲に点在する気配を感じる。空は変わらず、風が吹き、土の匂いが広がる。


 ここはもう、俺一人の場所ではなくなっていた。


 だが、それでいいと思った。


 孤独は、少しだけ遠くなっていた。

読んでいただきありがとうございます。


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